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このページは、アイザック・バシェビス・シンガーの本の感想のページです。

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「やぎと少年」岩波書店(2009年6月読了)★★★★★

【つくりものの天国】…金持ちのカディシの一人息子・アツェルは、大人になった時突然に「自分は死んでしまった」と思い込む病気にかかってしまいます。
【おばあさんのお話】…ドレイデル遊びに夢中になっていた子供たちは、夜更かしをしてはだめだたしなめられ、代わりにレアおばさんからドレイデル遊びに夢中になった子供たちのお話を聞くことに。
【ヘルムの雪】…とんまの村・ヘルムでは、老いも若きも残らずとんま。その中でも聞こえの高いのは、7人の長老たち。ある晩、村にはお金が入用なのに、どうしてお金を手に入れたものか途方にくれていた7人は、村を一面を覆った雪を銀だと言い始めます。
【もつれた足とまぬけな花婿】…ヘルムの村の隣の東ヘルム。百姓のシュメルカと女房のシュメルキーハの4人の娘いつもは朝早くから家の仕事をするのに、ある冬の朝、起きてこなかったのです。
【初代のシュレミール】…初代のシュレミールはヘルム村の出身。ある日市場に出かけようとした女房は、留守の間にハヌカのためのジャムを全部食べられてしまうのではないかと心配になります。
【悪魔のたくらみ】…ハヌカの第1夜、貧しい少年・ダビッドの家に悪魔と悪魔のおかみ、そして角のよじれた雄のやぎがやって来ます。ダビッドは赤ん坊の弟と2人っきりでした。
【やぎのズラテー】…珍しく暖かな冬。毛皮職人のロイベンは迷った挙句、やぎのズラテーを思い切って売りに出すことに。その代金8グルデンで、ハヌカのための必要な品物が買い揃えられるのです。(「ZLATEH THE GOAT AND OTHER STORIES」工藤幸雄訳)

ポーランドに生まれたユダヤ人のアイザック・B・シンガーが、初めて若者のために書いたという本。シンガーは1978年にノーベル文学賞を受賞した作家。ワルシャワに住んでいた子供の頃を懐かしむように、ワルシャワを舞台にした作品が多いにも関わらず、彼の作品はポーランドでは1冊の本にもなっておらず、ノーベル賞を受賞した時もポーランドの新聞では「イディシ語で書く無名のアメリカ作家が受賞」と伝えられただけなのだそうです。その大きな原因の1つは、300万人以上いたはずのポーランドに住むユダヤ人が、ナチスの手によって殺され尽くしてしまったこと。その結果、東ヨーロッパに住むユダヤ人たちの共通語であるイディシ語も死に絶えようとしているのだそうです。この本の前書きにあるシンガーの言葉は、物語があれば過去のこともいつも身近に感じられるという一見前向きな言葉なのですが、それらの事実を知ってみると、また違った風に響いてきます。
この7編の中で群を抜いて素晴らしいと思うのは、表題作とも言える「やぎのズラテー」。これはもうしみじみと心に沁みこんでくる傑作ですね。しかしもちろん他の作品もそれぞれに素敵です。ヘルムの村を舞台にした3編はユーモアたっぷりですし、それ以外の作品は生きることと死ぬことを主題にした物語。その中には深い信仰がこめられています。ユダヤのハヌカのお祭りや、子供たちが夢中になるグレイデルという駒遊びなど、見慣れないユダヤの風習が自然に楽しめるのもいいですね。ヘルムの町はポーランドに住むユダヤ人の昔話によく登場する架空の町だそうですが、そのほかにもイギリスにはゴタム、オランダにはカンペン、イタリアにはクネオ、ドイツにはシュリートブルクなどがあるのだそう。この本で挿絵を描いているモーリス・センダックも、アメリカ生まれではありますが、その両親はワルシャワ郊外のユダヤ人の町からアメリカに渡ったのだそうです。人々の表情、特に「初代のシュレミール」の赤ん坊の表情が絶品。そして雪の白さが印象に残ります。

P.9「わたしたちのきのうという日、楽しかったこと、哀しかったこともふくめて、その日はどこにあるのか。過去とそれにまつわるさまざまな気持ちを思い出すうえに役立ってくれるもの、それが文学です。物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。それは過ぎ去った年月、何十年という時間にしても同じです。物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも、動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語のなかの生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまもほんとうに存在する。


「お話を運んだ馬」岩波少年文庫(2009年6月読了)★★★★★

【お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語】…寝る前にお話を聞かないと寝ようとしないお話好きのナフタリ。両親からも沢山のお話を聞き、お話の本も手当たり次第読んで育ちます。
【ダルフンカ-金持ちが永遠に生きる町】…とんまな町・ヘルムの金庫が空っぽになり、ヘルム一番の賢者。大とんまグロナムと5人の長老が7日7晩考え続けていました。そこに、ツァルマン・ティペッシュが、永遠に生きる方法を教えてくれれば金貨2000枚払うと現れます。
【ランツフ】…夏になると、安息日のたびにお話を聞かせてくれるイェンツル伯母さん。その日のお話は、ランツフと呼ばれる家鬼のお話でした。家族の一員のような妖精なのです。
【ワルシャワのハヌカ前夜】…何十年ぶりかの酷い寒さの冬。ハヌカの前の日に1人で家に帰ろうとした「わたし」は、吹雪のために道に迷ってしまい、助けてくれた男性に嘘をついてしまうのです。
【ヘルムのとんちきとまぬけな鯉】…ヘルムではどこの家でも木曜日に魚を買い、金曜に団子料理を作り、安息日の土曜日に食べる習慣。ある木曜日の朝、ヘルムの大長老・大とんまのグロナムの家に長老たちから贈り物として立派な鯉を持ってきたのは、とんまツェインフェルでした。
【レメルとツィパ】…田舎のお金持ちのトビアスの娘・ツィパは、大のぼんやりした娘。このままでは結婚できないと両親に相談されたラビは、ツィパ以上にぼんやりした男を探すよう助言します。
【自分はネコだと思っていた犬と自分は犬だと思っていたネコのお話】…ヤン・スキバという貧乏なお百姓の家の犬は自分のことをネコだと思い、ネコは自分のことを犬と思っていました。
【おとなになっていくこと】…ワルシャワに住む「ぼく」は、印刷屋になる親友のフェイフェルと一緒に物語の本を出す計画をしていました。1冊2カペイクで5万冊売れると、1千ルーブリになり、2人で聖地イスラエルに行く船に乗れるのです。(「NAFTALI THE STORYTELLER AND HIS HOURSE, SUS and Other Stories」工藤幸雄訳)

8つの話が収められている本。シンガーはナチスの迫害から逃れてアメリカに渡った作家。どれもシンガーが生まれ育ったポーランドを舞台にした物語であり、英語ではなく、子供の頃から使っていたイディシ語で書かれています。父親はユダヤ教のラビであり、シンガー自身も敬虔なユダヤ教徒なのでしょうね。ノーベル文学賞受賞作家。
ポーランドもしくはユダヤ人に伝わる民話といった雰囲気のお話や、とんまな人々が住むヘルムという町を舞台にして広がっていく物語なども楽しかったのですが、この中で特に印象深いのは、表題作ともいえる「お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語」。この中に登場するナフタリは本の行商人。愛馬・スウスの引く馬車に沢山本を積んで色々なところをまわって本を売り、本を買えない貧しい子には本をプレゼントし、人々の語る様々なお話を聞き、そして自分も沢山お話を語る、という人物。作者シンガーの理想の自画像なのだそうです。ナフタリはお話の楽しさ面白さを人々に伝えることを生きがいとして、旅から旅へという暮らしを続けているのですが、それでもある日レブ・ファリクの家を訪ねたのがきっかけで、1つの場所に根を下ろしたいと考えるようになります。物語とは人間にとって何なのか。なぜ人間に物語が必要なのか。そんなナフタリとレブ・ファリクの会話がとても深いです。
一見単純に楽しいだけの物語に見えて、実はとても深くじっくり味わえる作品ばかり。そしてお話の楽しさや面白さを人々に伝えたいというシンガーの思いがとても伝わってくる、暖かい作品集。「ワルシャワのハヌカ前夜」や「おとなになっていくこと」に描かれているのは、おそらくシンガー自身の子供時代なのでしょうね。ユダヤ人社会独特の風習が読めるのも楽しく興味深いところです。

P.21「いちにちが終わると、もう、それはそこにない。いったい、なにが残る。話のほかには残らんのだ。もしも話が語られたり、本が書かれたりしなければ、人間は動物のように生きることになる、その日その日のためだけにな」
P.21〜22「きょう、わしたちは生きている、しかしあしたになったら、きょうという日は物語に変わる。世界ぜんたいが、人間の生活のすべてが、ひとつの長い物語なのさ」
P.37「生きるってことは、結局のところ、なんだろうか。未来は、まだここにはない、そして、それが何をもたらすか、見とおしは立たない。現在は、ほんの一瞬ずつだが、過去はひとつの長い長い物語だ。物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間ずつしか生きぬことになる、それではじゅうぶんとは言えない。」


「まぬけなワルシャワ旅行」岩波少年文庫(2009年6月読了)★★★★

【ちゃっかりトディエと欲ばりリツェル】…貧乏人のトディエは、女房と7人の子供と空腹な毎日。何度頼んでも金を貸してくれない欲張りリツェルをこらしめて、お金をむしり取ろうと心に決めます。
【ツィルツルとペチツァ】…炊事場と暖炉と壁の間の薄暗い隙間にいたのは、孤児の小鬼・ペチツァ。たった1人の友達はコオロギのツィルツル。しかし暖炉の改造が始まり、2人は外に出ることに。
【ラビのレイブと魔女のクーネグンデ】…神の力を借りて不思議をおこすラビ・レイブと、悪魔の力を借りて奇跡を起こす魔女のクーネグンデ。長年無言のままいがみ合っていたのに、ある時、クーネグンデがレイブと結婚しようと思い立ちます。
【ヘルムの長老とゲネンデルの鍵】…ヘルムの大長老・大とんまグロナムの悩みの種は、6人の長老との会合が終わるとびに、女房のゲネンデルから自分のとんまな発言に文句が出ることでした。
【商売人シュレミール】…ヘルムに住むシュレミールは、今のように留守番をする前、結婚した頃、財産家の義父が娘につけてよこした持参金を元手に商売をしようとしたことがありました。
【ウツェルと娘のビン子】…貧乏で物ぐさなウツェルは、毎日働きもせずに鶏を抱きこんで寝てばかり。それでも娘のビン子のことは可愛がっており、借金して新しい靴を買ってやろうとします。
【メナゼエの夢】…伯父のメンデルの家に引き取られた孤児のメナゼエは、ある日伯母と言い争いをして家を飛び出して森へ。森の中で不思議な夢をみることに。
【シュレミールがワルシャワへ行った話】…怠け者で朝寝坊で物ぐさのシュレミールの夢は、旅に出かけること。世界の不思議を見てまわりたいと思っていたのです。そしてとうとうワルシャワに向けて出発することに。(「WHEN SHLEMIEL WENT TO WARSAW AND OTHER STORIES」工藤幸雄訳)

「お話を運んだ馬」の時のような作者自身が垣間見える物語がほとんどなく、元はユダヤ人やポーランドに伝わる民話なのだろうなというお話の比率が高くなっています。「ツィルツルとペチツァ」「ラビのレイブと魔女のクーネグンデ」「メナゼエの夢」はシンガーの創作ですが、それ以外はシンガー自身が母親から聞いた物語であり、母親はそのまた母親や祖母から聞いたのだそうです。語り継がれてきた物語をシンガーは自分の語り口に直し、筋立てもすっかり作り変えたのだとのこと。しかしそのようにして作り変えられても、人から人へと伝えられてきた物語が持つ暖かさは健在ですね。たとえば、この作品集にはヘルムの町に住むシュレミールが何度か登場するのですが、このシュレミール、ぼんやりでへまでしくじりばかりしているのですが、ユダヤ人社会ではとても愛されている存在なのだそう。シュレミールについての笑い話などもあるそうで、この本の訳者解説に紹介されていました。
この中で一番印象に残ったのは、「メナゼエの夢」。メナゼエが夢の中で訪れるのは、おそらく死者の国。そこにはこれまでのメナゼエの人生、そしてこれからの人生が全て収められている城があります。何事も失われることのない場所。訳者解説にもありますが、それはまさに物語のことのようですね。「お話を運ぶ馬」で印象的だった、物語に関するいくつかの言葉にも通じるようです。そしてメナゼエが目覚めた後、赤の上着に金の帽子、緑の長靴姿のこびとたちが歌い踊ります。「その歌声が聞き取れる人とは、あらゆるものが生命をもち、その命が時の流れにも決してほろびはしないのだと、そのことを感じとっている人だけなのです」…歌声が聞き取れる人というのは、物語を楽しむことができる人、とも言い換えることができるのでしょうね。こちらもやはり「本を運ぶ馬」と同じく、「物語」というものを伝える喜びが読者に伝わってくるような作品集でした。


「ショーシャ」吉夏社(2009年7月読了)★★★★

ワルシャワのゲットーとも言えそうなクロホマルナ通りにラビの息子として生まれ、ヘブライ語、アラム語、イディッシュ語とタルムードによって育てられたアーロン・グレイディンゲル。一番親しかったのは、天才児と言われたアーロンとは対照的に、周囲から知恵遅れだと思われていた少女・ショーシャ。9歳になっても6歳のような話し振りで、2学年遅れて通っていた公立学校からももう通わなくていいと言われてしまうショーシャですが、それでもアーロンはショーシャにだけは、他の誰にも言えないようなこと、空想や白昼夢も全て話すことができたのです。しかし1914年に第一次大戦が始まり、アーロンの一家もやがてワルシャワを去ることに。(「SHOSHA」大崎ふみ子訳)

アイザック・シンガーの自伝的小説。アイザック・シンガー自身1904年にポーランドのユダヤ人家庭に生まれています。アーロンと年齢的にもほぼ同じなら、クロホマルナ通りで少年時代を過ごしたことも、1917年にワルシャワを離れるものの、やがて戻ってきて校正係・翻訳者となり、ワルシャワ作家クラブに出入りするイディッシュ作家であったことも同じ。アーロンの家族についても同様。違うのは、ショーシャのことだけ。この作品では、アーロンはショーシャに20年ぶりに再会することになりますが、アイザック・シンガーが実際に再会できたのはショーシャではなく、ショーシャの娘だったのだそう。そう考えると、この作品はアイザック・シンガーの送りたかった人生、もしくは失われた人生を描き出した物語のように思えてきます。
この作品で良かったのは、まずショーシャの存在。ショーシャがとにかく可愛らしいのです。第一部ではまだ知恵遅れのイメージが付きまとっていますが、第二部のショーシャは1人の恋する女の子。そしてそんなショーシャを主人公も一途に愛します。それだけに、そのまま済むはずがないだろうと、逆に悪い予感を抱いてしまったりもするのですが…。しかし主人公に作者自身が色濃く反映されているせいなのか、アーロンが今ひとつ魅力に欠けていたように思います。アーロンは女性には不自由していませんし、年上の友人・シーリアとハイルムやファイテルゾーンにも可愛がられています。アメリカから来た女優のベティ・スローニムにも、その情人のサム・ドレイマンにも初対面でとても気に入られて、上演する芝居の脚本を書く話もとんとん拍子でまとまります。本当ならかなり魅力的な才能溢れる青年のはず。しかしアーロンの文才についても、最後まで結局良く分からないままなのです。最終的には世界的な作家になったようなのですが、具体的には何も書かれていないので説得力がまるでありません。いくら自伝的であったとしても、小説として書くのであれば、もう少し書き込んで欲しかったところ。しかし同じく書かれていないといえば、ナチスによるホロコーストも同様なのですが、こちらは書かれていないのが逆に良かったと思います。登場人物たちは第一次世界大戦も第二次世界大戦も体験していますし、ヒトラーの名前は何度も登場するのに、読んでいてもまるで戦時中という感じがしません。亡くなった人々に関しても、かなりあっさりとした報告のみ。しかしこれはこれで良かったのだと思います。
そして作中で登場する「世界の本」というのが素敵。こういった本が存在すると考えるだけで、良いことも悪いことも、全てが受け入れられそうな気がしますね。 実際には再会することのなかったショーシャもまた、この本の中にいるのですね。この作品はシンガーにとって「世界の本」そのものだったのかも。だからこそ、悲惨な戦争の描写もほとんどなかったのかもしれないですね。

P.333「世界の歴史は人がただ裂きを読むことができる本なのだ。この、世界の本のページを後戻りしてめくることは決してできない。だがかつてあったものはすべて、まだ存在している。イェッペはどこかで生きている。<ヤナシュの中庭>で蓄殺人が毎日殺す雌鳥、ガチョウ、アヒルたちはまだ生きていて、世界の本のほかのページでコッコと鳴いたり、ガーガー言ったり、時をつくったりしているーー右開きの本だよ。だって世界の本はイディッシュで書かれているんだ。イディッシュは右から左へ読むからね。」

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