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このページは、トーベ・ヤンソンの本の感想のページです。

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「ムーミン谷の彗星」講談社青い鳥文庫(2009年6月読了)★★★★

ムーミンパパが川に橋を渡し終え、スニフとムーミントロルが森の中に入り込む新しい道を探検して海岸と洞窟を発見した日の晩、ムーミン屋敷にやって来たのは、じゃこうねずみでした。ムーミンパパが橋をかけた時に家の半分がつぶされ、あとの半分は雨に流されたというのです。そして翌日、雨が上がった庭は全てのものがどす黒くなっており、それを見たじゃこうねずみは、じきに彗星が地球にぶつかって、地球は滅びるのだと言い始めます。(「KOMETEN KOMMER」下村隆一訳)

ムーミンシリーズの1作目。
地球に彗星がぶつかるというSF的設定のもとに、ムーミントロールが天文台へと旅をする冒険物語。しかし確かに刻々と近づく地球滅亡の日を待つ物語ではあるのですが、あまりにマイペースなムーミン一家やスニフ、旅の途中で出会うスナフキンたちのおかげで、それほどの緊迫感はありません。これまで終末物はいくつか読んだり観たりしましたし、アメリカのラジオドラマでH.G.ウェルズの「宇宙戦争」が放送された時に起きた騒ぎは凄かったようですが、そういったものとはまるで違います。確かに決して明るくないですし、それどころかそこはかとなく寂寥感が漂っているのですが、暖かくて優しくて、何とも言えないほのぼのとした味わいがあるのですね。
とても印象に残ったのは、新しいズボンを買おうとしたスナフキンの「もちものをふやすというのは、ほんとにおそろしいことですね」という言葉。中盤の「それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。」という言葉、そして終盤、ありったけの持ち物を持って逃げようとする登場人物たちを尻目に、「ぼくのリストは、いつでもできるよ。ハーモニカが、星三つだ」という言葉もスナフキンらしくて、何とも潔くかっこいいです。物を所有するのは悪くないと思うのですが、所有した物に縛られるようになってはいけませんね。


「たのしいムーミン一家」講談社青い鳥文庫(2009年6月読了)★★★

春の朝、冬眠から醒めたムーミントロールは、同じ部屋で寝ていたはずのスナフキンが既に外に出ているのに気づいて、慌てて外へ。外はとてもいい天気で、お日さまが眩しく光っていました。ムーミントロールはスニフを起こすと3人で山を登り始めます。そしてスニフが山の頂上で見つけたのは、真っ黒いシルクハット。スナフキンは自分の緑色の帽子を気に入っていたため、3人はムーミンパパのために家に持って帰ることに。(「TROLLKAARLENS HATT」山室静訳)

ムーミンシリーズの2作目。
11月に冬眠に入り、4月に目覚めたムーミントロールたちがシルクハットを見つけ、いったんはその帽子を捨てるもののまた拾うことになり、6月になった頃にトスフランとビスフラン、そしてモランがムーミン谷にやって来て、8月の末にはスナフキンが旅立ち、シルクハットの持ち主だという飛行おにがやって来るという、ほぼ1年を通してのお話となっています。
今回中心となるのは、不思議な真っ黒いシルクハット。シルクハットはムーミンパパのトレードマークなのかと思っていたのですが、この作品ではたったの1度、それもほんの短い時間かぶるだけなのですね。ムーミンママに帽子をかぶらないない方が「おもみがある」と言われて脱いでいます。引き取り手のなくなった帽子はあっさり紙くずかごになってしまうのですが…
島から帰ってきた後で、なぜあの帽子をまた家に大切に持ち帰ったのかはよく分からなかったのですが、この中に入れた水が木苺のジュースになってしまうという便利さからでしょうか…? 最終的には役に立ったから良かったのですが、他にもいくつか分からない部分が。しかしそれも含めて、1作目に比べるととても無邪気な作品。それが少し物足りなさをも感じさせるのですが、童話らしくなったとも言えそうです。


「ムーミンパパの思い出」講談社青い鳥文庫(2009年6月読了)★★★★

ムーミントロールがまだ小さかった頃。夏の一番暑いさかりに風邪をひいてしまったムーミンパパは、広間のたんすの上に飾っている海泡石の電車に、皆があまりあまり関心を持っていないことに不満を持ちます。それはムーミンパパの青春時代に大きな役割を演じたものなのです。それを聞いたムーミンママは、ムーミンパパに自分のこれまでの一生について書くことを薦めます。風邪を引いて外に出られない今は、思い出の記を書き始めるのにぴったり。しかも物置から大きなノートが1冊出てきたところだったのです。(「MUMINPAPANS MEMOARER」小野寺百合子訳)

ムーミンシリーズの3作目。
ムーミンパパが、若い頃の物語をムーミントロールやスニフ、スナフキンに語り聞かせるという形で物語は進みます。ただ規則に従うことを求められ、様々なことに疑問を持ちながらも何も答えてもらえなかった孤独なムーミンホーム時代。そしてそこからの脱出。そして発明家のフレドリクソンや彼の甥のロッドユール、立ち入り禁止の操舵室に入り込んでいたヨクサルとの出会いと、海のオーケストラ号での冒険。そして若き日のムーミンママとの出会いの場面も。今は良き妻・良き母というイメージの強いムーミンママも、この頃はまるでスノークのお嬢さんのようですね。
ムーミンパパの思い出の記は冒険物語でありながら、同時にとても哲学的です。ムーミンホームを出た後、「この土地はだれのもの?」と聞いてまわるところもとても印象に残ったのですが、一番強く印象に残ったのは、「フレドリクソンとの長い友だちづきあいで、わたしがいつも感心したのは、かれが、人の気持ちをしずめてなっとくさせるのに、なにもとくべつ意味のあることをいったり、むずかしいことばをつかったりしないことでした」という言葉。スナフキンの父親のヨクサルも「有名になるなんて、つまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でも、だんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーラウンドにのるようなものじゃないか」「なにもしないでいるって、いいことだなあ。きみもわかったろう」、フレドリクソンは「ぼくたちは、いちばんたいせつなことしか考えてないんだなあ。きみはなにかになりたがってる。ぼくはなにかをつくりたいし、ぼくのおいは、なにかをほしがっている。それなのによくさるは、ただ生きようとしているんだ」という名言を残しています。
ロッドユールはスニフの父親で、ヨクサルはスナフキンの父親。ミイとその姉、母親のミムラ夫人もここで初登場です。ムーミントロールとスナフキンは「ムーミン谷の彗星」で初対面だったはずなのですが、ここでは小さなムーミントロールと一緒にムーミンパパの話を聞いているのですね。スナフキンとミイの関係についてだけは余計だったような気がしますが、楽しいながらもなかなか奥の深い物語でした。


「ムーミン谷の夏まつり」講談社青い鳥文庫(2009年7月読了)★★★★

近くの小さな島にある山が火を噴出し始め、ムーミン谷の家にも真っ黒なすすが降ってくるようになっていました。乾いた燃えるような空気がすすを沢山漂わせていた、そんなある6月の晩。山が噴火して大きな地震が起こり、それに伴い遠くから海の水が押し寄せてきます。洪水のせいでムーミン谷はすっかり水浸し。朝になるとさらに水かさが増して、ムーミントロールたちも家から避難しなくてはならなくなります。そこに流れてきたのは、ムーミン一家よりももっと人数の多い家族が一緒に乗れるぐらいの大きな家でした。一家は早速その家に引越しをすることに。(「FARLIG MIDSOMMAR」下村隆一訳)

ムーミンシリーズの4作目。今回は洪水です。しかし彗星が地球にぶつかるというあの時まるで動じなかったムーミン一家が、洪水ごときでうろたえるわけもなく。避難というよりも、普通にお引越し。まるでピクニックのような和やかさです。そして皆が劇場に落ち着いた後で、ムーミントロールとスノークのおじょうさんは木の上に置き去りにされるという事件が起きるのですが、はぐれたと分かった最初の時こそ心配して嘆き悲しんでも、「ほんとに、あの子たちのことが、そんなにかなしいのかい」と言われて「いいえ、ちょっとだけよ。だけど、こんなにないてもいい理由があるときには、いちどきにないておくの」と答えるムーミンママ。ひとしきり泣いた後は希望を持つのみ。この前向きな姿勢、やはり只者ではありません。
今回すごかったのはムーミントロールの気障な台詞。「わたしがすごくきれいで、あんたがわたしをさらってしまうというあそびをしない?」というスノークのおじょうさんに対して、ムーミントロールの答えは「きみがすごくきれいだ、なんてことは、あそびにしなくていいんだよ。きみは、いまだって、ちゃんときれいなんだもの。ぼく、たいていきみをさらっちゃうよ。あしただけどさ」というもの。末恐ろしいですね。そしていつも孤高な人生を歩んでいるスナフキンが、公園の「べからず」立て札を片端から引き抜いてやろうと、ニョロニョロの種を蒔いたり、一緒に逃げ出した24人の子供たちの世話をしたりとなかなか楽しい展開です。

P.110「そうかい。たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知ってるってことだよ」


「ムーミン谷の冬」講談社青い鳥文庫(2009年7月読了)★★★★★

ようやく新年を少し過ぎ、海は氷の下で眠り、全ての小さい動物たちは土の奥深くで眠っている頃。顔を照らした月の光にムーミントロールはふと目を覚まし、それきり眠れなくなってしまいます。静かな家の中に急に怖く寂しくなったムーミンは、思わず「ママ、おきてよ」と叫び、ムーミンママの布団を引っ張ります。しかしムーミンママは目を覚ましません。ムーミンママの布団の上で丸まって長い冬の夜を過ごしたムーミンは、朝になると外に出てみることに。スナフキンに会いに南へ行こうと思ったのです。(「TROLLVINTER」山室静訳)

ムーミンシリーズの5作目。シリーズ初の冬の物語です。目を覚ましてしまうのはムーミンとちびのミイ。
冬眠中の11月から4月までの期間というのは、ムーミンたちにとって存在しないも同じ時間。雪国が舞台なのに、ムーミンが雪を見たこともなかったというのが驚きですが、ここに描かれているのは、やはり北欧の冬ですね。夏とはまたまるで雰囲気が違います。死んだように静まり返った雪の世界。夜が明けたとはいっても、半年は夜となる北欧です。白夜の反対の極夜(きょくや)の状態。明るくなるとしても、おそらく1日のうちほんの数時間でしょうし、それもきっと薄闇のモノトーンの世界のはず。月明かりが太陽の代わりとなる今は、家の中も外もムーミントロールが見慣れた光景とはどこか違い、寂寞としたイメージが漂っています。雪は音を吸収するのでしょうから、一層不気味だったのでしょうね。そんな中で、ムーミンとロールが明るい優しい赤い光を見た時のほっとした気持ちがとてもよく伝わってきます。
「ここは、うちの水あび小屋だぜ」と言うムーミンに対して、「あんたのいうとおりかもしれないけど、それがまちがいかもしれなくてよ。そりゃ、夏にはなるほどこの小屋は、あんたのパパのものでしょうさ。でも、冬にはこのおしゃまのものですからね」と返すおしゃまさん。そう言われてしまうと一言もありませんね。確かに冬の世界はムーミンたちのものではないのかも…。よく知っている場所のはずなのに、ここは既に異世界。夏と冬でこれほど世界が変わるというのは、北欧に住む人々にとっては普通なのかもしれませんが、とてもインパクトがありました。
そしてそれだけに、春の到来がとても素敵。まだまだ雪が厚く積もり、氷も厚くはって寒いながらも、やがて水平線にお日さまが最初は糸のように細く顔を出し、それから少しずつ高く上るようになり、やがてムーミン谷にも弱い日ざしが差し込むようになります。そして雪嵐。こうして北欧の人々は春を迎えるのですね。目が覚めたムーミンママの「わかってますよ」という言葉がとても温かいです。「春になって、おめでとう」

P.35「雪って、つめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょ。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね。」
P.150「スリルのあることって、それがもうこわくなくなって、ようやくたのしめるようになったころは、きっと、おしまいになっちゃうんだなあ。ほんとにつまんない。」
P.176「どんなことでも、じぶんで見つけださなきゃいけないものよ。そうして、じぶんひとりで、それをのりこえるんだわ。」

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