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このページは、ケイト・サマースケイルの本の感想のページです。

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「ネヴァーランドの女王」新潮クレスト・ブックス(2007年6月読了)★★★★

1993年12月末、当時「わたし」が勤めていたデイリー・テレグラフ紙の追悼編集部に、一通の手紙が届きます。それはテレグラフ紙の死亡欄に載っていたメアリアン・バーバラ・カーステアズが追悼欄に相応しい人物なのではないかという内容。編集部の面々は誰もカーステアズを知らないのですが、資料室でファイルを調べてみると、新聞記事の分厚い切り抜きが出てきます。1900年生まれのカーステアズは型破りで破天荒な男装のレズビアン。ジョー・カーステアズとして1920年当時は広く名前を知られ、国際モーターボートレースでも優勝して世界最速の女性となるものの、1934年に突然イギリスを捨てて英領西インド諸島のホエール島を買い取り、この島に君臨したという人物。追悼記事を書き上げた「わたし」は、さらにカーステアズのことを知りたくなり、カーステアズについて調べ始めます。(「THE QUEEN OF WHALE CAY」金子宣子訳)

メアリアン・カーステアズは元々男性には興味がなかったようですが、初めて女性から「性の興奮と知の興奮の手ほどき」を受けたのは、17歳の時のこと。その手ほどきをしたのは、オスカー・ワイルドの姪で、当時パリ社交界の中心にいたドリー(ドロシー)・ワイルド。メアリアン・カーステアズはたちまちのうちにドリーに魅了され、大金持ちではあるものの野暮ったい田舎娘だったメアリアン・カーステアズは、様々なことをドリーに教わることになります。
ドリーとのことは一時のことで終わってしまったようですが、この出会いはメアリアン・カーステアズを大きく変えることになります。メアリアンという名前を捨ててジョーと名乗るようになったカーステアズは、数々の女優と浮名を流し、その中にはマレーネ・デートリッヒのような大女優も含まれていたのだそう。ボートレースにも果敢に挑戦し、ホエール島を買い取ってからも精力的に活動。そういった面を見ると、表向きには豪快で華やかな生き方のように見えます。しかしこの作品を読んでいると、その裏に潜む寂しがりやの素顔が透けて見えてくるような気がしました。次々に浮き名を流しても、本当に求める愛情はなかなか得ることができないカーステアズの姿に、結局失ってしまったルース・ボールドウィンの存在の大きさを感じずにはいられませんし、トッド・ウォドリー卿への偏愛は、自分が子供の頃に求めてやまなかった親の愛情、結局得られないまま終わってしまった愛情への渇望が見え隠れしているようで哀しいです。何事においても自分が拒絶されたということを認められず、捨てられたのではなく自分から捨てたのだというように、意地っ張りな発言を繰り返しているところも痛々しいですね。しかも、1920年当時は性的に寛容な時代だったようなのですが、それは戦争のために男性がかなり不足していたことも大きな要因。もしこれで戦争がなければ、これほどまでに自分の好きな道を押し通すことはできなかったでしょうし、これほどまでにもてはやされることもなかったと思うのですが、逆にもっと身近なところに着実な愛情を見つけて幸せに暮らせていたのではないかとも思うのです。時代に甘やかされたのが、カーステアズの不幸だったのかも…。彼女には有り余るお金があったことも、不幸の要因の1つのように思えます。彼女は自分が世話になった人間や愛人には終生金銭的援助を与え、時にはその人間が死んだ後も遺族を援助したようですが、逆にお金に頼りすぎているように見えてしまいます。
ジョー・カーステアズ自身にはあまり惹かれなかったのですが、ドリー・ワイルド、クウェンティン・クリスプやタリューラ・バンクヘッド、マレーネ・ディートリッヒなど、周囲の人物とのエピソードが興味深かったです。

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