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このページは、チャールズ・デ・リントの本の感想のページです。

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「リトル・カントリー」上下 創元推理文庫(2007年2月読了)★★★★★お気に入り

ノーサンブリアン=パイプ(バグパイプの一種)の奏者・ジェーニー・リトルは、マウズルにある祖父・トム・リトルの家の屋根裏部屋で、祖父の旧友で、今は亡き作家のウィリアム・ダンソーンの未発表の小説本を見つけます。そのタイトルは、「リトル・カントリー」。限定発行一部のみという表記のある羊皮紙の本には、祖父に宛てて、この本は絶対に手放してはならない、そして何があろうとも絶対に公表してはならないという手紙がついていました。元々ダンソーンの大ファンだったジェーニーは、屋根裏部屋に座ったまま、その話を読み始めます。それはジョディ・シェパードという18歳の少女が、やもめ女のペドラ・ヘンダーの魔法によって「スモール」変えられてしまうという物語。しかしジェーニーがその本を読み始めたことによって、何かが目覚めたのです。まずその晩、ジェーニーと祖父が一緒にチャーリー・ボイドの家で行われる恒例のセッションに出かけている間、泥棒に盗まれそうになります。丁度ジェーニーを訪ねてきたフェリックス・ギャヴィンのおかげで被害はなかったものの、その泥棒が狙ったのはダンソーン関係の資料のみ。祖父によると、以前その本をダンソーンから預けられた当時も、何人もの人間がダンソーンの遺品を欲しいとやって来たというのですが…。(「THE LITTLE COUNTRY」森下弓子訳)

1992年度世界幻想文学大賞・長編部門の大賞受賞作品。
隠されていた本を見つけた途端、秘密結社が暗躍し始めるこの現実の世界の物語は、ミステリアスなサスペンス風。魔法で小人にされてしまった少女が仲間と一緒に魔女と戦う、作中の物語の世界は、魔女と魔法のファンタジー。この世界が交互に描かれていくのですが、2つの物語のどちらもが面白く、この2つが一体どのように繋がりあっていくのかという興味もあって、ぐいぐいと引き込まれました。コーンウォールという土地もとても魅力的に描かれていますね。読んでいる間はてっきりイギリス出身の作家だと思っていたので、カナダ在住のオランダ人とは驚きました。イギリスに生まれ育ったとしか思えないほど、土着の雰囲気がよく出ています。ただ、肝心の主人公のジェーニーがあまり好きになれなかったのが残念。芸術家は我侭だとも言いますが、これほど癇癪持ちだと周囲も大変でしょうね。その友人のクレアや、悪役のリーナ・グラントの方が余程魅力的に感じられてしまいました。
そしてこの作品で興味深いのは、ジェーニーとその祖父、そしてフェリックスとクレアという4人が読んだ物語が、たとえ同時に文字を追っていたとしても、それぞれに読んでいる物語は違うというところ。ジェーニーの祖父の読んだ物語は海賊の冒険物、フェリックスの読んだ物語には海賊は登場するものの、むしろ恋愛物。クレアの読んだ物語には、どうやらクレアと同じように身体に不自由な箇所がある主人公が登場するようで、物語はその読み手を反映しているようです。作中にはジェーニーの読んだ物語しか載っていないのですが、他の3人の読んだ物語も読みたくなってしまいます。「スモール」と呼ばれる小さな人々のイメージは、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」でしょうか。
ジェーニーが作曲したという曲は、チャールズ・デ・リント自身によって作曲もされているようで、下巻の巻末に譜面が収められています。なんとチャールズ・デ・リント自身、元々ケルト音楽奏者なのだそうです。道理で演奏シーンに臨場感がたっぷりなわけですね。チャーリー・ボイドの農場でのセッションもとても楽しそうだったのですが、ああいった集まりは実際に頻繁に行われているのでしょうか。人それぞれに自分の楽器を持ち寄り、歌ったり演奏したり。音楽に参加できない人は物語をしたり詩を朗読したり。素敵ですね。

下巻P.111「すべての本は、それを読む者ひとりひとりに、ちがう話を語るものだ。ある本をどう受けとめるかは、読むのがだれかによって異なる。よい本というものは、著者の論旨を明確にあらわすだけでなく、読者をも映しだすものだ」


「ジャッキー、巨人を退治する!」創元推理文庫(2009年4月読了)★★★★

ウィルが捨て台詞を残してアパートを去った後。ジャッキーはぼんやりとしたまま長い金髪を自分で切り、不器用にメイクをして、オタワにお酒を飲みに出ます。心が空っぽなまま、日暮れと共に寒さを増した10月の公園を家に向かって歩いていたジャッキー。そこに突然聞こえてきたのは、ハーレーのバイクの轟音でした。ハーレーは1台だけではなく、全部で9台。10〜12歳ぐらいの大きさの少年を追っていたのです。しかしその少年と見えた姿は、実は子供のように小さい男。黒ずくめのライダーから放たれた閃光は小男の杖を砕き、小男を崩れ落ちさせます。ジャッキーは思わず小男に駆け寄るのですが、小男は既に死んでおり、ジャッキーは呆然としたまま転がっていた帽子を拾い上げます。そして目撃者らしき人影を探した後で再びその現場を見た時、そこに残されていたのは砕けた杖の破片のみだったのです。(「JACK, THE GIANT-KILLER」森下弓子訳)

古くから伝わる妖精物語を語りなおして1編の小説にするというシリーズ企画のために書かれた作品。エレン・カシュナーの「吟遊詩人トーマス」も、このシリーズの1作として書かれたものなのだそうです。現代を舞台にしたハイ・ファンタジーを書いてみたいとかねがね思っていたチャールズ・デ・リントが選んだのは、「ジャックと豆の木」「巨人殺しのジャック」、スコットランド民話のちびのジャックの物語などの「ジャック」。勇気だけでなく幸運にも恵まれて難局を切り抜けていく、愚かで同時に賢いジャック。しかしあくまでもジャックが中心とはいえ、「ケイト・クラッカーナッツ」や白鳥になった七人兄弟の物語、ビリー・ブラインド、3人兄弟が冒険に挑戦すると必ず末の弟が成功することや、その他さまざまな民間伝承の素材もこの作品の中には登場しています。
カナダのオタワが舞台で、人間の世界と二重写しのように妖精の世界が存在している、というのがまずいいですね。カナダにも先住の妖精たちがいたのですが、ジャッキーが最初に出会ったダンロビン・フィンの種族は、新大陸に移住する人々と同じ船で移住してきた妖精たち。そして妖精は大きく2つに分かれています。王に忠誠を誓う<祥(さきわ)いの民>と、巨人に仕える<祥(さが)なき民>。存在することを人間に信じてもらえないと健康を保てない<祥いの民>は、どんどんその力を失い、数が減りつつあるのですが、それとは逆に、さまよう死者などのあらゆる恐怖は常に映画や本に描かれ、信じてはいないまでも人々は興味を持ち、恐れています。そのことによって<祥なき民>の力がどんどん増しているというのです。
鉄に弱い妖精も人間社会の近くに住むことによって鉄に耐性をつけていますし、<死の狩人>はハーレー・ダヴィッドソンを乗り回しています。キーがなくとも車のエンジンをかけ、乗り回せる妖精もいます。そんな現代的な妖精とは対照的に、主人公のジャッキーは素朴な19歳の女性。パーティやバーなどの喧騒にはまるで興味がなく、本が好きで家にいるのが大好き。ウェストまである金髪は7歳の頃から切ったことがなく、着ているものはだぶだぶのチェックのシャツに履き心地のいい古びたジーンズという、まるでヒッピーのような姿。人間と妖精、古いものと新しいもの、勇気と弱気といったそのさじ加減が絶妙。ただ、あまりに勇気と幸運頼りになっているのが気になりましたが… ジャックとはそういう役回りだと言われても、ジャッキーの名前が二重に幸運だとしても、どうしても都合が良すぎるという思いは拭えないですね。しかし「リトル・カントリー」ほどではないにせよ、楽しめる作品でした。

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