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このページは、中国古典作品やその研究の本の感想のページです。

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「山海経-中国古代の神話世界」高馬三良訳 平凡社ライブラリー(2006年2月読了)★★★

山海経とは、作者不詳の中国古代の地理書。最も古い部分は戦国時代(紀元前5〜3世紀)に作られ、その後秦・漢時代にかけて内容が付加され、現在の形になったようです。「五蔵山経」「海外経」「海内経」など全18巻。表紙には「想像上の世界を縦横に走る山脈、そこに息づく奇怪な姿の怪力乱神たち。原始山岳信仰に端を発し、無名のひとびとによって語り継がれてきた、中国古代人の壮大な世界観が蘇る」という言葉があります。(高馬三良訳)

中国古代の神話世界ということで、もっと神話の物語が含まれているのかと思っていたのですが、これは神話が中心なのではなく、神話の存在した「世界」が中心となる本でした。洛陽周辺の山々とそこから四方に伸びる山脈、さらにその周囲に存在するとされた国々のことが書かれている、いわば博物誌とでも言えそうなもの。どの山にどのような植物や鉱物が多く、どのような動物がいて、それらにはどのような効用があるかということがひたすら詳細に書かれていきます。
「南山経の首(はじめ)はじゃく(昔+隹)山という。その首を招揺(しょうよう)の山といい、西海のほとりに臨む。桂が多く金・玉が多い。草がある、その状(かたち)は韮の如く、青い花、その名は祝餘。これを食(くら)うと飢えることがない。木がある、その形は穀(こうぞ)の如くで黒い理(きはだ)、その花は四方を照らす、その名は迷穀(めいこく)。これを佩びると(道に)迷わない。獣がいる、その状は禺(さる)の如くで白い耳、伏してあるき人のように走る、その名は(しょうじょう←獣偏に「生」×2)。これを食うとよく走る…」といった具合。(これは南山経の冒頭からの引用)
この引用では、それほど妙な動物は出てきませんが、この後、様々なキメラが登場します。ギリシャ神話のキメラは「ライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾をもち火を吐く怪獣」ですが、それがごく普通の動物に思えてしまいそうなほど奇妙奇天烈な動物たちが登場。思いつく限りの、ありとあらゆる種類の動物が解体され、繋ぎ合わせたようなもので、当然人面のものもあります。しかもこの本は、味のある挿絵付き。
普通に読み流してしまうとうっかり忘れてしまいがちなのですが、これらの説明の1つ1つの裏側には、実は中国各地に伝わっていた伝承や神話などが存在しているのですね。そう考えると、既にかなりの部分が失われている中国の神話がこの「山海経」に、片鱗を見せているということで、神話的に非常に貴重な資料と言えそうです。しかし水木しげるさんの解説を読むまで、こういった動物が妖怪だったとは気づきませんでした…。鳥山石燕の「画図百鬼夜行」にもこの中の動物が入ってるのだそうです。


「列仙伝・神仙伝」劉向・葛洪 平凡社ライブラリー(2006年2月読了)★★★★

楚の王族の血を引く名門に生まれ、前漢皇帝の下で朝廷の蔵書の定本を定めたという劉向(りゅうきょう)(前77〜前6)による「列仙伝」と、自分も実際に仙道を学んだという葛洪(かつこう)(284〜363)による「神仙伝」。(沢田瑞穂訳)

「列仙伝」は上下2巻で、伝説の黄帝の時代の仙人から、漢時代に生きていた仙人まで70人を紹介しています。黄帝自身も中に入っていますし、太公望・呂望や老子、介子推など、歴史的な重要人物も含まれています。「神仙伝」は全10巻。こちらには92人が紹介されています。「列仙伝」と重なっているのは、老子や彭祖の2人だけ。どちらも極めて簡潔に紹介されているのですが、「神仙伝」の方が若干説明文が長いでしょうか。時には王遠(女仙麻姑)のように短い物語のように楽しめるものもあります。
どの仙人もまず食事からなのですね。木の実や薬草を摂り、五穀を絶るというごくごく質素な食生活。もっと霊芝辺りが使われているのかと思っていたのですが、石を服用している人も多くて、粉末にしたり他の薬物と混ぜて液状にしたりして服用するようです。方解石と良く似た五石脂の場合は、青・赤・黄・白・黒色の石の粉末を酢で練ると、脂膏よりも粘り気を生ずるのだそうで、こういう描写も面白いですね。呼吸法を利用したり仙丹を作ったりする人も多い中、房中術によって精気を得る仙人もいます。しかしその房中術が原因で昇仙できない人もおり、人様々。「孔元方」の章では、「素書」を授けられるのは40年に一度、しかも1人にしか授けられないとありますが、気軽に子孫に色々と伝授する仙人もいて、こちらも人様々。
基本的に、子供の頃から品行方正に育ち両親には孝行を尽くし、困った人を助け、その後人格が認められて仙人となり、時の支配者に呼ばれるものの、これを嫌って数年で昇天… というのが定番の流れのようです。特に漢の武帝に見切りをつける仙人は多かったようです。このようなところから武帝の人となりが見えてくるのも面白いところですね。


「遊仙窟」張文成 岩波文庫(2009年2月読了)★★★★

運命の行き詰ったことを嘆きながら、使命を帯びて河源へと向かっていた「わたし」はいつしか道に迷い、古老の言い伝えによれば神仙の棲むという深山幽谷へと迷い込みます。そこで三日の間斎戒沐浴した「わたし」は軽い舟で渓流を遡り、やがて桃の花の咲く谷川に到着。空一面光り輝き、いい匂いのする風が吹くこの地に1つの仙女の住まいがあり、一夜の宿を請った「わたし」は仙女と詩のやりとりをし、食事や音楽を楽しむことに。(今村与志雄訳)

遣唐使によって奈良時代の日本に伝えられ、それからの文学に多くの影響を与えたという唐代伝奇小説。中国では早くに散逸してしまったらしいのですが、日本に残っていたものが中国に逆輸入され、その文学史的意義を初めて認めたのが魯迅なのだそう。この本の巻末には、醍醐寺古鈔本の影印が収録されています。
桃の花が咲く地というだけでも桃源郷らしくなりますが、ここに住んでいるのが「十娘」「五嫂」と呼ばれる仙女たち。「十娘」が17歳で「五嫂」が19歳、2人とも夫を亡くした身の上で、そしてとても人間とは思えない美しさ。主人公は十娘と盛んに詩のやり取りをした上で、ようやく家に招き入れられ、十娘や五嫂に山海の珍味や美しい音楽や舞でもてなされることになります。詩が多く挿入されているというのは今まで読んだ中国の伝奇小説にはなかったので驚きましたが、この優雅なやり取りが奈良・平安時代の貴族に好まれたのでしょうね。そして一夜の夢。いかにも男性が夢みそうな物語です。


「中国の神話」白川静 中公文庫BIBLIO(2005年2月読了)★★★

「神話なき国」とされる中国。断片しか残されていない中国神話の体系的記述を試み、夏や殷といった国々に絡めて神話の成立や消滅を論じた本。

白川氏の専門である漢字、それも殷の甲骨文などを解読しながらの内容はかなり専門的であり、難しいです。一読しただけでは、あまり内容が頭に入らず、自分の知識不足を実感してしまいました。これはもう少し知識を蓄えてから読み直さないと、歯が立ちませんね。それでも伝説の夏王朝や殷王朝をからめての話は、中国古代史好きにとってはかなり興味深いものでした。まず洪水神話があったとして、洪水神として共工、禹、伏羲と女か(女+咼)が存在し、3つの洪水説話が並列して存在したという話などはとても面白いです。これらは元々異なる種族に存在した神話であり、共工はおそらくチベット系とみられる西方の羌、禹はおそらく北方の夏系の神であり、伏羲と女か(女+咼)は南人と呼ばれた苗系の諸族の神。そしてまず至上帝である共工が治水に失敗し、禹が洪水を治めた、もしくは共工が失敗し、伏羲と女か(女+咼)が補修したという説話がそれぞれに伝わっているとのこと。そしてそれが各種族の支配権争いを表しているというのは説得力がありますね。さらに漢字が専門の白川氏のこと、「若」という字は、「若い巫女が、両手を上にあげ、髪をふり乱して、神がかりの状態にあることを示す字」だという解説も興味深かったです。


「論語-ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行 角川ソフィア文庫(2005年2月読了)★★★★

孔子の弟子・顔回を主人公に描いた酒見賢一さんの「陋巷に在り」を読んで、興味を持った孔子についての本。「論語」と言うと小難しい漢文が頭に浮かびますが、これは中学生にも分かるようにと書かれているので、とても読みやすいです。しかし既に「陋巷に在り」で、子由や子貢や子夏といった孔子の弟子たちの造形がかなり出来上がっていたのも大きいかもしれません。
漢文や書き下し文、そしてその文章の訳文もきちんと書かれており、この並び方なら、比較して読みやすいのではないかと思います。あと、この本における「子曰く…」のルビは、「し いわく」であり、「し のたまわく」ではありません。実はそれも私にとっては、重要ポイントでした。


「李白-ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子 角川ソフィア文庫(2008年5月読了)★★★★

酒を飲み、月を愛で、鳥と遊び、放浪の旅を続けた李白。杜甫と並ぶ唐代の詩人であり、「詩聖」と呼ばれる杜甫に対して「詩仙」と呼ばれる李白の詩69編を、李白の生きざまや人となりを交えて解説した本です。これはかなり初心者向けで読みやすいシリーズなのですが、今回の李白に関しては「コンパ」だ の「デート」だのという妙に砕けた訳があり、その辺りには少し馴染めないものを感じてしまいました。やはり中国の漢詩なのですから、ある程度は雰囲気作りも大切と言えるのではないでしょうか。
唐の玄宗皇帝の時代に生き、仙人になりたいという夢を持ちつつ、自らの詩文の才能で世の中に出たいと思い続けていた李白。その夢はなかなか叶うことがなく、しかもようやく叶ったかと思えば、わずか1年で失脚。そういう意味では不遇の人生を送っていたようです。実際に作品を読んでいると、飄々として大らかながらも、その奥には哀愁を感じてしまうような詩が多いように感じられました。そういった部分に、李白の人生が出ているのかもしれませんね。


「老子・荘子-ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫 角川ソフィア文庫(2008年5月読了)★★★★

老荘思想には以前から興味があったので読んでみたのですが、孔子の「論語」の明快さに比べると、特に老子の言葉はあまりに抽象的で、「論語」のようには楽しめなかったです。実際、老子の説く「道」というものは簡単に言葉にできるようなものではないとのことなので、抽象的になるのも致し方ないのでしょうけれど、実際に読んでいても大きすぎ深遠すぎてなかなか響いて来なかったです。それに比べると荘子の言葉はとても具体的。分かりやすい対話形式であったり、たとえ話を使っていたりと分かりやすいのが特徴で、老子に比べると地上の人間に近い印象。老子と荘子という、普段から2人1組のように言われるこの2人なのですが、その考えの深い部分は似ていても、言葉として表れる部分には大きな違いがあるものなのですね。


「陶淵明-ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志 角川ソフィア文庫(2005年2月読了)★★★★

漢文に慣れてない人間にも入りやすいと聞いた陶淵明。「桃源郷」の言葉の語源となっている「桃花源記」も、原文を読んでみたいと思っていたので、初心者向けの本で挑戦してみました。漢文と書き下し文、そして訳文を行ったり来たりするので、この1冊を読み終えるのにかなり時間がかかってしまいましたが、田園詩人と呼ばれる陶淵明の雰囲気はなんとなく掴めたような気がします。山海経を主題にした詩を読んでると山海経が読みたくなりますね。
詩の中に「昭昭」や「ss」という言葉が出てきたのですが、「昭昭」は「月の光が空全体に広がった明るさ」であり、「ss」は「白い月の光が川の水面のさざ波に反射した明るさ」なのだそうです。そういった言葉を知るのも楽しいですね。

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