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このページは、川上弘美さんの本の感想のページです。

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「神様」中公文庫(2003年7月読了)★★★★★お気に入り

【神様】…「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。」という文章で始まる物語。
【夏休み】…「原田さんの畑で梨をもいでいると、足元を小さなものが走り回った。」
【花野】…「すすきやかるかやの繁る秋の野原を歩いていると、背中から声をかけられた。」
【河童玉】…「ウテナさんと精進料理を食べにいった。」
【クリスマス】…「『ちょっとしたもんでしょ』と言いながら、ウテナさんが壷をくれた。」
【星の光は昔の光】…「チャイムが鳴った。えび男くんかなと思って出たら、やはりそうだった。」
【春立つ】…「『猫屋』に久しぶりに来ている。」
【離さない】…「旅先で妙なものを手にいれた、とエノモトさんが言ってきたのが二ヶ月ほど前だった。」
【草上の昼食】…「くまにさそわれて、ひさしぶりに散歩に出る。くまにはあいかわらず名前がない。」

短編集。表題作「神様」は「パスカル短篇文学新人賞」という、パソコン通信の文学賞に受賞した作品。この「神様」の出だしの文章があまりに素敵だったので、あらすじを書く代わりに、それぞれの最初の文章を抜書きしてみました。何気ない文章の1つ1つがとても素敵。読んでいると時々はっとさせられます。
くまに始まり、くまに終わる物語。どの短編も「わたし」が主人公となっているのですが、どれも同じ「わたし」なのでしょうか。それは読む人それぞれに任されているという感じです。「河童玉」と「クリスマス」だけは、どちらも「ウテナさん」という女性が出てくるので、きっと同じなのでしょうけれど… 他の物語に関しては、登場人物の共通というよりは、この夢の中の世界のような雰囲気が流れているという部分が共通しているだけでも構わないような気がします。それともくまと一緒に行った川原の散歩で見た夢… まどろんでいた「わたし」が見た夢は、こんな夢だったのかもしれませんね。


「なんとなくな日々」岩波書店(2003年8月読了)★★★★

「なんとなくな日々」という題名そのままの、身の回りのことや日々のちょっとした出来事を書いたエッセイ集。ほんのりとしたユーモア感覚が疲れた頭に優しくしみ込むという感じ。エッセイはあまりお得意ではないとのことですが、でも確実に川上弘美さんの世界が広がっていると思います。
人の顔が覚えられない話や子育て中の専業主婦が男性とほとんど口をきく機会がない話、タクシーの運転手に対して打ち立てつつある哲学の話、焼き鳥の屋台で飲むビールの話… それに唐辛子のキムチが美味しそうです。

こういう本を読んでいると、時々漢字の使い方がとても気になります。悪い意味で気になるのではなく、「へえ、そういう漢字の使い方をするのか」という気になり方。このエッセイでも「逼塞」だの「閑雅」だの「欅」だのは漢字で書かれているのに、「あまのじゃく」「こんかい」「かなしい」「げんき」はひらがな。こういった、その人それぞれのこだわりというのは好きなのです。
そういう私も、日記や本の感想を書きながら、漢字とひらがなとカタカナを無意識のうちに選んでいます。きっと、誰でもそうなのでしょうね。自分の好きな硬さの文章、そして自分にとって居心地の良い文字。例えば「きれい」は「綺麗」で、「奇麗」はまず使わないとか、そういう拘りは案外大事なのではないでしょうか。


「センセイの鞄」平凡社(2004年7月読了)★★★★★お気に入り

駅前の一杯飲み屋で偶然隣り合わせて以来、ちょくちょく往来するようになったセンセイとツキコ。センセイというのは、30歳以上年上の、高校の時の国語教師・松本春綱。ツキコこと大町月子は37歳で独身OL。20年ぶりの再会でした。

谷崎潤一郎賞受賞作品。
常に丁寧な言葉で話すセンセイ。自分のことを「ワタクシ」と呼び、月子に向かって「ツキコさん」呼びかける、その柔らかさがとても好きです。いかにも教師らしく「真面目に勉強していなかったからでしょう」と決め付けてみたり、月子の手酌を咎めたり、きのこ狩りに行くというのに、背広の上下に革靴という姿で現れてみたり。それはセンセイの頑固さの表れとも言えるのでしょうけれど、私にはむしろ、確固とした自分の姿を持っている大人として映りました。たとえ老齢と言われる域に入っていても、背広に革靴という姿で、月子よりも余程しっかりとどんどん歩いていってしまうのですから!しかし月子の気持ちに気付きながらも、大人の余裕でゆったりとおおらかに構えているように見えたセンセイは、実際のところどうだったのでしょうね。センセイの内面についてはあまり書かれていないのですが、実は全く余裕などなかったのではないでしょうか。月子のまっすぐな気持ちが眩しくて思わずペースを乱されてしまい、大いに焦りながらも、意地でもその動揺を表に出さずに余裕に見せていただけのようにも見えるのです。そしてじっくりと考えていたのでしょうね。そしてそんなセンセイに対して、じれたり拗ねたりする月子がとても可愛いのです。
この2人の恋は、とても静かにゆったりと、しかし着実に進んでいきます。激しさや性急さとは無縁ですが、深い深い大人の恋。何も具体的な行動を起こしていなくても、どこか官能的。しかしセンセイの年齢のせいなのか、物悲しさも漂うのですね。センセイがぐずぐずしていたのは、やはりこの先行きの年月のことを考えてのことなのでしょうけれど、たとえ短い月日であったとしても、やはり月子にとっては最高に幸せな日々だったと思いますし、その日々を支えにそれから先の年月を生きていけるだけの強さを持っていたのではないかと思います。
「ずっと、でなければ、ツキコさんは満足しませんでしょうか」「あれは、そんなもの、でしょうか」というセンセイの言葉の真摯さにぐっときましたし、「あわあわと、そして色濃く、流れた。」などの表現もとても素敵。こういった物語を書いたのが川上さんという若い女性作家さんだというのが、またいいのですね。


「パレード」平凡社(2004年8月読了)★★★★★お気に入り

センセイに「ツキコさん、昔の話をしてください」言われるがまま、ツキコは自分の小さい頃の話を始めます。それはツキコの元に2人の天狗が来た時の物語でした。

「センセイの鞄」のツキコとセンセイの過ごした、ある夏の日の物語。「センセイの鞄」では、2人が恋人として過ごしている時間があまり描かれていなかったので少し残念だったのですが、この作品で読むことができました。こちらの作品の方がかなり短いにも関わらず、どこか濃密に感じますね。2人が用意して食べたそうめんと薬味、そして昼寝をしている和室の情景まで目の前に浮かんでくるようです。しかし2人の関係や普段の雰囲気があってこその物語なので、やはり「センセイの鞄」を読んでから読むべき作品なのでしょうね。ツキコの不思議な天狗の話も可愛らしかったです。本当に彼らはいつまでいたのでしょう。最後まで聞きたかったのですが、ここで終わっているからこその、この雰囲気なのかも。そしてその天狗にこのイラストを持ってきたのは、意表をつかれました。この吉富貴子さんの絵本のようなイラストもとても可愛いです。


「古道具中野商店」新潮文庫(2008年4月読了)★★★

学生の多い東京の西の近郊の町にある古道具屋・中野商店。店には昭和の香り漂う雑多な生活用品が並んでいます。店主は25年ほど前に脱サラしてこの店を始めたという中野さん。店には中野さんの姉のマサヨさんもよく顔を出し、マサヨさんが顔を出すと品物の売れ行きが妙によくなります。そしてアルバイトはタケオとヒトミの2人。タケオは引き取り要員で、午後になると中野さんとトラックで依頼のあったお客の荷物を引き取りに行く役割。そしてヒトミは午前に引き続き店番をするのです。

店主の中野さんの人柄なのか、どこか不思議な雰囲気を漂わせる中野商店での日々を、アルバイトのヒトミの視点から描いた長編。店に深く関わっている4人も、ここにやってくる客も、中野さんの愛人だというサキ子も皆それぞれにマイペース。社会に上手く適応できなかったのではないかと思える人物も、ここでは自分自身の居場所を得て、のんびりと日々を過ごしています。そしてそんな平凡な日々の中にもそれなりに波があり、それを淡々と描き出しているような作品。古い写真を眺めながら、こういうこともあったなあ、と思い出に浸っているという印象でしょうか。
悪くはないのですが、あまり琴線に触れてくるものがなく、結局私はさらっと読み流してしまったのですが… こういった作品が好きな人には、堪らない空気感かもしれませんね。


「大好きな本-川上弘美書評集」朝日新聞社(2009年5月読了)★★★★

読売新聞の書評委員を2年、朝日新聞で4年、そして現在再び読売新聞で4年目、という川上弘美さんが新聞紙上に書いた書評が中心となった本。川上弘美さんのお好きな本、全144冊が紹介されていきます。

書評集や読書案内という本には、いくつかのパターンがあると思います。まず「そこに紹介されてる本を全てを読み尽くしたくなるもの」。これは著者の好みと自分の好みがかなり一致している時や、その本のスタイルがとても魅力的な時でしょうね。次に「未読の本が読みたくなるのはもちろん、既読の本ももう一度読み返したくなるもの」。よく知ってるはずの本でも、今の自分ならどう感じるのだろうと読み返したくなってしまうというのも、とても素敵ですね。さらに「既読の本についての考察が深まるのが楽しいもの」もあります。既読の本について楽しめるのはもちろんですが、紹介されている本を読んだ後で、改めてその本について書かれているページをめくりたくなるような本です。この本の場合、未読の本のところに差し掛かると、自分がその本を読んでいないことが非常に悔しく、自分も早くその本を読み、その本に関して書かれていることを改めて読み直したいと焦りに似たものを感じてしまったりもします。そして読後、改めて該当部分を読み返すと、書かれていることがずしんずしんと響いてくるのです。「紹介されている本を全て読み尽くしたい」よりも、もっと著者の人間的な深みに憧れている場合でしょうか。逆に「未読の本も既に読んだ気になって満足してしまうもの」もありますね。その本自体はとても興味深く読んだのにそれ以上発展せず、満足してしまうというのは、詳細すぎる説明のためなのでしょうか。
この川上弘美さんの書評集は、私にとっては「既に読んでいる本についてはとても楽しく興味深いけれど、あまり新たに読みたいという気持ちにはさせないもの」でした。決して面白くなかったわけではないのです。それどころか、とても面白く読んだのですが…。川上弘美さんなりの「読み」がとても興味深かったですし、特に既読本に関してはなるほどと思わされる部分も多く、自分がうっすらと感じていたことをそのまま言葉にしてもらえたような快感もありました。しかし未読本に関しては、まるでその本をお題に書いたエッセイを読んでいるような感覚。あとがきに「取り上げ た本を読んでいない読者の方に、ほとんどわからないようなことを平気で書いていることにも、驚いた」と書かれているのですが、もしかしたらそこに通じるのかもしれません。おそらく、作家としての川上弘美さんの作品を追い続けているファンの方にとっては、どれもこれも読みたくなるのでしょうね。川上弘美さんらしい文章に浸ってるだけでも幸福感を感じるような本、とも言えるかもしれません。
副題は「川上弘美書評集」。確かに書評集なのかもしれません。しかし私にとっては、書評というよりも川上弘美さんのエッセイを読んだような気分になった1冊。分厚い本なのにその厚みを感じさせない、素敵なエッセイ集でした。

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