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このページは、マリオン・ジマー・ブラッドリーの本の感想のページです。

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「異教の女王-アヴァロンの霧1」 ハヤカワFT文庫(2004年9月読了)★★★★★お気に入り

5世紀。アヴァロンの巫女で、湖の貴婦人と呼ばれる姉のヴィヴィアンと、預言者であり吟唱詩人でもあるドルイド教の僧侶、<ブリテンのマーリン>ことタリエシンの画策によって、ウーゼル・ペンドラゴンの息子を生むことになったイグレイン。それはブリテンの宗主となるアーサーでした。しかし幼い頃から何度も命を狙われたアーサーは、ペンドラゴンの宮廷を出て、他所へと預けられることに。そしてアーサーが家を出る時、イグレインと前夫・ゴルロイスの娘であるモーゲンもまた、ヴィヴィアンに預けられ、巫女としての道を進むことになります。(「THE MISTS OF AVALON」岩原明子訳)

モーガン・ル・フェイの目を通して描かれたアーサー王物語。原書では900ページ近いハードカバーの1冊だそうですが、日本語版では、「異教の女王」「宗主の妃」「牡鹿王」「円卓の騎士」という4冊に分けられています。
サクソン人を始めとする蛮族たちの侵攻を食い止めるために手を結ぶことになった、女神を信仰するドルイド教とキリスト教。アーサーは、その2つの宗教を同じように守護する立場。そしてモーゲンやその母イグレインは、アヴァロンの女王の血筋の女性たち。モーゲンが幼い頃は母親であるイグレインの視点から、イグレインがウーゼル・ペンドラゴンと結婚した頃からはモーゲンの視点から描かれているだけあり、とてもケルト色の強い作品なのですね。そして女性たちの視点から描かれているだけあって、この当時のブリテンでの生活ぶりが濃やかに描かれており、すぐにこの世界に入り込んでしまいました。
多くのアーサー王伝説では、イグレインとウーゼルが初めて結ばれた時、マーリンの魔法が大きく働いており、イグレインが騙された格好となっているエピソードばかりなのですが、この物語に描かれている2人が結婚するまでのいきさつは、とてもロマンティックなのですね。そしてこの作品に登場するモーゲンは、透視の力を持っている他は、ごく普通の1人の女性。何も分からないままアヴァロンで巫女としての修行を積み、ランスロットへの仄かな思いを胸にベルテンの祭りに参加、思いもかけない結果に傷つく… 聡明に育ちながら、自分の容姿に引け目を感じているその姿はとても切なく純真。「妖姫」などという形容からは程遠いのです。今まで読んできた伝説の中では、モーガン・ル・フェイと言えば悪女的な扱いを受けるばかりで、その実態はほとんど分からず、なぜアーサーを憎んでいるのか、なぜ悪い魔女と言われているのか理解できなかったのですが、この作品にはその辺りがじっくりと描かれていそうでとても楽しみ。表面上の流れこそ伝説に忠実でありながら、その奥ではとても大胆な解釈が施されているというのが読みどころですね。これからの展開がとても楽しみです。


「宗主の妃-アヴァロンの霧2」ハヤカワFT文庫(2004年9月読了)★★★★

ヴィヴィアンとマーリンの策謀を許せず、アヴァロンを捨てたモーゲンは、叔母であるモルゴースが嫁いでいるロット王の北の王国へ。そこで密かに男の子を産み落とします。モルゴースは、アヴァロンにいた子供の頃に見覚えた魔法によって、その子の父親がアーサーであることを知ることに。子供はロット王の養子として育てられることになります。一方、17歳で即位したアーサーは、翌春、レオデグランツ王の娘・グウェンフウィファルを王妃として迎えることに。しかしグウェンフウィファルは、かつてアヴァロンの岸辺で出会ったことのあるランスロットに仄かな思いを抱いていたのです。グウェンフウィファルとランスロットの、お互いを見つめる眼差しに不安を覚えるマーリンやイグレイン、そしてモーゲン。しかし結婚式は無事とり行われ、モーゲンは王妃の侍女として宮廷に留まることになります。

「異教の女王」に続く2巻は、グウェンフウィファルが中心。アーサー王伝説の中でもあまり好きな人物ではありませんでしたが、この作品のグウェンフウィファルは、本当にとても嫌な女性ですね。望んだ子供が生まれず、周囲のプレッシャーに負けそうになっていたのは確かに可哀相ではあるのですが、それでも、お世辞にもあまり視野が広いとは言えない、子供っぽい、底の浅い女性。しかも自分なりの論理を持っていて、それを押し通そうとするのです。「小賢しい」という形容がぴったり。子供が生まれないことに対しても、ランスロットを愛してしまったことに対しても、まず自分自身に言い訳をしているグウェンフウィファルは、結局自分に甘いのでしょうね。好感が持てるとは言いがたいです。そして敬虔なキリスト教信者である彼女は、巧みにアーサーを動かし、アーサーはとうとう誓いを破ってペンドラゴンの旗を捨てることになります。しかしアーサーとランスロットとグウェンフウィファル3人のエピソードには驚きました。ここでの男性2人の態度は、後々影響してくるのでしょうか。
そしてモーゲンが入り込んだ妖精の国が、とても不思議な存在です。しかし傷ついた彼女を癒すには時が一番の薬。彼女にとっては大きな年月だったでしょうね。しかし、1巻のマーリンとヴィヴィアンの行動もそうなのですが、皆ブリテンのことを思う気持ちは同じなのに、揃って破滅に向かって突き進もうとしているのは、見ていて痛いです。


「牡鹿王-アヴァロンの霧3」ハヤカワFT文庫(2004年9月読了)★★★★★お気に入り

すっかり少年となった、モルゴースの元にいるグウィディオン(モードレッド)は、透視の力を発揮。そこに訪ねてきたのは、<湖の貴婦人>であるヴィヴィアン、<ブリテンのマーリン>となったケヴィン、そしてタリエシンの娘・ニニアン。ヴィヴィアンの訪問は、グウィディオンにアヴァロンでいにしえの教えと秘密の知恵を学ばせる時期が来たという知らせ。アーサー王がますますキリスト教に傾倒している今、2つの王家の血を引いているグウィディオンの存在価値はますます高くなり、次の<牡鹿王>となる運命を担っていたのです。そして五旬節の祝日、ヴィヴィアンはアーサー王のいるキャメロットの宮廷へ。しかしその日の祝宴の席で、ヴィヴィアンがアーサーと話し始めたその時、かつて母を殺されたと恨みを持っていた騎士・ベイリンが斧でヴィヴィアンを襲います。しかし巫女としての力が弱まっていたモーゲンには、<湖の貴婦人>の座を継ぐことはできなかったのです。

「アヴァロンの霧」3巻。
この巻で、アーサーとグウェンフウィファルは、初めてモーゲンの子供の存在とその素性を知ることになります。すっかりグウェンフウィファルの尻に敷かれてしまっている感のあるアーサーは、そのことについてキリスト教的な贖いをすることになるのですが、ここでまたグウェンフウィファルの嫌な面が前面に出ていますね。やはり国を傾けるのは、愚かで、しかし一途な女たちなのかもしれません。
グウィディオンは、ヴィヴィアンの言う通り、モルゴースの元に長く居過ぎたのでしょう。モルゴースが意図的にモーゲンを遠ざけようなどということをしていなければ、もしくは、モルゴースがここまで野心的な女でなければ、おそらくもっと素直な少年として育ったのでしょうね。才能や他人に愛される愛嬌を持って生まれているだけにとても残念。この2人の気持ちのすれ違いが切ないです。
しかしアーサー王伝説の中で、同じ名前の人物が何人も登場することが多々あるのですが、エレインに関してこういう展開になるとは思ってもいませんでした。この解釈は、なかなかのものですね。ブラッドリーの想像力には感嘆です。「ブリテンのマーリン」は称号に過ぎないというこの設定も凄いですね。


「円卓の騎士-アヴァロンの霧4」ハヤカワFT文庫(2004年9月読了)★★★★★お気に入り

ユーリエンス王と結婚したモーゲンですが、実際には、その息子であるアコロンとの恋に落ちていました。そして愚鈍な長男・アヴァロッホの代わりに、ドルイド僧としての修行も積んでいるアコロンがユーリエンスの跡継ぎになるように画策し、さらにアーサーに謀反を起こすように働きかけるのです。一方、グウィディオンはキャメロットの宮廷へ。身分を隠して宮廷に入り込んだ後、知略によって円卓の騎士の一員として認められることに。

「アヴァロンの霧」4巻。
これまでの3巻でも、アヴァロンがドルイド教の聖地であるという設定に始まり、細かい部分に至るまでのブラッドリーの様々な新解釈には驚かされてきたのですが、この4巻で初めて登場することになる聖杯についても同様でした。まさかこういう解釈でくるとは… まさに目から鱗。しかしこのような解釈が出てくるとは、ブラッドリーはもしやキリスト教徒ではないのでしょうか。この作品において、ブリテンという世界が女神を奉るドルイド教から、キリスト(男神)を奉るキリスト教へと移り変わり、それに伴って男中心の世界へと変貌していくその時代の流れが、とてもリアルで良かったです。私自身は、全ての神々は1つであるという考えなのですが、失われつつある女神信仰にモーゲンが焦って事を急ぎすぎてしまう気持ちはとても良く分かりますし、アーサーに対しては非常にじれったかったです。そしてその最後の出来事となる、ケヴィンとニムエのことについては、哀しいながらも最早止めることのできない流れを感じました。
物語の終わり方も、切ないながらもとても余韻があって良かったです。4巻前半までのモーゲンの感情的な行動があるからこそ、この最後の透明感が引き立つのでしょうね。アーサーとの哀しいいきさつも、ここでようやく昇華することができたという感じ。この2人に、もっとお互いに向き合う時間がありさえすればと思ってしまうのですが、しかしこれで良かったのでしょうね。普通の世界とは時の流れも違ってしまったアヴァロンで、モーゲンだけは永遠に生き続けるのでしょうか。かつてのモーゲンからは考えられないほどの穏やかな視線がとても暖かいです。
今まで紙の上の名前でしかなかったモーゲンに初めて血肉を与えたとも思ってしまうこの作品は、本当に面白かったです。これからはこれが、私にとってのアーサー王物語となってしまいそう。本当にブラッドリーの想像力と構成力には脱帽でした。


「ファイアーブランド」1〜3 ハヤカワFT文庫(2006年7月読了)★★★★

トロイアの王妃・ヘカベーは、夫であるプリアモスとの間に7歳の息子・ヘクトールと4歳の娘・ポリュクセネーがおり、今また出産を迎えようとしていました。しかしその夜、王妃は悪夢を見て悲鳴を上げます。夢の中では生まれたばかりの裸の赤ん坊に火がついて燃えており、その火は城を焼き尽くし、さらにトロイアの町へと燃え移ったのです。そして実際に生まれた赤ん坊は、男の子と女の子の双子。双子というだけでも十分に凶兆であり、さらにはトロイアの町を滅ぼすという予言だと考えられた王妃の夢のこともあり、アレクサンドロスと名づけられた男の子はイーデーヤマの山腹で羊飼いをしている年寄りの従僕に里子に出されます。そして女の子の方はアレクサンドラーと名づけられ、宮殿で育てられることに。カッサンドラーと呼ばれるその子には、幼い頃から透視の力がありました。(「THE FIREBRAND」岩原明子訳)

「ファイアーブランド」全3巻。元は1冊の本だったものを、日本で刊行するために「太陽神の乙女」「アプロディーテーの贈物」「ポセイドーンの審判」という3冊に分けたもののようです。トロイアの王・プリアモスの娘にして、太陽神の巫女でもあるカッサンドラーの視点から描いたトロイ戦争の物語。
マリオン・ジマー・ブラッドリーの作品らしく、描かれている女性たちが生き生きとしているのが特徴。古典作品のほとんどは男性によって書かれており、しかもその中に見えるのは男性ならではの論理。こうやって現代女性の視点で描きなおされると、まるで違う様相が見えてくるのが興味深いですね。そしてこの作品も「アヴァロンの霧」同様、大地の女神を信仰する女性たちと、その世界の終焉を描いています。ギリシャ神話や、ホメロスの「イーリアス」を始めとする数々の古代ギリシャ作品とは、設定が色々と違っているようですが、その中でも一番大きな違いは、やはりカッサンドラーに関する事柄でしょう。カッサンドラーは、一般的にはクリュタイムネーストラーに殺されたとされているはずなのですが、この作品では、そうではありません。その後も生き延びて、吟遊詩人がトロイアの物語を歌おうとするのを止める、というのがこの物語の始まり。この作品でのカッサンドラーは、12歳の時に母親・ヘカベーの妹・ペンテシレイアの率いるアマゾンに里子に出され、コルキスで大地の女神の巫女となり、トロイアに戻った後に太陽神の神殿の巫女となっています。アポロンの怒りを買ったのは神話の通りですが、それはアポロンが取り憑いたクリューセーを拒んだから。大胆な脚色ですね。
この作品に登場する女性は、カッサンドラーやペンテシレイア、イマンドラー女王、クリュタイムネーストラーのように自分の足でしっかり立って生きていく女性と、カッサンドラーの母ヘガベーや姉のポリュクセネー、兄嫁のアンドロマケーのように、男性の庇護にあることを喜ぶ女性の2種類。この時代の、男は外で働き戦い、女性は中で家事をして育児をする、という固定観念にカッサンドラーの存在は真っ向から対立。これがブラッドリーならではのフェミニズムですね。パリスの最初の妻・オイノーネーも、最初は男性の庇護にあっても、その後自分の足で立つ女性として描かれており、この辺りもギリシャ神話の物語とは大きく違うところです。「ポセイドーンの審判」の最後に少し登場するだけのクリュタイムネーストラーも同様。彼女とカッサンドラーのやりとりは、強く印象に残りました。そして男性の庇護を求めない女性たちの目に映るのは、まるで我侭な子供のように人間をおもちゃにする神々の姿と、その姿に重なるような、パリスやヘクトール、アキレウスといった男性陣の姿。いくら女性に肩入れするとは言っても、ここまで貶められた描き方をされてしまうと少し悲しいものがあるのですが…。飄々としたオデュッセウスや知的なアイネイアスの描き方は良かったと思うのですが、その他の男性陣は女性の言うことになど耳を貸そうとしませんし、アキレウスに至っては、ただの戦狂いのように描かれています。その辺りのバランスは、やはり「アヴァロンの霧」の方が良かったように思います。
しかし最後は、男性と女性が協力して築き上げる世界の予感を感じさせます。これはブラッドリーの中の変化を表しているのでしょうか?


「聖なる森の家」1〜3 ハヤカワFT文庫(2004年9月読了)★★★★

紀元前1世紀、ローマの軍団がのブリテン島の<聖なる島>を侵略。ドルイド僧は殺害され、巫女たちは陵辱されて、<聖なる島>のモナにあった<巫女>の家は破壊されます。そしてそれから100年余り経った頃、大ドルイド僧・アルダノスの孫娘・エイランは、同じく15歳のディエダと共に泉に供え物を捧げた帰り道、森の中の猪の落とし穴の中に落ちた19歳の青年・ガイウス・マケリウス・セウェルス・シルリクスを助けます。エイランの一家の手厚い看護で健康を取り戻すガイウス。しかし実はガイウスの父親はローマ人だったのです。そうとは知らずに、ガイウスと恋に落ちるエイラン。2人は結婚を望むのですが、真相を知った双方の父親に反対されることに。(「THE FOREST HOUSE」岩原明子訳)

「聖なる森の家」全3巻。元は1冊の本だったものを、日本で刊行するために「白き手の巫女」「龍と鷲の絆」「希望と栄光の王国」という3冊に分けたもののようです。
一方の中心にドルイド僧や巫女たちを、そしてもう一方の中心にローマという一大勢力が据えて、双方の視点から交互に描いている物語。何といっても魅力的なのは巫女たちの場面ですね。エイランやカレイニアンら巫女たちの場面はとても素敵。特に巫女志望者となったエイランが森に入っていく場面や、エイランが<最高位の巫女>としてルーナサの祭りに臨む場面などは神秘的かつ幻想的で、読んでいると目の前に情景が広がるような気がします。自然と調和した巫女たちの日々の生活もいいですね。しかし3冊目「希望と栄光の王国」の久美沙織さんの解説にもある通り、男性陣はローマ側もブリテン側も今ひとつ冴えません。物語の結末が少々呆気なく感じられてしまったのですが、それもおそらくガイウスの魅力不足のせいなのでしょうね。その辺りは少々惜しかったです。
物語の冒頭で、<最高位の巫女>カレイニアンが、「エイランをとおして、“龍”族つまりブリトン人と“鷲”族つまりローマ人の血は、賢き者すなわちドルイド教徒の血と混じりあったのだ。いざというときにはいつも、ブリテンを救う者がその血筋からあらわれるだろう」と予見している通り、後にこの血筋から現れるのがアーサー王。この物語からさらに300年ほどを経て、「アヴァロンの霧」の物語へと続いていくことになります。(この物語では、ドルイド教の巫女たちは<聖なる森の家>ヴェルネメトンに住んでいるのですが、まさに<林檎の島>アヴァロンへと移ろうとしているところでもあります) そしてこの物語では、キリスト教がようやくローマ人の間に広まり始めたところ。アーサー王の時代には、キリスト教がドルイド教を凌ぐ存在となっていくことを考えると、その辺りの描写もとても興味深いです。

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