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このページは、ローズマリー・サトクリフの本の感想のページです。

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「ケルトの白馬」ほるぷ出版(2006年8月読了)★★★★★お気に入り

草原が広がる北東の平野から、丘陵地帯に押し寄せてきたイケニ族の若者たちは、原住民たちを力づくで追い払い、自分たちの土地を手に入れ、一族にとっては財産でもある馬と暮らしていました。原住民との間もすっかり落ち着き、平和な時代に生まれたルブリン・デュは、族長ティガナンと妻・サバとの間の3男。生まれつき肌の色が褐色で髪も黒く、赤ん坊の頃から顔に似合わない大人びたまなざしをしている少年。5歳の頃、ルブリンは中庭で飛び交うつばめが空に描く美しい模様に魅せられ、自分でもつばめの動きを真似します。そして世継ぎの姫である妹が生まれた祝宴の席では、竪琴弾きのシノックの歌を聴きながら、音楽と詩が心の中で織りなす模様に魅せられ、思わず床石に模様を描くのです。ルブリンにダラとという親友ができ、少年組に入って一人前の男になるための様々なことを学ぶようになっても、ルブリンはつばめの飛行や竪琴の歌、麦畑を渡る風や疾駆する馬の群れなど、動くものを形に留めたいという痛いほどの欲求を持ち続けていました。(「SUN HORSE, MOON HORSE」灰島かり訳)

紀元前1世紀頃に作られたと言われている、バークシャー丘陵地帯のアフィントンにある全長111メートルもあるという白馬の地上絵に、ローズマリー・サトクリフが作り上げたという物語。
5歳の時から片時も離れずにいたような親友でも、ルブリンの絵に対する情熱を本当に理解してはいません。その情熱を本当に理解したのは、敵であるアトレバテース族の族長・クラドックだけ。そのせいか、印象に残ったのも、この2人のやりとりが多かったです。最初の出会い、2年後の再会、そして「弟」と呼んだ最後のシーン。ルブリンが濠の内側の壁に描いた馬の絵を見たクラドックが、最初の数頭と最後尾の馬の間の「ゆれているような線」について、「なぜ馬の形をしていないのか? まんなかにいるのも馬のはずだが」と質問した場面。ルブリンの「なぜなら、まんなかは馬の形には見えないからです」「まんなかの馬は、特別の注意を払わない限りは、かたまりにしか見えません。疾走している馬の群れを思い出してください。最初の馬と次に続く数頭、それから最後尾以外の馬が目に留まったことがありますか? 変化し流れる、ただのかたまりとしか見えないはずです」という答えは、ルブリンの描いた線を目の前に蘇らせてくれるような言葉ですね。その言葉から、クラドックはルブリンに丘陵地帯に大きな馬の絵を描かせることになります。
そしてその白馬の絵こそが、本の表紙に描かれている白い線。ルブランの孤独を乗せて走り続ける白馬の絵です。捕虜になったその日から感じ始めたルブランの孤独。周囲を人が取り囲んでいて感じる孤独は、1人きりの孤独とは段違いに深いものだと思いますが、その孤独が深いほど白馬への思いは純粋になり、白馬は命を得ることができたのでしょうね。
短いながらも、実に深く感じさせられる物語で、とても良かったです。サトクリフの他の作品もぜひ読んでみたくなりました。


「黄金の騎士フィン・マックール-ケルト神話」ほるぷ出版(2007年5月読了)★★★

アイルランドがエリンと呼ばれていた頃。エリンはアルスター国、マンスター国、コノート国、レンスター国、ミード国の5つの小王国に分かれており、エリン内の争いを収め、外敵からエリンを守るために、1つの王国に1つのフィアンナ騎士団がおかれていました。それらのフィアンナを統括するのが騎士団長。そしてターラの王宮で「運命の石」に右足を置いて座る、エリンの上王その人。そのフィアンナ騎士団が全盛を誇ったのは、英雄・フィン・マックールが騎士団長を務め、コルマク・マッカートがエリンの上王だった頃のことでした。(「THE HIGH DEEDS OF FINN MAC COOL」金原瑞人・久慈美貴訳)

フィアンナ騎士団長だったクール・マックトレンモーが、騎士団長の座を狙うエイ(ゴル)・マックモーナに殺された後に生まれたフィン・マックールが、追っ手から隠れながら立派に育ち、自分の手で騎士団長の座を取り戻して栄光の日々を送り、しかし老いて失墜していく物語。以前読んだ「オシァン-ケルト民族の古歌」と比べると、どうしても美しさや雄々しさ、気高さなどが足りず、あまりに散文的に見えてしまうのですが、読みやすさから言えば、こちらの方が上でしょうし、こちらはこちらで面白いです。遊び心はあまり感じられないのですが、おそらくオリジナルに忠実なのでしょうね。そして、この本1冊で1つの長い物語というよりも、フィン・マックールにまつわるエピソードを集めてきて並べたという印象でした。「炎の息のアイレン」と戦うフィン・マックールはまるでグレンデルと戦うベオウルフのよう。「黄金の髪のニーヴ」や「ディアミッドとグラーニア」はケルト神話の中でも有名なエピソードですし、「若い勇士」を助けるために海を渡ったフィン・マックールが出会う7人の男たち、ジラ・ダカーと醜い牝馬といったエピソードは他の童話や民話などでも見られるようなお話。「フィアンナの名馬」で登場するブリトン王の息子・アーサーは、アーサー王と関係あるのでしょうか…? おそらくこういった様々なエピソードが、様々な方面に影響を及ぼしているのではないでしょうか。
しかしどれほど賢明な人物であったとしても、どれほど繁栄した国にも、いつかは衰退の影が差すもの。フィン・マックールも老いには勝てないようです。ディアミッドとグラーニアのエピソードを見ても、ディアミッドを愛しているからというよりも、自分の誇りを傷つけられたからというのが明らか。若い頃の心の広い賢明な団長ぶりを見ているだけに、老いてからのエピソードは読んでいて哀しくなってしまいます。しかしこういった斜陽こそがケルトの魅力でもあるのですね。最後の場面は鮮やかでした。


「炎の戦士クーフリン-ケルト神話」ほるぷ出版(2007年5月読了)★★★★

アルスターの赤王ロスの孫・コノール・マク・ネサが王位について間もない夏至の日。ティル=ナ=ノグに住む神々の一族シーデの娘・マガとドルイド僧のカトバトの娘・デヒテラが行方不明となります。デヒテラ姫が見つかったのは3年後の夏至の夜。鳥打ちに出かけたコノール王一行がブルグ=ナ=ボイナの妖精の土塚の近くで野営した時、なぜか眠れなかったフェルグス・マク・ロイは、デヒテラ姫と「長い槍のルグ」こと太陽神に出会うことになるのです。そして一行に託されたデヒテラ姫の贈り物は、生まれたばかりの赤ん坊。セタンタと名付けられたその赤ん坊こそが、後の「アルスターの猛犬」ことクーフリン。勇者揃いの赤枝戦士団の中でも並ぶもののない勇士となる男でした。(「THE HOUND OF ULSTER」灰島かり訳)

「黄金の騎士フィン・マックール」と対になるようなケルト神話物語。しかしサトクリフ自身が「黄金の騎士フィン・マックール」の「はじめに」で書いているように、民話や妖精物語と言うのに相応しいファンタジックな雰囲気を持つ「フィン・マックール」に比べて、この「クーフリン」が叙事詩と呼ぶのに相応しい荒々しく激しい英雄物語です。もちろんどちらにもケルトの神話ならではのドルイド僧の存在や神々の血を引く人々が登場し、常若国「ティル・ナ・ノグ」の存在も信じられているのですが、こちらの方が時代を遡る分、荒ぶる神々の血がダイレクトに感じられるような気がします。クーフリン自身、太陽神である「長い槍のルグ」の血を引いていますし、その武器は影の国の女戦士スカサハにもらった彼女自身の剣と魔法の槍ゲイ・ボルグ。しかしその槍を生涯で2度しか使わなかったクーフリン、使った相手が他ならぬ親友のフェルディアと彼自身の息子のコンラの2人だったというのが何とも皮肉です。
「黄金の騎士フィン・マックール」でも感じたのですが、やはりケルトの世界の人々は呪いやその人に与えられた運命は覆すことはできないと信じているのですね。最初にカトバド神官の占いを自分のものにしようと決めた時から、最後に渡し場にいたバンシーを見る時まで、クーフリンは自分の運命をそのまま受け入れ、真正面から戦い続けます。それがまた潔く、美しいのですが…。

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