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このページは、フェイ・ケラーマンの本の感想のページです。

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「水の戒律」創元推理文庫(2003年1月読了)★★★★★お気に入り
夏の夜、ユダヤ教の新学校イェシヴァを中心にした敬虔なユダヤ人コミュニティの中で起きたレイプ事件。リナ・ラザラスがいつものように水浴場(ミクヴェ)の掃除を終え、洗濯機をまわしながら答案用紙の採点をしていると、外から聞こえてきたのは鋭い悲鳴。リナが恐る恐る外に出てみると、鬱蒼とした森の中には、最後にミクヴェを使用したサラ・アドラーが倒れていました。サラは全身泥だらけで、服は引き裂かれている状態。リナは急いでサラをミクヴェに運び込みます。現場となったユダヤ人コミュニティは、地元民はまず足を踏み入れない場所。敷地は塀で囲まれ、出入り口には門があります。ユダヤ人を憎悪している人間は確かに存在するものの、今まで住人が直接暴力の被害に遭ったことはありませんでした。住人と外部の人間との接触は、たまの買い物や車の修理程度。通報を受けたロサンゼルス市警のピーター・デッカーとマージ・ダンは、早速現地へと駆けつけます。(「THE RITUAL BATH」高橋恭美子訳)

マカヴィティ賞最優秀処女長篇賞受賞作品。作家・ジョナサン・ケラーマンの妻・フェイ・ケラーマンのデビュー作。
この作品の中心となる舞台はユダヤ教徒のコミュニティ。日頃あまり触れる機会のないこの世界について色々と描かれているのがとても興味深いです。彼らの宗教的な戒律を大切にした日常生活はもちろんのこと、文化や風習についても分かりやすいですし、「屋根の上のバイオリン弾き」に代表されるような「ハシディーム」と、この神学校のような「ミツナグディーム」という宗派の違い、そして同じユダヤ人に生まれながらもそれほど敬虔ではない人々のことについても、公平な視線から描かれています。
ここに登場するリナ・ラザラスは、とても敬虔なユダヤ教徒。ラビであった夫を亡くした後は、以前からしていた教師の仕事の他に、ミクヴェの管理もしています。そんなリナに惹かれるのが、普通のアメリカ人であるピーター・デッカー。デッカーの別れた妻はユダヤ人だったのですが、それほど敬虔な信者ではなかったため、リナの世界はデッカーにとって全くの異世界。車で15分という距離に住んでいながらも、事件がなければ決して触れ合うことのなかったはずの2人です。なので、お互いに惹かれながらも、異教徒であることが大きな溝となっています。そこから生まれる様々な葛藤が、この作品に独特の深みを与えているようです。この2人が、これからどのようにその葛藤を乗り越えようとするのかがとても楽しみ。そしてこのユダヤ教のコミュニティの長であり、神学院の学長であるラビ・アーロン・シュルマンがとても魅力的なので、彼の今後の活躍も楽しみです。柔軟な思考とウィットを持つ聡明な人物ですね。これはぜひとも続きを読みたいシリーズです。

「聖と俗と」創元推理文庫(2003年2月読了)★★★★★
リナ・ラザラスとは確かに愛し合っているものの、恋人までは進んでいないピーター・デッカー。ラビ・シュルマンとの週1回の勉強会は順調で、リナの息子のサミーとジェイクにヘブライ語のアルフ・ベット(アルファベット)を習っているのですが、どこか焦りを感じています。クリスマスの休暇となり、デッカーはサミーとジェイクを連れてキャンプへ。しかしその最終日、サミーが森の中で2体の黒焦げとなった人骨を見つけてしまいます。人員不足から一時的に殺人課に回されたデッカーは、その事件を担当することに。司法報告書や司法歯科医の鑑定により、1人は中流階級出身の白人の16歳の少女、1人は下層階級出身の20歳の少女であるらしい事が判明。生まれも育ちも全く違う2人の少女がなぜ同じ時に最期を迎えることになったのか、しかもなぜ焼かれることになったのか。デッカーは被害者に自身の16歳の娘・シンシアを重ね合わせ、事件にのめりこんでいきます。(「SACRED AND PROFANE」高橋恭美子訳)

リナ&ピーター・デッカーシリーズ2作目。
今回の事件は本当に悲惨なもの。読んでいるだけでも気が重くなってしまうほどです。この存在は先日ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズでも読みましたが、やはり本当に、しかもこんなに日常生活に近い所に存在していたのですね。しかしこれは酷すぎます。デッカーの相棒のとマージ・ダンや歯科医のドクター・アニー・へノンという存在が、その重苦しい雰囲気を少しは和らげてくれてはいるのですが、この重苦しい雰囲気はそのままデッカーとリナの関係にも影をさすことになります。
事件の捜査上、世の中の嫌な部分ばかり見せられることになるデッカー。リナに怒りをぶつけたくなるのも分かりますし、神を信じられなくなるのもとても良く分かります。そしてそれがリナとの間に溝を生み出してしまうことも。今回のこの事件の凄惨さが、余計にリナの潔癖な部分を際立たせているように感じますね。リナの気持ちも一応分かるのですが、心情的にはデッカーを応援したいところ。宗教というのは、あくまでも自分自身の心の拠り所なのですから。リナのやっていることは、まるでデッカーが自分を手に入れるための交換条件のように思えてきてしまうのです。しかしデッカーのユダヤ教に改宗しようとする行動が、リナを手に入れたいという思いだけで、自分がユダヤ人の血筋をひいているからということがその行為を正当化しているのであれば、それはきっといつの日か破綻をきたしたと思います。ここで自分自身を見つめる時間は、絶対に必要な大切なことだったのでしょうね。
歯科医のドクター・アニー・へノンや被害者の妹・エリン・ベイツ、売春婦のキキなどの脇役も、味があって良かったです。彼女たちを通して、デッカーの揺れ動く心がより一層伝わってきたようです。

「豊饒の地」上下 創元推理文庫(2003年2月読了)★★★★★お気に入り
深夜、ラビ・シュルマンとの勉強会を終えたピーター・デッカーは、車で帰宅途中、新興住宅地のシーソーで遊んでいる赤ん坊を見つけます。その子のパジャマは血塗れ、しかし子供の身体には傷はなく、デッカーは署に子供を連れて帰ることに。しかし翌日になっても親が名乗り出てくる様子はなく、しかも発見された場所の付近の住人に聞いても、誰もその子を知らないと言うのです。一方、デッカーのベトナム時代の旧友・エイベル・アトウォーターが売春婦をレイプした容疑で逮捕され、泣きつかれたデッカーはエイベルの保釈金を払うことになります。さらにニューヨークにいるリナが、息子たちを置いて単身ロサンゼルスへとやって来ます。(「MILK AND HONEY」高橋恭美子訳)

リナ&ピーター・デッカーシリーズ3作目。
赤ちゃんの親探しから殺人事件へと発展する今回の事件を背景に、デッカーの過去やトラウマ、そしてリナとの愛情の行方が渾然一体となり、物語は三つ巴となって進みます。一歩間違えれば混乱してしまいそうな3つの事件が、見事にリンクし合い絡まり合っていく様は見事。
「聖と俗」で、冷却期間を置くことに決めたデッカーとリナですが、2人の愛は冷めたわけではありません。この作品で2人の仲がまた一歩前進するのが嬉しいのですが、しかし「水の戒律」や「聖と俗」で見られたような宗教的な葛藤の場面が減った分、リナとデッカーはまるで普通の恋人同士のように見えますね。もちろん信仰面における障害さえ取り除かれてしまえば、ほとんど何も問題がなくなってしまうわけなのですが、ユダヤ教に関する記述がかなり減り、ラビ・シュルマンの存在感も若干薄くなっているのが若干不満。しかしその分、デッカーとエイベルのベトナム時代から引きずっている思い出、心の奥底に残ってしまった「闇」が、この作品ではとても重いです。痛々しくて、とても正視していられないほど。しかしそれらはデッカーに人間的な奥行きを与えているのでしょうね。そして登場人物たちへの、ケラーマンの暖かい眼差しと懐の深さを感じます。今回の事件も、前回同様、やりきれないものを感じました。ただの男好きの淫乱のように言われてしまったリンダのことを思うと、とても哀しいですね。しかし「すごくいい人」だという地元の小児精神科医というのは、もしやアレックスなのでしょうか?(笑)
こういう場面で小児精神科医の名前が登場するというのは、アメリカではごく普通のことなのでしょうか。それともやはりご主人であるジョナサン・ケラーマンの存在が大きいのでしょうか?

「贖いの日」創元推理文庫(2005年12月読了)★★★★★
ピーター・デッカーとリナが結婚します。デッカーは1年間猛烈に働いてようやく2週間の休暇を貯めるのですが、2人のハネムーンはハワイのビーチではなく、ブルックリンのボロー・パーク、リナの亡夫・イツハク・ラザラスの両親の家。しかも新年祭(ローシュ・ハシャナー)の準備で忙しいラザラス家には、フリーダ・レヴァインが来ていたのです。デッカーは一目で彼女が何者なのか見抜きます。そしてフリーダの孫のノームが姿を消し、デッカーはハネムーン返上でノーム探しをすることに。(「DAY OF ATONEMENT」高橋恭美子訳)

リナ&ピーター・デッカーシリーズ4作目。
リナとデッカーが結婚。そうなると、最早リナやデッカーがお互いの宗教について葛藤する必要もあまりなくなりますし、前作のように宗教的な部分が少なくなってしまうのではないかと心配していたのですが、2人のハネムーン先は、ニューヨークのブルックリンのボロー・パークという、住民の90%が正統派ユダヤ教徒という地区。しかも新年祭(ローシュ・ハシャナー)というユダヤ教にとってとても大切な時期。否応なくユダヤ教の存在がクローズアップされることになりました。
今までも「家族」の存在が中心となってきたこのシリーズですが、今回はデッカーの実母が登場し、これまで以上に大きくクローズアップされていたように思います。フリーダが自分自身を恥ずかしく思い、そして家族に事実を知られること、デッカーにどのような反応を示されるかというのが怖くてたまらなかったという葛藤も良くわかりますし、実の親のことを調べ、面会を望んでいる養子の名簿に名前を記入しながらも、結局面会する機会が一度も得られなかった、デッカーの満たされない哀しさも良く分かります。リナが何を言っても素直に受け止められないデッカーは、「あなたと話をしたいって」と言われれば「おれは話なんかしたくない」と言い、「それならそれでいいの」と言われれば「じゃ、向こうは別におれと話したいわけじゃないんだ」と答える始末。身体は大きくとも、刑事として優秀な働きを示しながらも、やはりデッカーは繊細ですね。リナがいなければ、一体どのようなことになっていたのやら。しかも実の母親だけでなく、彼女が産んだ5人の子供たちともデッカーは会わなければならなくなるのです。
デッカーが見つけた時のノームの血を吐くような叫びが痛いです。ノームのその後のことが心配ですが、それまで反抗していたにせよ、ユダヤ教の教えは彼の身体に染み込んでいるのが良く分かりましたし、おそらく存在を疑問視していたその神によって救われることになるのでしょうね。そしてノームの失踪という出来事によって、いきなり垣根が取り払われてしまい、苦しい状態に追いやられるデッカーの気持ちが丹念に描かれている分、血の繋がりの暖かさを実感できる最後のシーンがとても切なくて良かったです。

「堕ちた預言者」創元推理文庫(2005年12月読了)★★★★
警察署の近くで暴行事件が起きたという通報があり、デッカーは現場に急行。被害者は、往年のハリウッド女優・ダヴィーダ・エヴァーソングとドイツ人映画監督の娘で、全米屈指の後宮フィットネス・クラブ<ヴァルカン>を経営しているライラ・ブレヒト。ライラはレイプされており、室内は荒らされ、金庫は空っぽになっていました。マージ・ダンはフィットネスクラブに聞き込みに行き、デッカーはライラや弟のフレデリック・ブレヒト、母のダヴィーダらに話を聞くことに。ライラは亡き父の自叙伝が盗まれたのだと言い、ダヴィーダは、ライラの金庫に預けていた100万ドル相当の宝石が盗まれたのだと主張します。(「FALSE PROPHET」高橋恭美子訳)

リナ&ピーター・デッカーシリーズ5作目。
今回中心となるのは、リナやデッカー自身の家族ではなく、2人の家庭の外、デッカーの仕事の中で登場した家族。レイプの被害者・ライラ・ブレヒトを中心に、母親のダヴィーダ・エヴァーソング、ライラの兄のキングストン・メリット、弟のフレデリックらが登場します。この家族がそれぞれにエキセントリックで、特にレイプ被害に遭った直後とは思えないライラの妖艶な魅力が不気味。しかしペリー・ゴールディンに話を聞きに行ったデッカーが受けた警告、挑戦せずにはいられないというライラの行動がどこまでエスカレートするのかという興味もあったのですが、それに関してはそれほどでもなかったようで残念でした。それだけリナとデッカーの愛情が強く、デッカーがしっかりしていたとも言えるのでしょうけれど、それでも本当にやる気があれば、もっと陰湿な行動に出てもおかしくないはず。ライラの「予言」も「イメージ」も、今ひとつ生かされていなかったようで残念です。
リナは妊娠中。これが2人の家庭や、デッカーの娘のシンディに影響を与えているところも、このシリーズらしいところ。「新婚生活はこれにておしまい(フィニト)。そろそろ“生活”という仕事にとりかからねば」というデッカーの内面の声が意味深長です。

「赦されざる罪」創元推理文庫(2005年12月読了)★★★★
リナとデッカーの娘が無事に誕生。しかしリナは産後の出血がひどく、そのまま手術室へと運ばれることに。なんとか一命を取り留めるものの、取り乱すデッカー。そしてデッカーがリナに付き添っている間、デッカーの19歳の娘・シンディが生まれたばかりの赤ん坊に付き添っていました。シンディの目に映るのは、昼間の新生児室に出入りする人々の多さ、そして夜間の病院の深刻な人手不足。そして看護婦が不在の新生児室から、ヒスパニック系の赤ん坊がさらわれたのです。同時にその夜当直していた主任看護婦のメアリー・ベルソン看護婦も姿を消しており、病院内は大騒ぎになります。(「GRIEVOUS SIN」高橋恭美子訳)

リナ&ピーター・デッカーシリーズ6作目。
フェイ・ケラーマンの夫であるジョナサン・ケラーマンは、精神科医兼作家という人物で 小児専門臨床心理医・アレックスのシリーズを書いており、フェイ・ケラーマンの作品の中にその影響を感じることは今までにもあったのですが、この作品はまさにジョナサン・ケラーマンが取り上げそうなテーマの作品ですね。
そして今回も前作同様、リナとデッカーの直接の家族がメインモチーフというわけではなく、新生児誘拐事件が中心。しかしそれがリナとデッカーの赤ん坊が寝かされていたのと同じ新生児室にいた赤ん坊だったことから、リナもデッカーも到底他人事とは思えないという状況。そしてリナとデッカーの家庭も新しく赤ん坊を迎えて幸せいっぱい、という単純な状況ではないのです。複雑な家族構成の中でそれぞれが精一杯生きているという姿がいいですね。悩みや不満をそのまま放置して不平を言うのではなく、できることから1つ1つ問題を解決していくデッカーたち。離婚率の高いアメリカには、こういった子持ち同士の結婚が多いのでしょうか。となると、デッカーの家庭は特に異質ではないのでしょうね。たとえ両親が揃っていても、親に放っておかれた子供たちのなれの果てを見ていると、血が繋がっていなくても確かに信頼し合っているこの家族の姿は微笑ましいですし、デッカーと2人の息子たちにエールを送りたくなります。
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