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このページは、ジョルジュ・サンドの本の感想のページです。

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「愛の妖精」中公文庫(2006年2月再読)★★★★★

コッス村のバルボおやじの家に男の子の双子が生まれ、どちらがどちらだかほとんど見分けがつかないほど似ていたシルヴィネとランドリは、<ふたつっ子(ベッソン)>と呼ばれるようになります。産婆のサジェットばあさんは、お互いに相手が分かるようになったらすぐ、あまりいつも一緒にいないよう気をつけるようにと忠告するのですが、それも実際にはなかなか難しく、結局シルヴィネとランドリの2人は始終一緒におり、お互いへの愛情は年々深まることに。しかし2人揃って初めての聖体拝受を済ませたた頃、家族全員を手元に置いておけるほど裕福ではなかったバルボおやじは、双子のうちの1人をプリッシュ村のカイヨおやじのところへ奉公に出すことに決めます。双子たちはどちらが家を出るか自分たちで話し合い、結局ランドリが家を出ることに。(「LA PETITE FADETTE」篠沢秀夫訳)

ショパンの恋人だったことでも有名な男装の麗人・ジョルジュサンドの最高傑作と呼ばれる作品。田園小説と呼ばれる、フランスの田舎を舞台にした一連の作品のうちの1つです。
主な登場人物は、深い愛情を持ち合う双子の兄弟と、「こおろぎ」と呼ばれ、その母親の行状のせいで忌み嫌われる不器量な野生児・ファンションことフランソワーズ・ファデの3人。これは彼ら3人の愛情物語であり、そして成長物語でもあります。美しい自然と素朴な人々に囲まれて、とても柔らかく、それでいて芯が通った強さがある作品なのですね。地に足が着いているという感じが何とも心地良いです。その中で、ファンションもランドリも、そしてシルヴィネも人生を知り、少年少女時代から大人へとなっていく様子が美しく描かれていきます。ランドリが通俗的な美少女・マドロンに幻滅し、見かけだけの美しさに捉われなくなったのはファンションのおかげですし、「男女」と評判の悪かったファンションが、淑やかなレディとなっていったのはランドリのおかげ。そしてシルヴィネがランドリへの一方的な執着を絶つことができたのはファンションのおかげ。最初はよそよそしかったランドリとファンションのやり取りが徐々に変わっていく様子や、馬鹿にされたと感じていたマドロンの行動、そしてシルヴィネの心理状態が濃やかに描かれていて、美しいことばかりが起きるわけではないにも関わらず、一貫して柔らかい日差しに包み込まれているような印象。ただ、財産に関しては蛇足だったように思いますし、バルボおやじがファンションのことを見直そうとするきっかけだったという展開にも違和感を感じます。いくら好きな人に言われたからといって、そうそう簡単に自分の欠点を直すことなどできないもの。そしてこれは訳文の問題ですが、変身後のファンションの言葉遣いも、時代ががかった女らしさがわざとらしく感じられます。しかしそれでもとても素敵な作品。最後はほんのり切ないながらも、とても暖かい読後感です。


「ばらいろの雲」岩波少年文庫(2006年2月再読)★★★★★

【ものをいうカシの木】…ブタが大嫌いなのにブタ番をさせられていた孤児の少年エンミは、ある日ブタたちを怒らせてしまい、ものをいうカシの木の梢に逃げ込みます。
【ばらいろの雲】…黒ツグミをみつけた嬉しさのあまり、野原に忘れてきてしまった子ヒツジのビシェットを探しに出たカトリーヌは、子ヒツジだと思ってばらいろの雲を連れて帰ります。
【ピクトルデュの館】…8歳になるディアーヌは、名のある画家フロシャルデの娘。マンドの修道院に預けられていたのですが、1日おきにひどく熱を出すため、父親が引き取ってアルルの別荘に連れて行こうとしていました。しかし途中で駅馬車がこわれ、2人はピクトルデュの館に泊まることに。
(「CONTES D'UND GRAND'MERE」杉捷夫訳)

ジョルジュ・サンドが晩年に孫たちのために書いた童話「祖母の物語」の中の3編なのだそう。「愛の妖精」と同じく、田園地帯が舞台となっている作品です。
3編のうち、2編目の「ばらいろの雲」が表題作となっていますが、「ものをいうカシの木」と「ばらいろの雲」は短編で、「ピクトルデュの館」が1冊の半分を占める中編となっています。子供の頃のお気に入りもこの「ピクトルデュの館」でしたし、今回読み返してみても、やはりこの作品が一番好きでした。荒れ果ててかなりの部分が崩れてしまったピクトルデュの館には、誰も見たことはないけれど、実はヴェールをかぶった女性が存在していて、時々招きたくなるような旅人が通りかかると招きの言葉を投げかけ、その旅人が通り過ぎてしまえないように通行を邪魔するというのも面白いですし、実際に離れ屋の浴槽の中に泊まることになったディアーヌがその女性に連れられて館の中を歩き回るシーンはとても幻想的で素敵です。沢山の立像からは水の精たちが抜け出して踊りを踊ったり、絵が沢山飾られた広間では、神々が絵から抜け出して走りまわったり、庭の立像たちが声を揃えて美しい歌を歌っていたり…。しかしそれらの場面だけでなく、その後のディアーヌの人生についての物語にも読み応えがあり、童話とは言っても子供のためだけの作品ではないことが良く分かります。特に大きくなったディアーヌがミューズの顔を掴む夢の場面や、その幻想的な雰囲気とはまるで逆の、ピクトルデュの館を再訪する現実的な場面の対比が印象的。大人になってから読んでも、十分楽しめる物語ですね。そして表題作の「ばらいろの雲」でも、小さくて可愛くて綺麗なばらいろの雲が、実はその中には雷を持っており… というくだりで、子供の頃よりももっとずっと深いものを感じ取ることができます。ばらいろの雲を紡いでしまい、そしてそのことについてコレットおばさんが話す場面がとても印象的です。


「フランス田園伝説集」岩波文庫(2009年8月読了)★★★★★

農民たちが啓けていくにつれて失われていく、その土地土地に伝わる数々の素朴な物語。しかし人類は長い間そういった物語を糧にして生きてきたのです。ここに収められているのは、19世紀半ばにジョルジュ・サンド自身がフランス中部ベリー地方の農村に伝わる民間伝承を採集したもの。息子のモーリス・サンドもフランス各地の言い伝えや民謡、伝説を採集し、それらの物語に自分で挿絵を描いているのですが、それらの絵もこの本に収められています。(「LEGENDES RUSTIQUES」篠田知和基訳)

フランスの代表的な伝説といえば、巨人のガルガンチュワに、下半身が蛇の姿の美しいメリジューヌ、そしてアーサー王伝説。しかしここに収められているのは、そういった広く流布した物語でも英雄譚的なものでもなく、もっと田舎の農民たちが炉辺で語るような小さな物語ばかり。巨石にまつわる物語や霧女、夜の洗濯女、化け犬、子鬼、森の妖火、狼使い、聖人による悪霊退散… ちょっとした目の錯覚や、聞き間違いからも生まれてきたのだろうなという物語ばかりです。フランスにおける「遠野物語」という言葉が書かれていましたが、まさにそうかもしれませんね。どれもごくごく短いあっさりした物語なのですが、それだけに生きた形で伝わってきたという感じがします。物語を通して、そういった農民たちが生きている土地やその雰囲気が見えてくるような気がしますし、素朴で単純だけれど、飽きさせない、噛み締めるほどに奥深い味わいがある、そんな魅力を持っていると思います。どの物語からも特に強く感じさせられるのは、やはり田舎の夜の暗闇でしょうか。やはり暗闇というのは、人間の想像力を色々な意味で刺激するものなのですね。そして、「愛の妖精」や「ばらいろの雲」といったジョルジュ・サンドの作品の背景にもこのような物語が隠されていたのだと思うと、それもまた感慨深いものがありますね。

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