アンジェリカに恋するオルランドが、彼女を伴って長い道のりを経てフランスに帰り着いた時、皇帝シャルル・マーニュはオルランドから一旦アンジェリカを召し上げ、バヴァリア公の手に委ねてしまいます。諍いを好まないシャルル・マーニュは、オルランドとその従弟・リナルドが、それぞれアンジェリカに恋の炎を熱く燃やし、互いに鞘当をし始めたのを見て、2人の友誼がひび割れるのを心配したのです。そして異教徒相手の戦さで、2人のうちでより多く異教徒を討ち果たした者に、アンジェリカを与えると約束。しかし異教徒の軍勢に攻め立てられたバヴァリア公が虜囚の憂き目に遭うことになり、アンジェリカは1人馬にまたがって逃げ出します。(「ORLANDO FURIOSO」脇功訳)
第11回ピーコ・デッラ・ミランドラ賞受賞の、イタリアルネッサンス最高傑作と言われる作品。イタロ・カルヴィーノが偏愛しているということで有名な作品でもあります。8世紀末のシャルル・マーニュ率いるキリスト教徒軍とイスラム教徒軍との戦いや、騎士たちの恋や冒険を描いた物語。フランスの叙事詩「ロランの歌」の「ロラン」は、イタリア語で「オルランド」なのだそうです。
訳者まえがきを読んで初めて、15世紀に書かれたボイアルドによる「恋するオルランド」の続編だと知ったのですが、その「恋するオルランド」は作者の死により3巻で未完となっており、それは日本語には翻訳されていないようです。いくら「狂えるオルランド」がそれ自体で独立した傑作とされていようとも、登場人物がほとんど同じであり、明らかに「恋するオルランド」の続編として物語が始まっている以上、「恋するオルランド」のあらすじ程度は独立させて書いておいて欲しかったというのが正直なところ。作中に多少要約されている程度では到底追いつきませんし、訳注に「『恋するオルランド』第○巻第○歌○○節参照」とあっても、参考にすることなどできません。そのため物語になかなか入ることができず、特に1〜2章辺りが非常に読みにくくて困りました。しかしそれでも我慢して読み続けていると、途中から突如として面白くなりました。「まずなによりも、読んで面白い」「少しも読者を退屈させない」という訳者の言葉にも納得。確かに様々なエピソードが様々な場所、ヨーロッパはもちろんのことエチオピアやインド、はたまた月世界で同時に展開していくのですが、決して混乱しておらず、これはむしろ読みやすいと言えるもの。アリオスト自身が書いているように、非常に「大きな綴織り」の作品になっています。しかし相当多くの人物が登場しているので、ただ読んでいるだけだと混乱してしまいがち。登場人物表もない以上、自分でメモを取りながら読むべきかもしれません。
題名は「狂えるオルランド」なのですが、どうやら主人公ではなかったようですね。オルランドの登場率はそれほど高くありませんし、むしろ少ないとも言えるかもしれません。オルランドがアンジェリカというカタイのガルフローネ王の王女に恋をして、その恋が破れたことを知って正気を失い、そしてアストルフォがその正気を取り戻させるという流れはあるのですが、それよりもむしろ、サラセンの騎士(イスラム教徒)のルッジェーロと、見目麗しい乙女でありながら自らも剣を取って戦うブラダマンテの恋が中心となっています。というのもこの2人こそが、アリオストが仕えていたフェッラーラの君主エステ家の始祖となる2人なのです。(なので作中で何度もエステ家の隆盛について延々と語られる場面があり、これに関しては少々退屈) そしてもう1つ中心となっているのが、キリスト教徒とイスラム教徒の戦い。名だたる騎士たちの強さは凄まじいですし、これはまさに一騎当千ですね。トロイア戦争で有名なヘクトルが着けていたという鎧兜や名剣・ドゥリンダーナなどが名脇役となっています。
印象に残ったのは、まず第4歌、スコットランドのギネヴィア姫の場面。豪勇のパラディンの騎士・リナルドがギネヴィア姫を助けることになるのですが、ギネヴィア姫とアリオダンテのエピソードがそのまま悲劇的な物語にならなかったことに、少々意表を突かれました。弟・ルルカーニオと相打ちにでもなれば、聴衆の涙を誘う場面になりそうなところですし、たとえばシェイクスピアならきっとそうしただろうと思えるのに、アリオストはそうはしないのですね。次に第6歌、ルッジェーロが魔女アルチーナに誘惑されて、ブラダマンテのことを忘れ去ってしまう場面。魔法を解いてみると若く美しく見えた魔女が実は醜怪な老婆だった、というのは良くある話ですが、それは本当にアルチーナの罪なのでしょうか。もちろん男性を次から次へと捨てて、しかも変身させてしまうというのは許されることではありませんが…。捨てられてミルトの木に変えられたパラディンの騎士・アストルフォの姿は、「神曲」の地獄篇第7の圏谷で自殺者がひね曲がった樹となっている場面を思い出させますね。そして、あと、9歌でオルランドの助けを借りて難題を乗り越え、とうとう結ばれたビレーノとオリンピア姫。しかしいくらドラマティックな過程を経たからといって、「それから2人はいつまでも幸せに暮らしました」となるとは限らないというのが面白いですね。絶世の美女・アンジェリカが意外な計算高さを見せ、悪女ぶりを発揮し、かと思えば一介の兵士と結ばれるのも楽しいですし、ブラダマンテにとっては、恋しいルッジェーロを監禁しようとする憎い魔法使いアトランテも、裏を返せばルッジェーロの運命を心配している優しい養い親という辺りも良かったです。
この作品自体、ギリシャ神話、ホメーロスの「イーリアス」「オデュッセイア」、ウェルギリウス「アエネーイス」、オヴィディウス「変身物語」、プリニウス「博物誌」、マルコ・ポーロ「東方見聞録」、アーサー王伝説などなど、相当広範囲な、様々な古典文学を下敷きにしている作品なので、それらのモチーフが散見されるのも楽しいですし、比べるのも面白いですね。そしてこの作品は、後にエドマンド・スペンサー「妖精の女王」、イタロ・カルヴィーノ「宿命の交わる城」「不在の騎士」など様々な文学作品に影響を与えています。これから文学作品を読んでいく上でも、大きな意味を持ちそうな1冊です。訳文も荘重で、このような叙事詩作品に相応しいもの。ギュスターヴ・ドレによる挿絵も素晴らしいです。
シャルル・マーニュ…西ローマ帝国皇帝。カール大帝(キリスト教徒)
パヴァリア公ナーモ…シャルル・マーニュの側近。「ロランの歌」ではネーム(キ)
オルランド…アングランテの騎士。「ロランの歌」ではロラン(キ)
リナルド…オルランドの従兄弟。クレールモンのドルドーニュ公アモーネ(エーモン)の子(キ)
ブラダマンテ…リナルドの妹。女丈夫。ルッジェーロと結ばれてエステ家の血筋を生む(キ)
ピナベル…マガンツァ家のアルタリーパのアンセルモの子。(キ)
*マガンツァ家は、リナルドのクレールモン家とは仇敵同士
アンジェリカ…カタイ(中国)王ガラフローネの娘。絶世の美女(コケットリーな愛)
メドーロ…ムーアの兵士
ビレーノ…シェランの公子
オリンピア…オランダ伯の姫(清純な愛)
オベルト…イベルニアの王
イザベラ…ガリシア王の姫(誠実な愛)
ゼルビーノ…スコットランドの王子
ドラリーチェ…グラナダの王女(移り気な愛)
ブランディマルテ…オルランドの親友
フィオルディリージ…ブランディマルテの恋人(誠実な愛)
フィオルディスピーナ…スペイン王の姫(官能的な愛)
リッチャルデット…ブラダマンテの双子の弟
ガブリーナ…既に老婆となった悪女(卑しい穢れた愛)
ルッジェーロ…ルッジェーロとガルチエッラの子。7歳まで魔法使いのアトランテに育てられる(異)
マルフィーザ…ルッジェーロの妹。赤ん坊の時、アラビア人の盗人に攫われる。(異)
アトランテ…魔術師。夭折する運命のルッジェーロを助けようとする
メリッサ…魔女
アルチーナ…淫欲の魔女。悪徳の象徴
モルガーナ…アルチーナと姉妹の魔女。悪徳の象徴
ロジスティッラ…アルチーナやモルガーナの妹の魔女。美徳の象徴
マルシリオ…スペイン王。「ロランの歌」ではマルシル(異教徒)
フェッラウ…ファルシローネ(「ロランの歌」ではファルサロン)の子。マルシリオの甥(異)
アグラマンテ…アフリカ王(異)
ブルネル…アグラマンテの臣下。魔法の指輪をインドの女王から奪い取る(異)
サクリパンテ…チルカッシア(カフカス)の王(異)
グラダッソ…セリカーナの王(異)
ロドモンテ…アルジェとサルツァの王(異)
マンドリカルド…タタール王アグリカーネの子。豪勇と胆力の武者(異)