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このページは、カレル・チャペックの本の感想のページです。

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「園芸家12ヶ月」中公文庫(2005年6月読了)★★★★★

カレル・チャペックの園芸の本。庭作りに始まり、園芸家の1年間を1ヶ月ことにユーモアと風刺たっぷりに描いていきます。(「ZAHRADNIKUV ROK」小松太郎訳)

チャペックはかなりの園芸マニアだったのですね。この本の中のチャペックは明けても暮れても庭のことばかり。雨が降っても風が吹いても、晴れの日が続いても庭のことを考えながら一喜一憂。ここまで庭中心思考になってしまうと偏執狂とも言えますが、逆に突き抜けていて面白いですね。庭いじりに興味のない人間にとっては「たかが園芸」ですが、大好きな人間にとっては「されど園芸」。寒くて何もできない時期から考えることは庭のことばかり。夏になれば夏になったで、避暑に出かけながらも庭のことが気になって仕方なく、留守のことを引き受けてくれた親切な男に毎日のように指示の手紙を出す始末。庭の手入れで背中が痛くなってしまうのに閉口して、無脊椎動物になりたいと言い出すほど。(笑) 花を育てるのは好きでも園芸家という言葉からは程遠い私ですが、チャペックの気持ちは分かります。もう庭には何も植える余地はないというのに、新しくまた苗を買ってしまう気持ちも。しかし私にとっては花が咲くのが一番嬉しいのですが、彼らにとっては土を作ったり虫を追い払ったり、天気のことを気にする方が優先順位が上なのですね。花を鑑賞する暇などまるでありません。
「長い長いお医者さんの話」でしかチャペックを知らなかった私にとっては、これほど園芸を愛し、日々庭いじりをしているチャペックというのは意外でしたが、これほどのマニアぶりは、「ダーシェンカ」や「チャペックの犬と猫のお話」にも通じるところがありますね。ただ、犬や猫は庭を掘り返すこともあると思うのですが、飼い始めた後もその園芸マニアぶりは健在だったのでしょうか。その2冊に庭のことなどほとんど出てこなかっただけに気になります。


「ダーシェンカ」新潮文庫(2005年6月読了)★★★★★

犬の大好きなカレル・チャペックの家に生まれた小さなフォックステリア・ダーシェンカ。チャペックは写真を撮り、スケッチを描き、ダーシェンカ相手に8つのおとぎ話を話して聞かせます。(「DASENKA」伴田良輔訳)

本当に可愛い本です。ダーシェンカに語るおとぎ話は、まるで「長い長いお医者さんの話」のよう。その物語自体もとても可愛いのですし、挿絵がまた可愛いのです。「長い長いお医者さんの話」の挿絵はカレル・チャペックの兄・ヨゼフによるものですが、この本はカレル・チャペック自身が初めて描いた挿絵とのこと。挿絵にも文章にも、ダーシェンカに対する愛情が溢れ出ています。チャペックがお話をしている間にダーシェンカがどこかに行ってしまい、結局お話は完結しないままということもあるというのが、また可笑しいですね。そして「子犬の写真を撮影するには」では、片時も大人しくしていない子犬の写真を撮ることがいかに大変なことか面白可笑しく語られていきます。うちでも犬を飼っていたので、可笑しいやら頷くやでした。ただ、その後ダーシェンカは人に貰われていってしまったようなのです。何があったのかは全く書かれていませんが、これほど愛情を注いでいたからには、いなくなった時の喪失感は相当のものだったのでは… と他人事ながら心配してしまいます。

ダーシェンカのための八つのおとぎ話:「犬の尻尾についてのお話」「テリアが地面をひっかくわけ」「フォックスについて」「アリクについて」「ドーベルマンについて」「グレイハウンド、そしてほかの犬たちについて」「犬の習性」「人間について」
「ダーシェンカ・スケッチブック」「小犬の写真を撮影するには」「ダーシェンカのアルバム」


「ロボット(R.U.R.)」岩波文庫(2007年9月読了)★★★★★

ロッスムのユニバーサル・ロボット工場(R.U.R.)は、人造人間の製造を一手に引き受けている場所。ロボットと呼ばれる人造人間を開発し、人間の労働を肩代わりさせるために世界中に販売しているのです。そんなある日、社長のドミンを訪ねて来たのは、ヘレナ・グローリー。ヘレナは人道連盟を代表して、ロボットたちに過酷な労働を課することをやめ、人を扱うように扱うようにするべきだと言いに来たのです。それに対し、ロボットは自分の意思を持たないため喜びや幸せを感じることは不可能だと諭すドミン。しかしその10年後、自分たちが人間よりも優秀だと知ったロボットたちが人間に反旗を翻して…。(「R.U.R.」千野栄一訳)

カレル・チャペックの名を一躍有名にしたという戯曲。「ロボット」という言葉が生まれたのは、この戯曲からです。チェコ語で「労働」を意味する「robota」から作り出された言葉。しかしここに登場するロボットは、普段我々が目にするような機械を組み立てたようなものではなく、文字通り人造人間といえるようなもの。人間の組織的構造を単純化させて作り出されているものです。見かけは人間とまるで同じ。しかし外見は同じでも、ロボットは人間の持つような魂や心を持っていないのです。
楽園にいるために子孫を作ることのできなくなってしまった人間たち、感情を与えられてしまったために人間に対して反乱を起こすロボットたち、そして存在意義を失う人間たち。ロボットを作り出したそもそもの理由は、人間を労働から解放したいという思い。そしてロボットに感情を与えたのは、軽率かもしれないけれど、紛れもない善意からだったというのがやるせないところ。しかしロボットもまた人間と同じことを繰り返すことに…。ぞくぞくさせられると同時に、最後の結末が何とも言えずに皮肉で面白いです。
そしてチャペックの本を読むたびに感じるのは、古さがまるで感じられないこと。これには本当に毎回驚かされます。紀行文やエッセイはともかくとして、こういった主題の作品まで古びないとは、やはり未来を確実に見据えていたのでしょう。チャペックはやはり凄いですね。


「チャペックの犬と猫のお話」河出文庫(2005年6月読了)★★★★

題名通り、カレル・チャペックの飼い犬、イリスやお転婆なダーシェンカ、そして気まぐれな猫のプドレンカのことなど、犬や猫のことを思い切り語っている本。(「DASENKA A PUDLENKA」石川達夫訳)

「ダーシェンカ」は、この本の一部を抜粋して訳した本だったのですね。「ダーシェンカ」の方が余裕をたっぷりと持った作りですし、写真を多用していて子供向け、訳者が違うこともあり、こちらの方がやや大人向けという印象があります。 それにしてもここまで犬や猫に子供を産ませているというのが驚きです。子供が生まれるたびに周囲の人を脅したり賺したりしながら押し付けているようなのですが、「じきに、みんなが私のことを避けているような気がし始めた」というのが可笑しいですね。そして出産ごとに、アルファベット順の名前をつけていくというのは、犬や猫のブリーダーの間では一般的なのでしょうか。最初の出産の時は「A」から始まる名前、次は「B」で「ベン」「ビヨウ」「ブラッキー」「ビビ」、「C」は「ツェルダ」「ツィトローネク」… ダーシェンカの「D」は4番目の出産というわけです。猫のプドレンカの出産を犬のイリスが羨み、立ち会って一緒に産みたがり、しかしイリスの出産の時はプドレンカは無関心というのも、犬と猫の気質の違いを表しているようで可笑しかったです。


「イギリスだより-カレル・チャペック旅行記コレクション」ちくま文庫(2007年8月読了)★★★★

イギリスで、イングランド銀行やウェストミンスター寺院、歴史的な記念碑的なものをあちこちで見て回ったチャペック。しかしそれはチャペックにとって「イギリス」ではなかったのだそう。チャペックがイギリスのことを考える時に思い浮かぶのは、フォークストンからロンドンに向かう列車の中から見えた、ケントにある一軒の赤い小さな家。その家の片側では老紳士が生垣をはさみで刈り込んでおり、反対側では平坦な道を少女が自転車で走っている… そんな、ほんの一瞬見ただけの情景なのだそうです。そんなチャペックのイギリス紀行。(飯島周編訳)

戯曲「ロボット」によって一躍国際的名声を得たカレル・チャペックは、1924年にロンドンで開かれた国際ペンクラブ大会に招待され、その時ロンドン郊外のウェンブリーで開催中だった大英博覧会の取材も兼ねて、2ヶ月間イギリス旅行を行ったのだそうです。これは旅行中にチャペックが書き、プラハで新聞連載の形で発表されたイギリス紀行が1冊の本にまとまったもの。書かれてから1世紀近く経っている旅行記なのに、まるで古さを感じさせないのがすごいですね。それどころか、自分が英国を訪れた時のことが鮮明に蘇ってくるほど。これはチャペックの筆だけでなく、容易には変化しないイギリス人的気質によるものなのでしょうか。
「あらゆる民族的慣習に特別な共感を持っている」「あらゆる民族的特性を、この世界を極度に豊かにするものと考える」と書くチャペックは、自国の習慣をしっかり維持しているイギリス人にとても好感を持っていたようです。そしてイギリス贔屓のチャペックは、スコットランドが一番気に入っていたのでしょうか。古代ギリシャで極北にあるとされた幸せの国「極北の地(テラ・ヒュペルボレア)」という名称を章題にしていますし、美しさを讃える言葉がとても詩的。そんなイギリスのことを、「イギリスの最大の長所は、その島国性にあります」とチャペックは書いています。これを読むと、同じ島国だけに、もしチャペックが日本を訪れていたらどうだったのだろう… と、つい考えてしまいます。イギリス人が旅行すると「腰をすえたところにはどこにでも、ブリテン島が生じ」ると言われるほどには、自国の慣習に拘らない日本人。むしろ新しく入ってきた風物に柔軟に適応する面があります。そういうところを、チャペックはどう見るのでしょうか。やはり自国の伝統をあまり大切にしていない部分が目についてしまうのでしょうか。しかしこの部分ではイギリス人とはあまり似ていないと思うのですが、この本の中でイギリス人の特性として書かれていることで日本人にも当てはまる部分は、予想以上に多いような気がするのです。イギリス人の島国性は、チャペックにとっては長所でもあり短所でもあり。その愛情の籠った文章を読んでいると、思わずわが身を振り返りたくなってしまいます。


「チェコスロヴァキアだより-カレル・チャペック旅行記コレクション」ちくま文庫(2007年11月読了)★★★★

イギリスやスペインの旅行記も残しているチャペックですが、これは故郷であるチェコスロヴァキアについて書いた本。(飯島周編訳)

チャペックによる旅行記第2弾。これもイギリスやスペインの本と同じように、雑誌や新聞の記事として書かれたものが、後に1冊の本としてまとめられたものです。旅行記というよりも、自国案内と言った方が相応しいかもしれません。チェコスロヴァキアの地名に全く馴染みがない分、イギリスやスペインのものよりも読むのに多少苦労しましたが、他の旅行記同様、全く古さを感じさせないどころか、今でもとても興味深く読めるのが特徴。
この本の中で特に印象に残ったのは、IV「プラハめぐり3 そこで暮らす人々」の「警察の手入れ」の章でした。その前の「聖十字架の丘」「ラファンダ地区」といった章でも、人々の貧しい暮らしにふれているのですが、この「警察の手入れ」の章ではあまりに悲惨な人々の生活ぶりが描かれており、これは衝撃的。部屋を開けた途端に襲ってくる恐ろしい悪臭の波。部屋の中にあるのはぼろの山と驚くほど沢山のごきぶり。そしてそのびっくりするほど汚いぼろの固まりの中には何人もの子供たちが重なり合いながら寝ているというのです。1つの賃貸住宅の各小部屋には、年配の男女と6〜10人の子供たちがいるというのが平均的。部屋によっては、1つの小部屋に2〜3家族が住んでいたりします。貧乏だから子沢山なのか、それとも子沢山だから貧乏なのか。しかし1枚の薄い羽根布団のしたで互いに身体を暖め合うしかない人々にとっては、それは必然的な結末なのかもしれません…。綺麗事を言うのは簡単でも、それは全く状況の改善には繋がらないということはチャペックもよく分かっていて、それでもやはり文章で訴えずにいられない気持ちが伝わってきます。この文章が書かれてから100年近い年月が経っているのですが、今プラハの貧民街はどうなっているのでしょうね。チャペックのようなジャーナリストは、その後も現れたのでしょうか。
しかしもちろん、そんな悲惨な話ばかりではありません。他の章では牧歌的なチェコスロヴァキアの情景が十二分に描かれています。祖国のいいところも悪いところもひっくるめて、カレル・チャペックの暖かいまなざしが感じられる1冊です。


「スペイン旅行記-カレル・チャペック旅行記コレクション」ちくま文庫(2007年8月読了)★★★★

チャペックがスペインを旅したのは、1929年10月のこと。ドイツからフランスのボルドーを経てスペイン入りし、マドリード、トレド、セビーリャ、ヘレス、マラガ、バレンシア、バルセロナなどを回り、スペイン各地で見た多種多様な風景や風物をチャペック自身の絵入りで紹介しています。(飯島周編訳)

「イギリスだより」同様、チャペックがスペインを旅してから1世紀弱。私はスペインには行ったことがないので、今のスペインが当時に比べてどのように変化しているのか分からないのですが、光と影の情熱の国、スペインの魅力がたっぷり詰まった1冊。
スペインらしい闘牛とフラメンコ、そしてスペイン絵画の巨匠ベラスケスやゴヤ、エル・グレコなどについてもたっぷりと書かれているのですが、この中で私が一番惹かれたのは、「スペイン女性の美-マンティーリャス」の章。セビーリャの女性たちを褒め称えた章です。「繊細で、肌はあさ黒く、黒髪で、なめらかに動く黒い目をし」ているセビーリャの女性たち。螺鈿細工の飾り竪櫛で、王冠か光背のように髪を飾ると、色の浅黒いスペイン娘(チキータ)は、背の高い高貴な婦人に変身し、黒や白のレース製のかぶりもの・マンティーリャをその上からかぶれば、女性たちはたちまちのうちに女王様となる… チャペックの挿絵もあるのですが、脳裏に魅力的なスペイン女性たちの姿が思い浮かびますし、そんな飾り竪櫛やマンティーリャの似合うセビーリャ女性、純粋にスペイン女性でありたいと望む彼女たちの思いが本当に羨ましくなってしまいます。重い房飾りのついた大きな薔薇の刺繍のあるショールをかければ、少しはその気分が味わえるのでしょうか。チャペックの目に映ったセビーリャ女性たちは、本当に魅力的だったのでしょうね。スペインに行くことがあれば、ぜひセビーリャも行きたいものです。


「北欧の旅-カレル・チャペック旅行記コレクション」ちくま文庫(2009年4月読了)★★★★

デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、そして再びスウェーデンへ。カレル・チャペックの旅行記コレクションの4冊目。今回もチャペック自身によるイラストが多数収められています。(「CHESTA NA SEVER」飯島周編訳)

イギリス、チェコ、スペインと続いたチャペックの旅行記、今回は北欧です。これは1936年に、妻のオルガとその兄のカレル・シャインプフルークと共に訪れたデンマーク、スウェーデン、ノルウェーという北欧3国を描いたもの。鉄道や船で巡る旅の記録。カレル・チャペックの人々を見つめる優しいまなざしやウィットの利いた描写は相変わらずですし、色々考えさせられます。例えばデンマーク。「ここはちっちゃな国だ、たとえ五百の島全部を寄せ集めたとしても。まるで小さなパンの一片のようだが、その代りに、厚いバターが塗られている。そう、家畜の群、農場、はちきれそうな家畜の乳房、樹冠に埋もれる教会の塔、さわやかなそよ風の中に廻る風車の肩ーー」(P.25)…これほどまでに豊かな自然を描いたその後で、「そう、ここは豊穣の国、バターとミルクの国、平穏と快適の国だ。そう。しかしここでひとつ教えてほしい。なぜこの国は自殺率が世界最高だと言われるのか? それはここが、満ち足りて落ち着いた人たちのための国であるせいではないのか? このうにはおそらく、不幸な人たちには向かないのではないか。彼らはおのれの不運を恥じるあまり、死を選ぶのだろう。」(P.30-31)と来るのです。
都心部でのことも色々と描かれているのですが、ことに興味深かったのは、まだまだ昔からの自然が残っているような場所。そういった場所が本当に沢山あるのですね。北欧神話やサガで親しんだ壮大な自然と共に生きる人々の情景がここにあり、そちらの物語を思い起こしながら興味深く読みました。白夜の描写も美しいですね。「ここには夜はなく、実際に昼もない。ただ朝の時間帯があるだけで、太陽はまだ低く、全体が金色の曙光と銀色の露と、柔らかにはじける早朝の陽光に満ちている。それからすぐに、午後遅くの時間帯が到来し、太陽はすでに低く、金色を帯びた日没の輝きと、赤紫に煙る物憂気な黄昏になる。ただ、始めなき朝が終わりなき夕べに交替するだけで、それらの上に、輝く正午の白く高い雲がかかることは決してない。そして終わりなき金色の夕べは、明るい真夜中に始めなき銀色の朝に溶け込み、再び次の一日となる。極地の一日、大いなる一日、その最初と最後の時間のみによって紡がれる一日だ。」(P.238)

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