Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、ジャネット・ウィンターソンの本の感想のページです。

line
「さくらんぼの性は」白水uブックス(2008年12月読了)★★★★★お気に入り

17世紀、清教徒革命下のイギリス。テムズ川に捨てられていた赤ん坊は、50匹の犬と共に暮らし、犬たちを闘犬やレースに出して生計を立てている「犬女」に拾われ、ジョーダンという名前をつけられることに。成長したジョーダンは、自分の中に見えないインクで綴られたもう1つの人生があることに気付き、かつて野イチゴが香る家で見かけた踊り子・フォーチュナータを探して旅立ちます。(「SEXING THE CHERRY」岸本佐知子訳)

放っておけば空想がどこまででも広がってしまいそうな不思議な作品。本の紹介に「時空を超えた冒険の旅に出る」とあったので、もう少しSF寄りの作品なのかと思っていたのですが、これはファンタジーですね。それはまるで「12人の踊る王女たち」の中の、生まれつき軽すぎて天井に頭をぶつけそうになった3番目のお姫さまのエピソードのよう。しかし空想はそのまま飛んでいってしまうのではなく、王女が危ういところでへその緒に引っ張られたように、この物語も危ういところで引き戻されているようです。神話や聖書のエピソード、歴史的な物語、純粋な空想、様々なものを自然に同居させており、懐の深さを感じさせますし、そこかしこに私が好きな雰囲気がたっぷり。女の掃除人が掃除する様々な色の雲の話、宙吊りの家での生活のこと、恋が疫病扱いされている町の話、そして12人の王女たちの物語…。それぞれのエピソードが、どれをとってもとても魅力的なのです。そしてこういったファンタジックなジョーダンの物語と平行して進んでいくのは、もっと現実的な17世紀のイギリスを描いた犬女の物語。そのベースはあくまでも史実に忠実でありながら、犬女の存在だけはファンタジーなのです。そしてその2つの流れが作り出すのは、幻想的な物語。とてもリアルでありながら、とてもファンタジー。ロマンティックでありながら、とてもグロテスク。まるでピューリタンたちに割られてしまった教会のステンドグラスの色ガラスをカゴいっぱい集めたような、日の光が当たってそれらのガラスの様々な色合いが石畳に映って踊っているような印象を受ける作品です。
冒頭で時間についての言葉が書かれています。「ホピというインディアンの種族の言語は、英語と同じくらい高度に洗練されているにもかかわらず、時制というものがない。過去、現在、未来の区別が存在しないのだ。このことは、時間について何を物語っているのだろう?」…まさにこの言葉の通りの作品ですね。


「オレンジだけが果物じゃない」国書刊行会(2009年1月読了)★★★★★お気に入り

格闘技を観るのが好きな父と、格闘するのが好きな母。母にとっては全てが敵か味方か二つにひとつ。そして「私」は、普通のやり方で子供を授かることに不満だった母が、孤児院から貰ってきた子供。母とタッグを組んで「自分たち以外のすべてのもの」と闘うために、この家に連れてこられたのです。「私」は狂信的な母によって宗教的な教育を受け、異教徒たちと日々戦うことになります。(「ORNAGES ARE NOT THE ONLY FRUIT」岸本佐知子訳)

ジャネット・ウィンターソンの自伝的な作品ということで、この作品に登場する「私」の名前もジャネット。
ジャネットの母親は狂信的なキリスト教の一派の信者。新約聖書ではなく旧約聖書を中心に読んでいることからも、通常のキリスト教とはかなり違うようですね。ジャネットは旧約聖書を教科書代わりに読み書きを習いますし、徹底的に宗教教育されるので、小学校に入った時には周囲から完全に浮き上がってしまうほど。真に迫った様子で地獄の話をしてクラスメートを怖がらせてみたり、家庭科の時間にも、周囲がふわふわした羊や何かを刺繍しているというのに、1人地獄をモチーフに黒一色で刺繍をしてみたり。それでもジャネットは何の疑問を持たず、母親と教会を100%信頼し付いていきます。1つの出来事がきっかけで、全ての物事を自分の目で見つめなおすようになるまでは。
その出来事とはメラニーとの恋愛。ジャネットは同性愛者だったのです。そして信頼して打ち明けた母によって教会の牧師にも伝わり、教会で皆の前で弾劾され、悪魔祓いされることになります。この出来事がきっかけで、ジャネットは自我に目覚め、母親の言動にも疑問をもつようになります。もちろんそれは思春期の出来事。親の世界が全てではないと知るのは、多かれ少なかれ、どこの家庭にもあることです。しかしジャネットの家では、それが半端ではありません。そしてジャネットは母親と決別してしまうことに。
最終的には落ち着くところに落ち着いてしまったようで、それが少し不思議だったのですが、やはりこれが簡単に断ち切ることの出来ない家族の絆というものなのでしょう。狂信的な信者だというのが問題なだけで、母親はジャネットのことをきちんと愛情を持って育てていたわけですし、ジャネットも母を愛して育っていたのですから。しばらく合わない間に「果物といえばオレンジ」だった母親は「オレンジだけが果物じゃないってことよ」と宗旨替えしていたのですが、実は何も変わっていません。そんな母親をコミカルにシニカルに、少し離れた位置から描写しているのが、さっぱりとしていて楽しいですね。
時折挿入される寓話が面白かったです。賢く美しくデリケートな心の持ち主だったお姫様の話、どこもかしこも輪ゴムで出来た宮殿に住むテトラヘドロン王の話、完璧な女性を妃に求めた王子の話、そしてアーサー王の騎士の1人・パーシヴァルの話など、それぞれの寓話がその時々のジャネットの心を現しています。こういうところが、ジャネット・ウィンターソンならではですね。「オレンジだけが果物じゃない」… 甘さの中にほろ苦さを隠し持っているオレンジのような作品です。


「永遠を背負う男」角川書店(2009年2月読了)★★★★★お気に入り

ギリシア神話の巨人族ティタンのアトラスは、ポセイドンと大地の息子。かつてアトランティス大陸の住人たちはアトラスに忠誠を誓っていたのですが、ゼウスとの戦いでティタン族は破れ、アトランティス大陸は沈み、アトラスはその巨躯で天地を背負うという罰を受けることに。そして時間が流れ、そこにヘスペリデスの園に金の林檎を取りにやって来たヘラクレスが現れます。ヘラクレスはゼウスと人間の女性・アルクメネの間の息子。しかし赤ん坊の頃に女神ヘラの乳を飲み、不死身となっていました。エウリュステウス王のために様々な仕事をさせられており、これが11番目の仕事。アトラスはヘラクレスにしばらくの間その重荷を任せて、ヘスペリデスの園に林檎を取りに行くことに。(「WEIGHT」小川高義訳)

マーガレット・アトウッドの「ペネロピアド」同様、英国のキャノンゲイト社が主催する「世界の神話」シリーズの第一回配本作品。この物語の主人公は、ギリシャ神話に登場する巨人・アトラス。ヘラクレスに一時的にその重荷を背負わせるものの、結局再び重荷を背負うことになる巨人。そしてこのギリシャ神話のエピソードにジャネット・ウィンターソン自身の物語が絡められています。
ギリシャ神話で見るアトラスは、その重荷を重荷であるとしか捉えていないのですが、こちらの作品ではアトラスがその重荷を憎みながらも愛しているようなところが特徴。一時はヘラクレスがその重荷を代わって背負い、そのままアトラスが逃げてしまうこともできそうなところで、結局ヘラクレスがアトラスを騙して再び重荷を背負わせるようにするのですが、ここでアトラスは「やさしく穏やかに、ほとんど慈愛をこめた行為として背負う」のです。本当に辛いのであれば、世界がどうなろうとも構わず下ろしてしまえば済むこと。元々アトラスが背負う前はどうなっていたのか考えても、それほどたいしたことにはならないはず。アトラスを天地と一緒に何を背負っているのでしょう。そしてこの重荷の話は、いつの間にかジャネット・ウィンターソン自身の重荷とシンクロしていきます。彼女の重荷は、やはり宗教的に厳格な里親の家庭に育ちながらも同性愛に目覚めてしまったことなのでしょうね。重荷を下ろしてしまえば、世界は崩壊してしまうかもしれない。それでも彼女は自分の重荷を下ろすのです。その時どうなったか。結局のところ、重荷を下ろしてしまっても、本当に世界が崩壊することはなかなかないのですね。ほんの少しの勇気を出せばいいだけのこと。そんなメッセージが伝わってくるようです。
ヘラとヘラクレスの会話も面白かったですし、アトラスとライカの邂逅、そしてその後の場面もとても美しくて素敵です。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.