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このページは、アンドレイ・クルコフの本の感想のページです。

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「ペンギンの憂鬱」新潮クレスト・ブックス(2005年8月読了)★★★★★お気に入り
動物園から譲り受けた皇帝ペンギンのミーシャと共に、キエフに住む売れない作家・ヴィクトル。いつかは長編を書いてみたいものの、今まで一番上手くいったのは短編。しかもショートショート。あまりに短すぎて、その原稿料では到底食べていけない状態です。そんなある日、書き上げたばかりの短編を「首都報知」新聞の編集局に持ち込んだヴィクトルは、にまだ死んでいない人間の追悼記事<十字架>を書く仕事をしないかと誘われます。新聞に載っている人物の中からヴィクトルが適当な人物を選び、その人物について調べて記事を書くのです。名前は出ない代わりに、給料はなかなか良く、満足するヴィクトル。しかしそのうち、自分が追悼記事を書いた人物が次々に亡くなって行くのに気付くことに。(「SMERT’ POSTORONNEGO」沼野恭子訳)

ソ連の崩壊後、独立したウクライナの首都・キエフが舞台。まだまだ政治的には混乱しているようで、外で銃声が鳴り響いたり、地雷を踏んで死ぬ人間がいたりと、明るいとは言いがたい状態。しかしそんな状況に、ユーモラスなペンギンの姿がとても効いているのですね。このペンギンがとにかく可愛いです。体調1m、丁度4歳のソーニャほどの結構大きいペンギンが、主人公が座っているとその膝に身体を押し付けたり、バスタブに冷たい水を入れるとその音を聞きつけてペタペタとやって来て、水がたまるのを待ちきれずにバスタブに飛び込んだりしています。主人公をじっと見つめてみたり、時にはどことなく嬉しそうにしてみたり。勿論ペンギンですから何もしゃべらないのですが、その存在はいかにも雄弁。ペンギンと聞くだけで、あのペタペタと歩くユーモラスな姿が浮かんでくるのが効いているのでしょうね。他の動物ではちょっと出せない味わいです。
しかしそのペンギンは憂鬱症。訳者あとがきにあるクルコフのインタビューによると、ペンギンは集団で行動する動物なので、1羽だけにされると途方に暮れてしまうのだそうです。そしてその姿は、ソ連時代を生きてきた人間にそっくりとのこと。ミーシャは動物園から解放され、人々はソ連から解放されても、最早「自由」に順応できなくなっているのですね。そしてそれは作中でステパン・ピドパールィが言う、「一番いい時はもう経験してしまった」という言葉に繋がります。動物園に囚われていたミーシャ、ソ連に囚われていたウクライナ人。囚われていた時が「一番いい時」だったというのが何ともいえません。そして主人公が孤独でペンギンも孤独、しかし一緒にいるから彼らが孤独じゃなくなるわけではなく、孤独が寄り添っているという辺り、とても分かる気がします。
読みながら村上春樹作品の雰囲気があると思っていたら、クルコフは「羊をめぐる冒険」が好きなのだそうです。ロシアでも村上春樹が人気なのですね。驚きました。

P.4「ヴィクトルは孤独だったけれど、ペンギンのミーシャがそこにさらに孤独を持ち込んだので、今では孤独がふたつ補いあって、友情というより互いを頼りあう感じになっている」
P.249「見慣れたものだって、中身はどうなってるんだかわかったものじゃない。ウクライナのパンだろうと、公衆電話だろうと。何だろうと見慣れたものの表面を剥がすと、目に見えないよそよそしいものが隠れている。」
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