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このページは、キラン・デサイの本の感想のページです。

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「グアヴァ園は大騒ぎ」新潮クレスト・ブックス(2005年9月読了)★★★

インドのシャーコート村で、ひどい旱魃が続いた後のモンスーンの到来と共に生まれたサンパト・チャウラー。偶然、スウェーデンの救援機が赤十字援助物資を落としていったこともあり、「幸運」という意味のサンパトという名がつけられたのです。しかし20年後、サンパトはすっかり無気力な人間となっていました。父親はサンパトのために郵便局の仕事を見つけてくるのですが、サンパトはその仕事にはうんざり。局長の娘の結婚式でお尻を出して踊り、とうとう首になってしまいます。しかしサンパトは、母親から手渡されたグアヴァの実から啓示を受け、家を抜け出して国有林として保護地区に指定されているグアヴァの木に登ってしまうのです。家族が懇願しても、一向に降りて来ようとしないサンパト。しかしその時、見物人に樹上から話しかけたサンパトを見た父親のミスター・チャウラは、息子を聖人として売り出すことを思いつきます。(「HALLABALOO IN THE GUAVA ORCHARD」村松潔訳)

インドを舞台にしたユーモア小説。
インドでは映画に人気があると聞いていますし、この作品の中にも映画館が登場します。そんなインドの映画を小説に置き換えたら、こういう作品になるのかもしれない、そんな印象の残る作品です。インドの庶民の生活ぶりや街中の喧騒もフルカラーで迫ってくるようですし、息子で金儲けをしてしまおうという抜け目のないミスター・チャウラ、既に正気を失っており、インスピレーションに従って料理をすることに熱中している母親のクルフィ、エキセントリックな愛情表現をする妹・ピンキー、サンパトの郵便局時代の同僚・ミス・ジョツナ、無神論協会からやってきたスパイといった登場人物たちもフルカラー。訳者あとがきによると、インドには実際に樹上に登ってしまった聖者もいるそうですし、それほど荒唐無稽な話ではないらしいのですが、やはりインドという国のイメージも相まって不思議な雰囲気がありますね。
この中では、聖者とされてしまったサンパトが語る教訓的な言葉が面白かったです。一見意味がないくだらない言葉のように見えながらも、考えようによっては深い示唆が感じられる言葉。そしてサンパト自身の静かで平和な樹上の世界と、グアヴァの樹の下で日々繰り広げられる人間の欲望絵図という対照的な部分もいいですね。しかしそれだけに物語中盤が一番面白く、猿の群れが登場した後のドタバタ部分にはあまり魅力を感じませんでした。


「喪失の響き」ハヤカワepiブックス・プラネット(2009年3月読了)★★★★

1986年2月。10歳の時に宇宙飛行士を目指していた両親を失い、母方の祖父に引き取られた少女・サイは17歳になっていました。母方の祖父は農民のカーストの出身にも関わらず勉強して判事となった人物で、今は引退して北ヒマラヤの高地にあるカリンポンにある、カンチェンジュンガを臨む崩れかけた古い屋敷・チョーオユーに愛犬のマットと料理人と共に暮らしています。修道学校をやめたサイは近所に住むオールドミスのノニに勉強を習い、やがてノニが科学と数学を教えきれなくなると、家庭教師・ギヤンに数学を習うことに。そんな暮らしにある日侵入してきたのは、判事の狩猟用のライフルを狙ってやって来たネパール系の少年たち。インド、ブータン、シッキムの境界はこの辺りでは曖昧で、ネパール系インド人たちは自分たちの国または自治州を求めて集団で暴動を起こしていました。(「THE INHERITANCE OF LOSS」谷崎由依訳)

2006年度のブッカー賞、全米批評家協会賞受賞という作品。
ここに描かれているのは、それぞれに孤独な人々。孤独な人々が寄り添って暮らしながら、本質的な孤独から目を背けているという印象です。そもそも判事のジェムバイはそれほど高くないカーストの貧しい家の出身でありながら、頭が良かったためにイギリスのケンブリッジ大学に留学したという人物。イギリスにいた時はイギリスにまるで馴染めなかったにも関わらず、帰国後はまるで自分自身がイギリス人であるかのような自意識を見せ付けています。それは老判事の家の近くに住むローラとノニの姉妹も同様。2人とも経済的に豊かで、ローラの娘はイギリスのBBCのレポーターなのもあってイギリス贔屓。そしてそんな自意識はサイにも受け継がれています。サイはインド人でありながら、インドについてほとんど何も知らない少女。両親と暮らしていたのはロシアですし、インドに戻っても修道院学校に学び、両親が亡くなってからは祖父の家へ。食事の時も手づかみではなくナイフとフォークを使いますし、英国風の紅茶は淹れられてもインド風のチャイの淹れ方は知りません。とてもイギリス的に育てられています。料理人は、先祖代々白人に仕えてきたことを誇りに思っていたため、勤め始めた時はインド人の主人を不満に思っていましたが、今はアメリカに渡った息子が自慢の種。しかしその息子のビジュはアメリカに不法滞在してニューヨークの飲食店を渡り歩き、アジア人やアフリカ人に囲まれる日々。インドが白人によって蹂躙されたことを知りつつも白人に憧れており、同じアジア人に差別感情を抱いていたりします。このように西洋に対して屈折した憧れを抱いているというのは、自分の身の回りにも容易に見つけられること。それだけにとてもリアリティがあります。
それでもそのまま何もなければ何も起きなかったのでしょうけれど、ネパール系インド人たちのゴルカ民族解放戦線の運動に巻き込まれたことが引き金となり、それぞれの不自然さが浮き彫りにされていきます。サイの家庭教師のギヤンはネパール系の貧しい家に育った青年であり、自分にないものを持つサイに惹かれながらも、サイのその西洋的な部分を嫌悪している自分に気づきます。アメリカでビジュが頼って会いに行ったナンドゥがビジュを避け続けたように、自分が生きていくのに精一杯な状況で他人を助けるなどということは実際問題として不可能なことなのに、ビジュを頼りに何人もの人々がアメリカに送り込まれてくるのです。その他にも色々と。
この題名から一番感じられるのは、純粋な「インド」の喪失。インドは厳格なカースト制度に支配された国であり、最初は国内でボタンを掛け違えていただけだったはずなのに、他国の介入によって気づけば国境線は曖昧になり、良くも悪くもインドらしさは失われていき、インドにいるインド人だけでなく、世界中にいるはずのインド人たちがそれぞれに複雑な思いを抱えて生きていくことになっています。今やもうどうすれば解決策が見出せるのか見当もつかない状態。ローラもかつて娘にそう言っています。「インドは沈みゆく船よ。押しつけがましく聞こえたらごめんあさい、かわいい子、ただあなたの幸せを思っているだけなの。でもね、扉は永久に開いていないのよ…」 未来に対する希望も何もないまま物語が終わるのも、綺麗事ではないインドそのままの状況を描いたと言えるのかもしれませんね。

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