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このページは、ラッタウット・ラープチャルーンサップの本の感想のページです。

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「観光」早川書房(2009年3月読了)★★★★★

【ガイジン】…6月はドイツ人、7月はイタリア人、フランス人、イギリス人、アメリカ人、8月は日本人、9月は中国人とオーストラリア人。そして「ぼく」はある女の子に出会っていました。
【カフェ・ラブリーで】…「ぼく」が11歳の頃。父親が死んで4ヶ月経ち、工場からの保険金がなくなってきた頃。「ぼく」は晩に出かけようとする兄に一緒に連れて行ってくれとねだっていました。
【徴兵の日】…気持ちの良い4月の朝。「ぼく」は親友のウィチュと共にワット・クラスム・スア・プラに向かっていました。その寺では年に一度の徴兵抽選会が行われることになっていたのです。
【観光】…「ぼく」は仕事を辞めた母と南行きの列車に乗ってコー・ルクマクへ。夏の終わりに北の職業大学に行くつもりでいる「ぼく」にとって、母と過ごす最後の夏でした。
【プリシラ】…歯医者の父が蓄えた金を溶かして全てプリシラの口に入れたため、全てインゴットでできた歯を持っていたカンボジア人のプリシラ。「ぼく」とドンは難民のプリシラと親しくなります。
【こんなところで死にたくない】…赴任先のタイでタイ人と結婚した息子のジャックについてタイに来た「私」。食事のたびに息子の妻に食事を食べさせてもらうことに苛立っていました。
【闘鶏師】…日曜日の夜に必ず負けた鶏を持ち帰り、何時間も鶏の相手をし、夜は鶏小屋で一緒に寝るようになった父親。そして「わたし」はセックスの夢と首を切られる夢ばかり見ていました。(「SIGHTSEEING」古屋美登里訳)

タイを舞台にした短編集。タイ人作家の作品を読むのは初めてですが、カズオ・イシグロやジュンパ・ラヒリ、チャンネ・リーらと同じように英語で作品を書く作家だったのですね。シカゴに生まれ、タイで育ち、タイの大学とアメリカのコーネル大学で学位を取得後、ミシガン大学大学院のクリエイティブ・ライティング・コースで創作を学んだという作家。
観光客としてタイを訪れたことはあっても、日本で育ったタイ系の知り合いはいても、タイに生まれ育った人々のことを知る機会はあまりありません。彼らにとって訪れている観光客は、一まとめに「観光客」であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもないと思いますし、観光客として訪れた人々の目には現地の人々の生活の実態はなかなか見えてこないもの。そんな風になかなか感じることのできない現地の人々の生活や息遣いが直に伝わってくるような短編集。観光客には見えてこない生活がそこにはあるという当たり前のことを思い出させてくれるような作品群です。
しかし同時に、作者自身がアメリカで教育を受けているだけに、ここに描かれているタイ人たちの生活は一番深く生々しい、汚い部分を綺麗に覆い隠しているような印象もあるのです。現地の人々の生活が見えてくると思っていても、それは実は対外的な澄ましたレベルなのかもしれません。そしてそんなところが欧米でベストセラーになったのではないかとも思ってしまう…。どこか欧米の匂いを感じてしまいます。それでも素晴らしい作品だったとは思うのですが。

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