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このページは、インド古典作品の本の感想のページです。

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「マハーバーラタ ナラ王物語-ダマヤンティー姫の数奇な生涯」岩波文庫(2008年2月読了)★★★★

プリハドアシュヴァ仙が語り始めたのは、ナラ王とダマヤンティー姫の物語。ニシァダ国のヴィーラセーナ王の御子・ナラ王子は眉目秀麗で逞しく、望ましい美質を全て具えている王子。ヴィダルバ国のビーマ王の珠玉のように麗しく光り輝く娘・ダマヤンティー姫のことを耳にするうちに、ダマヤンティー姫に恋をします。そして後宮近くの森で捕らえた金色のハンサ鳥の助けによって彼女にもナラ王子への恋心を吹き込ませることに成功し、インドラ神、アグニ神、ヴァルナ神、ヤマ神らを差し置いて、ダマヤンティー姫と結婚することに。しかしそれを快く思わなかったカリ魔王は、いまや王となったナラ王の隙を見つけて取り憑き、賽子賭博によって王権も財産も全て失わせてしまうのです。ナラ王に残ったのは、何も言わずに付き従うダマヤンティー妃のみ。しかし未だカリ魔王に取り憑かれていたナラ王は、森の中でダマヤンティー妃を置き去りにして1人去って行ってしまったのです。(「SAVITRI UND NALA, ZWEI EPISODEN AUS DEM MAHABHARATA」鐙淳訳)

古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の中の一節。パーンドゥ5王子が流浪する最初の12年間を伝える第3巻「森林編」に収められているのだそう。カーンヤカの森で王国喪失を嘆く王子たちとドラウパディー妃にブリハドアシュヴァ仙が語ったという物語。しかしここに登場するナラ王は「シァタバタ・ブラーフマナ」に登場するナダ・ナイシァダであり、ニシァダ国の場所もほぼ特定されているのだそう。基本的に英雄詩であるマハーバーラタとは少し趣きが違うところからも、そしてダマヤンティー姫の婿選びの式の場面や、シヴァ神、ヴィシュヌ神が登場していないところからも、マハーバーラタ成立以前、紀元前6世紀頃から存在し、後にこの叙事詩に組み込まれたと考えられているようです。
表向きの主人公はナラ王かもしれませんが、実質の主人公はダマヤンティー姫なのでしょうね。カリ魔王のせいで正気を失っているナラ王に捨てられ、その身に降りかかってくる危険をかわしながらも夫への愛を貫き通し、最後には夫を取り戻す物語。生き生きとしているダマヤンティー姫に比べると、ナラ王はたとえカリ魔王に取り憑かれていたとはいえ、あまり生彩がないようです。言葉で美質を並べ立てるのは簡単ですが、それらの美辞麗句を行動で示してくれないことには、あまり説得力が感じられません。しかしそれこそが、この作品と「マハーバーラタ」とは成立時代が別だということを示しているのでしょうね。


「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ 河出世界文学大系2(2006年10月読了)★★★★

コーサラ王国の都・アヨーディヤーのダシャラタ王の治世は天上のインドラのごとく、国中に平和が満ちていました。しかし王には跡継ぎとなる王子がなかったのです。そしてその頃、天上では諸神が創造の神・ブラフマー神の元で、羅刹ラーヴァナの暴虐ぶりを訴えていました。ブラフマー神は、いかなる神や天仙、半神半人、魔神にも殺されないことになっているラーヴァナも人間によって滅ぼされることはあり得ると言い、それを聞いた神々はヴィシュヌ神にダシャラタ王の王子として転生することを望みます。そしてダシャラタ王に、ラーマ、バラタ、ラクシュマナ、シャトルグナという4人の王子が生まれることに。16歳になったラーマは、賢者ヴィシュヴァーミトラの元で修行し、その後ミシラーのジャナカ王の娘・シータと結婚。しかしラーマが王位を継ぐことになり、それに嫉妬した次男・バラタの母・カイケーイー妃とその召使女・マンタラーの陰謀で、ラーマは14年もの間王国を追放されることになってしまうのです。国を離れるラーマに従うのは、妻のシータと弟のラクシュマナ。しかしそんなある日、シータが魔王・ラーヴァナに攫われてしまい…。(「Ramayana」阿部知二訳)

同じ「ラーマーヤナ」でも、レグルス文庫版とは結構違いますね。レグルス文庫はただの抄訳版かと思っていましたし、確かに全体的にはこちらの方が断然詳しいのですが、少しずつ違っていて驚きました。まず、こちらの本ではヴァールミーキは最初から詩歌にすぐれた聖仙人とされており、レグルス文庫版にあったような、最初は盗賊だったというヴァールミーキが聖人との出会いによって生まれ変わり、厳しい修行をした上で霊感を得て、詩を作るようになるまでのくだりがありません。物語途中にも細かい食い違いがあるようですし、物語の最後も、シータが火によって貞節を証明し、ラーマが王位につくのは同じなのですが、ニュアンスがまた少し違います。それに、こちらには「付・後の巻について」として、シータが大地に飲み込まれる場面や、シータを失ったラーマが王国を治めていくというエピソードまで書かれています。
口承によって伝えられてきた作品なので、伝わり方によって物語自体少しずつ変化しているでしょうし、一概にどれが正しいとは言えないのではないかと思います。違う面があるのは、かえって面白かったです。それでもやはりこちらの版の方が断然詳しいですし、読み応えがあります。そして枠物語であることが前面に出ていたレグルス文庫よりも、もっと純粋に、王子ラーマの物語となっているように思います。


「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ レグルス文庫(2006年9月読了)★★★★

強い力を持ち、頭が10もあるランカの魔王・ラーバナに立ち向かうために、至上の神ビシヌ(ヴィシュヌ)はラーバナ(ラーヴァナ)の奴隷となってしまった神々を人間や猿に転生させることに。南インドのジャングルには、インドラの神の生まれ変わりの猿・バーリ(ヴァーリン)や、風と嵐の神・ババーナ(ヴァーユ)の生まれ変わりである猩々のハニュマーン(ハヌマーン)などが生まれ、他にも多くの神々が猿や猩々の姿に生まれ変わります。一方、ビシヌの神自身は北インドのアヨージャ(アヨーディヤ)に住むダサラタ(ダシャラタ)王の長男・ラーマとして転生。ラーマには母の違う3人の弟、バーラタ、ラクシマナ(ラクシュマナ)、サトルウグナがいました。16歳になったラーマは、賢者ビスバーミトラの元で修行、その後ミシラーのジャナカ王の娘・シータと結婚。しかしラーマが王位を継ぐことになり、それに嫉妬した次男・バーラタの母・カイケイー妃とその召使女の陰謀で、ラーマは14年もの間王国を追放されることになってしまうのです。国を離れるラーマに従うのは、妻のシータと弟のラクシマナ。しかしそんなある日、シータが魔王・ラーバナに攫われてしまい…。(「Ramayana」河田清史訳)

「マハーバーラタ」と並ぶ、インドの2大古典叙事詩。ヴァールミーキの作と言われていますが、実際にはインドに伝わる民間伝承をヴァールミーキが紀元3世紀ごろにまとめたもののようです。子供向けの易しい物語調で書かれているので、かなり物足りなさは残るのですが、それでも「ラーマーヤナ」がどういった物語なのかを知るには手ごろな1冊。東洋文庫の完訳「ラーマーヤナ」は、訳者の方が亡くなって、途中で中断しているようです。
ヒンドゥー教の神話の物語ですが、古くから東南アジアや中国、日本に伝わり、ここに登場する猩々のハニュマーンは、「西遊記」の孫悟空のモデルとなったとも言われているようです。確かにハニュマーンの活躍場面は、孫悟空の無敵の活躍ぶりを彷彿とさせるもの。しかし本来なら、この物語には魔王・ラーバナを倒すという大きな目的があったはずですし、そのためにビシヌ神も転生したはずなのですが、神々が人間や猿に転生した時に神々だった時の記憶を失っているせいか、ラーバナ征伐が偶然の出来事のようにも感じられるのがおかしいですね。ラーバナがシータを攫わなければ、ラーバナとの争いは起こらなかったのでしょうか。ラーバナのランカに攻め込むこともなく、もしくは攻め込むにしてもずいぶん時期がずれていたのでしょうか。気がつけばビシヌ神の物語ではなく、ラーマの英雄譚となってしまっていたようです。そもそも「ラーマーヤナ」という題名は「ラーマの物語」という意味だそうですし(「ヤナ」は鏡のこと)、やはりラーマに格をつけるための、ビシヌ神転生のエピソードだったのでしょうね。ラーマに関してはごく優等生的で、それほど魅力的とも思えないのですが、至上の神であったビシヌでも、人間に転生してしまうと、ただの我侭な人間の男の子になってしまう辺りが面白かったです。


「屍鬼二十五話」ソーマデーヴァ 平凡社東洋文庫(2005年9月読了)★★★★★お気に入り

ゴーダーヴァリー河畔にあるプラティシターナという街の王・トリヴィクラマセーナは、勇気があると名高い王。その王に、クシャーンティシーラという名の修行僧が、毎日1つずつ果実を捧げていました。王はその果実をいつもそのまま宝庫管理官に渡し、宝庫管理官はその果実を窓から宝庫へ。しかし10年経ったある日、王がたまたまペットの子猿に果実を与えると、その果実は2つに割れて中からは値打ちが計り知れないほど高価な宝石が出てきたのです。王が修行僧を問いただすと、修行僧は、呪術を成功させるために勇者が1人必要なのだと答えます。王は協力を約束し、修行僧に指定された日時に大墓地へ。そしてシンシャパー樹にかかっている、屍鬼(ヴェーターラ)憑きの死体を、修行僧の下へと運ぶことになります。しかしその死体は、王が口を開くたびに元の樹の所に戻ってしまうのです。(「VETALAPANCAVIMSATIKA」上村勝彦訳)

「屍鬼二十五話」は、11世紀のインドの詩人・ソーマデーヴァの書いた「カター・サリット・サーガラ」に含まれている物語。「カター・サリット・サーガラ」とは、「物語(カター)の諸川(サリット)が大海(サーガラ)に流れこむ」という意味なのだそうで、その名に相応しく様々な物語が収められています。全ての物語は屍鬼が語るという、インド版千夜一夜物語です。その形式は、王が屍鬼が取り憑いた死体を担ぎ、屍鬼が王に物語を語り、物語の最後の謎掛けに王が答えると、屍鬼が元いた場所に戻ってしまうというもの。
それらの話は、例えば第一話の「烙印をおされた少女」では、狩猟に出た王子が美しい少女を見初め、その少女が自分の名前や住んでいる国などを知らせる暗号を送り、王子の賢い友人がその暗号を解くのですが、後に友人が暗号を解いたことを知った少女は、友人の抜け目なさを恐れて殺そうとするもの。第二話の「娘一人に婿三人」では、3人のバラモンの青年たちが求婚した美しい娘が死んでしまい、彼女を荼毘に付した後、1人の青年は乞食となって、彼女の灰を寝床にして寝るようになり、1人の青年は彼女の骨をガンジス川に投げに行き、1人の青年は修行僧となって諸国を放浪し、死人を蘇らせる呪文を覚えて戻ってきます。そして娘を生き返らせることになるのですが、屍鬼の問いは、3人のうち誰がその夫として認められるかというもの。そんな荒唐無稽にも思える質問に、トリヴィクラマセーナ王は平然と、しかも理論整然と答えていきます。
「屍鬼」と聞くと、どうしても単なる悪霊のように感じられてしまうのですが、そうではないのですね。古代インドでは信仰の対象となっていて、その土着信仰が仏教やシヴァ教に取り入れられたとか。それぞれの物語はごく短いのですが、それぞれに示唆に富み、当時のインドの雰囲気をたっぷりと伝えてくれます。シンプルながらも短編とはかくあるべきという印象。しかも屍鬼の問いは意外と難しく、その問いに対する王の鮮やかな答がとても興味深いです。そして、屍鬼の問いに答えてまた王が死体を取りに戻るという繰り返しが、どのように終わりを告げるのかというのも読みどころです。

収録作品:「烙印をおされた少女」「娘一人に婿三人(一)-彼女の灰を抱いていた男」「男が悪いか女が悪いか」「息子を犠牲にした忠臣」「娘一人に婿三人(二)-ソーマプラバーの場合」「すげかえられた首」「海中都市(一)-阿修羅の娘と結婚した男」「デリケートな兄弟」「王女と四人の求婚者」「三人の男と約束した女」「デリケートな王妃たち」「海中都市(二)-天女を妻にした王」「バラモンを殺したのは誰か」「盗賊を愛した少女」「ムーラデーヴァと性転換の秘薬」「ジームータヴァーハナの捨身」「侮辱された女の復讐」「呪法に失敗した師弟」「三人の父親を持った王」「生贄の少年はなぜ笑ったか」「焦がれ死した女」「ライオンを再生した兄弟」「青年の死体にのうりうつった行者」「父親が娘を、息子が母を妻にした場合」「大団円」
「二日目に彼女を抱くのは誰か」「ムーラデーヴァの計略」「羅刹に怯える都」

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