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このページは、フーケーの本の感想のページです。

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「水妖記(ウンディーネ)」岩波文庫(2006年10月読了)★★★★★
何百年も昔。美しい湖水と深い森に囲まれた場所、年を取った人の好い漁師夫婦が住む家を1人の若い騎士が訪れます。それはドナウ川の源近くに城を持つフントブラント・フォン・リングシュテッテン。彼は森の向こうの天領の町で美しい乙女・ベルタルダと親しくなり、ベルタルダの言うがまま、不思議な生物や妖怪が現れるという噂の森の様子を1人で探りに来て、そのまま漁師の家までたどり着いたのです。フントブラントは漁師夫婦の養女・ウンディーネと恋に落ちて結婚。しかしウンディーネは魂を持たない水妖だったのです。フントブラントを愛し愛されることによって魂を得たウンディーネは、フントブラントに自分が水妖であることを打ち明け、2人は司祭と共に森を抜けて天領の町へと向かうことに。(「UNDINE」柴田治三郎訳)

ドイツでは、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と共に愛読されているという作品。古くから伝わる民間伝承に題材をとったという、美しく幻想的で、そして異類婚礼譚だけにとても悲しい物語。
この物語で一番目を引くのは、魂を持っていなかったウンディーネの、魂を得てからの変わりよう。魂を得る前と得た後のウンディーネは、まるで別人のようです。魂を得る前のウンディーネは、楽しいことにしか興味を持たない、軽くて気まぐれでお行儀の悪い少女。しかし魂が近づくにつれて「居ても立ってもいられないような心配や悲しみが影のように覆いかぶさって来る」と感じ、一旦魂を得てしまってからは、すっかり貞淑で愛情深く、礼儀正しい女性となってしまいます。彼女自身にとって魂を得られたことはとても大きく、たとえフントブラントに一生みじめな思いをさせられたとしても、フントブラントを有難く思うだろうと言っているほど。ここに登場する「魂」とは、日本人にとっての魂と同じものなのでしょうか。ロード・ダンセイニの「妖精族のむすめ」も、魂を望んで人間になる妖精の話。何かを欲しいと願うこと自体、何かを感じること自体、魂を持ってるからこその心の動きのような気がするのですが…。私たちが思う「魂」とは、また何か別物のような気もします。「愛」という言葉で言い換えることができるような…。彼らにとっての「魂」とは一体何なのでしょう。
ウンディーネの叔父で水の精のキューレボルンには、愛の幸せのために涙を流すウンディーネを理解することができず、ウンディーネの言う「愛の喜びと愛の悲しみは、たがいによく似た優しい姿の、親しい姉妹の仲であって、どんな力もそれを割くことができないもの」だなどという言葉は理解の外。しかしフントブラントをひたすら愛し、たとえフントブラントの愛を失っても魂を得たことを後悔しないと言い切るウンディーネの言葉は、その通りなのでしょうね。悲しみながらも、愛する男の幸せを願うウンディーネの姿がとても哀しいです。
フランスの作家・ジャン・ジロドゥーの「オンディーヌ」という三幕の戯曲は、この作品を元に書かれているのだそう。そちらもぜひ読んでみたいです。
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