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このページは、ジュンパ・ラヒリの本の感想のページです。

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「停電の夜に」新潮クレスト・ブックス(2005年8月読了)★★★★★お気に入り

【停電の夜に】…死産して以来、お互いを避けるようになったショーバとシュクマール。5夜連続で1時間ずつ停電することになり、ロウソクの光の中で久しぶりに向き合うことに。
【ピルザダさんが食事に来たころ】…1971年の秋、頻繁に家に来ていたピルザダさん。国には妻と7人の娘がいるのですが、大混乱のダッカでは連絡不通となっていました。
【病気の通訳】…平日は病院で患者のグジャラート語を通訳し、金曜と土曜は英語圏の旅行客の通訳兼案内をしているカパーシー。ある日担当したのはダス一家でした。
【本物の門番】…カルカッタの4階建てのアパートの門番の役割をしているブーリ・マーは、インド・パキスタン分離からの苦労話、それ以前の裕福な暮らしの話をします。
【セクシー】…いとこの夫に女ができたと語るラクシュミの話を聞くミランダも、今はベンガル人のデヴと不倫中。デパートの化粧品売り場で声をかけられたのです。
【セン夫人の家】…新しくエリオットのベビーシッターとなったのはセン夫人。エリオットは学校の放課後、母が迎えにくるまでセン夫人の家にいることになります。
【神の恵みの家】…結婚して新居に入ったトウィンクルとサンジーヴ。トウィンクルは家のあちこちからキリスト教の道具類を見つけ出し、マントルピースに飾るのですが…。
【ビビ・ハルダーの治療】…生まれて以来29年間、奇病に病みついていたビビ。前触れもなく、いきなりあられもない狂騒状態となってしまうのです。
【三度目で最後の大陸】… 1964年にインドを離れてイギリスに渡った「私」はロンドン大を卒業するとマサチューセッツ工科大の図書館の正規職員となるためアメリカへ。(「INTERPRETER OF MALADIES」小川高義訳)

2000年度のピュリッツァー賞を始め、O・ヘンリー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、The Best American Short Storiesを2年連続で受賞するなど、アメリカで高い評価を受けているジュンパ・ラヒリのデビュー短編集。ジュンパ・ラヒリ自身はロンドン生まれで現在はニューヨーク在住ですが、両親はカルカッタ出身のベンガル人とのこと。
9編が収められていますが、その全編に共通しているモチーフはインド。インドを舞台にした物語もあり、アメリカに移住したインド人もしくはその子孫の物語が登場する物語もあり、インドの色彩や香りが濃厚に漂ってくるようです。淡々とした語り口は、そっけがないほど無駄がなく、しかし印象的。読後に深い余韻を残します。特に大きな展開もないのに不思議な味わいがあり、癖になってしまいそう。
読んでいると、インドとパキスタン、インドとアメリカ、インドとイギリス… どこかはっきりと立ち位置を決められないような不安定さがつきまといます。インド人である両親とまるで同じに見えながらも、インド人ではなくパキスタン人であるピルザダさん、外見はインド人でありながらも、その中身は完全にアメリカ人となっているインド系の2世たち。そんな彼らの揺らぎが淡々とした文章でありのままに描かれていくのですね。そして中でも表題作「停電の夜に」の、ゲームめかした問答の中でさらりと明かされていく残酷な真実、「病気の通訳」でのカパーシー氏のささやかな夢と現実、そして残ってしまった混乱。「セン夫人の家」でセン夫人が振るう包丁に篭められた思いと、それを見るエリオットの気持ち、「三度目で最後の大陸」で感じられる時の流れが強く印象に残りました。読んでいると、夫婦という限りなく親しい存在のはずの2人も、本当は他人だということを強く感じさせられます。特に「三度目で最後の大陸」で分かるように、アメリカで一般的な恋愛結婚と違い、インドでの結婚はお互いの親に決められたという面が大きく、それでも妻は夫のいるアメリカへと旅立つことになります。周囲に誰1人知った人間のいない孤独、一番身近にいる夫ですらまだまだ未知の存在という生活の中で、夫を信じてついて行くことのできる女性の強さというのも印象的でした。


「その名にちなんで」新潮クレスト・ブックス(2005年8月読了)★★★★★お気に入り

1968年8月のじっとりとした暑さの中で生まれたゴーゴリ・ガングリー。両親は、ゴーゴリが生まれた時はまだマサチューセッツ工科大学の大学院に籍のあった父のアショケと、何も分からないまま、夫のいるアメリカに渡ることになった母のアシマ。アシマの祖母が名前を決めてくれるはずだったのですが、出したはずの郵便は届かず、2人は生まれてきた子の名前に困ってしまいます。しかしそんな時、アショケの頭の中に浮かんできたのは、まだベンガル工科大の学生だったアショケが巻き込まれた列車事故の記憶。瓦礫の中に埋まってしまったアショケを助けてくれたのは、ロシアの文豪ゴーゴリの本だったのです。子供はゴーゴリと名づけられることに。そしてアメリカでの生活にまだ馴れていなかった2人も、アメリカのベンガル人の交流によって徐々にその世界を広げ、ゴーゴリが小学校に上がる年にはニキルという正式名称も付けられます。(「THE NAMESAKE」小川高義訳)

前作「停電の夜に」と同じように、大きな出来事も小さな出来事も分け隔てなくありのままに、あくまでも静かに淡々と語られていきます。文章も現在形がばかりいくつも並んで一見単調なのですが、しかしこれが意外なパワーを秘めているようです。
この中で特に印象に残ったのは、2つの世代間の意識の差。両親の世代にとってはアメリカは生活の場ではあっても、あくまでも異国であり、本当の故郷はインドでしかあり得ないのですが、子供たちの世代にとっては、インドは既に異国。アメリカこそが故郷なのです。しかしそのどちらの国からも、彼らが本質的な意味で受け入れられることは最早ありません。アメリカにいてもその容貌からインド人だということがすぐに分かりますし、一度インドを出てしまった彼らにとって、インド人の容貌を持ってはいても、再び溶け込もうとすることは意外と困難なこと。しかも両親が大切にしているインドの親戚や家族、そして民族的風習も、子供たちにとっては価値観の相違であり、反発の種であるだけ。もちろんどのような国のどのような親子にもそういった世代のギャップは存在すると思いますが、アメリカとインドというまるで違う国を背負う彼らの姿は、殊さらに対照的となっているように思います。
主人公はあくまでもゴーゴリ。彼が自分の名前を通して自分自身とそのアイデンティティについて考えていく物語。しかし主人公はゴーゴリでありながらも、その両親、アショケとアシマ、そして妹のソニアことソナリ、ゴーゴリの人生に深く関わってくるモウシュミまでが丹念に描かれ、まるで大河小説を読んでいるような印象の作品でした。


「見知らぬ場所」新潮クレスト・ブックス(2009年1月読了)★★★★★お気に入り

第一部
【見知らぬ場所】
…母が突然亡くなり、父は永年勤めた製薬会社を辞めて、ヨーロッパを旅してまわることに。そしてその旅の合間にルーマがアダムとアカーシュと暮らす家にやってきます。
【地獄/天国】…父の本当の弟でもないのに、いつの間にか叔父さんとして家に出入りしていたプラナープ・チャクラボーティ。母もウーシャもプラナープ叔父さんが来るのを心待ちにしていました。
【今夜の泊まり】…旧友・パムの結婚式のために、ラングフォード・アカデミーを18年ぶりに訪れたアミットとその妻・メイガン。娘たちはメイガンの実家に預け、久々の夫婦水入らずの旅でした。
【よいところだけ】…弟のラフールに酒やコーヒーの味を教えたのは姉のスーダ。ペンシルベニア大学に来た弟に飲ませ、休暇で家に戻るたびに、ビールを半ダース隠しておくのが習慣となったのです。
【関係ないこと】…よく知らない男たちから結婚したいという電話がかかってくるサング。才色兼備のベンガル系、30歳で独身ということで、サングの両親も娘を結婚させたがっていたのです。
第二部「ヘーマとカウシク」
【一生に一度】
…アメリカを一旦引き上げてインドに戻ったカウシクの一家が再度アメリカへ。またしてもマサチューセッツに住むとのことで、しばらくヘーマの家に滞在することになります。
【年の暮れ】…カウシクがスワースモア大学の4年生の時に父が再婚。相手は英語よりもベンガル語の方が上手いチトラという女性。死別した夫との間に10歳と7歳の娘がいるといいます。
【陸地へ】…37歳になったヘーマ。ずっとお見合いを断り続けていたのですが、ナヴィーンという男性と結婚することになります。そして単身ローマへ。(「UNACCUSTOMED EARTH」小川高義訳)

フランク・オコナー賞を受賞したという、ジュンパ・ラヒリの3作目。
ほとんどの物語の主人公がベンガル人。インドのコルカタを先祖の地として持ち、しかし今はアメリカに住む人々。インドからアメリカにやって来たのは両親の世代なので、第二世代の彼らの育ち、そして時には生まれもアメリカです。本を読んでいる限りでは、アメリカの白人と全く同じような生活を送る彼ら。しかもこの本に描かれているのはごく普通の家庭にあり得る物語ばかりなのです。たまたま主人公がインドにルーツを持つ人々だったというだけに過ぎません。前の2編を読んだ時は「インド」という言葉が頭を離れることはなかったのに、今回はふとした拍子にインドの人々だということを忘れてしまうほど。ふとした拍子に、そうだインドの人々だったのだ、と思い出して驚かされることになりました。そして「その名にちなんで」を読んだ時には、第一世代と第二世代の意識の違いに驚かされ、インドでもアメリカでも彼らが本質的に受け入れられることはないのだと強く感じさせられたのですが、この本では既にそうではないのですね。肌の色が違っていても、彼らは既にアメリカという土地にしっかりと根付いています。時の流れを感じさせられますね。そして時といえば、第2部はヘーマとカウシクの年月を追った連作。付かず離れずの、しかし静かに相手に心を残していることが分かる彼らの姿が切なくて哀しくて仕方ありません。
本を開いたところに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンの「ラヒリが造形する人物には、作家の指紋が残らない。作家は人物の動きに立ち会っているだけのようだ。人物はまったく自然に成長する」とあるのですが、まさにこの言葉通りのものを感じました。ジュンパ・ラヒリはやはりすごいですね。まさに彼女独自の世界です。

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