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このページは、ギータ・メータの本の感想のページです。

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「リバー・スートラ」ランダムハウス講談社文庫(2009年1月読了)★★★★★お気に入り

政府の官僚だった「わたし」は年齢を重ねるにつれて俗世を離れたいと強く思うようになり、妻を亡くした後、ヴィンディーヤ山脈の中腹、ナルマダ河のほとりに建つ政府関係の保養所に管理人として赴任。ナルマダ河はヒンドゥー教徒にとって最も聖なる巡礼地の1つで、シヴァ神の娘として尊敬を集めているのです。「わたし」の住むコテージの石のテラスからは遥か下を滔々と流れるナルマダ河を望むことができ、私は毎日夜明け前に起きだしてテラスに座り、400キロ東のナルマダ河の水源に顔を向け、河を眺めては内省に耽ることに。(「A RIVER SUTRA」亀井よし子訳)

保養所の周りにはうっそうとしたジャングルが広がり、わずか19キロ先のルードラの町を視界から隠しています。隣の尾根の谷の向こうにあるのは、16世紀イスラーム神秘主義の聖人・アミール・ルミの墓に隣接しているムスリムの村。1.5キロもの幅のナルマダ河の向こう岸には目の届く限りの沃野が広がり、ナルマダ河の曲がり目にはマハデオの寺院群が見えます。日没時に石のテラスから寺院群を眺めると、多くの巡礼者たちが茜色の夕空に影絵のように浮かび上がり、黄昏になるとその辺りの水面は小さな炎で揺らぎ始めるのです。そんなインドの雄大な景色が色鮮やかに美しく浮かび上がってくる物語。主人公は、ルードラの町から自転車で通ってくるミスター・チャグラの助けを得てそれほど人の訪れのない保養所を管理し、毎朝石のテラスから河を眺めて瞑想し、その後、ムスリムの村にあるにモスクのムッラー(イスラームの法・教義に深く通じた人に対する尊称)であるタリク・ミアを訪ねてチェスをするのが日課。
その穏やかな日々に侵入してくるのが、主人公の周囲の人々が語る様々な物語。それは、苦行中のシヴァ神から流れ出た汗が美しく官能的な女の姿をとり、あまたの苦行者たちの欲情に火をつけたと言われるナルマダ河そのもののような物語。散歩の途中で出会ったジャイナ僧の語る物語であったり、音楽教師のマスター・モーハンと素晴らしい美声の持ち主の少年の物語であったり、紅茶会社の重役を務める若者の物語であったり、警察さえも恐れるラウール・シンに攫われた娘とその母親の物語であったり。世界で一番素晴らしいヴィーナの弾き手の娘である醜女の物語であったり、全裸の苦行者・ナーガ・バーバと歌う聖者となったウーマの物語であったり。そこには愛の喜びや苦しみ、欲望が渦巻き、そして悟りへの道があります。一度足を踏み出したが最後、ずぶずぶとはまりこんでしまい、なかなか抜け出させてくれないインドですね。そしてこの作品でとても印象に残ったのは、ミスター・チャグラの2つの言葉。「ですが、サー、欲望がなければ生はありませんよ。何もかもが動きを止めてしまいます。無になってしまいます。それどころか死んでしまうのですよ」「何ひとつ失われてはいませんよ、サー。それが河の眺めの美しさというものです」… インドという国の果てしない広がり、奥深い深遠、そしてそういったインドを日々そのまま受け止めている人々の深さを感じさせるスケールの大きい物語でした。

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