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このページは、リチャード・ブローティガンの本の感想のページです。

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「西瓜糖の日々」河出文庫(2006年5月読了)★★★★★お気に入り

「わたし」が住んでいるのは、西瓜糖の世界の中心・アイデス(iDEATH)のすぐ近くの小屋。この世界では主に西瓜を作っており、西瓜工場では西瓜の汁を煮詰めて純粋な西瓜糖を作り、そこから様々な物を作っています。川にかけられた橋の中にも西瓜糖で作られたものがありますし、住人たちは松と西瓜糖と石で出来た家に住み、西瓜糖のドレスを着て、夜になると西瓜鱒油のランタンを点します。今の「わたし」の仕事は本を書くこと。西瓜種子インクにペンを漬けて、柿板工場で作った西瓜の甘い匂いのする薄片に文章を書いていくのです。これは、この171年間に書かれた本としては、実に35年ぶりの24冊目の本。そして「わたし」の恋人は、アイデスで食事をする人々のために料理をしているポーリーン。しかし西瓜糖の世界にも、<忘れられた世界>に惹かれる人々がいました。それはかつての「わたし」の恋人であったマーガレットや、インボイル(inBOIL)とその仲間たち。(「IN WATERMELON SUGAR」藤本和子訳)

毎日違う色で太陽が輝く西瓜糖の世界。月曜日は赤、火曜日は黄金色、水曜日は灰色、木曜日は無音の黒色、金曜日はしろ、土曜日は青、日曜日は褐色。物語が始まったのは黄金色の火曜日で、終わるのは無音の黒色の木曜日。とても不思議で幻想的な世界です。1章ずつはとても短く、それは「わたし」が思い浮かぶままに綴っていったスケッチのよう。この世界のことを始めとして、美しい声をして人間の言葉を話しながら両親を食ってしまった虎のことや、チャーリーやフレッドといった友人たちのこと、ガラスの柩に納められて川底に沈められる死者たちのこと、それらの作業をじっと見守っている鱒のことなどが、とりとめもなく語られていきます。読んでいるうちに感じるのは、おそらく<失われた世界>が今私たちが生きている現実の世界で、この西瓜糖の世界が「iDEATH」という名前の通り、死の世界なのではないかということ。ただ1つだけ確かなのはアイデスの穏やかではあるけれど、変化を求めない閉鎖的な環境と人々を、後半のインボイルの行為が強烈に示唆しているということ。「アイデスを見せてやったさ」と言いながら行うことは、おそらくそんな住人たちの本質を示しているのでしょうね。確かにあのような強烈な事件が起きても、住人たちはそれほどの衝撃は受けていません。アイデスはすぐにいつものアイデスに戻ってしまいます。親指、耳、鼻… というのは、五感のことなのでしょうか。アイデスの住民は既に何も感じることはできないと示唆しているのでしょうか。
その他にもおそらく様々な意味合いがこの寓話には含まれているのでしょうけれど、そのほとんどは良く分かりません。それでも理屈抜きにとても好きな雰囲気。しかしなぜ西瓜糖なのかということは訳者あとがきで説明された「We Lived in clover」で分かりましたし、甘くはあっても決して濃厚ではない、「過度な感じというのは不在だ」という言葉にも非常に納得。確かにこの世界は西瓜の淡白な甘さの世界です。


「愛のゆくえ」ハヤカワepi文庫(2006年4月読了)★★★★★お気に入り

そこは普通の図書館とは違い、人々が大切な思いを綴った本を保管するための図書館。保管された本を調べたり読んだりする人は誰もおらず、図書館に来るのは、書いた本を置きに来る人々だけ。そして現在31歳の「わたし」の仕事は、それらの人々に会って本を受け取り、図書館明細元帳にその本の記録を登録し、書き手の好きな所に本を置いてもらうこと。図書館の開館時間は、朝の9時から夜の9時なのですが、24時間いつでも対応するために入り口には小さな鐘が備え付けてあり、「わたし」はこの仕事について以来3年間、図書館から一歩も出ないまま過ごしていました。そんなある日、図書館にやって来たのは、ヴァイダ・クラマーという女性。自分の美しい容姿を恥じていたヴァイダですが、「わたし」と恋に落ちて図書館に暮らし始めることに。(「THE ABORTION-An Historical Romance 1966」青木日出夫訳)

この作品の雰囲気は、まるで村上春樹作品のようです。それでいて、書き綴った本が誰にも読まれることなく、そのまま図書館に、そしてその後は洞窟に保管されることになるという部分は、まるで「恥」を全て川に流しているボリス・ヴィアンの「心臓抜き」のよう。日常生活を描いているようで、どこか不思議な感覚の残るファンタジックな作品ですね。
原題「THE ABORTION」とは、堕胎のことであり、ヴァイダ(Vida)という名前は「生命」を表す「Vita」から来ているのだそうです。そのことからも分かるように、この作品のテーマは「生」と「死」。まずここに登場する図書館は普通の図書館ではなく、人々が自分の本を置き去りにする場所。せっかく生み出した新しい命を捨てていってしまうのです。それはまるで医者に行って堕胎手術を受けるのと同じ。置き去りにされた本は、誰にも興味を示されないまま、じきに洞窟に移され、そして朽ち果てていくことになります。しかし本を書いたことによって人々は自分たちの不要な部分を切り捨て、図書館員である「わたし」に見送られ、新しい人生に立ち向かうことができるのです。
そしてこの図書館において、「わたし」とヴァイダは恋に落ち、ヴァイダが身篭ることになります。しかし2人は、まだ自分たちは親になる時期ではないと、堕胎するためにはるばるメキシコまで行くことに。それは、人々が書いた本を持って図書館にやって来るのと同じ行動。
新しい命を捨てた2人は図書館に戻るのですが、なんと「わたし」はいきなり職を失ってしまいます。人々が自分の書いた本を置いて新しい人生に立ち向かうように、「わたし」とヴァイダも堕胎を経て、新しい人生に立ち向かうことになります。しかし人々にとって図書館は堕胎のための病院のような場所でしたが、「わたし」にとって図書館とは、まさに子宮のような場所でもあったはず。そこから外の世界へと出て行くということは、「わたし」にとってはまさにこの世に生まれ出るようなこと。外の世界に出て新しい仕事を見つけ、ヴァイダと暮らしていこうとする「わたし」の姿は、まるで赤ん坊が母親の胎内から出た時のようです。
色々と深い意味が篭められている作品。どれだけのことが掴み取れたのか疑問ですし、ここに書いたことも間違っている可能性は十分にあるのですが、この作品は理屈抜きにとても好きです。

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