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このページは、チャンネ・リーの本の感想のページです。

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「最後の場所で」新潮クレスト・ブックス(2009年3月読了)★★★★

ニューヨークから北へ50分ほど離れた美しい町・ベドリー・ランに住んでいるフランクリン・ハタ。ハタはアメリカに留まることを決意した日本人。新聞の短い三面記事で新しくできた町のことを知り、どこか惹かれるものを感じて、30年以上前にここに医療用品や医療器具を扱う店を開いたのです。引越し当時は誰も知っている人間がいなかった彼も、誰にでも知られている存在。現在は70歳も過ぎており、既に店は売却しているものの、親しみやすさから敬意を込めて「ドク」「ドク・ハタ」と呼ばれており、そんな町の空気を有難いものとして受け止めてきていました。(「A GESTURE LIFE」高橋茅香子訳)

物語が始まった時はもう仕事を引退して1人暮らしをしているハタ。日々出会う人々との話から、過去のこと、養女のサニーとの生活のこと、一時期親しかった未亡人・メアリー・バーンズのこと、第二次大戦中に医療助手として軍医について任務についていた時のことなどを回想していきます。
この作品のタイトルは「A Gesture Life」で、作品の途中で「体裁」という言葉に「ジェスチャー」というルビが振られています。「生活のぜんぶを体裁と礼儀でつくりあげてる」… 序盤から自分のことを人望のある「親切なドク・ハタ」で、町一番の大きい家ではないもののかなり立派な家に住んでいることを強調するドク・ハタなのですが、やはりこれは「信頼できない語り手」ということなのですね。特に反抗期に入ったサニーがドク・ハタに向ける言葉はとても辛辣。確かにドク・ハタは自分の評判や立場を作り上げ、常にそれを守るために行動していますし、それは彼を一見人格者のように見せながら、実は「自分自身」を持たない人間にしています。しかし在日朝鮮人の子供として生まれ、日本人の養子となり、そしてアメリカでは日系アメリカ人として暮らすことになったドク・ハタにとっては、周囲に溶け込むために体裁と礼儀で自己防衛することが一種の本能になっていたのではないでしょうか。そして誰も傷つけたくないという優しさが優柔不断と紙一重となり、結局周囲の人間を傷つけ、大切な人間を失ってしまうことになるのですね。選択をしないというのも1つの立派な選択なのですから。そして彼の一番の不幸は、それでもドク・ハタが傍目には不幸な人間には決して見えないことだったのかもしれません。失ったものに対して罪の意識を持ち続け、そして常に自分が外部者であることを意識し続け、その最後の場所を失うことを怯えているドク・ハタの姿が切ないです。
チャンネ・リーは韓国人従軍慰安婦のことを全く知らずに育ち、ある時知って、大きな衝撃を受けたのだそう。そして韓国人従軍慰安婦だった女性に長いインタビューをして、最初はその女性を中心とした作品を書こうとし、しかしそれでは真実も深みも全く足りないのに気づいて、このドク・ハタの物語としたのだそうです。確かにドク・ハタの目を通して従軍慰安婦を見ることによって、その問題を生き生きと蘇らせていますし、同時にドク・ハタ自身の認識の甘さも露呈させているのですね。

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