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このページは、ヴォルテールの本の感想のページです。

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「カンディード-他五篇」岩波文庫(2009年8月読了)★★★★

【ミクロメガス】…シリウスの惑星の1つにいるミクロメガスは、才気あふれた青年。年はまだ250歳にもならないのに、実に多くのことを知っているのです。彼は旅行中に立ち寄った土星で土星アカデミーの書記と親しくなり、一緒に哲学的小旅行に出ることに。
【この世は成り行き任せ】…世界の諸帝国をつかさどる精霊の中でも、最高の地位を占めるイチュリエル。管轄は高地アジアで、ある時スキタイ人バブークに、ペルシア調査し報告するよう命じます。
【ザディーグまたは運命】…古代の賢者が書いた、バビロンのモアブダル王の時代に生きていたザディーグの物語。高潔で賢いザディーグですが、なかなかその不幸な運命から逃れることができなかったのです。
【メムノン】…完璧な賢者になってやろうと思ったメムノンは、悟りの境地に達するためのささやかな計画を立てることに。しかし丁度その時、窓の外を悲嘆にくれる若く美しい女性が通りがかって…
【スカルマンタドの旅物語】…1600年にカンディアに生まれた「わたし」は、15歳になると勉学のためにローマへ。そしてルイ正義王の時代のフランス、ジェームズ1世の時代のイギリス、さらにはオランダへ…。
【カンディードまたは最善説(オプテイミズム)】…ウェストファリア地方のトゥンダー=テン=トロンク男爵の城館にいたのは、生まれつき品行の穏やかなカンディードという青年。しかし美しい男爵令嬢のキュネゴンドに接吻しているところを男爵が発見し、カンディードは城館から追い出されてしまうことに。(植田祐次訳)

18世紀フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールによる哲学コント。コントとはフランス語で短い物語のことであり、どうやら哲学的な主題を持つ短い物語のことのようですね。ヴォルテールは悲劇や喜劇や叙事詩といった前世紀の古典主義を終生信奉しながらも、幸福の探求と挫折、人間の不幸といった主題はもっと現実的で真実味のある小説や哲学コントで扱うのがふさわしいと考えていたようです。そしてあからさまに告白したり感傷に浸ることを嫌うヴォルテールは、自身の抱える問題や問いかけ、懐疑、苦悩をコントの主人公である青年の姿を借りて表現し、重大で深刻な時ほど照れ隠しのように茶化してみせたのだそうです。
「ミクロメガス-哲学的物語」は、SF的な設定。主人公の名前はギリシャ語の「ミクロス(小さい)」と「メガス(大きい)」からきていて、大きい物と小さい物、無知と英知と、万物の相対性の物語となっています。ミクロメガスと旅をする土星人は、常にミクロメガスが正しい認識を引き出すための狂言回しのような存在。「この世は成り行き任せ-バブーク自ら記した幻覚」は、ペルシャとペルセポリスになぞらえながらも、実はフランスとパリの物語。あらゆる金属と土と石のもっとも価値の高いものと低いもので合成された小さな彫像は、「すべて善ではないにしても、すべてはまずまずだ」ということを示すもの。確かにあらゆる物事にはいくつもの面があり、純粋な「善」「悪」というのは逆に珍しいのではないかと思います。「ザディーグもしくは運命-東洋の物語」は、表題作と並びこの6編の中ではとても長い作品。賢者の中の賢者であり、常に人々の信頼と愛を勝ち取るザディーグですが、この世ではなかなか永続的な幸福を掴むことができず、しばしば自分の不幸を嘆くことになります。「この世は成り行きまかせ」での結論が、こちらの「善を生まない悪はない」に繋がっているようですね。次の「メムノン-または人間の知恵」は、完全な賢人になることを目指しながらも、早くも美しい女にたぶらかされて、重大で深刻な結末を迎えることになる1日を描いた皮肉な物語。この辺りから、それまで信奉していたライプニッツの最善説への懐疑が無視できない存在となってきているのですね。その次の「スカルマンタドの旅物語-彼自身による手稿」では、その懐疑が一層大きくなり、「カンディードもしくは最善説(オプテイミズム)」では、とうとう最善説を風刺するところまでたどり着いてしまうことになったようです。師・パンタグロスの教えを無邪気に信じ、自分では物事を判断しないできた「カンディード」が、数々の不幸に打ちのめされながらも師の言葉を信頼し続けるのですが、最終的には自分自身で何をすべきか掴むという物語になっています。
ヴォルテール自身の人生を知ると、その実体験が全てその哲学コントに現れているのが分かりますね。そしてこれらの作品は書かれた年代順に収められているので、ヴォルテール自身の意識の変化も掴めるのが興味深いところ。私が一番楽しく読めたのは「ザディーグ」。様々なことが寓話的に描かれ、「千一夜物語」のように楽しく読めながらも、その主題は人間の幸福や人生について考えるとても深いもの。「カンディード」も同じぐらいの読み応えがありますが、「ザディーグ」と同じように寓話的に書かれながらもの「最善説」への風刺が強い「カンディード」に対して、「ザディーグ」はもっと正面を向いて書いているようなところが好印象です。

「バビロンの王女・アマベッドの手紙」岩波文庫(2006年3月読了)★★★★

【バビロンの王女】…バビロンの老王べリュスの1人娘・フォルモザントは、世にも美しい姫君。そのフォルモザントが18歳となり、相応しい婿を探すことになります。古い神託によると、ネムブロッドの弓を張ることができ、危険な獅子を倒し、全ての競争者を打ち倒した男こそが、フォルモザント姫に相応しい婿。エジプトの国王とインドの帝とスキチヤの太守が名乗り出ます。そしてまさに試験が始まろうとしていた時、一角馬に跨った1人の美しい青年が現れて…。
【アマベッドの手紙】…波羅門の大士・シャスタシッドとその弟子・アマベッドの往復書簡。シャスタ聖教。ヨーロッパから来たキリスト教のファ・テュット教父にインド語を教える代わりにイタリア語を教わっていたアマベッド。ファ・テュット教父の乗る3本帆柱の船で、妻のアダテと共にマドラスまで行くことに。しかしその途中、アマベッドとアダテはファ・テュット教父に騙されて、牢獄に繋がれることに。(「LA PRINCESSE DE BABYLONE」市原豊太・中川信訳)

フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールが晩年に書いたという作品。
「バビロンの王女」は、まるで「千一夜物語」の中に登場しそうな恋物語の形を借りて、様々な風刺を行っています。フォルモザント姫が愛しいアマザンを追いかけてシナからスキチヤ(シベリア)、キンメル族の国(ロシア)、スカンジナヴィア(スウェーデン、デンマーク)、サルマチア(ポーランド)、バタヴィア(オランダ)、アルビヨン(イギリス)、イタリア、ゴール(フランス)と旅をしながら、当時の世界諸国の政治や社会、風俗などを考察しています。時には批判的なのですが、それほど痛烈な批判というわけではなく、楽しい漫遊記といった印象。ヴォルテールも関与していた当時の出来事も取り入れられているようです。そしてこの時代は、丁度「千一夜物語」がフランス語に翻訳されたこともあり、このような異国情緒な作風が非常に好まれたのだそう。一方、「アマベッドの手紙」は、キリスト教に対する批判。キリスト教ではないインド人夫婦の純粋な目を通して見た、キリスト教の姿を赤裸々に描いています。特にこの夫妻に対してキリスト教の僧侶が行った卑劣な行いを徹底的に書くことによって、この作品は発行後の1769年にローマ法廷によって発売禁止の宣告を受けたのだそうです。発売禁止になるだけあって、かなり露骨な批判となっていますね。しかし当時の宣教師たちには、実際にこのファ・テュット教父のような人物も多くいたのでしょう。キリスト教世界を広げようと焦るあまりに、あるいは自分たちの富を蓄えることに気を取られて、大切な教えを見失った人々の姿が浅ましいです。

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