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このページは、ポール・ギャリコの本の感想のページです。

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「ハリスおばさんモスクワへ行く」fukkan.com (2005年10月読了)★★★★

ロックウッド氏の部屋に掃除に入ったハリスおばさんは、見慣れない写真に気付きます。そこに写っていたのは、悲しそうな目をした美しい娘。ハリスおばさんが写真を見ている時に丁度部屋に入ってきたロックウッド氏は、それがロシアに住むインツーリスト(観光局)のガイド、リザベータ=ナジェージダ=ボロバースカヤだと説明。2人は、ロックウッド氏が「素顔のロシア」という本の執筆のためにモスクワに行った時に知り合って愛し合うようになり、密かに結婚を約束していました。しかしその後ロックウッド氏は、非国民とみなされている作家のインタビューをしようとしたことからKGBに捕らえられ、国外追放の身に。しかも帰国後外務省に何度掛け合っても、何もしてもらえそうになかったのです。そんな時、バターフィルドおばさんの加入している事務所清掃組合のユニオンでパーティがあり、ハリスおばさんとバターフィルドおばさんに、ペアでモスクワ往復5日間の旅行券が当たります。(「MRS. HARRIS GOES TO MOSCOW」亀山龍樹・遠藤恵美子訳)

ハリスおばさんシリーズ第4弾。
ここに描かれているのは、現在のロシアではなく、冷戦真っ只中のソ連。人々の心も冷え切ってしまうような社会主義の国です。私も飛行機のトランジットで一度ロシアの空港に寄ったことがありますが、確かにここに書かれているのも分かるような愛想のなさでした。売店の売り子さんも、サービスという言葉など聞いたことがないような無関心ぶり。ハリスおばさんたちの食事の場面で、冷え切った料理の皿を投げるように置き、そのまま二度と出てこないウェイトレスのことが書かれていましたが、とてもよく分かる気がします。しかもハリスおばさんとバターフィルドおばさんには、スパイ容疑がかかっていたのです。KGBはかなりのやり手だと思っていたのですが、なぜハリスおばさんとバターフィルドおばさんのような人たちがスパイだなどと思ったのか…。イギリス人からすれば、ロシア人がそのような間違いをするところも痛快なのでしょうね。しかしおばさんたちからすれば、冗談ではありません。ホテルの部屋は盗聴され、持ち物は調べられ、常に尾行がつき、挙句の果てには道で配られていたびらを持っていたというだけの理由で逮捕される羽目に。そしてスパイ疑惑の一方では、チャー令夫人などと思われているので、その辺りから普段のハリスおばさん作品らしいドタバタが始まります。
トイレットペーパーの部分などに日本が繰り返し引き合いに出されていたのが可笑しかったです。行列して買うというのは、オイルショックの頃のことなのでしょうね。ただ、「ハリスおばさん国会へ行く」のその後は、どうなったのでしょう。まるでそのような出来事はなかったかのように始まり、そして終わってしまったのだけが残念。2人の間にはロマンスは生まれなかったのでしょうか。気まずくなってしまったのでしょうか。名前すら出てこないとは、解せないのですが…。


「スノーグース」新潮文庫(2005年10月読了)★★★★★お気に入り

【スノーグース】…エセックスの海岸にある大沼の畔にフィリップ・ラヤダーという、せむしで左腕が萎えた絵描きの男が住み着きます。そして3年目、鳥打ち網で捉まえた雁の仲間を囲いで飼いならしている彼の元に現れたのは、怪我をした大きな白い雁を抱えた少女でした。
【小さな奇蹟】…アシジに済んでいるペピーノは、10歳の孤児の少年。常にろばのヴィオレッタと共にせっせと働いていました。しかしそんなある日、ヴィオレッタが病気になってしまうのです。
【ルドミーラ】…リヒテンシュタイン公国の牛頭峯と銀角嶺の頂上からマールブンの急流が氷河を伝って落ちてくる渓谷沿いに祀られているのは、聖女ルドミーラ。現在ではまるで伝わっていませんが、この聖女ルドミーラにまつわる1つの奇跡の物語がありました。(「THE SNOW GOOSE」矢川澄子訳)

「スノーグース」は、せむしの画家・ラヤダーと、サクソン系の少女・フリスとの淡い恋物語。淡いとは言っても、表面的に見える部分が淡いだけで、2人が交わす数少ない言葉はひと言ひと言が直接響いてくるよう。その中に実はとても深くしっかりとした愛情が存在しているのが伺えます。
「小さな奇蹟」は、イタリアを舞台にした少年とろばの愛情の物語。ペピーノにとっては、母であり父であり兄弟であり、遊び仲間であり道連れであり、慰めでもあるというヴィオレッタ。しかしそのヴィオレッタが病気になり、ペピーノはヴィオレッタのために走り回ることになります。ペピーノの心からの願いが小さな奇蹟を呼び、その奇蹟は他の奇蹟を生むことに…。そして「ルドミーラ」も奇蹟の物語。しかしこれは人間求める奇蹟ではなく、1頭の牝牛の願う夢の物語。
どの物語もあくまでも静謐。派手なところはまるでなく、どちらかといえば地味な物語なのですが、しかしどれもとても凛と美しく、力強く、読んでいるとしみじみと心に響いてきます。人間とは言葉を交わすことのない動物たちですが、その気持ちが人間に伝わり、人間の気持ちが動物たちに伝わった時、奇蹟は起きるのですね。大いなる自然の前では、何者もが美しい… そんな大きな愛を感じる物語でした。


「ザ・ロンリー」王国社(2008年10月読了)★★★★

搭乗勤務をやめて2週間ほどスコットランドで休んでくるように、航空医官に言われた23歳のジェリー・ライト少尉。航空医官は、ジェリーの戦争神経症の兆しに気付いていたのです。休暇をとればそれだけ故郷に帰るのも遅くなり、婚約者のキャサリン・クウェンチンとの結婚も遠のきます。その上スコットランドで男1人の空しい休暇を過ごさなければならないとあり、苛立つジェリー。そんな時、憧れのレスター・ハリソン少佐に言われたのは、スコットランドへ女の子を連れていけばいいということ。その時だけのつきあいだときちんと説明しておけば、イギリスの女の子はほぼ100パーセント大丈夫だというのです。その話を聞いた時にジェリーの頭に浮かんだのは、WAAF(英国空軍婦人補助部隊)のパッチズことパトリース・グレイム。丁度パッチズも10日間の休暇を取ることになっており、2人は一緒にスコットランドへと向かうのですが…。(「THE LONELY」矢川澄子・前沢浩子訳)

恵まれた生活に尊敬すべき両親、そして申し分ない婚約者。しかしジェリーのその世界は、ジェリーにとっては巧妙に作り上げられた砂上の楼閣だったのですね。もちろん両親のジェリーへの愛情は本物ですし、キャサリンのジェリーに対する愛情もそうなのでしょう。しかしいくらキャサリンがジェリーにとって初恋の相手とはいえ、それは両親によって巧妙に誘導されていたもののような気がしてしまいます。キャサリンはジェリーにとっての「女神」。暖かさを味わいたい生身の女性というよりも、小部屋に鍵をかけてしまいこんでいるようなものだったというのですから。
ジェリーがキャサリンに嫌気が差して婚約を破棄というのなら、まだ話は単純です。そしてキャサリンがそれほど美しくも性格が良くもなければ。ジェリーは当然周囲から非難されるでしょうけれど、周囲の人間を説得することもそれほど難しいことではないはず。しかしキャサリンは美しく健康的で誠実で、申し分のない女の子。母親同士は長年の親友で、家同士の社会的な立場や物の見方も似通っていて、周囲にとってはこれ以上ないほどの組み合わせ。パッチズにはパッチズ独特の魅力があるのですが、キャサリンと比較されてしまうと勝ち目はありません。この状況を打破するのは、しんどいでしょうね。しかしジェリーやパッチズの思い、ジェリーとキャサリンの背景などが肌理細やかに書き込まれていて、読んでいるうちにジェリーやパッチズに共感してしまいます。
ただ、もう一方の当事者であるキャサリンが姿だけの登場という状態で、「いい作品だった」と言ってしまっていいものなのか…。もちろんジェリーの成長物語であるわけですから、あくまでもジェリーの視点からということで良かったのでしょうけれど、それはキャサリンにとってあまりにもフェアではないような気がしてしまいます。物語が始まる前に「ザ・ロンリーとは、年端もゆかぬうちから天国と地獄とをまのあたりに見てしまった者たちのことである」という言葉がありました。戦争で地獄を目の当たりにしてしまったジェリーを果たしてキャサリンがきちんと受け止められたかと考えると疑問なので、これで良かったということなのでしょうけれど…。


「「きよしこの夜」が生まれた日」大和書房(2008年10月読了)★★★★

1818年12月23日の夜。オーストリアのザルツブルグに近い小さな町・オーベルンドルフで、1匹のネズミが聖ニコラ教会のオルガン置き場にもぐりこみます。翌朝、教会にやって来た31歳のオルガン奏者・フランツ・グルーバーは、オルガンを弾こうとして音が出ないのに気付き、友人の若い司祭・ヨゼフ・モールと共にオルガンのパイプの革製のふいごにあいた小さな孔を見つめることに。それはネズミがあけた孔だったのです。クリスマスの賛美歌「きよしこの夜」を作り上げることになったヨゼフ・モールとフランツ・グルーバーの物語。(「THE STORY OF SILENT NIGHT」矢川澄子訳)

クリスマスになると世界中で歌われる「きよしこの夜」。作者不詳とされることも多いこの曲ですが、実は19世紀のオーストリアの田舎町で生まれた曲だったのですね。そのきっかけがパイプオルガンのふいごにネズミがあけた孔だったとは驚きました。パイプオルガンが故障して賛美歌の伴奏ができなくなり、その夜のクリスマスのミサのために苦肉の策で作り出された曲だというのですから。記念すべき最初の演奏は、モールとグルーバー、そして12人の子供たちの歌とグルーバーのギターの伴奏によるもの。しかし評判は決して悪くなかったものの、教会のミサにギターを使ったことが正司祭を怒らせ、モールは更迭されてしまったようです。2人にとっては、あまりいい思い出とはならなかったのですね。
しかしこの時限りに終わるはずだったこの曲は、パイプオルガンの修理屋に渡された楽譜によって次第に広がることになります。自分からは決して作者だと言い出さなかった2人の名前が知られるようになったのは、この曲がミヒャエル・ハイドン作曲と思われて、ザルツブルグの聖ペトルス・ベネディクト派修道院に楽譜を探す依頼が来た時。そこにグルーバーの末の息子がいたからだというのですから、これまた驚かされます。
本そのものも、黒地の表紙の中央に天井画が配され、その周囲には金色の飾り罫が、その上下に金色の字で「The Story of Silent Night」「Paul Gallico」と書かれている、とてもシックで素敵な装幀。クリスマス向けの本や絵本は世の中に沢山ありますが、これは大人の静かなクリスマスのための1冊と言えそうです。


「猫語の教科書」ちくま文庫(2005年10月読了)★★★★

ある朝、大手の出版社に勤めている編集者の家の前に届けられたのは不思議な原稿でした。朝食を取っている時に玄関ノベルが鳴り、表に出てみると通りには人影はなく、タイプした原稿の分厚い束が玄関の靴ぶきの上に置かれていたのです。そして見てみた原稿に書かれていたのは、"£YE SUK@NT MUWOQ"などという文字と記号が入り混じった文章。まるで読めない原稿に困った彼は、戦争中暗号解読をしていたこともある友人のポール・ギャリコのところに、その原稿を持ってくることに。(「THE SILENCE MIAOW」灰島かり訳)

「人間の家をのっとる方法」に始まり、人間の性癖について詳しく解説し、美味しいものを食べられるようにするためにはどのようにすればいいのか、その家での居心地を良くするためには何をすれば良いのか、何をしたらいけないのか、人間を篭絡するために必要な魅力的な行動や表情の作り方など、その猫自身が実際に家をのっとった時の経験を踏まえて細かく書かれている、猫による猫のためのマニュアル本。
人間には「猫を飼っている」と思わせておいて、実は猫が人間を躾けているのだという作者(猫)。しかもこの雌猫の冷静な語り口が楽しく、説得力があるのです。「声なしのニャーオ」の威力を始め、色々と思い当たる猫好きも多いのでは。しかも、お客が来た時は主人を立てて愛想良く振舞うなんて! 「うちも本当はのっとられているのかもしれない」と思いつつも、それでも「うちの猫はやっぱり最高」と思ってしまう猫の飼い主は、おそらく既に猫に躾けられてしまっているのでしょうね。
そしてこれほどの量の文章を猫が原稿にする方法についても、ギャリコは周到に推理しています。それは、軽く触れるだけで文字が打てるタイプライターによって書かれたのではないかというもの。実際に調べてみると、カメラマンをしているレイ・ショア夫婦にいくつかの点で条件がぴったり当てはまり、その家のツィツァという猫が書いたのではないかと結論に至っています。表紙にはタイプライターを触っているツィツァの写真が飾られ、本当にそうかもしれないと思えてしまいます。本文中に挿入されている沢山のツィツァの写真もとても可愛いですね。巻末には、大島弓子さんの書き下ろし漫画も。

「人間の家をのっとる方法」「人間ってどういう生き物?」「猫の持ち物、猫の居場所」「獣医にかかるとき」「おいしいものを食べるには」「食卓でのおすそわけ」「魅惑の表情をつくる」「ドアをどうする?」「クリスマスのおたのしみ」「旅行におともするコツ」「母になるということ」「じょうずな話し方」「猫にとっての正しいマナー」「愛について」「別宅を持ってしまったら」「これはしちゃダメ」「じゃまする楽しみ」「子猫のしつけと子猫の自立」「終わりに」


「幽霊が多すぎる」創元推理文庫(2005年10月読了)★★★★

1523年にノーフォークのイースト・ウォルシャムに建てられた由緒正しいパラダイン館は、パラダイン男爵家当主のジョン・パラダイン卿やその妻のイーニッド、2人の子供のマークとエリザベス、そしてパラダイン卿の妹のオナラブル・イザベル、そして嫌われ者のいとこのフレディらが住む館。しかしジョンとイザベルの父親で先代のパラダイン卿・トーマスが早く亡くなりすぎてしまったため、重すぎる相続税に対処しきれず、現在はその一部がカントリークラブとして解放されていました。そしてこのパラダイン家には、代々伝わる呪いがあったのです。居もしない尼僧が館の中をうろつき、外から鍵がかけられた人気のない音楽室ではハープが曲を奏で、ポルターガイスト現象が次々に起こります。丁度パラダイン館に滞在していた准男爵・リチャード・ロッケリーは、ロンドンで心霊探偵をしているアレグザンダー・ヒーローに応援を頼むことに。(「TOO MANY GHOSTS」山田蘭訳)

ポール・ギャリコ唯一の長編本格ミステリという作品。意外としっかりとした本格ミステリなので驚きました。ポルターガイストが起き、幽霊が歩き回る屋敷に心霊探偵・サンドロことアレグザンダー・ヒーローが乗り込むとあって、ミステリに付き物の殺人事件などは起こらず、ひたすら超常現象を論理的に解明することになります。
題名の「幽霊が多すぎる」というのは、心霊探偵・アレグザンダー・ヒーローがパラダイン屋敷に着いた夜の晩餐の時に口にした言葉。古い伝説や尼僧の呪い、ポルターガイスト現象などいくつもの超常現象が同時進行的に起こり、パラダイン屋敷にいる人々はそれらを全てひっくるめて、超常現象として受け止めているのですが、サンドロがそれぞれの現象をしっかりと捉え、きちんと分類して考ええている辺りが面白いです。言われてみれば当たり前の話なのですが、全く気付きませんでした。しかも本当はサンドロは心の底では心霊現象を見てみたいし信じたいと思っているのに、心ならずも人間の仕業と見破ってしまうというのがいいですね。しかしそんな風に頭の良さを発揮するサンドロですが、自分の周囲の恋愛模様を表面上でしか捉えられず、しかも継妹・メグことレディ・マーガレット・カランダーの自分に向ける視線にはまるで気付かないというところがご愛嬌。サンドロとメグはとてもいいパートナーぶりを発揮していていて、これがシリーズ物にならなかったのがとても残念です。
パラダイン屋敷の泊り客がかなり多いので最初は混乱しましたが、彼らの人間模様、そしてそれが超常現象が解明されていくにつれて変化していく様子がとても面白いです。そしてサンドロがロンドンの家で使っている家政婦は、あのハリスおばさんなのですね。好奇心旺盛な楽しいハリスおばさんの姿に、ハリスおばさんのシリーズもぜひ読んでみたくなりました。


「われらが英雄スクラッフィ」創元推理文庫(2005年10月読了)★★★★

英国領ジブラルタルには、この地からサルがいなくなった時、英国人もいなくなるという奇妙な言い伝えがありました。そのせいか、岩山に住み、群をなして町なかに下りてきては乱暴狼藉を繰り返すサルたちを管理するのは英国砲兵隊第三沿岸連隊の役目。サル担当士官が任命されて、サルたちを管理する責任を負っていたのです。そして今その任務に当たっているのは、ティモシー・ベイリー大尉。彼はその任務を命じられて以来、サルにかけてはベテランの大切な右腕・ジョン・C・ラブジョイ砲兵と共に日夜サルの地位向上のために頑張っていました。しかしそのサルの中でも一番大きくて強いボスのハロルド、通称スクラッフィ(ぼさぼさ)が今日も大騒動を巻き起こし、ベイリー大尉はJ.W.ガスケル准将にこっぴどく叱責される羽目に。(「SCRUFFY」山田蘭訳)

豊崎由美さんの解説によると、ジブラルタルからサルが消えた時、この地から英国人がいなくなるという言い伝えと、ウィンストン・チャーチルの「サルをけっして死に絶えさせてはいけない」という通信は、歴史的な事実なのだそうです。逆に言えば、その2つの出来事以外はフィクション。その2つからこれほど魅力的な物語を作り上げてしまうポール・ギャリコという人はやはり凄いですね。
第一次世界大戦を背景にした、サルを巡るドタバタ劇。戦争物につきものの影や暗さなどは全くなく、それどころかドタバタ劇の合間に、ラブロマンスやスパイの駆け引き、サスペンスなどの要素が織り込まれています。登場人物の造形は相変わらず確か。サル担当士官のティムや右腕のラブジョイ、ティムと恋に落ちるフェリシティや、最後に思わぬ役割を果たすことになる英国海軍工廠の技術者・アルフォンゾ・T・ラミレスなどの面々が魅力的に描かれていきます。特に、最初はサル担当士官などという厄介な任務を背負い込んで厄介だと思っていたのに、サルたちの姿を最初に見た時からサルたちを愛するようになってしまったティムがいいですね。サルの世話に入れ込みすぎて、人間でもなかなか得られない待遇を要求してしまい、周囲からは鼻つまみ者扱いされてしまうのですが、基本的には純粋な好人物。あまり担当士官を信用してこなかったラブジョイにも信頼されるような誠実な青年です。そして、そんなティムやラブジョイと対立しているのは、自らナチス・ドイツのスパイを志願してしまうラミレス。彼の複雑な心境を思うと、気の毒ながらも笑わずにはいられません。
そしていくら大切にされてもサルはサル。サル同士は心を通わせますが、人間が何を考えているかなど、彼らにとっては知ったことではありません。特にスクラッフィの傍若無人さは突き抜けています。いくら餌をくれたとしても人間は所詮人間。そんな態度のサルたちの姿が爽快でした。


「セシルの魔法の友だち」福音館書店(2005年10月読了)★★★

【セシル、ジャン=ピエールに出会う】…南フランスに住む8歳の女の子セシルは、学校の行き帰りにペットショップで見かけるてんじくねずみを一目見た時から、すっかり心を奪われてしまいます。セシルは密かにそのてんじくねずみにジャン=ピエールという名前をつけ、イギリス製のなわとびを買うために貯めていた5フランでジャン=ピエールを買うことに。
【ジャン=ピエール、さらわれる】…9歳になったセシル。その日学校から帰って来るとすぐに納屋にいるジャン=ピエールのところへ行くと、かごの戸は開いていて中はからっぽでした。
【ジャン=ピエール、世界をめぐる】…毎年パリのルイーズ伯母さんの家で過ごす夏休みを楽しみにしていたセシル。今年はジャン=ピエールも連れて行けるのです。しかし一緒に飛行機に乗ったはずのジャン=ピエールが行方不明になってしまい…。
【ジャン=ピエール、サーカスに入る】…11歳になったセシルを訪ねて来たのは、ムッシュウ・パスクィーニ。それはジャン=ピエールがオーストラリアに行った時に世話になったピエロのフィリポでした。(「JEAN-PIERRE OMNIBUS」野の水生訳)

てんじくねずみのジャン=ピエールとセシルの4つの物語が入った本。児童書です。
セシルとジャン=ピエールはまるで恋人同士のよう。一目合ったその日から、という感じです。しかしセシルとジャン=ピエールの心がはっきりと通じ合っている場面があるのは、1話目だけなのですね。1話目では奇跡も起きて「魔法」という言葉がぴったりのファンタジーなのですが、それ以外は比較的普通の話。とはいえ、ジャン=ピエールが世界中を旅することになってしまったり、サーカスに入ってしまったりと楽しい冒険話になっています。
2話以降、ジャン=ピエールの視点の代わりに増えるのは大人たちの存在。セシルの両親やジャン=ピエールを巡って知り合う人々の存在感がぐんと増します。特に4話目で登場するフィリポが異色ですね。それまでは両親や警察の警部さん、ジャン=ピエールが世話になる世界中の人々と、登場するほとんど全ての大人がとても良い人であるのに対し(いじわるな警察官もいますが)、フィリポの身勝手さには驚かされました。ここでセシルが身を引いてしまうのは、あまりに良い子すぎて読んでいて辛かったのですが、その後のフィリポが音信不通になってしまうところなども、綺麗事だけでは済まない大人の世界ということなのでしょうね。
1話目の雰囲気が好きだったので、そのまま続けて欲しかったというのが本音なのですが、おそらくセシルの成長に合わせて作風が徐々に変えられているのでしょう。ギャリコらしいユーモアもたっぷりあり(セシルの寝る前のお祈りの場面が可笑しいです)、読後感は爽やかで暖かい作品です。てんじくねずみは英語で「guinea-pig」。英語の原題で、「Kidnapped(誘拐)」という単語が「Pignapped」と変えられているのも楽しいですね。

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