Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、北川歩実さんの本の感想のページです。

line
「僕を殺した女」新潮文庫(2002年10月読了)★★★★
大学一年生の篠井有一がある朝目覚めてみると、そこは見知らぬ部屋。以前から酒を飲んでは記憶喪失になるということを繰り返していたため、酒を飲むのはやめていたはずの有一でしたが、部屋にはウォッカやナポレオンの空瓶が転がっていました。そして昨夜のことが全く思い出せないまま、有一が起きだして顔を洗おうとすると、洗面所の鏡に映っていたのは女性の姿。有一はなんと女性になってしまっていたのです。その部屋の持ち主は、大学院で数学の研究をしているという宗像久。彼は3年前からその部屋に住んでいるのだと言います。しかしその部屋の場所は、紛れもなく自分の部屋があったはずの場所。窓の外から見える見慣れぬ景色に驚いた有一が確かめてみると、昨日は1989年だったはずの日付は、知らない間に1991年となっていました。自分の中に5年ものブランクがあることを知り、有一は驚愕します。

20世紀最後の覆面作家と言われる北川歩実さんのデビュー作。目覚めたら男性から女性に、しかも5年もタイムスリップしていたという設定で、読み始めは、てっきり西澤保彦さんばりのSF絡みの物語なのかと思いました。しかし読んでいると、これが意外や意外、きっちりとしたミステリー。どちらかといえば、東野圭吾さんの医学絡みの作品のような雰囲気ですね。このネタには実は少々辟易しているので、ネタが分かった時には少しがっかりしましたが、しかしこの作品が1995年に読んでいたらそんなことは思わなかったはずなので、それを言うのは少々酷というものなのでしょう。しかしそのネタにしても、とても上手く使われているなあと感心。とてもデビュー作とは思えないですね。しかも有一によって次々と提示される解決案に対して、宗像が医学的な症例の解説などを分かりやすく加えているので、そういう面でも、とても話に入りやすかったです。
人間関係があまりにすんなりと繋がりすぎるような、都合の良すぎる印象もありましたが、でもやっぱり面白かったです。最後の着地もお見事でした。

「猿の証言」新潮文庫(2002年10月読了)★★★★★
友人の見舞いで緑清大学医学部付属病院を訪れた江森秀一は、小学校時代の同級生である久里浜隆文と16年ぶりに再会します。久里浜はその病院に医師として勤めていたのです。そして久里浜は江森を連れて、共通の友人である新谷準の元へ。新谷は緑清大学脳機能研究所で、チンパンジーの知能研究を行っていました。天才チンパンジー・カエデの出迎えに驚いた江森に、新谷は、カエデには人間の幼稚園児程度の知能があるのだと力説。カエデの行動をしばらく見ていた江森は、勤めている映像企画制作会社で作る予定の動物物のバラエティ番組の目玉に、カエデを使えるのではないかと考え始めます。しかし番組撮影当日に江森が研究所を訪れると、カエデの機嫌は到底撮影など出来ないほどひどい状態となっていました。その上、カエデが研究所の人間に怪我をさせ、担当教授の井出元は責任をとって大学を辞めることになってしまいます。そして数年後。井出元はカエデを連れて失踪します。その時何が起きていたのかは、同じく天才チンパンジーであるソラのみが知ることだったのです。

以前からチンパンジーは賢いと聞いていましたが、ヒトとチンパンジーはDNAレベルでは1パーセント強しか違わないのだそうです。わずか1パーセント強の違い。しかしそのわずかな違いが、実は非常に大きな隔たりでもあります。発声器官や可聴範囲の周波数の問題などから、実際にチンパンジーが人間と同じ言葉を話すことは不可能だそうですが、だからといって、知能が劣っているということではないんですよね。…ただ、知能の優劣が実際にあったとしても、それが一体何だというのでしょう。知能が高い方が生物として優れており、だから知能の劣った方を殺したり実験材料にするのが許されるというのでしょうか。人間は人間、チンパンジーはチンパンジー、ニホンザルはニホンザルでしかないのに… と私は思うのですが、やはり知能が高く、人間に近い生物という意味でチンパンジーに興味を持つ研究者も多いのでしょうね。その気持ちは分かるような気がします。
井出元が失踪した時に実際に何が起きていたのか、目撃したのはチンパンジーのソラだけ。しかしソラの表現した「井出元 死ぬ カエデ 死ぬ 井出元 カエデ 死ぬ 死ぬ カエデ」という言葉を100%信じられるわけもなく、誰の言葉が真実なのか分からないまま、物語はテンポ良くスリリングに進んでいきます。「猿の証言」という題名は、チンパンジーに証言能力があるのかという問題、そのままです。そこに人とチンパンジーの混血である「チンパースン」の存在が絡み、チンパースンは果たして人間なのかチンパンジーなのか、さらには研究者の好奇心と倫理観の問題などのテーマが絡まっていきます。研究者の好奇心が純粋であればあるほど、その姿はなんとも痛ましく感じますね。最後の結末は圧倒的。
1章から2章に移ると、いきなり6年もの歳月が流れていたりと、少々唐突で戸惑う部分もあり、まだまだ実力を発揮し切ってないのではないかと思わせる作家さんです。色々と難しい問題を含んだ物語だとは思いますが、それでも純粋に読み応えがありましたし、他の作品を読むのも楽しみです。

「金のゆりかご」集英社文庫(2002年10月読了)★★★★★お気に入り
現在29歳のタクシー運転手の野上雄貴は、GCS幼児教育センターに年収1千万以上の幹部候補待遇として迎え入れるつもりがあると突然言われて驚きます。現在GCS幼児教育センターの顧問である近松吾郎は、認知こそされていないものの野上の父親であり、野上自身も近松の早期幼児教育を受けたことがあったのです。早期幼児教育について書かれた本に登場する「天才小学生Y君」こそ、実は野上の昔の姿。しかし野上自身は小学校4年生頃から限界を感じ、結局学歴としては高卒止まりでした。就職話に近松の意思が働いているということはわかっても、なぜ今頃になって自分を迎え入れようとするのか不審に思う野上。そしてその理由を探るうちに、野上は9年前に4人の子供が精神的に異常を示したという出来事があったのを知ります。しかもそのうちの1人の少年の母親は、自分が高校時代につきあっていた漆山梨佳であり、その息子の守は、野上自身の息子でもあったのです。梨佳は息子の守を私立の中学校に通わせようとするGCSに反対しますが、結局守の意思が強いことを知り、駆け落ちという形で失踪。野上は結局、守のためにGCSに就職することになります。

人間の記憶や脳や遺伝子など、まだまだ科学や医学でも解明されきってないことがモチーフにされることの多い北川作品ですが、今回も早期幼児教育がメインモチーフ。脳のハードが3歳までに決まるという理論を前提に、赤ん坊のうちから五感に刺激を加え続けて、脳の構造を天才脳としてデザインするというものです。そしてその幼児教育を受けている子供たちに事故が起こり、GCSがその事故を隠そうとするために、さらに様々な出来事が起こります。ここまではよくありそうな話なのですが。
物語の後半から最後に至るまでの展開が物凄いですね。解かれるべき謎は色々とあるのですが、最後まで読んでみて、何が謎の一番中心に存在していたのかすら、自分が分かっていなかったことに驚かされてしまいました。物凄い重層的な構造です。そしてこの真犯人の悪魔的な発想もすごい。しかしだからこそ、その発想の行方が分かった時の哀しさは強烈なのですが…。この勝者と敗者、どちらも本当は羨ましがられてしかるべき頭脳の持ち主のはずなのですが、羨ましいどころか非常に切なくなってしまいます。
確かにある程度の早期幼児教育によって、人間の能力は開花させられるということはあると思います。しかしそれが一生続く本物の才能なのかどうかは誰にも分からないことですし、むしろ挫折した時のことを考えると、その時の方が怖いですね。自分の才能を早くから知り、その才能のおかげでちやほやされて育ったような人間は、どうしても自分が特別だと思いがち。しかしその才能の代わりに、人間としてあまりに不完全な存在になってしまうことも多いような気が…。そしてその才能が限界に来た時に初めて、その人物の人間的な欠陥が並の人以上に攻撃にさらされることになると思うのです。才能に限らず、何かしら人よりも優位にある人間は、ごく一般の人以上に、本人も親も色々と気をつける必要があるはずなのに、結果的には人間としての資質に関しては、どうしても疎かになってしまうのでしょうね。人としての痛みを知らないで育ってしまうぐらいなら、勉強なんて出来ない方が幸せなのではないかと、私は思ってしまうのですが…。
北川さんの作品に出てくる登場人物たちには、どこか現実や常識から少しズレている部分があり、それが読み始めはとても違和感を感じさせるのですが、しかし読んでいるとある瞬間、それが正当な考えのような錯覚に陥ります。そして結果的に、毒々しい色の蝶に絡めとられてしまうような、そんな感覚。きっとそれこそが、北川さんの作品の一番の魅力なのでしょうね。この吸引力は只者ではないのではないでしょうか。
Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.