Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、ペルシャ古典作品の本の感想のページです。

line
「王書-古代ペルシャの神話・伝説」フェルドウスィー 岩波文庫(2006年8月読了)★★★★

「神話の王たちの時代」「伝説英雄の時代」の2部構成で、ペルシャ初代の王・カユーマルスから歴代の王たちが紹介されていきます。神話の時代では、カユーマルス王や孫のフーシャング王など賢明で、悪魔の誘惑に負けない立派な王たちの時代が続くものの、聖王ジャムシードが晩年突然自分しか目に映らなくなった頃から、悪王の治世の時代が始まります。一番有名なのは暴君ザッハーク。そして「伝説英雄の時代」で有名なのは、英雄ロスタムとその息子ソホラーブの悲劇な物語です。(岡田恵美子訳)

11世紀初めにフェルドウスィーによって完成された、ペルシャ民族高揚の叙事詩。今でもイラン人なら誰でもその一節を暗誦することができると言われているほど、イランの人々に愛されている作品なのだそうです。これは散文の形に訳されており、岩波文庫にしては珍しく注釈の数が非常に少なく、とても読みやすいもの。ただ、「神話」「伝説」「歴史」の3部構成になっていると言われる王書の歴史部分(全体の5分の2)は丸ごと省略されており、しかも「神話」「伝説」部分も部分部分で省略されているため、全体からみると4分の1ほどの量になっているのだとか。現在完訳版は日本には存在しないそうなので仕方ないのですが、お手軽なハイライト版といった感じです。
基本的な内容としては、ペルシャ初代の王・カユーマルスからの歴代の王の紹介。その間に、随時英雄伝説が挟まっています。解説に「ある意味では、私たちの『古事記』に当たる諸王列伝」と書かれていたのですが、なるほどそのようなものかもしれないですね。さだめし、初代の王・カユーマルス王が神武天皇で、英雄ロスタムがヤマトタケルといったところでしょうか。こちらの「王書」には、天地開闢だの天地創造だの神々の誕生だのといった部分はありませんが、十分にペルシャの神話と言える内容となっていると思います。
面白く読めましたし、注釈が少ないのは確かに読みやすかったのですが、やはりきちんとした注釈が欲しいと感じる部分もいくつかありました。特に、この物語の舞台となっている古代ペルシャで信仰されていたのはゾロアスター教ですが、実際にフェルドウスィーに書かれた頃の中世ペルシャで信仰されていたのはイスラム教。後から宗教的にいじられているのではないかと感じられた部分があったのですが、その辺りはどうなのでしょうね。私の気のせいなのでしょうか。


「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム 岩波文庫(2007年7月読了)★★★★★お気に入り

11世紀のペルシアの詩人・オマル・ハイヤームによる、生への懐疑、人生の蹉跌、苦悶、望みや憧れを歌った短い四行詩143首。日本最初の原典訳。オマルの原作として定評のあるものだけを厳選し、最近のイランにおける新しい配列の仕方に従って「解き得ぬ謎」「生きのなやみ」「太初(はじめ)のさだめ」「万物流転」「無常の車」「ままよ、どうあろうと」「むなしさよ」「一瞬(ひといき)をいかせ」の8部に分類。(「RUBAIYAT」小川亮作編)

「ルバイヤート」とは、そのものずばり「四行詩」の意味。19世紀のイギリスの詩人・フィッツジェラルドの名訳によって欧米だけでなく全世界に知れ渡るようになった作品です。
マール社の美文調の翻訳とは異なり、こちらは口語体の訳。それでも初版が1949年発行という時代の口語訳なので、現在の口語訳よりも遥かに格調があり、読みやすいながらも美しいです。
「恋する者と酒のみは地獄へ行くと言う、/ 根も葉もない囈言(たわごと)にしかすぎぬ。/ 恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、/ 天国は人影もなくさびれよう!」(87)
「天女のいるコーサル河のほとりには、/ 蜜、香乳、酒があふれているそうな。/ だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、/ 現物はよろずの約にまさるから」(89)
「一壷の紅の酒、一巻の歌さえあれば、/ それにただ命をつなぐ糧さえあれば、/ 君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、/ 心は王侯(スルタン)の栄華にまさるたのしさ!」(98)

これらの3編は「ままよ、どうあろうと」にあった詩ですが、このように酒を賛美する詩が多いのが特徴。たった4行の簡潔な詩の繰り返しなのですが、驚くほど豊かなイメージが伝わってきます。数学、天文学、医学、語学、歴史、哲学などの学問を修め、アラビア語による数学書は現在にまで伝わっているほどの学者だったオマル・ハイヤームですが(解説では平賀源内やレオナルド・ダ・ヴィンチが引き合いに出されていました)、これほどまでに砕けた人物だったのですね。イスラム教の社会では、コーランによって酒は禁じられているはずですが、死後のことを気にして戒律を守るのではなく、今現在を大切にして奔放に酒を愛し、そして飲むという前向きな姿は、逆に清々しいほどです。


「ルバイヤート-中世ペルシアで生まれた四行詩」オマル・ハイヤーム マール出版(2007年7月読了)★★★★★お気に入り

19世紀の詩人・エドワード・フィッツジェラルドによる英訳本からの重訳、全110編。竹友藻風の訳は七五調で格調高く、フィッツジェラルドによる英文も一緒に収められています。岩波文庫版と違うのは、装幀がとても美しいこと。ビアズリーを思わせるロナルド・バルフォアによるペン画が、表紙はもちろん全てのページに大小取り混ぜて配置されています。(「RUBAIYAT」竹友藻風訳)

表紙も紺に金銀を配した美しいものですし、ロナルド・バルフォアのエキゾティックでほんのりエロティックな挿絵には所々印象的な真紅が加えられ、とても見ごたえがあるものとなっています。この美しさだけでも本を買う価値があるのではないかとさえ思えるもの。
そして七五調の訳はとても格調高いのですが、現代日本人には平易な英文の方が理解しやすいかもしれません。下に引用したのは、岩波文庫版の感想で引用した98番の詩。

「ここにして木の下に、いささかの糧 / 壷の酒、歌のひと巻ーーまたいまし、/ あれ野にて側(かたわら)にうたひてあらば、/ あなあはれ、荒野こそ樂土ならまし」(12)
「Here with a little Bread beneath the Bough, / A Flask of Wine, a Book of Verse--and Thou / Beside me singing in the Wilderness-- / Oh, Wilderness were Paradise enow!」

相当違いますね。原典から直接訳したという岩波文庫版と比べると、こちらは重訳だけあって、かなり変化してしまっているように感じられました。「薔薇(そうび)」という言葉が多用されているのも、ところどころにキリスト教の匂いが感じられるのも、おそらくフィッツジェラルドによるものなのでしょうね。しかし英国を始めとする全世界にこの詩が知れ渡るようになったのは、やはりフィッツジェラルドの功績。エキゾティックな挿画を楽しみながら、ゆっくりと味わうように読みたいものです。


「ホスローとシーリーン」ニザーミー 東洋文庫(2008年2月読了)★★★★

世を輝かすホルムズド王が神に願って得た1人息子はホスロー・パルヴィーズと名づけられ、年ごとに美しく賢く、そして強く育っていきます。そしてある晩、ホスローは不思議な夢を見るのです。その夢で彼は祖先の1人に、甘美なことこの上なき美女、シャブディーズ(闇夜)という俊足の黒馬、順正なる王座、そしてバールバドなる楽士を与えられることを約束されていました。お気に入りの側近・シャープールから、アルメニア女王の姪で月をも凌ぐ美しさをもつ乙女・シーリーンのことを聞いたホスローは、シーリーンのことを想っていても立ってもいられず、シャープールにその美女を手に入れてくるよう命じることに。(「KHOSRAU SHIRIN」岡田恵美子訳)

ペルシャのロマンス叙事詩人・ニザーミーの2作目に当たる作品。6世紀末から7世紀初にかけて実在していたササン朝ペルシャのホスロー2世の恋物語です。物語はホスロー2世の父・ホルムズド4世の治世に始まり、ホスロー2世が成人してやがて王位につき、590年にローマ(ビザンチン)皇帝の援助を得てバハラーム・チュービーンの反乱を鎮圧、その縁で皇帝の娘・マルヤムを王妃として、591年に王位に再び返り咲く辺りはほぼ忠実に描かれているのだそう。しかし美女シーリーンに関しては、この作品ではアルメニアの王女とされていますが、ルーム(ギリシャ)の女奴隷や侍女であったとか、様々な説があるようですね。このシーリーンを描く時に具体的なモデルになったのは、ニザーミーの最初の妻だとのこと。ニザーミーは生涯に3人の妻を娶っており、そのうちの最初の妻、ダルバンドの王から賜った美しいキプチャク系の女性を熱愛していたのだそうです。残念ながら、作品が完成した頃には早世してしまっていたのだそうですが。
この作品を読んでいて圧倒されるのは、その美辞麗句を並べた描写。特にシャープールがホスロー王子に初めてシーリーンのことを語る時が凄いです。

「ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。なよやかな姿は白銀の棗の木、その木の頂で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。
この甘き唇の女人ーー棗の実さながらの彼女を思い出すだけで口には甘いつゆが満ちるほど。まばゆく輝く彼女の歯は真珠とも紛うばかり。その鮮かさは真珠貝を遥かに凌駕しますが、この歯をくるみこむ唇は艶やかな紅玉髄の色をしております。
両の捲髪はさながら円を描く輪縄で、それが、人という人の心を惹きつけます。緑なす黒髪は、バラの頬にうちかかり、捲髪から立ち上る芳香に、その水仙の瞳は夢見るように悩ましげ。彼女の眼は魔術師をも邪視をも呪文で封じてしまいましょう。
蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的で、塩は甘くないのに彼女の塩(魅力)は甘美なのです。」

結局のところ、白い肌に黒髪と黒い瞳、三日月眉、薔薇色の頬に形の良い鼻、赤い唇に白い歯といったところなのでしょうけれど、頬は「薔薇」や「林檎」に喩えられ、鼻は「銀の小刀」、「紅玉髄」であったり「ルビー」であったりする唇からは「真珠の歯」が零れ落ちそう、林檎の頤(おとがい)、檸檬の二重顎、といった具合に延々と描写され続けます。しかもこの作品の訳は散文訳なのですが、さすが元は叙事詩と思わせる言葉遊びも盛ん。「爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的(ナマック)で、塩(ナマック)は甘く(シーリーン)ないのに彼女の塩は甘美(シーリーン)なのです」といった具合。しかしこのシーリーン、実際にはなかなかしたたかな女性です。叔母であるアルメニア女王の教えとはいえ、王位がなければ結婚しない、結婚しなければ貞操は守りきると言い切り、そのまま実行するのですから。
結局シーリーンと結ばれるまでに、ホスローはビザンチン帝国の皇女・マルヤムを正妻とし、シャキャル(砂糖の意味)を傍に置くことになります。シーリーンもホスローに当てつけるかのように身分は卑しいながらも気持ちはホスローに負けていないファルハードの恋を煽り、ホスローの嫉妬心を燃え立たせています。それでも大波乱の上、最後には結ばれる2人。一度結婚してしまえば、シーリーンはホスローの愛情深き良き妻・良き理解者となってしまうのですが。
最後にホスローは息子の手によって悲惨な死を迎えることになるのですが、これは若い頃に恋敵だったファルハードを卑劣な手段で死に追いやった報いなのだそう。こういったところに輪廻思想が現れているのには驚きましたが、因果応報という観念は、ペルシャにも通用しているのでしょうか。興味深いです。


「ライラとマジュヌーン」ニザーミー 東洋文庫(2008年2月読了)★★★★

アラブのある豊かな土地を治める高徳を備えた首長に生まれたのは、待望の男の子。両親は彼にありとあらゆる徳が備わるだろうと予見(カイス)して、息子にカイスという名前を授けます。美しく賢く成長したカイスは、名門の子弟が集まる学舎に送り出され、そこでも優秀な成績を収めることに。そんなある日出会ったのは、新しくこの仲間に加わった優しく美しい乙女・ライラ。ライラとカイスはすぐにお互いに愛すようになります。人目に立たない振る舞いを心がける2人。しかし2人のことは次第に噂となり、そんなある日、恋の重荷に打ちひしがれたカイスの心は崩れ去ってしまうのです。それ以来、カイスは「マジュヌーン(狂気)」と呼ばれることに。(「LAILA VA MAJNUN」岡田恵美子訳)

これはアラビアを舞台にした悲恋物語。カイスは8世紀に実在していた人物なのだそうで、この悲恋物語はアラブ各地はもちろんのこと、トルコ、イラン、アフガニスタンなどに伝説や民謡、悲恋物語詩、あるいは神秘主義詩に形を変えて広まったのだそうです。読んでいて気づいたのは、同じニザーミーの作品でも、「ホスローとシーリーン」に比べて美辞麗句がまるで少ないこと。これに関しては、解説に書かれていました。アラブもイランも同じ砂漠の国のように思えますが、セム系のアラブ人は現実的で簡明直裁の理を尊び、それに対してアーリア系のイラン人は、幻想的で繊細な情緒を好むのだそうです。
それにしても、恋に破れて狂気をはらむのならともかく、カイス(マジュヌーン)とライラは両想い。カイスが正気を失ってしまったのは、その恋の重さや激しさを支えきれなくなったからだというのが凄いです。もちろんカイスは両親にようやくできた待望の息子で、大切に育てられていますが、それほど甘やかされているわけではないというのに…。正常な精神が病んでしまうほどの恋。ライラと結婚しさえすれば、果たしてその狂気は収まったのでしょうか? それとももし結婚していたら、念願のライラを手に入れることによって、さらに壊れてしまったのでしょうか? カイスもライラも一生お互いのことを想い続け、結婚したライラは自分の夫に一度も手を触れさせないほど。それほど愛し合っているのに、この物語は本当に悲恋物語と言えるのでしょうか?
結局のところ、イランでは12世紀頃から粗衣粗食に甘んじて俗世への念を絶って忘我の境地に到ろうとする「神秘主義思想(スーフィズム)」が文学に影響を及ぼし始めたそうで、この作品にもその影響が色濃く反映されていると言えそうです。狂気をはらんだマジュヌーンの姿、そしてその砂漠での生活ぶりは、その神秘主義思想を実践しているということになるのでしょう。


「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳 平凡社(2008年1月読了)★★★★

【王書】(フェルドウスィー)…ペルシア神話時代の最後の王に仕えていた英雄サームの子は、その頬は陽とまがう美しさなのに髪は真っ白。世の人々の笑いものになるのがこの上なく恐ろしくなったサームは、子供を遠方に連れさるように命じ、山に置き去りいされた子供は霊鳥スィーモルグに育てられることに。
【ホスローとシーリーン】(ニザーミー)…カスピ海の西岸、アルメリアの地を公正に治める女王の唯一の係累は、姪のシーリーン。「甘美」という名に恥じることない、月をもしのぐ美しさのシーリーンの魅力を噂に聞き、ペルシアの王子ホスローの心はかき乱されます。
【ライラとマジュヌーン】(ニザーミー)…アラブのある地方の優れた首長に男の子が生まれ、あらゆる徳が備わるであろうという予見からカイスと名づけられます。成長したカイスはこの地方の名門豪族の子弟の集まる学校に入り、ライラという月のように美しい少女に恋することに。
【七王妃物語】(ニザーミー)…サーサーン朝ペルシアの王・バハラーム・グールは、ある日ハヴァルナクの宮殿で扉を閉ざした秘密の部屋を見つけます。この部屋は宝物蔵のようで、7つの地方の7人の美女の肖像画と予言が。やがて即位したバハラームは、予言通り7人の美女を妃とします。

4つの物語が、美しいミニアチュールと共に紹介されている本です。
「王書」は、10世紀中頃にイラン北東部の地主の家に生まれたフェルドウスィーが、それまでに残されていたイラン王朝の歴史や伝説、神話を集めてイラン民族の書を著わそうとしたもの。ニザーミーによる3作品は、12世紀に同じくイラン北東部の寒村で生まれたニザーミーが、善悪が強い対比で描かれている「王書」よりももっと艶麗なロマンスをという人々の求めに応じて「ガンジャの錦」とも呼ばれる作品を作り上げたもの。これらの物語には挿絵がつけられ、有名な箇所は絵看板や壁画にまで描かれ、人々に愛されたのだそうです。本来、偶像崇拝を禁じるイスラムの世界では植物主体の装飾文様にしか発展する余地はなかったにも関わらず、イランでは古代からの伝統により、あるいは天性の資質により、公の場以外のところで盛んに描かれたようですが、全能の神を冒涜することのないよう、あらゆるものに遠近法を廃し、陰影をつけないように描かれたのだそう。こういったミニアチュールは元々中国からトルコに伝えられた画法から発展したもののようで、道理でどこか中国の絵を思わせるような平板な絵なのですが、その緻密さはさすがペルシャ。とても装飾的で美しいです。
物語はどれも重要な部分だけの抜粋なので、正直物足りないものも残るのですが、ミニアチュールが美しいですし、これからペルシャの雰囲気を味わってみたいという人にぴったりの1冊です。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.