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このページは、ダニロ・キシュの本の感想のページです。

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「死者の百科事典」東京創元社(2009年6月読了)★★★★★

【魔術師シモン】…ナザレ人イエスの死と甦りから17年後。サマリアを縦横に横切り、荒れ野に消えていく埃っぽい道に姿を現したのは魔術師シモンでした。
【死後の栄誉】…1923年頃のハンブルク。マリエッタという娼婦が肺炎で急死し、その野辺送りの時には、邸宅の庭や温室、市営庭園などからあらゆる花が強奪されることになります。
【死者の百科事典】…演劇研究所の招きでスウェーデンに行った時に訪れた王立図書館で見つけたのは、「死者の百科事典」でした。「私」は父の欄を読みふけります。
【眠れる者たちの伝説】…ざらざらして湿った駱駝の毛皮に仰向けに横たわっていた彼ら。毛皮は湿気のせいで傷み始めており、彼らの体が当たって擦れるところは薄くなっていっていました。
【未知を映す鏡】…ジプシーから買った鏡を覗き込んだベルタ。そこに映ったのはぬかるんだ道をゆく馬車と御者台に座った父親のブレナー氏、そして2人の姉のハナとミリアムでした。
【師匠と弟子の話】…前世紀末の神秘の町・プラハ。既に師匠だったベン・ハアスはヨシュア・クロハルという若者に出会い、ハシディムを造り上げようと決心します。
【祖国のために死ぬことは名誉】…4月。死刑執行の日と定められた日の明け方に看守が独房に入っていくと、若きエステルハージ伯爵は朝の祈祷をしていました。
【王と愚者の書】…その犯罪は、40年前にペテルブルグのある新聞に連載されていた記事の中に暗示されていました。
【赤いレーニン切手】…メンデル・オシポビッチの往復書簡はいつの日か発見される可能性があると確信をこめて語った「先生」に宛てた手紙。
【ポスト・スクリプトゥム】…多かれ少なかれ死という形而上的なテーマを扱ったというそれぞれの作品についての解説。 (「ENCIKLOPEDIJA MRTVIH」奥彩子訳)

愛と死をテーマにした幻想的な作品が9編収められた短編集。アンドリッ チ賞受賞作品。
「砂時計」に比べるととても読みやすいですね。この中で気に入ったのは「魔術師シモン」「死後の栄誉」、そして表題作と「祖国のために死ぬことは名誉」。「魔術師シモン」は、キリストの起こす奇跡とシモンの見せる魔術。彼の言葉はキリスト教よりも余程説得力があるのですが、キリストの奇跡に対抗するためには、空を飛び土に埋められなければならないシモン。そしてソフィアの台詞。既に肯定されているキリスト教の教義にこのようにして対抗してみせるというのが面白いです。既に確立されているものに疑問を呈し、その確立された定義を反転させて見せるのは「死後の栄誉」でも同様。娼婦であり、つまり最下層の女性であるはずのマリエッタですが、人々がその告別式に花を持ち込むことによって、彼女はいつしか聖母のような存在となってゆきます。
表題作は、スウェーデンの王立図書館で「死者の百科事典」を見つけて、亡くなった父の項を読みふけるという物語で、これも凄いです。父に関することが全て、その出生から生い立ち、起きた出来事、出会いや交友関係などが正確に細々と書き綴られているのです。それこそ本人しか知らないようなことまで完璧に客観的に記録されています。掲載される条件は、著名人ではないということのみ。その記述を「私」は一晩かけて読んでいきます。それだけなら、ただ追憶に浸る物語となってしまうところなのですが、それが最後に思いがけない方向へ。これもやはり反転と言えるのかもしれません。とても視覚的で圧倒的。
「祖国のために死ぬことは名誉」での彼は、最後まで信じていたのでしょうか、それとも既に諦めていたのでしょうか。「歴史は勝者が書く。伝承は民衆が紡ぎ出す。文学者たちは空想する。確かなのは、死だけである」という言葉がいいですね。歴史と物語、その真偽については既に様々なことが語られていますが、さらに色々なことを夢想できる作品。
「魔術師シモン」は伝説、「死後の栄誉」は回想、「死者の百科事典」は娘が語る父の生涯、「眠れる者たちの伝説」はコーランのような聖典風、「未知を映す鏡」は幻想小説、「師匠と弟子」は文学論、「祖国のために死ぬことは名誉」は歴史書、「王と愚者の諸」は推理小説、「赤いレーニン切手」は書簡、「ポスト・スクリプトゥム」はメタ・テキストと、それぞれに語り口が違うのは、レーモン・クノーの「文体練習」によるところも多いようです。キシュはこの作品を1964年に見事なセルビア語に翻訳しているとのこと。


「砂時計-東欧の想像力1」松籟社(2009年4月読了)★★★★

ランプが1つ灯されただけの薄暗い部屋。隙間風が吹いているのか炎は揺らめき、影もまた揺らめきます。薄闇に目が少し慣れてくると、そこに見えるのは1つのランプ。視線はランプへと向かい、その炎に目が釘付けに。そしてやがて目が光に慣れると、そこに見えるのは天井に渡された3本の長い梁、錆びた黒い鉄板出来た八本脚のレンジ、化粧窓、木の長持ち、横腹の丸い鞄、そしてランプが置かれているテーブル。テーブルに置かれているのは方眼紙の束や二つ折りの新聞紙、2〜3冊の薄汚れた雑誌、金文字が押された黒い本、半分吸いかけのタバコ。そして炎に近づいていく1本の手…。(「PESCANIK」奥彩子訳)

ここに書かれているのは全て、E・Sという男のこと。E・S・にまつわる断片がいくつも集まって出来ている物語。このE・Sというのは、ダニロ・キシュの父親の姓名エドゥアルド・サムに由来するのだそうです。ダニロ・キシュの父親はユダヤ人で母はモンテネグロ人。父は1944年にアウシュヴィッツの強制収用所に送られ、そのまま消息を絶ったとのこと。
物語は「プロローグ」「旅の絵」「ある狂人の覚書」「予審」「証人尋問」という大きな章と数字が打たれた小さな段落によって成り立っており、その大きな章はそれぞれに書き方が変えられています。「旅の絵」は詳細な情景描写。「ある狂人の覚書」は一人称の妄想混じりの手記風。「予審」「証人尋問」は、まさにそのタイトル通りの言葉のやり取り。読みやすい章もあれば、過剰なほど詳細で難解な章もあります。しかし難解であろうがなかろうが、なかなか簡単には実像を掴ませてもらえず、物語の進み方はまさしくプロローグに描かれた部屋のよう。1つの炎が揺らめき、徐々に目が慣れてきさえすればその周囲が徐々に見えてくるのですが…。プロローグでも触れられている「陰画」と「陽画」のような物語なのだろうとは思いつつ、実際読んでいてもそこに書かれていることが何を意味しているのか、それ以前にそこには何が書かれているのかがなかなか掴めずに苦戦してしまいました。しかしこれこそが、文字によって物語を構築していくという行為なのでしょうね。そしてこの文章こそが、この作品を独特な雰囲気にしているのでしょう。
アウシュビッツで消息不明となった父が残したたった1通の手紙を元に、物語の世界が構築されていったのですね。父がいなくなったのは、ダニロ・キシュがまだ9歳の頃。記憶も朧となりエピソードに乏しい父の姿を作り上げるためにダニロ・キシュが使ったのはその想像力。様々な角度に光を当て、様々な情景を描き出していきます。それは必ずしも真実ではないのかもしれません。しかしダニロ・キシュにとってのE・Sがここに確かに存在しています。
この作品は「庭、灰」、「若き日の哀しみ」と共に家族三部作となっているのだそうです。

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