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このページは、W.B.イエイツの本の感想のページです。

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「ケルト妖精物語」ちくま文庫(2005年11月読了)★★★

アイルランド生まれの詩人・イエイツが、アイルランドの民間伝承物語・妖精譚を自分で選び、アイルランドの妖精を初めて分類し体系化したという「FAIRY AND FOLK TALES OF THE IRISH PEASANTRY」と「IRISH FAIRY TALES」の中から、妖精譚28編と詩8編を選んで収録した本。付録にイエイツの「アイルランドの妖精の分類」を収録。(井村君江訳)

クロフトン・クローカーやウィリアム・カールトンなど、様々な作家によって蒐集された妖精の物語が集められています。シーオークやメロウといった「群れをなす妖精たち」、レプラホーンやクルラホーン、ガンコナー、ファー・ジャルグ、プーカ、デュラハン、リャナン・シー、ファー・ゴルタ、バンシーなどの「ひとり暮らしの妖精たち」と、その生活形態によって分けられているのが意外でしたが、前者はおおむね温和であり、後者は全く無情なものたちなのだそうで、その分類にも納得。しかし群れをなす妖精たちが温和だとは言っても、彼らは十分悪戯好きですし、平気で美しい娘や赤ん坊を攫ったりしています。これでも温和と言われるのですから怖いですね。いくら妖精が日常的な存在で、「紳士たち(ジェントリー)」や「良い人々(グッド・ピープル)」と呼んではいても、決して迂闊に気を許せない存在だったということが良く分かります。
こういった妖精たちは、キリスト教の浸透と共にだんだんと存在が薄くなってしまうのですが、キリスト教をもたらした聖パトリック自身が土着のドルイド教をよく理解していたため、そういった信仰を無闇に排除するのではなく、包み込むようにキリスト教を広めていくことになります。そして土着の神々は背丈が縮んで、妖精として残ることに。そのせいか、キリスト教が入った後も妖精譚には少し異教的な雰囲気が残っていて、そういうところが好きです。それでも、クロフトン・クローカーの「マッカーシー家のバンシー」のように、はっきりと神や最後の審判に繋がる物語もあるのが新鮮でした。そして全体的にとても素朴でケルト的な雰囲気でありながら、クロフトン・クローカーの「ノックグラフトンの伝説」は、瘤取り爺さん、「ゴルラスの婦人」は天女伝説と、日本の昔話に似ている物語もありますし、グリム童話など世界中に共通点のある物語も存在しているのですね。


「ケルト幻想物語」ちくま文庫(2005年11月読了)★★★

アイルランド生まれの詩人・イエイツが、アイルランドの民間伝承物語、妖精譚を自分で選び、アイルランドの妖精を初めて分類し体系化したという「FAIRY AND FOLK TALES OF THE IRISH PEASANTRY」と「IRISH FAIRY TALES」の中から、妖精譚以外を選んで収録した本。(井村君江訳)

「ケルト妖精物語」には妖精譚が中心に収録されているのですが、こちらは妖精譚以外の物語。「魔女・妖精学者」「常若の国」「聖者、司祭」「悪魔」「巨人」「王と戦士」「王妃様、王女様、王子様、盗人などの話」「幽霊」「悪霊」「猫」という項目に分けられています。「ケルト妖精物語」もそうなのですが、こちらもグリムやペローなどの童話に比べると、ごくごく素朴な雰囲気。妖精が登場しなくても、その雰囲気が変わらないのには少し驚きました。そして全体的にはやはりケルトらしい雰囲気なのですが、それでも「十二羽の鵞鳥」のように、白雪姫やその他のグリム童話が混ざったような物語もあります。しかし全体的に見ると、「ケルト妖精物語」もそうなのですが、読みやすい物語と読みにくい物語の差が激しいですね。やはりグリムやペローといった童話の方が断然洗練され、完成されているのだと感じさせられます。
「巨人」の章で取り上げられている「ノックメニーの伝説」では、ケルト神話の神々の1人だった英雄ク・ホリンが簡単にしてやられてしまっているのが、何とも言えません。


「ケルトの薄明」ちくま文庫(2005年11月読了)★★★

パディ・フリンという老人に聞いた話を中心に、妖精の物語や不思議な出来事の話が収められています。「ケルト妖精物語」「ケルト幻想物語」は、他の人間が採取した物語の中からイエイツが選んでいたのですが、この本に収められているのは、イエイツ自身がアイルランドを歩き回って様々な人々に聞いたという物語。イエイツ自身の感想も交えて書かれています。(「THE CELTIC TWILIGHT-Myth, Fantasy and Folklore」井村君江訳)

イエイツが編集した「ケルト妖精物語」と「ケルト幻想物語」も素朴な物語が多かったのですが、こちらはそれ以上に素朴な印象。物語になり切れないスケッチ的なものが多く、炉辺などで語る人々の言葉がそのまま伝わってくるようです。キリスト教が入ってきても、人々と妖精の繋がりは簡単に切れたりせず、良き人々を大切に思って生活してきたのが良く分かりますね。妖精がいる日々の情景という意味では、こちらの方が直感的に伝わってくるかもしれません。中には「教訓のない夢」のように、1つの立派にまとまった物語となっているものもあるのですが、そういった物語の方が異質で、ケルトらしさが薄れているような気がしてしまうのが不思議でした。
なかなか簡単に語ろうとはしない老人の元に通い、その重い口を開かせるのに苦労したり、逆に次から次へと語られる断片的な情景をまとめるのに苦心しているイエイツの姿が浮かび上がってくるようで、そういうところも微笑ましいです。

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