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このページは、神沢利子さんの本の感想のページです。

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「銀のほのおの国」福音館文庫(2007年6月読了)★★★★
たかしが小学校6年生になる、妹のゆうこは3年生になる春休み。ある日、家の壁にかけてある剥製のトナカイの首を見ていた2人は、トナカイの首がまるで魔法にかけられているような気がしてきます。「この魔法をといてあげたらすごいんだけど!」というゆうこの言葉に、映画で見たいくつかの場面を思い出しながら、ゆっくりと右手を上げ、できるだけ厳かに呪いを解くような言葉を唱えるたかし。するとその時、トナカイのガラスの瞳の奥で炎が揺れたのです。炎はたちまち瞳いっぱいに広がり、2つの鼻の穴は火のように熱い息を吐き出します。たかしは咄嗟に持っていたロープを枝角にかけるのですが、トナカイに恐ろしい力で引きずられ、しがみついたゆうこもろとも、壁穴に引っ張り込まれてしまいます。そして気がつけば2人がいるのは一面の枯野。トナカイはあっという間に走り去り、視界から消えてしまったのです。

児童書のレーベルに入っていますが、とても骨太な作品。端的に言えば、青イヌとトナカイの戦い。しかし、自分達の強さを示すためだけに殺戮を繰り返す青イヌはおそらく敵だろう、というのは分かるのですが、トナカイ側が本当に善で青イヌ側が本当に悪なのか、読んでいてもなかなか確信が持てないのです。それはたかしやゆうこも同様だったよう。突然知らない世界に放り込まれた2人も、どちらが信じられるのか自分自身で感じ、どちらの側につくのか自分自身で考えなければならなくなります。トナカイにはトナカイの論理があり、青イヌには青イヌの論理があるのです。もしこの物語で2人が最初に出会ったのが青イヌ側だったら、青イヌ側を選び取っていたかもしれませんね。そういう結果も十分考えられる物語。
文明社会の中で生き抜くのも大変ですが、大自然の中を生き抜くのはそれよりも遥かに過酷なこと。どうしても動植物を問わず他者の命を奪わなければ、自分自身が生きていくことはできません。ましてや、この作品の中でも何度も指摘されますが、大自然の中に放り出された人間には、暖かい毛皮もなければ、身を守るために役立つ能力もほとんどないのです。どうしても他者の力を借りざるを得ません。しかしそこで節操なく命を蹴散らすか、それとも尊厳を持って奪った命を扱うか、という部分で生きる姿勢が大きく違ってくるのですね。しかし無闇に殺戮を繰り返す青イヌの姿は、そのまま人類の歴史に重なります。人間が本当に青イヌを非難することなどできるのでしょうか? 読み終えてみて、たかしとゆうこがあまりにも守られすぎていて、もう少し参加していたら良かったのにという思いは残りましたが、このような作品を書いた神沢利子さんの持ち続けていた思いがとても強く伝わってくるいい作品だったと思います。
読む前はなんとなくアイヌのイメージを持っていた作品なのですが、作者の神沢利子さんは幼少時代に樺太(サハリン)で暮らしていたのだそう。この雪と氷が果てしなく続く大地のイメージは、サハリンのイメージだったのですね。物語の大筋はC.S.ルイスのナルニアにとてもよく似ているのですが、善悪二元論ではすまされない部分が、ナルニアとは大きく異なる点だと思います。
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