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このページは、アゴタ・クリストフの本の感想のページです。

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「悪童日記」ハヤカワepi文庫(2006年3月読了)★★★★★お気に入り

第二次世界大戦末期。<大きな町>からおかあさんに連れられてやって来た双子の「ぼくら」は、<小さな町>に住むおばあちゃんに預けられることに。おかあさんはおばあちゃんと10年もの間音信不通にしており、「ぼくら」もおばあちゃんと会うのは初めて。しかし<大きな町>は昼も夜も襲撃を受けて、もう食糧も手に入らないのです。おばあちゃんは不潔で臭くて吝嗇。はじめはおばあちゃんに従うことを拒否する「ぼくら」。しかしおばあちゃんは働き者。畑にはあらゆる種類の野菜と果樹の木が植えられており、兎や鶏、豚や山羊を飼い、市場に野菜や果実、卵、兎や若鶏、アヒルを売りに行き、市場から戻ると売れ残った野菜でスープを作り、果実でジャムを作り、1日中働き続けます。1人で黙々と働くおばあちゃんを見るうちに、「ぼくら」はおばあちゃんを助けて働くことを決意することに。(「LE GRAND CAHIER」掘茂樹訳)

<大きな町>はおそらくハンガリーのブタペストのこと。<小さな町>は、ハンガリーのオーストリア国境近くに存在するクーセグという町とのこと。双子の少年はブタペストにいては危険で食糧もないことから、母親に連れられて、初めて会う祖母の家に疎開することになります。その少年たちの日々が日記風に綴られていく作品。
まず双子の少年たちの冷静なまなざしと淡々とした語り口がとても印象に残ります。これは彼らの作文の練習によるものだったのですね。少年たちは生き抜くために、「練習」と称して自分たち自身で自分たちを鍛え、利用できるものは何でも利用しようとします。まず密かな家の改造。家の中のどのドアも開けられる鍵を作り、屋根裏部屋には誰も登れないようにした上で、下の部屋を観察できるように床に穴をいくつかあけます。そして祖母や他の人々から受ける暴力や罵詈雑言に耐えるために、お互いに殴り合いをしたり罵詈雑言を浴びせて痛みを感じなくなることを覚え、乞食や盲人、聾唖者の気持ちを知るために、自ら乞食や盲人、聾唖者となってみるのです。時には断食をしてみることも。顔色一つ変えないで小動物を殺す練習もあります。そして本屋で手に入れたノートや鉛筆、父親の辞書と祖母の聖書で自ら学習もします。しかしそれらは全て彼らにとっては生きていくための方策を学ぶ手段。自分たちの哲学に従って行動しているだけであって、聖書を暗記するほど読んでも、別に信じているわけではありませんし、お祈りもしません。
2人の作文のただ1つのルールは、「真実でなければならない」ということ。感情を定義する言葉の使用を避け、精確さと客観性を重視して、事実の忠実な描写だけに留めることを目的としたという、2人の作文そのままの作品。しかしあくまでも感情を排することによって、そこには戦争が持つ事実が浮かび上がり、それが逆に読者の感情を揺り動かすのでしょうね。読者は下手な同情を許されないまま、強制収容やナチスドイツによるユダヤ人虐殺という戦争での出来事を、そして感情を失ったかのように見える2人が、当たり前のように冷静に行う様々なことを、ありのままに受け止めなければならなくなります。そこにあるのは、静かな迫力。雄弁な文章よりも余程ずっしりと響いてきます。驚きました。
恐ろしいほどの冷徹な視線で物事を眺め、時には悪魔的に狡猾でもあり、暴力的でもある「ぼくら」。しかし時々驚くほど純粋な部分を見せる時もあります。それは、彼らの祖母やユダヤ人の靴屋など、彼らが信じる人間を悪し様に言う人間を見た時。不潔で臭くて吝嗇で、祖父殺しも疑われている「魔女」の祖母に、最初は従わないという態度を見せる2人なのですが、一度信じた人間には忠実ですし、深い愛情を抱きます。「牝犬の子」と呼ばれようと、酷い扱いを受けようと、祖母の生き様から「生き抜く」ことを冷静に学んでいます。ある意味恐ろしいほど老成してしまった少年たちですし、感情をなくしたように見える2人ですが、それはあくまでも練習の賜物だったということが分かります。
ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフ自身、ハンガリー動乱の際に国境を越えて西側へ脱出したという経緯を持ちます。現在はスイスに住んでいるのだそうです。


「ふたりの証拠」ハヤカワepi文庫(2006年3月読了)★★★★★

戦争は終わり、クラウス(CLAUS)は国外に去り、リュカ(LUCAS)は祖母の家に留まります。庭で採れた果物や野菜を市で売り、司祭と食事を共にし、居酒屋でハーモニカを吹くリュカも、もう15歳。相変わらず書籍文具店で鉛筆やノートを買い、いつかクラウスに見せるための文章を書き綴り続けています。そんなある日リュカが拾ったのは、赤ん坊を溺死させようとしていた18歳のヤスミーヌ。その赤ん坊・マティアスは、実の父親との近親相姦の中で生まれたという息子。リュカはヤスミーヌと赤ん坊を家に連れて帰り、3人は一緒に暮らし始めます。(「LA PREUVE」掘茂樹訳)

「悪童日記」の続編。
前作の最後で祖母の家に残ったリュカが主人公となって物語は展開していきます。この作品が始まった時点では15歳のリュカ。「悪童日記」ではどうやら9歳だったようですね。日記調の前作とは異なり、今回は普通の小説のようです。前作で描かれたのは2人の少年の目から見た客観的な事実でしたが、今回は3人称で書かれており、初めて双子の名前も分かることになります。簡潔な文章はそのままですし、そこに感情が含まれていないことも同じなのですが、近親相姦で父親の子供を産んだヤスミーヌ、ホモセクシュアルの党書記・ぺテール・N、夫を無実の罪で失った図書館司書のクララ、妻を殺されて不眠症になった男、アルコール依存症の書店店主など、戦争によって人生を狂わされてしまった人々の哀しみ、そしてそれでも生きていく人々の姿が描かれていくのですね。そして少年についても、前作での悪魔的で、しかし淡々と前向きだった部分はすっかり影を潜め、この作品ではごく普通に人並みの感情を持つ少年。しかし司祭や他の村人たちは、いなくなったクラウスについて何も聞こうとはしませんし、言おうともしないのです。一体そこには何があったのか…。
本当に2人の少年は存在していたのでしょうか。祖父の名前クラウス=リュカを2人に分けたというエピソードは「悪童日記」にもありましたが、リュカ(LUCAS)とクラウス(CLAUS)という名前はアナグラムですし、エピローグに書かれていることは、明らかに文中での出来事とは異なるもの。どこまでが事実で、どこからが虚構なのか、どんどん分からなくなってきています。これで3作目がどのような着地を見せるのか、続編も楽しみです。


「第三の嘘」ハヤカワepi文庫(2006年3月読了)★★★★★

必要な身分証明書を持っていないため、子供の頃の思い出の小さな町で投獄されているリュカ。リュカは毎日のように訪ねてくる書店の女主人に紙と鉛筆を頼み、また書き始めます。そこで書かれているのは、少年時代の大半を過ごしたある病院のこと、空襲の後で小さな町に連れていかれたこと。そして…。(「LE TROISIEME MENSONGE」掘茂樹訳)

「悪童日記」「二人の証拠」に続く作品。3部作の完結編です。
ここに登場するリュカは、既に50歳の初老の男性。しかし前作の最後でこの町に訪れるのはクラウスだったはずなのですが、ここではリュカとされています。そしてリュカはクララに、書き留めているのは本当にあった話ばかりだと語ります。しかし「そんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう、そこで自分は話に変更を加えざるを得ないのだ」というところがポイント。「二人の証拠」で書かれていたぺテールのこともクララもことも、国境線を越えようとした男のことも、ここではまた違う出来事のよう。どれが真実でどれが虚構なのか分からず、前作もそうでしたが、これまで物語の土台だと思っていた部分も容赦なくひっくり返され、さらに混乱させられてしまいます。そもそも双子は実在していたのかすら分からなくなってしまっているのですから。そして読み終えてみると、「悪童日記」の「ぼくら」が無性に痛々しく感じられてしまいました。あの頃の「ぼくら」は、痛みや悲しみといった感情を全て自分から切り捨てて、超越して生きていたように感じられたのですが、最後まで読むと、最初から「ぼくら」は、それぞれに底が知れない悲しみの中に生きていたことがよく分かります。
結局「悪童日記」と「ふたりの証拠」はリュカの願望の物語だったのですね。そして「第三の嘘」もまた、虚構の物語。しかしどこからどこまでが真実で、どこからが虚構かなどということは、この3部作においては瑣末なことなのかもしれません。戦争を潜り抜けてきた人々にとっては、ここに書かれていること全てがそれぞれに真実だったのでしょうから。


「昨日」ハヤカワepi文庫(2006年6月読了)★★★★

「取るに足らないある国」の、「名もない村」で生まれたトビアス・オルヴァ。母・エステルは盗人であり乞食であり、娼婦。母の客で、ただ1人農夫ではなかった男・サンドールは、村の学校の教師で、トビアスに必要な服や教材を揃えてくれます。サンドールの娘、リーヌことカロリーヌは、トビアスのただ1人の友達。しかし12歳の時、成績が最優秀のトビアスを上の学校に進ませようとしたサンドールが母と口論になったことから、トビアスはサンドールが自分の父親であることを知ってしまうのです。トビアスは大きな肉切り庖丁を持って寝室に入ると、眠っている2人を貫くように刺し、その足で国境を越えてゆきます。(「HIER」掘茂樹訳)

「悪童日記」の三部作とはまた違う作品ですが、内容的にはかなり重なる作品。おそらくトビアスの故郷の国は、「悪童日記」に登場するのと同じ国なのでしょう。主人公が徒歩で越境してること、かなり空想的で、その空想を言葉として書き留めている面も、「悪童日記」と共通しています。トビアスは国境を越えてからはサンドール・レステルと名乗り、自分が戦争孤児であると偽って、現実と空想の境目が曖昧な世界で生きています。工場労働者として働きながら、虎や鳥と語り、リーヌという幻の女性を待ち続けているのです。
作中にはいくつもの死が登場しますが、アゴタ・クリストフはその1つ1つに感傷的になることを読者に許さないかのように、淡々と世界を構築していきます。トビアスの待ち焦がれるリーヌも実際に現れるのですが、まるでその場面もトビアスの空想の中の世界のよう。2人は互いに惹かれあいながらも、結ばれることはありません。予想通りのアンハッピー・エンド。それでも互いの愛を失う悲しみよりも、遥かに大きな悲しみが作品全体を覆っているため、単なるアンハッピーという状態には見えないですね。むしろその事実をあるがままに受け止めて生きていく、その2人の姿が印象に残りました。
トビアスの姿は、「悪童日記」の時以上に、作者のアゴタ・クリストフ自身に重なります。自分の母国から追い出され、生活のために敵国の言葉を覚える必要に迫られ、その言葉で文章を書き連ねているという点も同じ。おそらく彼女は同じような主人公、同じような世界をこれからも書き続けるのでしょうね。


「文盲-L'Analphabete アゴタ・クリストフ自伝」白水社(2007年4月読了)★★★★★

自分でも気づかないうちに、ものを読まずにはいられないという不治の病にかかった「わたし」。4歳の頃から手当たり次第、目にとまる物は何でも読んでいました。両親と祖父母、そして兄・ヤノと弟・ティラとの生活。しかしじきに子供たちは寄宿舎学校に入ることになり、やがて「わたし」は、ハンガリーからも命がけで逃れることに。(「L'ANALPHABETE」掘茂樹訳)

祖国ハンガリーを逃れて難民となり、スイスに住みながらフランス語で読み書きするようになったというアゴタ・クリストフの自伝。しかしこれはあくまでも自伝なのですが、まるで物語のようです。訳者あとがきによると、原題も厳密には「自伝」ではなく、「自伝的物語」なのだとのこと。読んでいる感覚としては、まさにあの「悪童日記」を読んだ時と同じ感覚。そして内容としては「昨日」。
タイトルになっている「文盲」とは、敵語であるフランス語を話すことはできても、読むことも書くこともできないという状態。4歳の頃から、文字ならば手当たり次第何でも読んできたという「わたし」が、スイスに亡命した途端、何も読めない状態になってしまったのです。26歳でヌーシャテル大学での夏期講座、外国人学生を対象としたフランス語講座に登録した「わたし」は、筆記テストでまるで点数が取れずに初心者クラスに入れられてしまいます。何回かの授業の後、先生になぜ初心者のクラスにいるのかと訊ねられることになるのですが、その時の「わたし」の答が、「わたしは読むことも、書くこともできません。文盲なんです」というもの。しかしそこで勉強を続けた「わたし」は、やがてフランス語の読み書きができるようになり、じきに作家となることに。
フランス語を選びたくて選んだのではない「わたし」。しかも「わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつある」という事実によって、「わたし」にとっては紛れもなく敵語であり、これからも敵語であり続けるフランス語。それでも読むことのできた喜び、書くことのできた喜びは押さえ切れようもなく、文章から静かに滲み出てくるようです。「わたしは、自分が永久に、フランス語を母語とする作家が書くようにはフランス語を書くようにならないことを承知している。けれども、わたしは自分にできる最高をめざして書いていくつもりだ。」という言葉がずっしりときます。


「どちらでもいい」ハヤカワepi文庫(2008年6月読了)★★★★

主人が事故に遭ったと医者を呼んだ妻。しかし医者がその寝室に入った時、その家の主人は頭に斧がめり込んで、既に死亡していたのです… という「斧」他、全26編。短ければ2ページ、一番長くても19ページ、大抵は4〜5ページというショートショート集。(「C'EST EGAL」掘茂樹訳)

アゴタ・クリストフらしい、余計な装飾を一切そぎ落とした文章による短編集。内容的にはかなりブラックで、救われないものがほとんど。重苦しい空気の中で孤独や絶望感に苛まれつつも、あまりにそういった感情が身近な日常になりすぎてしまって、それを孤独や絶望とは感じていないような印象があります。
1970年代から1990年代前半までのノートや書付けの中に埋もれていた習作のたぐいを編集者が発掘し、1冊に纏めたのだそう。確かにそれぞれの作品の出来栄えにはばらつきがあるように思いますし、全体を通してみても「悪童日記」のインパクトには及びません。しかし、それでもこの短さでこれほどの存在感を発するのかという驚きを感じさせる作品ばかり。むしろ短い作品の方がインパクトが強くて面白く感じられました。

収録作品…「斧」「北部行きの列車」「我が家」「運河」「ある労働者の死」「もう食べたいと思わない」「先生方」「作家」「子供」「家」「わが妹リーヌ、わが兄ラノエ」「どちらでもいい」「郵便受け」「間違い電話」「田園」「街路」「運命の輪」「夜盗」「母親」「ホームディナー」「復讐」「ある町のこと」「製品の売れ行き」「私は思う」「わたしの父」「マティアス、きみは何処にいるのか?」

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