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このページは、マルグリット・ユルスナールの本の感想のページです。

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「ハドリアヌス帝の回想」白水社(2009年9月読了)★★★★★お気に入り

ローマ帝国の五賢帝の1人、皇帝ハドリアヌスももう60歳。死病に侵されるハドリアヌスがマルクス・アウレリウスに宛てた手紙。そしてそこで語る自らの生涯。(「MEMOIRES D'HADRIEN」多田智満子訳)

フランスではこの作品の影響で、ハドリアヌス帝が一番人気がある皇帝となったのだそうです。それもなるほどと納得させられてしまうような、無駄がそぎ落とされた美しい文章で構築されていく、静謐で高貴な世界でした。狩とギリシャ文化を愛したハドリアヌス。ヒスパニアに生まれ、ローマで教育を受け、青年時代 に軍隊生活が始まり... ハドリアヌスにとっては聡明な守護神だったトライアヌスの妻・プロティナの存在。即位。粛清事件。そして帝国内を視察する旅から旅の生活。塩野七生さんの「ローマ人の物語 賢帝の世紀」に登場するハドリアヌスとは、ほんの少し印象が違うハドリアヌス。それでもどちらにも共通しているのは、間違いなく賢帝だったということ。何といっても皇帝在位中の業績が素晴らしいですしね。常に皇帝としての義務を果たしつつ、トライアヌスが拡大した帝国内をくまなく巡察し、既存の公共施設を修理、国境の防衛線を強化、地域ごとの問題を解決し、ローマ帝国の平和を維持していた人なのですから。
それでも、ユルスナールの作り上げた格調高い世界、そして塩野七生さんが繰り返し書く、現代人にとって理想像のように見えるローマ人の世界を読みながらも、本当にそうだったのか、という思いもよぎってしまうのです。ペトロニウスの「サテュリコン」に描き出されていたローマ文化の爛熟ぶり、辟易してしまうほどの退廃ぶりは一体どこに行ってしまったのしょう。ペトロニウスはネロ帝時代の文人ですから、もちろんハドリアヌス帝の時代とは隔たりがあります。しかしローマ人の生活の乱れぶりについては、タキトゥスの「ゲルマニア」でも触れられていました。品行方正なゲルマン人の暮らしぶりに対して、ローマ人の乱れ切った生活ぶりを嘆くような部分があるのです。ネロ帝の時代は紀元37年から68年まで。ハドリアヌス帝は117年から138年まで。実際それほどかけ離れているわけではないので、世の中の雰囲気もそう大きくは変わらないはず。タキトゥスの「ゲルマニア」は、その中間の98年に書かれたとされているのですから、尚更です。
…しかしそういったことは、最早関係ないのでしょうね。実際のローマ帝国がどうであったにせよ、それは大した問題ではないのでしょう。確かにハドリアヌスも若頃から女性関係は結構盛んだったようですし、アンティノウスという美少年を寵愛したりもしているのですが、それも含めて、ここに描かれているのは、最早ひれ伏すしかないほどの、あまりにも美しい世界。ここに描かれたハドリアヌスは確かに生きていますし、ユルスナールが描き上げたかったのは、ハドリアヌス帝の姿をりたこの人物だったのだと思えてきます。
ユルスナールは、この作品の構想を20歳から25歳の間に盛ったにも関わらず、実際に今ある状態の作品として書くまでには長い年月を経なければならなかったのだそうです。ユルスナールですら、この物語を書きあげるには、ある程度の年齢を重ねることが必要だったのですね。


「東方綺譚」白水uブックス(2008年1月読了)★★★★★お気に入り

【老絵師の行方】…漢の大帝国の路から路へさすらいの旅を続けていた老画家汪佛(わんふお)とその弟子の玲は、ある時漢の皇帝の兵士たちに捕らえられ、王宮へと向かいます。
【マルコの微笑】…船上で話をしていたギリシア人の考古学者、エジプトの高官(パシャ)、フランス人の技師が話していたのは、セルビアの王子、マルコ・クラリエヴィッチのことでした。
【死者の乳】…フィリップ・マイルドにジュール・ブートランが語ったのは、昔、トルコの略奪を見張るための物見の塔を建てようと働いていた3人兄弟の話。
【源氏の君の最後の恋】…2番目の妻・紫の上を失い、五十路にさしかかった源氏の君は、死ぬ心づもりをして鄙の山里にある庵で簡素で厳しい生活を始めることに。
【ネーレイデスに恋した男】…カフェのテントの陰にうつろな顔をして立っていたのは、パネギヨテス。ごく裕福な百章の息子だったのに、裸のネーレイデスに出会ったために言葉も知恵も失ったのです。
【燕の聖母】…夢のお告げを信じてギリシアへとやって来た修道士テラピオンは、この地を祓い清めようと、国を汚すニンフを洞穴の中に閉じ込めてしまいます。
【寡婦アフロディシア】…「赤のコスティス」が捕らえられて殺された時、かつて司祭だった夫を殺された寡婦アフロディシアは、夫の仇を取ってくれた百姓たちに酒を振舞いながら涙を流していました。
【斬首されたカーリ女神】…ヒンドゥの怖ろしい女神・カーリーは、完璧な美しさを持ちながらも、賤民や罪人に身をゆだねたがために、神々しい氏姓(カースト)を失います。
【コルネリウス・ベルクの悲しみ】…レンブラントの弟子・コルネリウス・ベルクは、イタリアからアムステルダムに戻るものの、葡萄酒と煙草で繊細なタッチを損ねるようになります。(「NOUVELLES ORIENTALES」多田智満子訳)

9編が収められた短編集。その中には中国を舞台にした「老絵師の行方」や源氏物語を題材に取った「源氏の君の最後の恋」、インドのカーリー女神のことを描いた「斬首されたカーリー女神」のように、正真正銘「東方」の物語もあるのですが、その他のは東方人である私から見て、「それも東方…?」と言いたくなるものだったりもします。フランス人(ベルギー人)のユルスナールにとって、バルカン半島は東方だったのでしょうか。それでも一貫して感じるのは東方の香りであり、幻想的な異国情緒。ギリシア神話のように遥かな昔の物語に題材を取っていたり、「コルネリウス・ベルクの悲しみ」のように明らかにヨーロッパの中の物語でもトルコ原産のチューリップという花をモチーフにしたりしているからでしょうか。
民話や神話、既にある作品に題材を取っている分、オリジナリティという意味ではそれほどでもないのかもしれませんが、どれを読んでも息を呑むような情景の美しさに圧倒されました。私が特に好きなのは、殊の外美しい情景の広がる「老絵師の行方」。これは小泉八雲の「日本雑録」に収められた「果心居士」とかなり共通しているようですし、私自身が中国の物語として実際に読んだことがある話ともよく似ています。しかしこれほど美しい情景を描き出せるというのが素晴らしいです。ユルスナールの文章もさることながら、訳者の多田智満子さんの美しい文章のおかげもあるのでしょうね。
そしてやはり驚かされたのは、「源氏の君の最後の恋」。「訳者として困ったのは、さすがのユルスナールの博識をもってしても日本の固有名詞や官職名にいささか不適切なものがあることで、読者の興をそがぬために、適当に修正したり省略したりしたところもあるが」と解題に書かれている通り、多田智満子さんも訳すのに苦労されたようですが、ユルスナール版「雲隠」ということで、とても興味深い1篇となっています。

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