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このページは、ピーター・トレメインの本の感想のページです。

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「アイルランド幻想」光文社文庫(2003年12月読了)★★★★★お気に入り

【石柱】…盲目の作曲家・ファーガス・フィニューカンは身体を壊し、妻のキャサリンと共にしばらくアイルランド西部の静かな邸に住むことに。庭の真ん中には1本の石柱、メンヒルがありました。
【幻の島ハイ・ブラシル】…小さい頃から祖父の出身地であるアラン諸島の話を聞いて育った「私」は、ようやくアメリカからその中の最大の島・イニシュモアへと旅立ちます。
【冬迎えの祭り】…夫・マリオの女癖の悪さに家を飛び出したケイティ・ファントーニは、1人息子のマイクを連れてダブリン東の伯母の家へ。そしてクレア州の山の中の小さなコテッジを借りることに。
【髪白きもの】…アイルランド国立図書館の古文書部にいる「私」は、上司の指示でティぺラリー州バリィポリーンの村へ。そこの古い農家の廃屋から、17世紀の文書が出てきたというのです。
【悪戯妖精プーカ】…結婚して3年経った頃から「僕」は徐々にジェーンとの生活に物足りなくなり、その頃出会ったエリザベスと愛し合うようになって、10年目で離婚することに。
【メビウスの館】…テキサスの鉱山会社の調査員の「私」は、アイルランド銅山を調べるためにコーク州クノック・ナ・ヴローンのラー・ルア(赤い砦)へ。しかし採掘現場で足を滑らしてしまいます。
【大飢饉】…ニューヨークの三番街に建つ“いと聖なる贖い主”教会の司祭、イグナティウス神父は、アイルランド系のアメリカ人の男から恐ろしい告解を聞かされることに。
【妖術師】…両親と祖父を続けて失ったサー・ジャイルズは、マイケルバーンタウンのクーラリガン城を相続してそこに戻ることになります。しかし夜中に女性のすすり泣く声が…。
【深きに棲まうもの】…トム・ハケットは、曽祖父の時代にアメリカに移住したアイルランド系アメリカ人。祖父は1928年にアイルランドで失踪していました。そんなある日、手紙が届き…。
【恋歌】…レコード会社でプロデューサーをしている「ぼく」は、急用でジョン・マコーレイに会うために西コーク州ゲールタハトへ。途中道に迷って、通りがかった村に泊まることになります。
【幻影】…アイルランドのケリー州、イニシュ・ディスカルト島の司祭を務めるマーティーン・オ・メアラ神父は、島での出来事をローマ教皇庁のアントニオ修道士に書き送ります。
(「AISLING AND THE OTHER ILISH TALES OF TERROR」甲斐萬里江訳)

アイルランドに伝わる民間伝承をモチーフにしたアイリッシュ・ホラー11編。物語の中心となるのは、よその土地から来た、それほどアイルランドに関して深い知識を持たない普通の人間。そんな彼らがするりと伝承の世界に入り込んでしまうように、読者もするりと作品世界に入り込み、この土地の呪縛に囚われてしまいます。これらの物語の根本にあるのは、まずアイルランドの土地に今尚息づいている古い神々や精霊たち。そしてこの土地が見てきた人々の日々の営みや血塗られた歴史。特に12世紀から始まる、イングランドによるアイルランド侵略とそれに伴う虐殺、そして19世紀半ばの大飢饉が、物語の中で繰り返し描かれており、アイルランドの人々の慟哭や呪詛が色濃く感じられます。この作品の「ホラー」とは、こういった実在の歴史から生まれてくる怖さなのです。現実なら起きるはずのない出来事でも、アイルランドというこの土地ではいかにも起こりそうで、それもまた怖いところ。しかしもちろん「髪白きもの」や「大飢饉」のように、ぎょっとさせられる作品もあるのですが、これらの作品で描かれる情景はとても幻想的です。単なる怖さだけではない、幻想的なホラーであるところが嬉しいですね。この中で私が特に好きなのは、「石柱」「幻の島ハイ・ブラシル」「恋歌」。特に「石柱」の主人公が、石柱に様々な人間の顔を感じられるところが好きです。
そして読みながらこの世界観の確かさには驚かされたのですが、作者のピーター・トレメインは、実は高名なケルト研究者・ピーター・べレスフォード・エリスなのだそう。道理で土台がしっかりと確立しているはずですね。普段なかなか触れる機会のないゲールがふんだんに使われているのも楽しかったですし、その言葉の意味から導き出される結末にはひやりとさせられました。これならアイルランドやケルトに馴染みが薄い人にも読みやすいでしょうし、詳しい人にも楽しめる作品なのではないでしょうか。


「蜘蛛の巣」上下 創元推理文庫(2008年1月読了)★★★★

アラグラリンの領主である族長・エベルが寝室で殺されており、厩頭のメンマが見つけたのは、死体の横で短剣を握り締めていた男。殺人の知らせは、古代アイルランド五王国の中の最大王国モアンの玉座についたばかりの兄・新王コルグーを経て、すぐにリス・ヴォールに滞在中だったフィデルマの元へ。フィデルマは修道女でありながら、同時に熟練した法の専門家ということを示すアンルーという高位の持ち主。このアンルーというのは、エール五王国のいずれの法廷にも立つことができることを示す正式な資格なのです。フィデルマは、その日彼女が裁判官ブレホンを務めた最後の訴訟で勝訴し、アラグラリンに戻る若者・アルフーとその婚約者のスコーの道案内で、修道士エイダルフと共に早速アラグラリンへと向かいます。(「THE SPIDER'S WEB」甲斐萬里江訳)

7世紀のアイルランドを舞台にした歴史ミステリ。本国では5作目として刊行された作品なのだそう。エリス・ピーターズの修道士カドフェルのシリーズもあるように、やはり修道士や尼僧といった人々は、一般の人に比べて学があり、行動の自由がきき、様々な人々に出会う分、物語になりやすいのでしょうね。
フィデルマは非常に頭が良く、しかも美人という設定。自分自身の努力で得た「アンルー」という地位もあれば、モアン国王の妹という社会的な身分の高さもあります。礼節が蔑ろにされるところを黙って見逃そうとはせず、しかも傲慢な態度には我慢できないという性格。フィデルマが物語序盤でやり合うことになるアラグラリンの族長・エベルの娘・クローンも、未亡人となったクラナットも非常にプライドが高く傲慢な性格をしているため、フィデルマも自然に高飛車な態度を取ることになります。それが最初鼻についてしまい、読むのが少々つらかったです。フィデルマの設定にあまりに隙がないのも息苦しく感じてしまいました。しかし徐々に慣れてくると、ミステリ的な事件としては意外と込み入っていて読み応えがあり、とても面白いもの。7世紀のアイルランドという世界が舞台なだけに、覚えなければならない用語なども多いのですが、元々興味のある分野なだけに新しいことを知るのは楽しかったですし、女性にこれほど活躍できる場があったというのも新鮮な驚き。フィデルマとエイダルフのロマンスも今後期待できそうで楽しみです。
ただ、やはりシリーズ物は1作目から順番を追って読みたかったですね。フィデルマの人間的な成長や、フィデルマとエイダルフの関係がシリーズを通しての大きなモチーフとなっているのが感じられるだけに尚更。どうやらシリーズ1作目はアイルランドが舞台ではないようなのですが、「ケルト」という売り文句で邦訳が発表されるだけに、アイルランドが舞台でないとまずいと考えられてしまったのでしょうか。もしそうだとしたら非常に残念。早く1作目が読みたいものです。


「幼き子らよ、我がもとへ」上下 創元推理文庫(2008年1月読了)★★★★

キルデアの聖ブリジッド修道院の修道女フィデルマは、兄であるコルグー・マク・ファルバ・フランの呼び出しに応えて、アイルランド五王国中で最大のモアン王国の王城・キャシェル城へ。王である叔父のカハル王が黄色疫病(イエロー・プレイグ)に倒れて死は時間の問題となっており、そんな王城に訪れていたラーハン王フィーナマルの使者・ファルバサッハの強硬な要求にコルグーは困り果てていました。人々から広く敬われていた尊者(ヴェネラブル)ダカーンが8日前にロス・アラハーの修道院で殺害された事件で、ラーハン国王がその<血の代償金>と<名誉の代価>を払えと要求してきたのです。その<名誉の代価>として要求されているのは、オリスガ小国の支配権の返還。これはモアンとラーハンの間でこの6世紀というもの争われ続け、3年に一度タラの大王宮廷で開催される<タラの大集会>では、モアンに正当な権利があるとされてきたもの。フィデルマは、ロス・アラハーでの殺害事件に本当にモアン王家の責任があるのかどうかを調べに、早速ロス・アラハーへと向かうことに。(「SUFFER LITTLE CHILDREN」甲斐萬里江訳)

7世紀のアイルランドを舞台にした修道女フィデルマシリーズの、本国では3作目として刊行された作品。日本では最初に刊行された「蜘蛛の巣」よりも前の作品に当たります。
今回フィデルマと組むのはサクソン人の修道士・エイダルフではなく、国王直属の護衛戦士で、コルグーの腹心であるカース。個人的にはカースもとても魅力的だと思うのですが、フィデルマにとっては議論のやりとりをするには少々物足りないようで、事あるごとにエイダルフの不在を寂しがっています。まだ自覚はしていないようですが、既に恋心は育ち始めているようですね。
今回のフィデルマの仕事は、一触即発の状態となったモアン王国とラーハン王国の戦争を回避するための調査。実際にはモアン王国に、本当にラーハン王国が主張するような責任があるのかどうかを調べる仕事。2つの大きな王国に小さなオスリガ王国の運命が翻弄されることになります。今回一番興味深かったのは、やはり大王(ハイ・キング)によるタラの大集会でしょうか。この頃のアイルランドにおけるキリスト教のあり方はローマの正統派のキリスト教のあり方とはまた少し違いますし、それに合わせたように法律もアイルランドの生活によく合う独特なもの。しかしそれが思いのほかしっかりとしたものですし、とても地に足がついたもののように思えて好印象。「蜘蛛の巣」を読んだ時も、身障者の人権を保障する制度がきちんと存在していて驚いたのですが、今回も女性の人権に関する法律がこのブレホン法に既に定められていたようで、読んでいて驚いてしまいます。どうやら今後もブレホン法には楽しませてもらえそうです。そのようにしっかりと築き上げられた土台の上で、古代のアイルランドの生活を肌で感じられるような気がしてくるのが、このシリーズの一番の魅力なのでしょうね。


「修道女フィデルマの叡智-修道女フィデルマ短編集」創元推理文庫(2009年9月読了)★★★★

【聖餐式の毒杯】…ローマに巡礼としてやってきた修道女フィデルマ。しかしひっそりとした裏通りの小さな教会堂でのミサで、殺人事件に遭遇してしまいます。
【ホロフェルネスの幕舎】…フィデルマが受け取ったのは、幼馴染でアナムハラ(魂の友)でもあるリアダーンからの緊急の便り。フィデルマはすぐにオー・ドローナの砦に向かいます。
【旅籠の幽霊】…フィデルマは兄・コルグーから母が危篤という知らせを受け、吹きすさむ疾風と狼の遠吠えの中、スリーヴタ・アン・コマラーの峰を越えてモアン王国の王都キャシェルへ。
【大王の剣】…国中に<黄色疫病(イエロー・プレイグ)>が蔓延し、アイルランド全土を統べる大王だったブラーマッハとディアルムィッドも続けざまに斃れていました。
【大王廟の悲鳴】…万聖節の前夜。タラにある大王(ハイキング)シャハナサッハの宮殿の警備隊の兵士・トゥレサックは、この晩に警備に当たった不運を嘆いていました。(「THE POISONED CHALICE AND OTHER STORIES FROM HEMLOCK AT VESPErS」甲斐萬里江訳)

7世紀のアイルランドを舞台にした修道女フィデルマシリーズの短編集。
時系列的なことはあまり分からないのですが「大王の剣」から「大王廟の悲鳴」の3年ほどの間に「幼き子らよ、我がもとへ」や「蛇もっとも禍し」といった長編が入るそうなので、合間合間の作品と言えるのかもしれません。(長編作品は、今のところ「幼き子らよ、我がもとへ」がシリーズ3作目で、「蜘蛛の巣」が5作目)
短編作品も十分に読ませてくれることは、シリーズ外作品の「アイルランド幻想」でも既に分かっていたことですが、今回も切れのいい短編集となっていて、とても面白かったです。フィデルマは相変わらず冷静ですし、感情に流されない毅然とした態度で、その観察眼と洞察力、推理力を披露します。ただ、高飛車で傲慢な態度も相変わらず。これは正直鼻についてしまうのですが…。原書でもそうなのでしょうか。確かに基本的に高飛車な人物として描かれているとはしても、会話の翻訳の不自然さからすると、実は訳のせいもあるのかも、などと思ってしまうのですが、どうなのでしょう。
5作の中で一番面白かったのは、「大王の剣」。心の奥に潜む欲を炙り出す人間ドラマですね。そしてフィデルマが古代ローマで事件に挑む「聖餐式の毒杯」も面白かったです。フィデルマでなければ解決にもっと時間がかかるか、もしくは迷宮入りという事件を鮮やかに解き明かしてくれるのは、読者にとっても快感ですね。

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