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このページは、藤木稟さんの本の感想のページです。

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「陀吉尼の紡ぐ糸」徳間ノベルス(2001年11月読了)★★★★★
昭和9年、浅草。吉原の大門のほど近くにある花魁弁財天の境内にある「触れずの銀杏」の根元で、異様な死体が見つかります。犬の散歩に来ていた沼田平助が見たその死体は、顔が180度ねじれている状態にも関わらず、平助を手招きをしたというのです。早速警察に走る平助。しかし刑事の馬場と共に現場に戻ってみると、そこには既に何もなく…。その頃、朝日新聞の記者・柏木洋介は不思議な夢を見ていました。兄と無理心中をしたはずの高瀬美佐が花魁姿で、白髪の老人と共に歩いていたのです。「これから蓬莱山に行くんです。」と語るその白髪の老人の顔は藤原隆。そしてかかってきた社からの「至急吉原の花魁弁財天に向かえ」という電話。現場で軍人と揉め事を起こした洋介は三面から花柳界の担当へと移されるのですが、しかしこの事件に拘り続けます。そして吉原への挨拶回りで知り合った、車組の長である盲目の麗人・朱雀十五がこれらの一連の謎に迫ることに。

神隠しや異界、陀吉尼信仰、ドッペルゲンガー、真言立川流というモチーフは、確かに野崎六助氏の言う「京極夏彦系のミステリの一環」なのでしょうね。特に真言立川流は、京極氏の「狂骨の夢」にもメインモチーフでした。しかしあまり簡単に「京極系」という言葉で括ってほしくないような気がします。確かに使っているモチーフは共通していますし、この手のミステリの門戸を広げたのは京極氏だとは思うのですが、京極作品とはまた少し違う濃密さがあると思うのです… と思いながら読んでいたのですが、最後の方に、「いいかい、柏木君、この世で起こることにはすべて理由があるんだ」という台詞が。京極堂の「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」という口癖と、まるで同じではないですか。実は作者自ら同じ路線に進んでいたのですね。
吉原という特殊な場所を舞台に、現実世界と異界という存在を巧く組み合わせていますね。雰囲気は抜群ですし、いろいろと不思議な出来事を登場させながらも、落とす時はきっちり現実。やはりそういう作品は読んでいて気持ちがいいものです。ただ、柏木洋介が主役かと思っていたら、朱雀十五が探偵役のシリーズとなっているのですね。今後洋介はどうなるのでしょう?やはり洋介と朱雀十五の組合わせは続くのでしょうか。…それにしても、探偵役の朱雀十五が盲目の麗人という設定が出来すぎのような気がします。なにもわざわざ同人誌ネタを作らなくても、と思ってしまうのですが…。

「ハーメルンに哭く笛」徳間ノベルス(2001年11月読了)★★★★★
昭和11年。上野下町一帯から消えうせた児童30人の死体が発見されます。それらの死体は手や足などの身体の一部が欠損した状態で、天王寺の墓石の間にまるで地蔵のように据えられていました。そして田中誠治という男が事件の目撃者として出頭。しかし彼は毎年その時期になると、亡くした息子のことを思い出して精神状態に変調をきたすという評判の人物。その証言は荒唐無稽で、どうにも現実とは思えない話だったのです。それでも「ハーメルンの笛吹き男」という言葉が気になった馬場刑事が田中の家を訪れると、田中の家のベランダには、奇妙な異装の男が。そして田中の手には、「子供達ハ、イタダキマシタ。真ニ有リ難ウゴザイマス。ハーメルンノ笛吹キ男」という切り貼りの文書が残されていたのです。同じ頃、陸軍の免疫学研究施設が出火、津田博士とその助手二名が行方不明になっていました。柏木洋介は、先輩の本郷に頼まれ、津田博士の母親と友人の伊部という男を連れて朱雀十五を訪れます。伊部は津田博士のスポンサー。なんとか津田博士を探し出して欲しいというのです。

朱雀十五シリーズの第2弾。今回はハーメルンの笛吹き男の魂を封じているという古いアンティークドールから話が始まり、幻想的な雰囲気は満点。それをパラケルススとホムンクルス、それに似たさまざまな実験など京極世界的なモチーフが数多く登場して周りを固め、足を切られた死体が木の上に出現するなど、まるで島田荘司の御手洗物にでも出てきそうな奇怪な状況でスケールの大きさをも感じさせます。そして非現実的な雰囲気を盛り上げながらも、落ちはやはり現実的。本当に可能なのかという部分もあるにはあるのですが、朱雀という人物の見せた見事なマジックショーを堪能したといった感じで読後は満足。…それにしても、朱雀の名前の付けられ方はすごいですね。
柏木は前回の事件の影響から抜けきれずに、まるで関口君状態。最後の朱雀のちょっとした計らいは、粋なのか意地悪なのか悩むところ。この朱雀十五が京極堂で、馬場刑事が木場刑事、しかもちょっぴり不思議な能力を持つ人間は… などと考え始めると、やはり京極夏彦の世界だなあと思ってしまいます。時代設定からして似ているので比較されるのは仕方ないとは思うのですが、何もキャラクターまで似せなくても。もしかしたらそれも話題作りの一環なのかもしれませんが。
ハーメルンの笛吹き男に関する見解はとても面白いし、説得力があるものです。こういう良く知られた伝説に隠された事実、というのは大好き。大抵は歴史上の暗い部分が隠されていますね。それに、この物語自体も意外な所に重いテーマを内包しており、驚かされました。これは歴史の授業などでは決して習わないことですが、知っておくべき歴史の1つだと思います。

「黄泉津比良坂、血祭りの館」徳間ノベルス(2003年3月読了)★★
大正10年。鬼や魑魅魍魎が徘徊するとも言われる熊野の奥の十津川村、平坂という集落にある素封家・天主家は、500年の歴史を持つ十津川村随一の名家。巨万の富を従えるこの一族の人間は働くことを知らず、ただこの館の中で血族婚を繰り返すのみ。しかしほとんど館から出ることはないものの、金融界や軍人、政治家への太いパイプがあり、国家予算にも匹敵する膨大な資産を流用していると噂されている一族なのです。そんな彼らが住むのは、屋敷の外壁の赤い色から「血祭りの館」と呼ばれている2千坪もの壮大な館。庭には「千曳岩」と「不鳴鐘」があり、それぞれに不吉な伝説が伝わっていました。2つの大岩から出来ている千曳岩が動いて隙間が出来た時、その間からは鬼が這い出してくるという千曳岩と、鳴るのはこの世の終わりの時だという不鳴鐘。しかしある朝、その千曳岩の岩が動いていたのです。それがきっかけとなったかのように、宗主・茂道と長男・安蔵が失踪し、茂道の正妻・鴇子が謎の転落死を遂げます。その頃、真言宗でもその法力で有名な大阿闍梨・慈恵とその16歳の息子・聖宝が、血祭りの館に向かっていました。そして東京からは、事件解決を依頼された探偵の加美高次が。

朱雀十五シリーズ第3弾。この「黄泉津比良坂 血祭りの館」は、次の「黄泉津比良坂 暗夜行路」と前項編。2冊合わせて完結ということになります。
とにかく凄い設定です。舞台となる館にはごてごてと壮麗華美な意匠が施され、忌まわしい過去や怪しげな伝説が存在し、怪しいことこの上なし。そこに住む天主家の一族もまた、絵に描いたように怪しいのです。宗教、占星術、美術、音楽など、古今東西のありとあらゆるジャンルに関する薀蓄が語られ、その合間にばたばたと立て続けに怪異現象や殺人が起こり、密室や暗号などもてんこ盛り。私も館物は大好きですし、オカルティックな趣味も嫌いではないのですが、しかしこの作品では、あまりのしつこさに少々辟易してしまいました。まるで初めて館物を書く素人が、気負いすぎて怪奇趣味・猟奇趣味に走って書き込めるけるだけ書き込んでしまったという印象。しかも朱雀十五という名前がなかなか登場してくれず、とてもじれったいのです。物語はラスト近くになってようやく走り始めます。
この1冊では、ほとんど何も分からないまま終わってしまいます。裏表紙の明石散人氏の「書き手自身が自らの答えを全く持たずにこのゲームを開始している」という言葉にも納得してしまうほどの展開。この後、一体どうなるのでしょう。朱雀十五が朱雀十五らしく登場してくれれば良いのですが。

「黄泉津比良坂、暗夜行路」徳間ノベルス(2003年3月読了)★★★★
「黄泉津比良坂 血祭りの館」の事件から14年後の昭和10年。東京の遠縁の家に預けられていた沙々羅も28歳。女学校の教師をしている彼女の元に突然天主家からの使いが現れ、沙々羅は14年ぶりに本家へと呼び戻されます。本家では、新しく傍系から連れてこられた時定が宗主となり、愛羅と結羅の双子の姉妹がその夫人となっていました。傍系出身であるコンプレックスと、一族を掌握しなければいけないという焦りから、黒魔術や悪魔崇拝などのオカルト系の趣味に耽溺している時定。しかし沙々羅が戻ったその日、不鳴鐘が鳴り響くのです。鳴らそうとしても決して鳴らず、鳴るのはこの世の終わりの時と言われているこの鐘の中では、働き始めてようやく1ヶ月の庭師・秀夫が首を吊って死んでいました。続いて、召使の作次が「ニュルンベルクの黒聖母」と呼ばれる拷問機械の中で死んでいるのが発見され、沙々羅の右目が見えなくなります。そこで執事の十和田は上京し、14年前に天主家を訪れていた朱雀十五に事件の解決を依頼することに。朱雀十五は、秘書役の律子と共に天主家へと向かいます。

「黄泉津比良坂、血祭りの館」の続編であり完結編。
「血祭りの館」でも一応朱雀十五は登場していたのですが、こちらを読んでみると、やはり前回はあまりに性格が違いすぎました。前回多少猫をかぶっていたとしても、ここまで違うというのはやはりアンフェアと言えるのではないかと思ってしまいます。14年の歳月がありますが、それだけでこの違いは説明できるものなのでしょうか。この巻では、前回探偵として登場した加美高次に関しても「邪魔な男」一言で片付けていますし、顔は良いけれども性格が悪い普段の朱雀十五の姿が見れます。
朱雀十五が朱雀十五として行動するようになると、物語の進みが早くなりますね。「血祭りの館」のつまらなさとは、まるで別人が書いた作品のよう。同じように薀蓄が書かれていても、段違いに面白かったです。前作からの旋律暗号や宗教、占星術の薀蓄に加えて今回は黒魔術や黒ミサが色濃く加わり、オカルティックな分野に興味のある方には、たまらない内容なのではないかと思います。しかし私は暗号等の謎よりも、天主家の正体や殺人事件が起きた理由などの方が面白かったです。館物というよりも、天主一族の悲哀として読んだ方が相応しいように思える物語でした。
しかし朱雀十五というのは京極堂に近いかと思っていましたが、案外榎木津ですね。

「イツロベ」講談社文庫(2002年9月読了)★★★
臨床心理医の榎本の部屋に、産婦人科医の間野祥一が現れます。間野と榎本は大学のサークル時代からの友人で、今は2人ともY大の大学病院に勤めている関係。間野が話し始めたのは、医療ボランティアに志願してアフリカの小国・ブンジファへと行った時の出来事。間野が赴任していたのは、ブンジファのかなり奥の方にあるブツフリホ地区・ウロン村で、彼はラウツカ族の青年・ターパートゥニと出会ったのです。ラウツカ族とは「精霊に類する者たち」「人間の長兄」として、現地の他の部族からも畏怖される存在。間野と普段一緒にいるフトゥ族も、彼らの姿を見た途端に1人残らず隠れてしまうほどでした。ラウツカ族を研究したいという学者の前にも姿を現さない彼らでしたが、間野のことは気に入ったらしく、交流が始まります。ある日のこと、ターパートゥニは「ノネがどうしても間野に会いたがっているから」と、間野を連れてラウツカ族の聖地の森で行われるノネの祭りへ。祭りの最中、ラウツカの煙草マク・バ・ムティをキセルで吸った間野は、女神・ノネの幻覚を見ることに。祭りの後も、ラウツカ族との交流の間、様々なものを目撃することになる間野。そしてその幻覚は、日本に帰ってからも間野につきまといます。

朱雀十五のシリーズとはまた全然違った世界です。アフリカの熱帯雨林の小さな村の風景、極彩色で幻想的なラウツカ族の聖地の情景、日本でのごく当たり前の現実的な生活、そしてその生活が反転して、突然現れる間野の過去… 今読んでいるものが現実なのか幻想なのか、読みながら区別がつかなくなるような世界が繰り広げられていきます。そのどれらもが、どこか危ういバランスの上に成り立っていて、今自分の足が地についているのかどうかも分からなくなってしまうほど。とにかく強烈な印象を持っています。読み始めて、目が離せないままに一気に最後まで読んでしまったのですが… しかし読めば読むほど不安が増すような印象の作品。ストーリーの上っ面だけを追っていても、いつまでたっても物語は理解できなさそうですね。しかし、よく分からないなりにも、藤木さんがこの作品で本領発揮をしていることだけは感じます。
この中では、アフリカのラウツカ族の描写が一番印象的でした。祭りの場面や神話の話、ノネやル・ルイの姿。これらはどこまで本当の話なんでしょう。この場面にはすっかり魅せられてしまいました。好き嫌いが分かれそうな作品ですが、SFや伝奇ホラーが好きな人には評価が高いのではないでしょうか。

「鬼を斬る」祥伝社文庫(2002年1月読了)★★★★
明治初頭の奈良県吉野村。お美代と八千代という2人の女の子が神隠しに遭い、その直後、神社の森で鬼がお美代らしき子供の生首を抱えているのを近所の子供達が目撃。そしてこの村に、神社の再建と架橋工事の監査役として、内務省の立花泰介が派遣されてきます。彼は鬼明神の伝説に興味を持ち、そこにいた朱雀十二を始めとする村人たちに話を聞いてまわるのですが、彼自身も鬼の伝説にまきこまれてしまうことに。

明治維新直後という時代設定に鬼明神という題材、そして藤木さんの文体がとてもよくマッチして、おどろおどろしい雰囲気ですね。「通りゃんせ」等の童歌も雰囲気を盛り上げています。現実と伝説とが入り乱れ、鬼伝説が思わぬ方向に展開していくのには驚かされてしまいました。物語のラストはとても哀しい現実。やはり一番怖いのは、生きている人間の心だなあと実感。ごく短い話なのですが、この長さがとてもぴったりです。藤木さんの巧さも際立っていますね。
ここに登場する朱雀十二男爵という人物は、藤木さんのシリーズ物のキャラクター・朱雀十五の曽祖父にあたります。彼の薀蓄はストーリーには直接関係ないようなのですが、でもとても面白かったです。
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