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このページは、ジュール・シュペルヴィエルの本の感想のページです。

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「海の上の少女-シュペルヴィエル短篇選」みすず書房(2009年1月読了)★★★★★

【海の上の少女】…大西洋の沖合い、6000メートルもの深さの海面に浮かぶ町。そこには木靴をはいた12歳の少女がたった1人で暮らしていました。
【秣桶の牛と馬】…ベツレヘムに着いたヨセフとマリア、騾馬、そして遅れて従っていた牛は、使われていない厩に入りこみます。その夜、赤ん坊が産まれ、さまざまな人間や動物が厩を訪れます。
【セーヌから来た名なし嬢】…溺死した19歳の娘の体は、パリを離れて先へ先へと流されていきます。目指すは海。とうとう海に着いた時、丸裸でたいそう大きな「大濡れねずみ」に出会います。
【ラニ】…ラニが酋長に選ばれたのは、断食の試練に打ち勝ったから。しかし断食を終えてまだ体がひどく弱っている時、火床に倒れこみ顔を骨まで焼いてしまいます。
【ヴァイオリンの声をした少女】…目は少し大きいけれど、ごく普通の少女。しかしその言葉の中にはヴァイオリンの音が変ホ音あるいは嬰ハ音で、時には突拍子のない音で紛れ込んでいたのです。
【ノアの方舟】…ユダヤの小さな町の周辺で、火が明らかに弱気を見せ始めて物を近づけても乾かなくなり、水が氾濫し浸水し、とうとう洪水が起こることに。
【年頃の娘】…何か得たいの知れない出来事が迫っているのを感じた16歳の娘。家の中では不思議な出来事が起こり、娘が作った料理は違うものになってしまうのです。
【牛乳のお碗】…牛乳をなみなみとついだ大きなお碗を持ってパリの外れに住む母親のもとに運ぶ青年。母親はこの牛乳しか飲むことができず、毎朝待っているのです。
【蝋の市民たち】…ある韻文劇の総稽古の日、劇作家の友人を始め大勢の人々が劇場に集まります。しかし散々な結果に終わります。そして作家の妻は優待券を捌くのに大変苦心をすることに。
【また会えた妻】…15歳年下の妻に年々鼻が大きくなるといわれたシュマンは出奔し、しかし乗った船が難破して死亡。《彼岸》についた時、望み通りの鼻を手にいれるのですが…
【埋葬の前】…死んだ男、そして死体となった彼を囲む妻と子供たち。
【オルフェウス】…オルフェウス以前、この世界には音はなく、鳥たちもまだ歌を歌っていませんでした。自然はその最初の詩人を待ち望んでいたのです。
【エウロペの誘拐】…毎朝、オリュンポス山の山腹を「忠誠を」と叫びながら駆け巡るヘラ。すると全てのものは「忠誠を」と答えるのです。しかしその頃、ゼウスはエウロペを乗せて走りだしていました。
【ヘーパイトス】…オリュンポス山で給仕をしているのは女神・ヘーベ。しかし足のとても小さい彼女は、ある日食事を運んでいる最中に転んで捻挫してしまったのです。
【カストールとポリュデウケス】…白鳥から空から降りてきた時のことを友人に語るレダ。そして彼女は2つの卵を産み、何週間かすると、男女2人ずつの赤ん坊が生まれます。
【ケルベロス】…巨人・テュポンと女と蛇の怪物・エキドナの間に生まれたケルベロス。兄はスフィンクスとネメアのライオン、姉はレルネーの水蛇とキマイラ。しかし皆ヘラクレスに恨まれているらしいのです。
【トビトとトビア】…センナケリブ王の命令に反して、不運のうちに死んでいったユダヤ人を埋葬していたトビト。妻のハンナは隣近所の仔山羊や仔羊を平気で盗んでは食卓に出します。
【あまさぎ】…皮を清潔にしてくれるあまさぎがいる仲間を羨んだ牛は、他の牛の忠告通り、2週間ほど薄汚れてかゆい時を過ごすのですが、それでもあまさぎはやって来なかったのです。
【三匹の羊をつれた寡婦】…羊の息子が3人いた心の広い寡婦。羊らしい鳴き声ができず、人間とまるで同じように話せた彼らも、戦争には行くことができませんでした。
【この世の権勢家】…葡萄の木一本なかった土地で大きなワインの製造元となったワルダナヴールは、赤ん坊の頃から横柄で、たいそう勇猛宇な男でした。(綱島寿秀訳)

日本では最初に堀口大學が紹介して以来、詩人たちのアイドル的存在だったというシュペルヴィエル。この本の中に収められたのは20編。キリストの生誕やノアの方舟のエピソードを膨らませたりアレンジした作品もあれば、ギリシャ神話をモチーフにしているものもあり、フランスの普通の人々を描いた作品もあり、バラエティ豊か。しかしそこに共通しているのは透明感のある美しさ。どの作品も散文ですが、詩人というだけあって詩的な美しさがあります。
特に印象に残るのは、大海原に浮かぶ町を描いた幻想的な作品「海に住む少女」。そして娘の死体が海に流れ着く「セーヌからきた名なし嬢」。どちらも死と海という組み合わせ。読んでいると情景が鮮やかに、そして美しく浮かび上がってくるようです。そして驚いたのは、これ以外にも死を感じさせる作品がとても多いこと。大半の作品が何らかの形で「死」を描いています。「死」そのものというよりも、「生」と「死」の境界線上といった感じでしょうか。たとえ死とは関連していなくても、「少女」と「女」であったりと何らかの境界線上で揺らぐものという印象が強いです。それはもしかすると、フランスとウルグアイの間で揺れ動いていたシュペルヴィエルその人だったのかもしれませんね。そして強く感じたのは、読者は作品を自分の方に引き寄せて読むのではなく、そちらに歩み寄らなければならないようなこと。たとえば「牛乳のお碗」では、なぜか瓶ではなくお碗で運ばなければならないという前提があるのですが、それがなぜそうなのかは全く説明されていません。それに論理的な結末ではない物語も多いのです。しかしそこに書かれているがままを受け入れ、味わわなければならないのです。まるで、静まりかえった美術館で絵画を眺めているような気分にさせる作品群ですね。

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