Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの本の感想のページです。

line
「イワンのばか他八篇-トルストイ民話集」岩波文庫(2008年6月読了)★★★★★お気に入り

【イワンのばかとそのふたりの兄弟】…裕福な百姓には、軍人のセミョーンとほてい腹のタラース、そしてばかのイワンと唖の娘・マラーニャがいました。この兄弟に老悪魔が目をつけます。
【小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話】…貧乏な百姓が畑仕事にお弁当として持っていったパンきれを盗んだのは小悪魔。百姓は怒らなかったので、小悪魔は今度は違うやり方をすることに。
【人にはどれほどの土地がいるか】…百姓のパホームが土地さえ自由になれば悪魔だって怖くないと言っているのを聞いて、ある悪魔がパホームと勝負してやろうと考えます。
【鶏の卵ほどの穀物】…谷間で見つかった鶏の卵ほどの大きさの穀物。賢人たちにも分からなかったその穀物のことを知るために、王さまが年寄りの百姓を呼び寄せます。
【洗礼(なづけ)の子】…ある貧乏な百姓の家に生まれた男の子の洗礼親となってくれたのは1人の旅人。大きくなったその子は洗礼親を探す旅に出かけます。
【三人の隠者】…船上でとある島に住む3人の隠者たちのことを聞いた僧正は、その隠者たちに会うために小船に乗って島に行き、3人に神のことを話して祈りの言葉を教え込みます。
【悔い改むる罪人】…70年の生涯を罪のうちに送ってしまった男は、天国の扉をたたいて、中にいれて欲しいと言うのですが…。
【作男エメリヤンとから太鼓】…草場で出会った美しい娘と結婚した作男のエメリヤン。町で暮らし始めるのですが、娘の美しさに王さまが目をつけてしまいます。
【三人の息子】…自分が暮らしてきたように暮らせば幸せになれるだろうと言われた3人の息子たち。それぞれに考える父の暮らし方を実践しようとするのですが…。 (中村白葉訳)

副題に「トルストイ民話集」とある通り、ロシアに伝わる民話にヒントを得て書かれた物語10編。この中では「三人の隠者」だけが「ヴォルガ地方の伝説から」と出所が明らかになっています。
岩波少年文庫にも「イワンのばか」という題名で入っていますし、私も子供の頃に愛読していたのでとにかく懐かしかったです。この岩波文庫版は中村白葉訳、岩波少年文庫版は金子幸彦訳と訳者が違いますし、岩波少年文庫の方は子供用に平易な訳となっているのかもしれないのですが、伝わってくるものは全く同じ。トルストイほどの文豪の文章ともなると、ロシア語→日本語という壁も壁ではなくなってしまうのでしょうか。それとも、これらの物語を書いた晩年のトルストイは、芸術は一般の民衆にもきちんと理解できるように簡潔で平易な表現であるべきだと考えていたようなのですが、そういった文章で書かれているために日本語に置き換えても読み手に伝わりやすいのでしょうか。
晩年のトルストイは芸術は宗教的なものを土台に持つべきだとも考えていたようで、どの物語もキリスト教色が強いです。しかしイギリスやフランスといった国々のキリスト教とはまた少し違う雰囲気がありますね。これはロシアという風土によるものなのでしょうか。それともロシアのキリスト教はロシア正教ということで少し変化しているのでしょうか。特に表題作「イワンのばか」や「小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話」「人にはどれほどの土地がいるか」といった作品には、どこか異教的な純粋さが感じられるような気がします。これは民話をベースにして作り上げられている物語だからなのかもしれないですね。


「人はなんで生きるか他四編-トルストイ民話集」岩波文庫(2008年6月読了)★★★★★お気に入り

【人はなんで生きるか】…村から家に帰る途中の靴屋のセミョーンが礼拝堂のところに見つけたのは、素っ裸で座っている1人の男。靴屋は男を見過ごしにできずに家に連れて帰ります。
【火を粗末にするとーー消せなくなる】…父の世代が家の主だった時は、隣同士仲良く暮らしていた2軒の家。しかしちょっとしたことから諍いをするようになってしまうのです。
【愛のあるところに神あり】…腕のいい靴屋のマルツィン・アフデェーイチは、女房も1人息子も亡くし一人暮らし。神さまのために生きることによって、悲しみを乗り越えて生きることを知ることに。
【ろうそく】…農奴から抜擢されたある管理人が公爵きどりになってしまったために、暮らしがすっかりみじめなものとなってしまった百姓たちは、管理人を殺してしまいたいと考え始めます。
【二老人】…金持ちのエフィームと金持ちでないエリセイという2人の老人は、旧都エルサレムへ神詣に行こうと思い立ち、ある春の日に一緒に出発することに。(中村白葉訳)

「イワンのばか」同様、岩波少年文庫で既にお馴染みの物語が収められた本。全体的な感想は「イワンのばか」と同じなのですが、こちらの方が民話色が薄く、その代わりキリスト教色が強くなっているように思います。とても純粋なところを持つ人間が、そうとは知らない間に神の教えに沿う生き方をしていたために救われる、といった物語が多いのですね。良い行いをして見返りを期待するのではなく、長年良い行いをし続けて、それが当たり前のように身についた時、神の教えに沿う生き方が出来るということなのでしょう。頭で考えているうちはまだまだだめだというのが難しいところですね。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.