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このページは、トレヴェニアンの本の感想のページです。

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「バスク、真夏の死」角川文庫(2002年4月読了)★★★★★
1938年8月。ジャン=マルク・モンジャンは、24年ぶりにバスク地方の小さな温泉町・サリーにやってきていました。24年前、モンジャンがロマンティックな若い医師だった頃、彼はこの村にあるドクター・グローの診療所で助手をしていたのです。その夏彼が出会ったのは、美しい双子の姉弟。よく似た容貌をしているのに人に与える印象は全く違う2人は、年老いた学者の父と共に町外れの荒れ果てた屋敷に住んでいました。モンジャンは、双子の弟の方のポールが事故にあったことがきっかけで、その家を訪れるようになります。そして次第に型破りでエキセントリックな魅力を持つ姉・カーチャ・トレビルに惹かれていくことに。しかしポールは、モンジャンが余り姉に近づきすぎないよう、冷やかな態度をとり続けるのです。(「THE SUMMER OF KATYA」町田康子訳)

序盤から中盤にかけては恋愛小説。美しい田園風景に囲まれた小さな田舎町での、純朴なバスクの青年とパリから来た美しい少女のほのぼのとした恋が静かに淡々と綴られていきます。しかし、その純愛をあまり喜んでいないポールという存在から、何かが見え隠れしています。意地の悪いことは言うけれど頭の良いポールが、何を考えているのか、本当は何を言おうとしているのか…。しかしあくまでも前半は静かに進み、いつになったら物語が動くんだろうと思ってしまうほど。そして徐々に明らかになる秘密。それはバスクのアロスの祝祭で一気にクライマックスとなります。さらに、その後訪れる急激なトーンダウン。このラストの部分がなんとも圧巻ですね。これにはもう本当に驚かされるやら圧倒されるやら…。そして読後に残る余韻が素敵です。感情移入とはまた少し違うのですが、なんだか自分がこの作品の中で知らない人物を演じていたような気分になってしまいました。まるで長い夢を見ていたような…。
真夏の話のはずなのに、全く暑苦しくありません。どちらかといえば、からりと明るい風通しの良い木陰にいるようなイメージ。それはカーチャのイメージでもありますね。でもその明るさに影が差した時、心地よい暑さが急にひんやり肌寒い感覚へと…。そういうところが、やはりサイコスリラーと言えるところなのかも。登場人物では、カーチャとポールがやはり一番印象的ですが、グロー医師が意外といい味を出して、話をひきしめていますね。

P.33「私がカッとしたのは、いうまでもなく、彼の批評が正確だったためだ。人はだれしも理解されることを願ってはいるが、自分を見透かされてしまうのは不愉快なものだ」
P.144「あんたの意図がきわめて善良だということはわかっている。あんたには、本当の悪になるために必要な想像力が欠けているからね。」

「シブミ」上下 ハヤカワ文庫NV(2005年2月読了)★★★★
CIAを傘下におさめる母会社(マザー・カンパニイ)の指令で、ミュンヘン・ファイヴと呼ばれる組織の青年2人が殺されます。ミュンヘン・ファイヴとは、ミュンヘン・オリンピックのユダヤ人選手殺害事件に対して、特にパレスチナ・テロリストを捜し出して復讐することを目的とする組織。しか2人の標的に、実際死んだのは9人。CIAは気付いていなかったのですが、その時ローマ国際空港で青年たちの傍にいて虐殺を目撃していたハンナ・スターンもまた、実は組織の人間だったのです。ハンナは同志が殺されるのを見て混乱し、無我夢中でイタリアからバスクへと移動。バスクに住むニコライ・ヘルという男に助けを求めることに。(「SHIBUMI」菊池光訳)

現代のCIA及びその母会社の動きと、太平洋戦争中のニッコことニコライ・ヘルについての物語が平行して語られていきます。ハプスブルク家の血縁でもあるロシアの貴族の母と、ドイツ人の伯爵であった父の血をひくニコライ・ヘル。1930年代の上海に生まれ育ち、戦中から戦後にかけては日本に住み、碁を覚え、しかし師の死と共に碁を捨てることに。
「シブミ」とは「渋み」のこと。この言葉のニュアンスが微妙なのですが、要は「侘び寂び」の世界ということなのでしょうね。トレヴェニアンが何を思って「シブミ」という言葉を選んだのかは分からないのですが、「侘び寂び」といった直接的な言葉でない分、日本人読者にとってもミステリアスな奥行きが感じられて良かったように思います。それにしても、トレヴェニアンの日本に対する理解度は素晴らしいですね。トレヴェニアン自身が、実際にニッコと同じように戦中戦後の日本に住んでいたことがあるとしか思えないほど。特に桜の花に対する情感は日本人そのもの。それだけに「アメリカ文化」によって堕落してしまったという現在の日本文化に対してはとても手厳しいものがあるのですが…。
既読の「バスク、真夏の死」や「夢果つる街」に比べるとやや読みにくく感じられてしまったのですが、終盤には大きな驚きや小さな驚きが待っていて、なかなか読み応えがありました。ただ少し残念だったのは、途中で出てくる「裸-殺」という技についてほとんど描かれていないこと。しかし原注によると、以前危険な登山場面を描いたら、映画化の時に若く優秀な登山家が1人死亡(「アイガー・サンクション」でしょうか)、美術館から絵画を盗む話を描いたら、まさにその方法でミラノの美術館から絵が盗まれた(おそらく「ルー・サクション」なのでしょうね) ということもあったのだそうです。やはりそういう危険性は、常にミステリ・サスペンス系の作品に付きまとうものなのですね。

「夢果つる街」角川文庫(2004年11月読了)★★★★★お気に入り
様々な国からの移民たちが吹き溜まりのように集まってくる街、モントリオールザ・メイン。毎日この街のパトロールを欠かさないラポワント警部補は、この街を知り尽くしており、この街にとって、ラポワント警部補は法律そのもの。そんなザ・メインで、ある日起きた殺人事件。イタリア系移民の男性が、心臓を一突きされて、祈るような格好で路地にうずくまって死んでいたのです。ガスパール部長刑事から大学卒の新人刑事・ガットマンを押し付けられたラポワント警部補は、2人で捜査を始めます。目撃者の証言による手がかりは、浮浪者の「老兵」。それはまた別の手がかりへと繋がり…。(「THE MAIN」北村太郎訳)

第7回日本冒険小説協会大賞受賞作品。
ラポワント警部補は53歳。若い頃、結婚して1年で妻のリュシールを亡くして以来の独身生活。心臓のすぐ近くにある動脈瘤による胸の痛みを感じながらも、日々街を巡回し、時々2人の間にできた姉妹の白昼夢を見ながら暮らしています。テレビも何もない部屋で、ラポワント警部補が休日になると、エミール・ゾラ全集を読み返しながら時間を過ごしているというのが、また何ともイメージを深めてくれます。人間の造形がとても分厚いのですね。そしてこのラポワント警部補の、いわば1人きりで完結していた生活に入り込んでくるのが、相棒となる新人刑事・ガットマンと、売春婦のマリー・ルイーズ。この2人とのやりとりによって、渋いだけのラポワント警部補の魅力に、徐々に温かみが加わっていくのが何ともいえません。
この作品の主人公は確かにラポワント警部補であり、物語は殺人事件の犯人を追うというミステリ仕立て、そしてハードボイルド作品ではあるのですが、それ以上に「ザ・メイン」というこの街が主役となっているように感じられました。ちんぴらや売春婦、浮浪者たち、夢の潰え果てた流れ者たちがうろつく猥雑な街の情景の描写がとても濃やかで、目前に迫ってくるような、リアルな迫力があるのです。おそらくこのミステリ仕立てという枠組みは、この街を描くための1つの手段でしかないのでしょうね。「いぶし銀」という言葉がぴったりの骨太の作品。どこか原ォさんの探偵沢崎シリーズを思い起こさせる雰囲気です。「夢果つる街」という邦題もこの作品にぴったり。素晴らしいです。

「ワイオミングの惨劇」新潮文庫(2006年4月読了)★★★★★
1898年。8年前に準州から州に昇格したワイオミングの刑務所の2階には、“月の実”と呼ばれる重犯罪者がいる重警備獄舎があり、その中には“リーダー”と呼ばれる凶悪犯が収監されていました。数々の犯罪を犯し、終身刑を言い渡されているリーダーは、新米看守・ジョン・ティルマンを殺害し逃亡。一方、その頃、ワイオミングの寂れかけた銀鉱山の麓の町“二十マイル”に、ネブラスカから来たマシュー・ダブチェクという若者が現れます。両親ともに既に失ったというマシューは、父の形見だという大きな銃を抱えた、リンゴ・キッドに傾倒している青年。マシューは、既に15人しか残っていない土地の人々の間に入り込み、低賃金の半端仕事を引き受け、この土地に居座ることに。(「INCIDENT AT TWENTY-MILE」雨沢泰訳)

日本では実に18年ぶりだったというトレヴェニアンの新作。毎回作風を変えるトレヴェニアン、今回は西部劇とのことなのですが、ワイオミングと聞いてもぴんとこない私にとっては、前半はごく普通の山間の村が舞台の物語のようでした。 (ワイオミングには、「カウボーイ州」という俗称があるのだそうです)  途中、スイングドアが登場して初めて、西部劇の映像が出てきた程度。西部劇色は、それほど強くないように思います。
前半部分では、マシューという青年がどうも不安定で掴み難いです。警戒心を持つ人々の間にも持ち前の愛嬌でするりと入り込み、詐欺師のように達者な弁舌で相手を煙に巻いているマシュー。しかしその人懐こい笑顔の奥には、何か得体の知れないものを隠して持っているのです。この微妙に不安定な印象が、後半、この町に“リーダー”と2人の子分たちが現れた時にとても効いているように思います。物語の中ではヒーローの立場でありながら、実際にはあまりヒーローらしくないマシュー。しかも、“リーダー”の騒動が決着した後の後日談にも、かなりのページが割かれています。通常なら冗長に感じてしまいかねない長さだと思うのですが、ここで何ともいえない余韻が感じられるのは、やはりこのマシューの造形によるものなのでしょうね。最初から最後まで憧れのリンゴ・キッドになり切れなかったマシューの悲哀が痛々しいです。
かつての華やぎを失った“二十マイル”に住み続けている15人の造形も良かったです。
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