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このページは、城戸光子さんの本の感想のページです。

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「青猫屋」新潮社(2003年6月読了)★★★★★
人形師の廉二郎は、青猫屋の四代目の当主。大掛かりな芝居人形で評判をとった先々代の祖父、大掛かりではないものの、妖しさと謎で彩られた人形を作った父と違い、廉二郎が作るのは素焼きのキツネの人形ばかり。30半ばになっても妻帯せず、6年前に頓痴気という孤児の少年を引き取り、ひっそりと暮らしていました。そんな廉二郎のもう1つの顔は、<歌瘤士>としての存在。誰もが自分で歌を創り、歌うこの町では、この町で創られた歌は<歌ぶり>と呼ばれ、その中でも特に優れた歌は、瞬く間に広がり、魂のある歌として永く愛唱されることになります。しかし時には、特定の誰かを傷つけるような歌が生まれてくることも。そんな時に、その歌から<瘤抜き>をするのが<歌瘤士>の仕事なのです。そんなある日廉二郎の元にやって来たのは、ツバ老という、90歳になろうという今でも<歌ぶり>の名手として名高い老人。ツバ老の依頼は、かつて行われた歌試合の判定をして欲しいというものでした。48年前、先代の青猫屋当主・才二郎の立会いで、ツバ老とお時婆さんの歌試合が行われ、今年の8月29日に判定が下されることになっていたのです。判定の基準は、どちらがより永く生きて愛唱され続けたかということ。ツバ老の歌は、この町でも長大な物語歌として名高い<ムサ小間>。しかしお時婆さんの歌は、ツバ老も、お時婆さん自身すらも覚えていなかったのです。廉二郎は歌試合の時に何があったのか、お時婆さんの歌は今どこにあるのか探し始めます。

弟8回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作品。
登場人物の名前こそ日本人らしく見えるものの、現在とも過去とも未来ともつかない、不思議な世界が舞台となった物語。耳慣れないはずの<歌ぶり><瘤抜き>などの言葉がするりと入ってきます。文章で書かれている作品は、歌の歌詞はともかく、旋律を伝えることなどできないはずなのですが、どこかしんと静まり返った中に歌が聞こえてくるような、そんな不思議な感覚がありますね。そしてその歌を感じていると、見慣れた周囲の風景がふと異空間に見えてくるような…。この作品の中に登場する「歌」とは何なのでしょう。歌を聞かせて育てた野菜は自尊心と誇りを持ち、トマトはお得意さんの奥さんの指に噛み付き、ナスが集団で犬を襲うこともあります。<歌瘤士>に瘤を抜かれた歌は確実に死んでしまいますし、作り手が捨ててしまった歌は2度と蘇ることがありません。町の人々は歌に耽溺しているようで、実は逆に支配されているようにも思えます。そのせいか、青猫屋のあるこの世界は、居心地の良い空間ではあるのですが、そのまま居座ってしまってもいいのかどうか妙に不安させられる部分もあります。どこかに違和感を覚えるのです。
そして、物語はいきなり終結を迎えます。それまでそこはかとなく感じていた歪みがどっと押し寄せて膨れ上がり、一気に破裂したという感じで幕。これには驚きました。当然まだ続くものと思ってページを捲ってみると、そこにはもう既に文章がなかったのですから。しかし作者の城戸光子さんはフリーの舞台演出助手をしてる方だったのですね。それを知って、このお芝居みたいな雰囲気に納得。小劇場系のお芝居を見ているような印象です。本当になんとも不思議な空間でした。…ただ、<ムサ小間>の解説部分は少々辛かったです。これには深い意味が隠されているのでしょうか… 夢野久作氏の「ドグラ・マグラ」のようでもありますが。

本筋には関係ないのですが、ドライブイン食堂のメニューが楽しいですね。甘いものを作ることにしか頭のない甘野氏の百科事典のようなメニューは、「うどん」「そば」「ラーメン」「スパゲッティ」以外は全て甘いもの。「篭城する、嬰児の、花冠パフェ」「地衣類と練習帳と唐草模様の壁紙とを見分けるためのプリンツレーゲンテントルテ」「並びなき野蛮な台所のアイスクリーム・パンチ」「まるで平凡な洋なしの変身と誘惑のコンポート」など、見たこともないような名前のデザート類が並んでいて、なる子ちゃんと一緒になってメニューを覗いてみたくなってしまいます。これらの小道具も、この異空間の演出に一役買っていますね。
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