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このページは、ジャン・ラシーヌの本の感想のページです。

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「フェードル・アンドロマック」岩波文庫(2009年8月読了)★★★

【アンドロマック】…トロイア戦争で夫のヘクトールをギリシャのアキレウスに倒され、未亡人となったアンドロマック。トロイア落城後、アンドロマックはアキレウスの息子・ピリュスの女奴隷となることになります。ピリュスの婚約者のエルミオーヌは、アンドロマックに心を奪われたピリュスを見て、ヘクトールの忘れ形見・アスチアナクスの殺害を要求。しかしピリュスは、そんなエルミオーヌを疎ましく思います。そこにエルミオーヌを愛するオレストが登場して…。5幕悲劇。
【フェードル】…アテネの王・テゼーとアマゾーンの女王・アンチオープとの子・イポリットは、この6ヶ月というものテゼーが行方不明であることに居ても立ってもいられない不安を覚え、父を探す旅に出ると言い出します。5幕悲劇。(「ANDROMAQUE」渡辺守章訳)

フランスの劇作家・ラシーヌによる悲劇2作。どちらも古代ギリシャの3大悲劇詩人の1人・エウリピデスの悲劇作品が元になってます。しかしギリシャ悲劇もエウリピデスも大好きなのですが、名前の訳が馴染んでいるものとは違いすぎて、正直困惑してしまいました。アンドロマックというのは、ギリシャ読みではアンドロマケーのこと。ピリュスはネオプトレモスのことです。フェードルはパイドラであり、テゼーはテーセウス。イポリットはヒュッポリュトスのことで、アンチオープはアンティオペー。アルファベットで見たらそれほど変わらないのでしょうけれど(ギリシャ文字はアルファベットではありませんが)、カタカナ表記では違いすぎて戸惑います。従来のギリシャ読みを採用するわけにはいかなかったのでしょうか。
エウリピデスの作品「アンドロマケー」から題材が取られている「アンドロマック」は、実際には「アンドロマケー」とは少し違う物語。人物像は基本的に同じですが、設定が違います。一番大きいのは、ヘクトールの忘れ形見が生きていたということ。この忘れ形見を中心に、オレストはエルミオーヌに、エルミオーヌはピリュスに、ピリュスはアンドロマックに、しかしアンドロマックはヘクトールを思い続けて、という片思いの連鎖が繰り広げる物語となっています。そして「フェードル」は、やはりエウリピデスの「ヒュッポリトス」に題材を取っている作品。こちらの方はかなり元の作品に忠実ですね。しかし読み比べてしまうと、どうしても元話には見劣りする気がしてしまいました。「ヒュッポリトス」は元々それほど好きな話ではないですし、名前の違いに気をとられていたせいもあるかもしれませんが…。ラシーヌのオリジナリティの感じられる「アンドロマック」の方が楽しかったです。
いずれの作品も訳注がかなり充実しており、その点ではとても勉強になりましたが… 注釈を飛ばして読んでしまうと、重要な事柄を読み落とす危険もあるのですね。正直なところ、詳細な解説は解題へと譲り、文中の注釈は純粋な注釈だけにしておいて欲しかったです。


「ブリタニキュス・ベレニス」岩波文庫(2009年8月読了)★★★★★

【ブリタニキュス】…皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを腹心の侍女・アルビーヌに向かって話します。5幕悲劇。
【ベレニス】…ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしてこの5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、ベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです。5幕悲劇。(「BRITANNICUS」渡辺守章訳)

ラシーヌのローマ悲劇。「ブリタニキュス」は、皇帝ネロが母・アグリピーヌの存在を疎ましく思い、妻・オクタヴィーに対して愛情がないこと、そしてジェニーとブリタニキュスの間の絆を羨ましく思い、かどわかしたジュニーに心を奪われてしまったことから、義弟に当たるブリタニキュスを殺害、暴虐と狂気の道へと突き進むという悲劇。ブリタニキュスとジュニーの無垢な愛、そしてネロンのよこしまな愛。ネロンの流暢な言葉は彼女を篭絡するためにしか使われず、しかしおそらくジュニーが手に入った途端、彼女はネロンにとって無価値なものとなってしまったのではないかと思われます。私には、ネロンがただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさから、ジュニーに惹かれたように見えました。ネロンは、ただ無条件に愛してくれる人、母のように包み込んでくれる愛情を求めていただけなのではないでしょうか。その実の母であるアグリピーヌが、到底平凡な母親とはなり得ない女性だったということが、彼の不幸だったのかも。この母でなければ、ネロンも皇帝という地位につくことはなかったと思うのですが…。
「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人ですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続け、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないのです。しかしティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができません。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたのではないかと思ったりもするのですが、ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さないのです。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前に、とうとう心情を吐露してしまうことに。
特に印象に残ったのは、ティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているにもかかわらず、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないとは。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。緊迫感たっぷりの戯曲は、おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったでしょうね。素晴らしいです。

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