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このページは、本多孝好さんの本の感想のページです。

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「MISSING」双葉社(2003年6月読了)★★★★
【眠りの海】…崖からの飛び降り自殺に失敗、見知らぬ少年に助けられた「私」。服が乾くのを待つ間、「私」は少年に自分が死のうとした理由を話します。ある人の後を追おうとしていたのです。
【祈灯】…「僕」が大学からマンションに帰ると、ベランダには見知らぬ女性が。そこに妹の真由子が帰ってきます。その女性は真由子の友達。彼女は自分のことを、死んだ妹だと思い込んでいました。
【蝉の証】…老人ホームに祖母の見舞いに行った「僕」は、相川という老人の孫らしき人間のことを調べることに。その青年が帰った後の相川の様子がどうもおかしく、周囲は心配していたのです。
【瑠璃】…姉が海外のオーケストラと共演することになり、両親も海外へ。小学6年生の「僕」は、従姉のルコと留守番することになります。「僕」は天衣無縫なルコとの夏休みを楽しみにしていました。
【彼の棲む場所】…私立の図書館に勤めている「僕」は、18年ぶりの友人に再会。テレビ番組にもひっぱりだこの若い大学教授。先日彼に論破された政治家が自殺したという話から、高校時代の話へと。

「眠りの海」は、第16回小説推理新人賞を受賞したというデビュー作。そして「MISSING」は、2000年版の「このミス」で10位にランクインしたという短編集です。「MISSING」というタイトル通り、どこか何か欠けてしまった人々が、その喪失感を抱えながら、淡々と生きているような物語ばかりです。
この中で私が好きなのは、まず「瑠璃」、そして「彼の棲む場所」ですね。「瑠璃」では、平凡を嫌い、型にはめられるのを嫌がっていたはずなのに、ある時突然、自分がごく普通であることに気付いてしまったルコの姿がとても切ないのです。ルコと「僕」の関係は、見ていてもどかしくはありますが、しかしお互いにとっては、相手の存在がある種の聖域だったのでしょうね。ルコと「僕」の気持ちの揺らぎが痛々しいほど伝わってきます。あるいは、そのタイミングさえあえば、2人の関係はまた全く違う様相を見せていたのかもしれませんが… しかしきっとこれが一番良かったのでしょうね。2人のしている謎々がとても好き。「彼の棲む場所」では、「サトウ」という誰も覚えていないクラスメートの存在が、じわりじわりと彼の心に秘められた狂気が重なっていくところが良いですね。最初は友人が抱えていたはずの喪失感は、いつの間にか「僕」にも伝染していきます。もしや彼はかつてのクラスメートを1人ずつ呼び出しているのでしょうか。そんな中で、駄菓子屋の老婆が異彩を放っていますね。はからずも「僕」を狂気から現実に引き戻したのは、この老婆なのかも。
どの作品も登場人物が魅力的なのですが、特に「眠りの海」の佐倉京子や「祈灯」の真由子、「瑠璃」のルコという女性陣の描写が良いですね。そして彼らの交わす会話もとても良いのです。ちょっとした会話や、「瑠璃」でルコと「僕」がしている謎々など、本多氏の言葉や物事に対するセンスを感じます。
ミステリというよりも、青春物、あるいは純文学的な匂いの方が強い作品。切なく、そしてほんのりホラー風味。全体を通して静謐な空気が流れ、読後に余韻が残ります。

「真夜中の五分前 side-A・side-B」新潮社(2004年12月読了)★★★
小さな広告代理店に勤める「僕」は現在26歳。大学生の頃、当時19歳だった恋人の秋月水穂を交通事故で失った後は、それ以来きちんとした恋愛関係を作れないまま、次々と色々な女性と付き合っていました。そんな「僕」が、ある日公営プールで1人の女性に出会います。2度目にプールで会った時に、その女性に買い物に付き合って欲しいと言われた「僕」は、その女性、日比野かすみの一卵性双生児の妹・ゆかりへの婚約のプレゼントを買うためにデパートへと行くことに。

「Side-A」「Side-B」の2冊で1組になっている作品。「Side-B」は「Side-A」の2年後の物語。「after two years from side-A」という副題がついています。
「Side-A」は、ごく普通の恋愛小説。その中で、一卵性双生児の片割れである「かすみ」が、自分と「ゆかり」との違いを考え、自分とは何なのかと考えてしまうという物語。そして「Side-B」では、そんな双子の姿を通して、今度は周囲の人間たちが色々と考えさせられてしまうことになります。著者によると、「恋愛関係でなく恋愛感情を書いたエンターテインメント小説」であり、いわゆる純愛物の小説とは一味違うとのことなのですが、確かにこの作品は、今流行りの純愛小説に一石を投じるような作品なのかもしれませんね。それらの純愛小説の登場人物たちは、自分たちが持つ恋愛感情を疑ったりはしませんし、むしろ自信を持って叫ぶことができるほど。しかしこの作品の登場人物たちは、自分が見ているもの、自分が持っている気持ちですら信じられなくなってしまうのですから。
双子の一番の相違点(ネタばれ→かすみは泳げるが、ゆかりは泳げない)に、主人公が触れていないのは、主人公の故意なのでしょうか。もしそうだとしたら、意味がないことを知りながら、CDプレイヤーの話を尾崎にしたのと同じことなのでしょうね。それなのに、最後の最後で主人公が選んだ結末は…。主人公にとってのかすみとは水穂とは、一体何だったのでしょう。最後の最後で、自分と向き合うことが怖くなったのでしょうか?読後に、何とも言えないもやもや感がつきまといます。
あと、五分遅れの時計のエピソードはどうなったのでしょう。あまり意味がなかったとしか思えないほど、生かされていないような気がするのですが…。
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