このページは、原�ｫ（りょう）さんの本の感想のページです。

渡辺探偵事務所のたった1人の私立探偵・沢崎の元に現れたのは、海部と名乗る男。彼はルポ・ライターの佐伯直樹が沢崎の元に来たかどうかを尋ねます。どうやら佐伯は、先週の木曜日に沢崎の元を訪ねるつもりにしていたのに、現れなかったらしいのです。沢崎と話をしても埒が明かないと察した海部は、佐伯からの接触があったら自分のことを伝えてほしいと20万円の入った封筒を置いて帰ります。次にかかってきた電話は、現在日本で最も権威のある美術評論家の1人・更科修蔵が沢崎に会いたがっているというもの。翌日早速田園調布にある更科の屋敷へと向かう沢崎ですが、その更科の用件もまた、佐伯直樹の居所を知っていたら教えて欲しいというものでした。佐伯直樹は更科の娘の名緒子の夫であり、先週の木曜日に離婚の慰謝料・5千万円を取りに来るはずが現れず、そのまま行方が分からないのだというのです。

絵に描いたようなハードボイルド作品。日本にこのようなハードボイルドがあったとは驚きました。本の裏表紙にも「チャンドラーに捧げられたデビュー長編」とありますが、沢崎はまさにレイモンド・チャンドラーの創り出した私立探偵・フィリップ・マーロウを彷彿とさせます。例えば最初の依頼人が現れる場面。

「あの……この事務所の方ですか」
私は返事の代わりに、はげかかったペンキで<渡辺探偵事務所>と書かれたドアの鍵を開けてみせた。
「渡辺さんですね？」と、コートの男は重ねて訊いた。
「彼に用がおありなら、少なくとも五年前においでになるべきだった。渡辺は昔のパートナーで、いまこの事務所には私一人しかいない。私の名は沢崎です」

これだけを読んでも、沢崎の性格が分かろうというもの。台詞の1つ1つがこの調子で、もっとストレートに答えればいいような質問にも、ヒネた答え方をしています。悪く言えば理屈っぽく嫌味。気障。台詞だけを取り出してみたら、おそらくまるで現実感がないのではないかと思います。しかしこの作品の中で読むと、それがなんともしっくりと馴染んでかっこいいのです。気障な台詞も読ませてしまう。それはやはり、ハードボイルドとしての土台がしっかりしているからなのでしょうね。重厚なハードボイルド。どちらかといえば、男性向きの作品かもしれません。
この作品の中に、兄が作家兼政治家、弟は映画スターであり芸能プロダクションの社長、という兄弟が登場します。これはまるで石原兄弟のようですね。この作品が書かれたのは1989年のことだそうなので、もちろんまだ石原慎太郎氏が都知事になる前の作品なのですが…。

午前中にかかってきたのは、行方不明の家族に関する相談があるので出向いて欲しいという依頼の電話。沢崎は午後2時の約束に遅れないように、愛車のブルーバードで目白にある真壁脩の自宅へと向かいます。しかし初めて出会った真壁脩の言葉は、「清香はーー娘は無事でしょうね？」　…真壁清香は、ヴァイオリニストとしての将来を嘱望される11歳の少女。沢崎は知らないうちに、誘拐事件に巻き込まれていたのです。警察に連れて行かれた沢崎は、犯人からの電話で、身代金6千万円を運ぶ役をすることに。しかし犯人からの要求で店から店へと移動している最中に、沢崎は駐車場で頭を殴られて昏倒。6千万円の入ったスーツケースを奪われてしまいます。

「そして夜は甦る」に続く探偵沢崎シリーズの2作目。第102回直木賞受賞作品。
前作と同じようにレイモンド・チャンドラー的なハードボイルド小説。探偵の沢崎も孤高の探偵のままです。あくまでもシニカルでクール。フィリップ・マーロウの再来のような存在。しかし物語は前作よりもずっとテンポが良くて読みやすく、面白い作品に仕上がっていますね。
自分のせいで死んだのかもしれない少女のことを、事件から直接関係なくなった後も追い続ける沢崎。一応依頼人の存在はあるものの、彼の真相を知ろうという行動は、ある種の自己満足。しかしその行動が関係者の傷を改めて抉ることになり兼ねないとは分かっていても追い続けてしまうその姿は、ローレンス・ブロックの描くマット・スカダーとも重なります。かつてのパートナー・渡辺賢吾、清和会の橋爪とその子分の相良、新宿署の錦織警部も、大きな存在感を放ち、これからの物語にも大きな役割を担いそう。彼らと沢崎の仲は決して友好的なものばかりとは言えないのですが、この作品で実際に事件に巻き込まれる人々、親子や兄弟といった家族同士の繋がりよりも、より深いところで信頼し合っているように感じられました。
ハードボイルドではありますが、最後に明かされる事件の真相など、ミステリ的要素も十分。満足度の高い作品です。そしてあとがきもまた、書き下ろし短編のような趣き。渋いです。

【少年の見た男】…沢崎の元を訪ねて来たのは、榎本大介と名乗る10歳の少年。兜神社の床下で、男たちが西田サチ子という女性を始末する相談をしているのを聞いてしまったのです。
【子供を失った男】…道路に1輪の白薔薇を投げていたのは、著名な音楽家・崔貞熙。6歳になる彼の娘が交通事故で亡くなったのです。翌日再び現れた崔は、昔の女性宛の手紙を買い取れという脅迫を受けているので、沢崎に金の受け渡しに同道して欲しいと依頼します。
【二百四十号室の男】…今回の依頼人は、娘の素行調査をして欲しいという喫茶店チェーン経営者。しかし娘の深雪は、女との密会を繰り返す依頼人自身を尾行していたのです。
【イニシアル“M”の男】…深夜にかかってきたのは、今から自殺するという少女からの間違い電話。翌日の新聞でその少女がアイドル歌手の朝吹由美であったことが分かり、沢崎は驚きます。
【歩道橋の男】…沢崎を訪ねてきたのは、成島啓子という女探偵。30分ほど前にやってきた伏見夫人の依頼を引き受けた上で、自分たちの意向に沿って報告してもらいたいと言うのです。
【選ばれる男】…「ジュン」が死んで、自分が犯人にされるかもしれないから姿を隠すと母親に電話をかけてきた柏木俊一。沢崎は市議会議員選挙目前の少年補導員・草薙一郎の元を訪れます。

探偵沢崎シリーズの3冊目。日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞受賞作品。
全ての作品に子供が絡んでいる短編集。「天使」たちとは、未成年の少年少女のことのようです。しかしこの場合、「天使のような」という形容詞の持つ良い意味合いというよりも、どこか脆く危うい、大人になり切れていない微妙な存在という意味での「天使」という言葉なのでしょうね。そんな子供たちの姿を通して家庭や学校、そして社会が浮き彫りになっていくようです。現代日本社会やそこに存在する問題点は、子供の姿の中に縮図として存在するのですね。子供相手ということで、若干調子を狂わされているようですが、子供を相手にしても基本的な態度は同じ。対等な立場で、大人相手の時と同じように接しています。ただ、クールに振舞っているつもりでも、やはりどこかドライになりきれないようなところが、沢崎の人間臭さでしょうか。
どの作品も長さが絶妙。長編も良いのですが、短編も想像以上に良かったです。テンポも切れも最高。まるで長編作品を読んでいるような充実感がありました。この中で特に印象に残ったのは、「少年の見た男」。5万円を置いたまま消えるなど、少年自身もハードボイルドですね。皮肉な結末となってしまいましたが、しかし考えてみればこれが一番良かったのかもしれません。そして今回のあとがき代わりの書き下ろし「探偵志願の男」では、沢崎が探偵となったきっかけのエピソードが書かれています。こんな風に探偵になったとは、あまりに沢崎に似合っていますね。やはり運命の出会いだったのかも。

P.101「夏は一年中でいちばん子供たちが大人の真似をしたくなる季節なのだーーとくに馬鹿な大人たちの真似を」

P.233「人間にはチャンスが必要だということらしいな、罪を犯すにも」

400日ぶりに東京に戻ってきた沢崎は、事務所へと向かいます。西新宿にある渡辺探偵事務所の外で沢崎の帰りを待っていたのは、1人の浮浪者でした。枡田啓三というその浮浪者は、普段は近くの兜神社で寝泊りしている初老の男。1ヶ月ほど前、魚住と名乗る男に、沢崎が戻ってきたら電話をして欲しいと頼まれ、事務所に来ていたのです。しかしもらった名刺の裏に書かれていた電話番号にかけても連絡が取れず、その名刺の本来の持ち主であるハザマ・スポーツ・プラザの営業課長・川嶋弘隆が前日事故で亡くなったばかりと分かり、沢崎は徐々に11年前の事件に巻き込まれていくことになります。魚住は11年前、甲子園に出場した高校野球児。しかし準々決勝のPL学園との試合で八百長疑惑をかけられ、疑惑自体は一応晴れていたものの、その時、魚住の義姉・夕季を自殺で失っていたのです。

探偵沢崎シリーズの4冊目。パートナーだった渡辺が事件を起こしてからは13年後。「天使たちの探偵」にある「選ばれる男」で清和会の事務所を訪れてからは、実に6年半もの時間が経っているようです。
今回沢崎の依頼人となるのは、元高校野球児の魚住彰。しかしこの彼が、すんなりと依頼人となるわけではありません。400日の不在は沢崎の想像以上に大きく、事務所は以前以上に閑古鳥が啼いた状態。魚住が最終的に依頼人となったのは、時間を持て余してしまった沢崎の状態が大きいのです。少なくとも以前のように仕事がぼつぼつと入っていれば、魚住のことなどすぐに忘れてしまったでしょう。しかし11年前の八百長疑惑と姉の自殺を通して、沢崎は様々な疑惑や矛盾を探り出していきます。能との繋がりが若干突飛な気がしないでもなかったのですが、最終的に全てが分かってみると納得。次から次へと意外な真相が明らかになっていきます。
魚住と自分の関係に、自分と渡辺の関係を重ねる沢崎は、今回どことなく感傷的になっているようです。11年前の事件に対する魚住の姿、自分の陥った状況に対して必要以上に犠牲者ぶらない部分、どこか諦観してしまっているような部分に、沢崎は自分自身を見たのでしょうか。魚住が11年前の事件を乗り越えると同時に、沢崎もまた過去の自分とは決別し、かつてのパートナーである渡辺からもようやく卒業できたような気がします。
400日の不在の物語についても、また機会があれば読んでみたいものです。

その年最後に渡辺探偵事務所を訪ねてきたのは、伊吹啓子と名乗る女性。前々日に横浜の神奈川銀行蓬莱支店で起きた銃撃事件に関して、父親の伊吹哲哉が誰かの身代わりに自首してしまったので、渡辺に相談に来たというのです。事件で撃たれたのは暴力団・鏑木組組長と銀行員。伊吹哲哉は20年ほど前に暴力団・安積組に入っていたことがあり、しかし現在は堅気の生活をしていました。そこに伊吹哲哉の弁護士の漆原から啓子宛てに電話が入ります。哲哉と面会ができることになったので、至急啓子に新宿署まで来て欲しいというのです。しかし愛車のブルーバードで新宿署まで啓子を送った沢崎は、伊勢崎署への護送のために地下駐車場に降りてきた沢崎が何者かに狙撃される場面に居合わせることに。

原�ｫさん、ほぼ10年ぶりの新作。新・沢崎シリーズ第1弾。
作中には以前の事件に関連する話も織り込まれ、現代らしいモチーフも登場して、嫌でも時間の流れを意識させられましたが、相変わらずのハードボイルドぶり。やはりこの雰囲気がいいですね。本当に渋いです。そして、合法と非合法の間すれすれの所をのらりくらりとかわしていく沢崎。今回の沢崎の事件への関わり方は完全に巻き込まれ型。以前の作品ではそれぞれに、沢崎なりの動かなくてはいけないという使命感が感じられたのに比べ、今回はあまり主体性のない動きをしています。その辺りが少々物足りないような気もしましたが、しかし巻き込まれたなりのサスペンス風味もたっぷりで楽しめました。ハードボイルドな探偵に一番大切なのは、自分自身を持ち続けることなのかもしれませんね。円熟味を増したまろやかな洋酒のような味わいを持つ作品です。

1995年に単行本として刊行されていたエッセイ集「ミステリオーソ」に、その後書かれたエッセイや対談、短編が加えられ、「ミステリオーソ」「ハードボイルド」という2冊の本になって再登場。少年時代のこと、東映の時代劇映画に夢中になった中学時代のこと、ジャズに夢中になり始めた高校時代のこと、ジャズピアノに転向した大学時代のこと、そして大学卒業のことなどの自伝的なこと。そして原氏の好きな映画や音楽、小説についてぎっしりと詰め込まれている1冊です。

ジャズならコルトレーン、デューク・エリントン、バド・パウエル、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス。映画なら黒澤作品やルネ・クレマン監督の「狼は天使の匂い」、ハンフリー・ボガート。小説なら、ルパンに始まり、レイモンド・チャンドラーやメグレ警部シリーズ、山本周五郎作品について。もちろん、その時々の興味に応じて新しく取り入れていくのでしょうけれど、視野を広げるというよりは、基本的に好きなものを徹底的に追求するという姿勢なのですね。ここでは基本的に好きなものに言及されるだけで、好きではないものについては特に語られてはいないのですが、好きなものには徹底的に興味を示しながらも、その周辺の興味のないものについてはまるで興味を示さない、原氏ならではの頑固さが見えてきます。様々な媒体に発表された文章を集めてきているので、内容が重複する箇所の多いのはご愛嬌。
最初から小説家を目指していたわけではないけれど、「小説家になるための努力の一部に、言葉を知り、文章を知り、小説を知ること、あるいは人間を知り、世の中を知ることが含まれているとすれば」、映画やジャズを通して人並みに努力をしてきていたという言葉が印象的でした。
こちらにも、原氏が読んできた小説や原氏ご自身の作品のことは書かれていますし、「そして夜は甦る」を執筆して早川書房に原稿を送った時のことや、「私が殺した少女」が第102回直木賞を受賞した時のエピソードなどもあるのですが、基本的に「ハードボイルド」の方が小説や創作関連の話題が中心となっているので、沢崎シリーズのファンは2冊合わせて読むのが正解でしょうね。

P.121「ハードボイルドとは、あらゆる難問に答えていく小説だと私は考えている」

1995年に単行本として刊行されていたエッセイ集「ミステリオーソ」に、その後書かれたエッセイや対談、短編が加えられ、「ミステリオーソ」「ハードボイルド」という2冊の本になって再登場。こちらの「ハードボイルド」は、小説や創作関連の話題が中心。文庫本に納められていた沢崎シリーズの短編、そして書き下ろしの短編もあります。

こちらは本の話がメインということで、おそらく「ミステリオーソ」よりも楽しめるだろうと思っていたのですが、私自身が今あまりミステリやハードボイルドに気分が乗っていないこともあり、「ミステリオーソ」の方が楽しかったです。しかし原氏のハードボイルド、そしてミステリへの愛を感じることができますし、沢崎シリーズの世界の背後にあるものが垣間見えてきます。気に入ったものはとことん追求し、興味のないものにはとことん興味を払わないというのは、「ミステリオーソ」で感じられたのと同じ。そして小説家として持つべき様々な拘りについての考察が面白かったです。1人の読者である限り、あまり色々と考えずに読んでしまいますが、やはり作家になってしまうと、読み方が変わってしまうのでしょうね。早くから作家としてデビューしたのではない、作家としてではなく過ごした時期の長い人ならではの、小説に対する思い入れが感じられました。

収録短編：「マーロウという男」「ある男の身許調査」「探偵志願の男」「死の淵より」「来年の抱負ならあるぜ」「この仕事から逃れられない」「人の仕事の話をネタに「なにが自慢のタネか」「番号が間違っている」「監視される女」