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このページは、トマス・バーネット・スワンの本の感想のページです。

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「薔薇の荘園」ハヤカワ文庫SF(2007年2月読了)★★★★★

【火の鳥はどこに】…紀元前8世紀。ファウヌス神の後裔で、2つに分かれた蹄と尖った耳を持つファウニ族のシルウァンの回想。シルウァンは生後6ヶ月の時に狼・ロムルスによってファウニ族から連れ去られ、火の鳥・レムスに育てられることになったのです。
【ヴァシチ】…紀元前5世紀のペルシャ。「小さな治療師」ことイアニスコスは、精神と記憶は若者でも、顔と身体は6歳の子供。スサのクセルクセス王に仕えるためにギリシャからペルシャに渡ってきた彼は、子供の生まれない王妃・ヴァシチの幽鬼疑惑、そして追放命令に心を痛めます。
【薔薇の荘園】…13世紀のイギリス。12歳のノルマン人・ジョンは、狩でわざと鹿から矢を外して、大鷹城の城主である父親から罰を受けることに。城に戻りたくなかったジョンは、犬舎にいる親友のサクソン人・スティーヴンのところへ。そこで天使のような少女と出会い、3人はロンドンへと向かうことに。(「THE MANOR OF ROSES AND OTHER STORIES」風見潤訳)

トマス・バーネット・スワンは元々詩人なのだそう。どれも詩人らしい叙情性に満ちた美しい作品となっています。史実を背景にしながら、半人半獣のファウニ(フォーンのようなものでしょうか)や、木の精(ハマドリュアス)、ユニコーン、幽鬼(ジン)、マンドレイクといった神話的な幻想味が加えられており、それが独特の味わいをかもし出しています。
「火の鳥はどこに」は、ローマを建国し初代の王となったロムルスを巡る物語。ロムルスの双子の弟・レムスやメロニアに対するファウニの純粋な愛情がとても印象的ですし、レムスの愛する森の情景にはとても豊かな情感があって素敵です。「ヴァシチ」は、ゾロアスター教の光明神アフラ・マズダと暗黒神アーリマンが基礎となった、光と闇の戦いの物語。ヴァシチとイアニスコスの隠されていた真実には驚かされました。とても光を感じる物語で、3編の中で一番好きです。ゾロアスター教やクセルクセス王についてもっと詳しければ、もっと楽しめたでしょうね。読んだ自分自身の知識のなさが残念。そして「薔薇の荘園」は、少年少女の冒険譚。マンドレイクの物語が妖精の取替え子の物語と繋がるのには驚きましたが、もしマンドレイクが実在するとしたら、とても説得力がありますね。そしてここでも「火の鳥はどこに」同様、兄同然の存在を他の女性に取られてしまうのではないかという少年の複雑な思い、そして人間の愛情はそれほど狭いものではなく、女性を愛すると同時に弟にも愛情を注ぐことがさほど難しいことではないことも描き出しています。いかに幻想的な舞台背景ではあっても、史実の裏側を書いているようでも、そこに描いているのはやはり普遍的な人間そのものなのですね。


「ミノタウロスの森」ハヤカワ文庫FT(2007年2月読了)★★★

1960年、アメリカの探検隊が古代の街・ファエスタスにほど近い洞窟から発掘した銅製の箱に収められていたのは、長大なパピルスの巻物。そこに書かれていたのは、紀元前1500年、ミノア時代の後期、クレタ島の森に樫や杉が生い茂り、“けもの”と自称する民族によって支配されていた頃の世界最古の歴史書と言うべきものでした。クレタ王国のミノス王の弟・アイアコスが、大森林に逃げ込んだ海賊を討伐してクノッソスに帰ってきた時に連れていたのは、耳の先が尖り、光り輝く褐色の髪が緑色がかっている王女・テアとその弟・イカロスだったというのです。テアが16歳、イカロスが15歳の時、2人が暮らすヴァチペトロの宮殿にアカイアの侵略軍がやって来ます。(「DAY OF THE MINOTAUR」風見潤訳)

ギリシャ神話に登場するミノタウロスとは牛頭人身の怪物。ミノス王の妻・パシパエと牛の間に生まれたミノタウロスはダイダロスが作った迷宮(ラビュリュントス)に閉じ込められ、アリアドネの糸によって迷宮に入ったアテネの英雄・テセウスに退治されたというエピソードが有名です。しかしここに登場するミノタウロスのユーノストスは、神話のミノタウロスと同じ牛頭人身の獣でありながら、「気は優しくて力持ち」といった人物。もちろん戦闘時には獰猛果敢になるのですが、ギリシャ神話のミノタウロスのように生贄となった少年少女を食べるなどということはありません。父はミノタウロス、母はドリュアド。パシパエが牛との間に生んだ子供などという設定ではないので、迷宮に閉じ込められることもなく、けものの森に平和に暮らしています。それでも迷宮を作ったという建築家・ダイダロスが同時代に存在しているらしいのが面白いですね。そしてミノタウロスやケンタウロスが元々、人間が生まれる前の時代は、西の海に浮かぶ“祝福されし者の島”に暮らしていたのにも注目。これはギリシャ神話のユートピア伝説の場所ですね。
この作品はトマス・バーネット・スワンの処女長編なのだそう。「薔薇の荘園」の詩的な雰囲気に比べると、こちらはおとぎ話がかった神話といった趣きで、どうしても物足りなさが残ります。それでも幻の獣たちが暮らす森林の情景は魅力的。やはりここから後の作品のあの雰囲気は生まれてきたのでしょうね。
イスラエルの女やエジプトの女、そしてクレタの女たちの違い、自分の国では驚くほど女性に優しくなるというアカイア人の男たち。そういった当時の風俗的な部分が面白かったです。

P.213「男が目を閉じたとたん、尻にさしたナイフを抜きとるイスラエルのやせこけた女たち。スフィンクスやピラミッドの自慢話で、男に自分が粗野な野蛮人であるかのように思わせる、オリーブ色の肌をしたエジプトの女たち。形だけの抵抗をすることでいったん自尊心を満足させれば、あとはいい情婦になる、胸もあらわなクレタの女たち。」


「幻獣の森」ハヤカワ文庫FT(2007年2月読了)★★★

クレタ島の360歳の木の精(ドリュアス)・ゾーイが回想する、ミノタウロスのユーノストスと木の精(ドリュアス)のコーラ、そしてクレタの王子アイアコスの物語。15歳になったユーノストスが以前から好きなのは、ドリュアスのコーラ。思春期を迎えて女遊びはしているものの、ユーノストスはコーラにだけ恋していたのです。そんなある日ユーノストスがコーラに見せたのは、作り上げたばかりの自分の新居。それはコーラも住めるように、大きな樫の木の中に作られていました。そしてユーノストスはコーラにプロポーズ。しかしコーラには、けものの国の向こうにある国を夢みていたのです。コーラの気持ちが自分に向く日を待つつもりのユーノストス。しかしその翌日、ユーノストスのプレゼントへのお返しを買いにケンタウロスの町へと向かったコーラは、パニスキたちに拉致されてしまいます。(「THE FOREST OF FOREVER」風見潤訳)

「ミノタウロスの森」の前日譚。「ミノタウロスの森」で、ユーノストスがテアとイカロスに語った物語は、この「幻獣」の後半の物語。前半は若い日のユーノストスと、ドリュアスのゾーイ、同じくドリュアスでテアとイカロスの母親であるコーラなどが登場するのですが… 既に色々と食い違いがあるようですね。「ミノタウロスの森」では369歳だったゾーイが、こちらでは360歳。9年前の物語ということになるのですが、まだコーラはアイアコスに出会っていません。しかも「ミノタウロスの森」でユーノストスは自分が9歳の時にテアが生まれ、10歳の時にイカロスが生まれたとしているのに、こちらでのユーノストスは15歳。数が合いません。それに「ミノタウロスの森」で語った時は母親を先に亡くしていたようなのに、こちらでは、ユーノストスは両親を落雷によって2人同時に失ったようです。話が食い違っているのは、もしかしてわざとなのでしょうか。ユーノストスがテアとイカロスの母であるコーラにずっと恋をしており、両親にもテアたちに話した以上に生々しく関わっていることを隠そうとしたのでしょうか。…と思ったのですが、著者あとがきによるとそういう意図はないようですね。いずれにせよ、もっと人間の王子とドリュアスの素直な悲恋物かと思っていたのですが、実際にはあまり気持ちのよくない物語でした。まさかコーラが一旦はユーノストスとの結婚を承諾していたとは…。その後の展開でも、コーラの自己中心ぶりが目につきます。恋に恋するコーラの身勝手な物語ですね。しかしドリュアスのゾーイは、「ミノタウロスの森」の時に比べてずっと魅力的でした。彼女は哀しさをも飲み込んで、これからも魅力的であり続けるのでしょうね。
しかし後味があまり良くないながらも、これを読むとその後日譚である「ミノタウロスの森」に対する印象が深まりますね。ユーノストスとテア、そしてイカロスのことが本当に良かったと今更のように思えました。

P.134「エジプト人は過去に生きるものだ。彼らはピラミッドを見て、過去の栄光に思いをはせる。アカイア人は未来に生きる。青銅の車輪のついた二輪戦車を見て、明日の戦いに胸を躍らせる。しかし、クレタ人は現在に生きている。時という静かな水面に浮かぶ青い蓮のようにその場にとどまり、なんの不満を感じることもなく、過去の思い出や未来への期待に心を乱すこともない。」

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