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このページは、トルーマン・カポーティの本の感想のページです。

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「犬は吠えるI-ローカル・カラー/観察記録」ハヤカワepi文庫(2006年9月読了)★★★★
【ローカル・カラー】…1946年から1950年にかけて書かれた、ニューオーリンズ、タンジール、イスキア島、ハリウッド、スペインの列車、モロッコのお祭りなどの紀行文的文章。
【観察記録】…アイザック・ディネーセン、メイ・ウェスト、ルイ・アームストロング、ジャン・コクトーとアンドレ・ジッド、ハンフリー・ボガート、エズラ・パウンド、マリリン・モンローなど、著名人の観察記録。
(「THE DOGS BARK」小田島雄志訳)

「犬は吠える」シリーズ1冊目。
「ローカル・カラー」も「観察記録」も、スケッチとでも呼びたくなるような文章。ごく客観的に書かれているように見えますが、序文によれば、「ここに書かれたものはすべて事実に基づいているが、そのことは真実であることを意味するものではない」とのこと。それは、真実を写し取る時点で個人的な知覚や偏見、選択感覚が入っているため。ある人物を叙述する時、決してその人が満足するように描かなかったというカポーティですが、おそらくそれは、本人が見たくない部分まで見せてしまうからなのでしょうね。気軽に親しく書いているように見えて、実はかなり冷静に観察し、時には皮肉に表現するカポーティ。そこには自分に向けられていたはずの好意が感じられず、戸惑った人間も多かったのかもしれません。たとえば写真のように、本人の気にしている部分、例えばにきびの痕やそばかすなどが、鏡で見た時よりもはっきりと写しだされていて嫌な思いをさせられたのかもしれません。写真といえば、この「観察日記」には元々リチャード・アヴェドンの写真が添えられた「写文集」だったのだそうです。今回の文庫版ではその写真が見れなくて残念。
大きな章としては「ローカル・カラー」と「観察記録」に分かれているのですが、そこに入りきらない文章として「序文」「雲からの声」「白バラ」があります。「雲からの声」は、作家になる前のニューヨーカーでの仕事のことや処女作「真夏の航海」執筆のこと、そして「白バラ」は、ジャン・コクトーの紹介でフランス文学の大女流作家コレットに会った時のこと。私にとってこの本の中で一番印象的だったのが、このコレットとのエピソードでした。8ページほどの短さなのですが、まるで自分が居合わせてそばで見ているかのような、情景を立体的に感じさせる文章。最初は緊張していたカポーティが、一瞬にしてコレットという人物に魅せられ、その後も影響を受け続けたのが十二分に分かるような気がします。「ねえ、あなた、自分でも大事にしているものでなければ、贈り物としてさしあげたってしようがないでしょう。」という最後の言葉も印象的です。

「犬は吠えるII-詩神の声聞こゆ」ハヤカワepi文庫(2006年9月読了)★★★★
1955年、アメリカの劇団が、レニングラードでオール黒人キャストのミュージカル「ポギーとベス」を上演することになり、カポーティもその劇団総勢94人に随行して、東ベルリンから汽車に乗ってソ連へと向かった「詩神の声聞こゆ」。さらに京都でのマーロン・ブランド会見記「お山の大将」と、日本人の印象を書いた「文体ーーおよび日本人」も。(「THE DOGS BARK」小田島雄志訳)

「犬は吠える」シリーズ2冊目。
「詩神の声聞こゆ」は、カポーティが「初めて短篇喜劇風“ノンフィクション・ノヴェル”として構想した」という作品。観察者と被観察者の間の自然な空気を大切にするため、メモをとることもテープ・レコーダーを使用することもなく書いたものなのだそう。そして、そういった作業から「“スタティック”な文体、つまり物語身体の助けによらずに人物の性格をあきらかにし、情調を持続する文章の書き方」を学んだのだそうです。この「詩神の声聞こゆ」は「砲声絶えるとき」「詩神の声聞こゆ」の2章に分かれているのですが、まだ硬さが感じられる前半部分よりも、レニングラードに到着してからの後半部分が断然面白いです。
しかし私にとっては、この「詩神の声聞こゆ」よりも、映画「サヨナラ」の撮影のために京都に来ていたマーロン・ブランドと会った時のことを書いた「お山の大将」の方が印象的でした。例によってマーロン・ブランド自身はこの文章に傷ついた… というよりもむしろ、カポーティのモデルとなった人々の中でもっとも心を痛めたのがマーロン・ブランドだったそうなのですが、この文章からは、成功者という地位には相応しくないほどの、感受性が強く傷つきやすい青年像が浮かび上がってきます。
1冊目の序文に書かれていましたが、この「犬が吠える」という題名は、カポーティがシチリアの海岸でアンドレ・ジッドに教えてもらったアラブの諺「犬は吠える、がキャラバンは進む」から来ているのだそうです。解説でも青山南さんが“キャラヴァン”ではなく“犬”が題名に取られていることに触れられていますが、確かにうるさい犬は吠えるもの。それでも“キャラヴァン”であるトルーマン・カポーティは、進み続けていたのでしょうね。

「カメレオンのための音楽」ハヤカワepi文庫(2006年5月読了)★★★★
トルーマン・カポーティの生前に出版された最後の作品集。「序」には8歳の時に文章を書き始めて以来、自分なりの文学修行にいそしみ、17歳の時に主だった文芸季刊誌に原稿を送り、それらが認められてデビュー。それ以来様々な試みを繰り返し、最終的に物語風ジャーナリズムに惹かれたというカポーティ。それまでの経緯やそこに至った心情などが書かれています。そして作品はI〜IIIに分かれており、Iは「カメレオンのための音楽」を始めとする6編の短編、IIは、隠し撮りされたポートレートの入った手彫りの柩を受け取った人間が次々に殺されていく「手彫りの柩」、IIIは会話によるポートレートということで、対話形式の7編が収められています。(「MUSIC FOR CHAMELEONS」野坂昭如訳)

まず「序」がとても強く印象に残ります。その中でも特に「しかし神が才能を授け給うにしろ、必ず鞭を伴う。いや、鞭こそ才能のうちなのだ。自らを鞭打つ。」「単に出来のよい作品と本物の文学とには相違がある。この違いは些細なようにみえて、決定的、根源にかかわる。」という言葉には考えさせられます。
そして小説の方は、以前に読んだ「ティファニーで朝食を」とはまるで異なる雰囲気なので驚きました。「ティファニーで朝食を」はニューヨークを舞台にしたお洒落な短編なので、カポーティ自身にもそういった印象が強いのですが、実は南部出身だったのですね。この作品集にも南部を舞台にした作品が多いですし、南部を舞台にしていない作品にも、どこか南部の濃密な空気がまとわりついているような気がします。「序」に、控えめに書くのを好み、単純ですっきりとした仕上がりを目指して試行錯誤した結果、ついにこの作品の文体にたどり着いたとある通り、確かに無駄のないすっきりとした文章は、それでいてとても雄弁。そして、これらの作品はアメリカではノンフィクション・ノヴェルと呼ばれるジャンルのものなのだそうです。IIの「手彫りの柩」や、IIIの会話によるポートレートと題される一群の作品には、トルーマン・カポーティ自身が「TC」として登場するのですが、ノンフィクションなのかフィクションなのか、読み進めるほど分からなくなってしまうような不思議な雰囲気が漂います。むしろ「TC」が登場している方がフィクションのように感じられてしまうほど。これらの作品の中で私が特に好きなのは、表題作の「カメレオンのための音楽」。ここで描かれているのは、色とりどりのカメレオンがモーツアルトに聞き入っている不思議な情景。そして会話が行き違い、宙ぶらりんのまま打ち切られてしまう短編には、奇妙な存在感があります。そして「会話によるポートレート」の中の「命の綱渡り」や「うつくしい子供」も好きです。「命の綱渡り」は、姉御肌の女優パール・ベイリーの機転が楽しいコミカルな1作であり、「うつくしい子供」はコリアー女史の葬儀に出席したマリリン・モンローとのやりとり。素顔のマリリンを間近に見ているように感じられて楽しい作品です。しかしカポーティがゲイだったとは知りませんでした。だからこそ、ここまでマリリン・モンローの可愛らしさを文章に切り取ることができたのかもしれませんね。

収録作品:I カメレオンのための音楽「カメレオンのための音楽」「ジョーンズ氏」「窓辺のランプ」「モハーベ砂漠」「もてなし」「くらくらして」 II 手彫りの柩「手彫りの柩-アメリカ的犯罪のノンフィクション解釈」 III 会話によるポートレート「一日の仕事」「見知らぬ人へ、こんにちは」「秘密の花園」「命の綱渡り」「そしてすべてが廻りきたった」「うつくしい子供」「夜の曲がり角、あるいはいかにしてシャム双生児とセックスするか」
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