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このページは、古川日出男さんの本の感想のページです。

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「13」角川文庫(2002年3月読了)★★★★
橋本響一は、物心ついた頃から天才的な色彩能力を持つ少年。幼稚園入学時に受けた知能テストと色弱テストで、生まれつき左眼だけが色弱であることと、150近い高い知能指数を持つことが明らかになります。しかし小学校1年にして小学校5年生の問題を軽々と解いてしまうことによって、担任や級友から完全に浮いてしまい、それ以来、故意に自分の能力を隠して地味な生徒を装うことに。しかし響一はその間も、自分なりの色彩の研究を続けていました。そんな響一に大きな転機が。そのきっかけとなったのは、響一が中学2年の時に、歳の離れた従兄・関口昭彦が連れてきたザイール奥地に住む狩猟採集民・ジョ族のウライネ。ウライネは響一と同じ中学校に通うことになります。そして響一は中学卒業後、高校には進学せず、ザイールに戻ったウライネの元へと向かうことに。

なんとも力強い作品ですね。第一部は、響一の生い立ちからアフリカ・ザイールの先住民族と共に生活をするまでが描かれ、息苦しいほどの密林の存在を感じます。その中には「黒いマリア」となるローミの生い立ちと成長、響一が濁流に流されて1人彷徨う場面、ローミと響一の出会いと別れの場面などの印象的なモチーフが続き、なんとも濃密な雰囲気。そして第二部、舞台は一転して10年後のハリウッドへ。響一は10年間かけて作り上げた「神性の視覚化」を、映画を通して全世界に発信しようとします。
やはりこの中で特筆すべきなのは、この色彩感覚でしょうか。全編が鮮やかな色彩に彩られています。天然の極彩色に満ちた密林と、人工的なきらびやかな色の溢れたハリウッドという対比。色だけでなく、音もまたそうです。しかし興味深いエピソードが並んでいるにも関わらず、物語全体としての流れがなかなか見えてきません。しかもこの物語には、明確な結末もないのです。読者それぞれが持ったイメージを自由にふくらますことによって、ようやく物語としての完成を見るという感じでしょうか。それはそれで良いのですが、もう少し読者に親切な作品であって欲しい気もします。第一部のローミの伏線などを生かしきれていないのが気になりますし、生き生きとした第一部に比べ、第二部のハリウッドの登場人物たちはやや類型的。映画のストーリーにもそれほど魅力が感じられません。物語の進行を急ぎすぎているのかもしれませんね。響一の目を通して見た映画をもっと描いて欲しかったです。力強さがとてもよかっただけに、それが少々残念です。

「沈黙/アビシニアン」角川文庫(2004年4月読了)★★★★★お気に入り
【沈黙】…美大に通う秋山薫子は、母を生んですぐに亡くなったという祖母の遺品の中に、一通の手紙を見つけます。それは大瀧静という、祖母の姉に当たる人物から祖母に宛てた手紙。薫子が住所を訪ねてみると、そこには大瀧家の屋敷があり、静が1人で暮らしていました。じきにその屋敷に移り住むことになった薫子は、地下室で何千枚ものLPレコードと、「音楽の死」と題された11冊のノートを見つけることに。それは静の甥・大瀧修一郎の、「ルコ」という音楽に関するノートでした。
【アビシニアン】…引越した先でペットが飼えないことが判明、飼っているアビシニアンを保健所へと連れて行かれてしまった中学2年生の「わたし」。猫は偶然知り合った美大の大学生によって保健所から解放されることになるのですが、6年後、「わたし」は中野にあるその公園へと戻ってきて…。

「沈黙」17世紀に奴隷商人によって連れ去られ、カリブで遭難した西アフリカの漆黒の肌の人びと。彼らは島に漂着して、島に住むインディオと接触。そこに持ち込まれた新しい音楽は「ルコ」と呼ばれて成長し、西欧世界、オランダの音楽的天才コーニリアスによって採譜されます。その譜面は上海へ、そしてナチスドイツへ。さらにアメリカへ。
ふんだんな色彩が溢れていた「13」の次は、音楽。「沈黙」は、ルコという幻の音楽の歴史を辿ることによって、完全な悪としての音楽の物語となっています。観念的な部分も多く、この作品を完全に理解できたかどうかは甚だ疑問なのですが、しかしこの濃密な空気は堪能しました。文字でありながらも、この作品の音楽は5感に直接働きかけてくるようです。壮大で幻想的な物語。しかしその物語の大きさに比べ、薫子の弟の秋山燥の存在感が少し小さかったような気もします。もっと悪魔的な雰囲気になるかと期待しただけに、少々残念。
「アビシニアン」古川作品の中では、分かりやすい作品なのではないでしょうか。甘いラブストーリー。「沈黙」の音楽に対して、こちらは文字をなくした代わりに、純粋な存在となった「わたし」の言葉… 文字は既に文字としての機能を失い、単なる奇妙な図形と化しています。これは「沈黙」での、音楽と楽譜の関係にも似ているようですね。音楽も言葉も、元々はそれのみによって存在する純粋なもの。楽譜や文字は単なる媒体。2次的なものにしか過ぎないのです。そして匂いや味覚。愛。何度も河を渡ることによって、死と再生が繰り返し語られ、静謐な空気が流れていきます。「文字が消えると、摂りこんだ物語は、どれも自分の記憶として融けるのよ」という言葉が印象的でした。

「アラビアの夜の種族」角川書店(2003年7月読了)★★★★★お気に入り
聖遷暦1213年(西暦1798年)、エジプトのカイロ。ヨーロッパからは異教徒の船団がアレクサンドリアを指して航行中。それは、自らをアレクサンダー大王になぞらえる青年将校・ナポレオン・ボナパルトの率いる侵掠軍。フランス軍は既にマルタ島を占領しており、誰にも止められない勢いを有していました。当時のエジプトで世俗権力を握っていた23人の知事たちの1人・イスマーイール・ベイも、ヨーロッパ相手に武力で抗しても無駄なことを悟っていた1人。フランス軍の進軍に怯える彼に、側近中の側近・美しく賢いアイユーブは、1つの古典的な方法を献策します。それは極美の贈り物を与えて、フランス軍を撤兵させてしまおうというもの。アイユーブがその贈り物として考えていたのは「災厄の書」、読む者を虜にし、狂気と破滅に導くという伝説の書。アイユーブは既にその書を手に入れており、アラビア語で書かれた原本をフランス語に訳す用意を整えているのだというのです。その物語は「もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーアの契約の物語」、または「美しい二人の拾い子ファラーとサフィアーンの物語」として知られるもの。語り部は「夜の種族」の美しき女物語り師・ズールムッド。

第55回日本推理作家協会長編・連作短編集部門賞、第23回日本SF大賞受賞作品。
この「アラビアの夜の種族」は、古川日出男氏のオリジナルではなく、アラビア旅行の時に入手した無署名・発行所不明の本「The Arabian Nightbreeds」の英訳を元に、古川氏が日本語に翻訳したという形態。古川氏はあくまでも訳者という立場を取り、文中に挿入された訳者注が雰囲気を盛り上げています。
とにかく重量感のある作品でした。640ページ2段組という量もさながら、中身も濃密に詰まっています。参考文献の数も、恐らく相当のものだったのではないでしょうか。全体的な構成としては、ナポレオンがエジプトに向けて進軍中という「昼」の物語と、夜の種族の美しい語り部・ズールムッドが紡ぎだす「夜」の物語が、交互に語られていきます。1つの物語の中に「災厄の書」という狂気の本を蘇らせてしまったという、語り部としての古川氏の筆力が凄いですね。夜の物語だけでも、アラビアン・ナイトを彷彿とさせる壮大な絵巻物。複数の物語が複雑に絡み合うことによって繰り広げられる多層的な世界は、剣と魔法のファンタジックな世界。あまりに魅力的で、気が付いたら砂漠の地下に存在する迷宮の世界に引きずり込まれてしまっていました。その登場人物たちの会話の口調には恐らく誰もが驚かされることになるでしょうし、舞台となる迷宮の姿は、RPGに登場するダンジョンのようでもあるのですが。
本来現実だったはずの「昼」は、徐々に「夜」に侵食されていき、語り手と聞き手、そして現実と虚構の区別がつかなくなっていきます。最後に世界を彩るのがどのような物語なのかは、読んでみてのお楽しみ。最初は多少とっつきにくいかもしれませんが、ズールムッドの物語が始まれば、すぐにその妖しい魅力に圧倒されてしまうことと思います。読み応えのある物語です。
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