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このページは、ウォルター・スコットの本の感想のページです。

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「湖の麗人」岩波文庫(2007年4月読了)★★★★★お気に入り

大鹿を追いかけているうちに仲間とはぐれ、乗っていた馬を失い、犬だけを連れた狩人は、カトリン湖のほとりで追放されているジェイムズ・ダグラス卿の娘・エレンに出会います。狩人が鳴らした角笛を、父の角笛の音かと思ったエレンが、船を漕いで迎えに来たのです。その狩人はジェイムズ・フィッツ=ジェイムズと名乗る騎士。道を失って難渋していると話す騎士をエレンは自分の家に案内し、一夜の宿を提供することに。実はエレンの家にいるアラン・ベインがその前夜、高貴な客の到来を予言していたのです。(「THE LADY OF THE LAKE」入江直祐訳)

入江直祐氏の旧仮名遣いの訳が古めかしいながらも、非常に美しい作品。本来なら全編叙事詩として書かれているそうなのですが、作品中で歌として歌われている部分以外は散文として訳されています。アーサー王伝説の湖の乙女にヒントを得た、中世の騎士物語。スコットランドのエディンバラ生まれのウォルター・スコットはハイランドで育ち、実際にこの作品で舞台になった土地もよく知っているようです。湖や山間などの描写がとても美しいです。その湖に住むのは美しく幻想的な乙女。その乙女に恋する勇士たち。竪琴を奏でながら歌い、預言をする老人。しかし美しい描写だけではないのですね。騎士・ジェイムズ・フィッツ=ジェイムズが大鹿を狩る場面、徐々に感じられる不穏な空気、怪しげな預言者の儀式、戦争の知らせのために走る伝令たち、そして来る戦争の場面。特に印象に残ったのは、伝令が「火焔の十字架」を持って村から村へとひた走り、辿り着いた村の伝令にその十字架を託し、受け取った伝令が新たに走っていくシーン。それから面白かったのは、ジェイムズ・ダグラスがスターリング城に着いて、祭りを見てまわっている場面。矢場の傍には、ロビン・フッドやタック、リトル・ジョン、スカーレット、マリアン姫など錚々たるメンバーが並んでいるのです。この場面だけのことなのですが、こういう遊び心がまた楽しいところ。
この物語の中で、アラン・ベインの竪琴に合わせてエレンが歌う聖母賛歌にシューベルトが曲をつけたのが、有名なあの「アヴェ・マリア」の曲(エレンの歌第3番)なのだそうです。あの曲の美しさは、この作品の持つ美しさにぴったりですね。


「アイヴァンホー」上下 岩波文庫(2007年3月読了)★★★★★

12世紀末、獅子心王・リチャード一世が王弟ジョンの陰謀でオーストリアに幽閉されていた頃。イギリスではレスター州アシュビーで当代一流の戦士たちが技を競う武術試合がとり行われ、リチャードから王位を奪いたいと考えている王弟ジョンも、試合場に顔を見せて花を添えます。挑戦者はブリアン・ド・ボア・ギルベール、レジナルド・フロン・ド・ブーフ、リチャード・ド・マルヴォアザン、ヒュー・ド・グランメスニル、ラルフ・ド・ヴィポンの5人。5人の試合が行われ、そこに甲冑に「勘当者」という「デスディチャード」の文字のある新たな冒険者が現れます。勘当の騎士は5人を次々に倒すものの、王弟ジョンの前でも面頬を上げようとせず、名前も名乗ろうとしなかったのです。王弟ジョンは、もしや兄のリチャード王ではないかと不安になります。(「IVANHOE」菊池武一訳)

イギリスロマン主義の作家・ウォルター・スコットの代表作。
アイヴァンホーとは、サクソン人のセドリックの息子のウィニフレッドのこと。アイヴァンホーという呼び名は、その領地の場所アイヴァンホーにちなんでいるのですね。父が後見人となっているロウイーナ姫と恋仲になったために父親から勘当され、十字軍の兵士となりパレスティナに出征。
しかし題名こそ「アイヴァンホー」ですが、あまり主人公という感じはしません。もちろんアイヴァンホーとロウイーナ姫とのロマンスも物語の中に含まれてはいるのですが、アイヴァンホー自身はともかくとして、ロウイーナ姫もそれほど詳細に描きこまれて肉付けされているという感じではありませんし、むしろノルマンとサクソンの反目を背景に、黒衣の騎士となった獅子心王リチャードと王弟ジョンそしてロクスリーと名乗る義賊ロビン・フッドとその一味の活躍を描いた冒険活劇といった方が正しいでしょう。ロビン・フッドや托鉢僧・タックは、終盤までその名前を明かされませんが、鮮緑色(リンカーン・グリーン)の上衣を着て… といういう時点で、イギリスの読者なら誰でもその正体に気づくそうです。
それにしても、当時のユダヤ人に対する差別感情はやはりすごいですね。ユダヤ人の金貸し・アイザックの造形はいかにもユダヤ人らしく、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のシャイロックやチャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」のスクルージの姿と重なり、それもまたいたしかたなく感じさせられてしまうのですが、アイザックよりもその娘・レベッカの場面でその根深さを思い知らされました。アイヴァンホーにしたところで、命の恩人であり、とても感謝して天使だとまで思っていたレベッカに対しても、ユダヤ人だと分かった途端に表情が変わってしまうほどなのですから。しかしこれは、敬虔なキリスト教信者であるアイヴァンホー自身には、生まれてこの方刷り込まれて育てられている以上、どうしようもないことなのでしょうね。しかしこれでレベッカが若くなく、絶世の美女でもなければ、どのような見苦しい場面になったかと勘ぐってしまうほど。しかしそんなこともあるせいか、レベッカの可憐な気高さが一層際立ちますね。自分の意に染まない相手の物になるぐらいなら自分で自分の命を絶とうという潔さ、聖堂の騎士たちによる魔女裁判の席でも見せる凛とした気高さと聡明さ、最後はロウイーナに人間としての礼儀を尽くすレベッカこそが、実はこの作品の主役なのではないでしょうか。
ただ、この作品の訳は日本の時代物調。「武士(さむらい)」「上人さま」「拙者」「〜し申す」などの訳が、どうしても最後まで馴染めなかったです。これではロビン・フッドのイメージが崩れてしまうので、そろそろ新訳に登場してもらいところですね。


「最後の吟遊詩人の歌-作品研究」評論社(2009年4月読了)★★★★★お気に入り

英蘇国境地方の武勇譚を歌った多くの詩人たちの中で最後の1人となった吟遊詩人も、いまやすっかり年老いており、放浪の竪琴弾きとして貧しい暮らしに苦しんでいました。時代は移り代わり、古い慣習は消え、最早大広間の上席について華やかに着飾った領主やその奥方に即興の調べを聞かせることもなくなっていたのです。飢えて疲れきっていた彼は、ヤロウ河畔のニューアーク城のアーチをくぐります。しかし思いがけずバックルー公爵夫人に暖かくもてなされると、彼には吟遊詩人の誇りが甦り、名君と言われたフランシス伯爵のこと、これほどの勇者はないと言われたウォルター伯爵のこと、バックルー一族の古の戦士たちにまつわる古い武勲物語を歌うことに。(「THE LAY OF THE LAST MINSTREL」佐藤猛郎訳)

ウォルター・スコットの「最後の吟遊詩人の歌」の原文と日本語訳、そして佐藤猛郎氏による作品研究が収められている本。
「最後の吟遊詩人の歌」は、序詩と吟遊詩人が歌う6曲の古い歌から成る作品。舞台背景は16世紀の半ば頃であり、もてなしてくれた公爵夫人の祖先に当たるブランクサム城主夫人・ジャネット・ビートンが物語の中心です。バックルーのウォルター卿が、スコット一門とセスフォード一門との間の戦いにおいて戦死。復讐を誓う城主夫人は、腹心の家来・デロレインをメルローズ寺院に使いにやり、マイケル・スコットと共に埋葬されている「秘法の書」を取ってこさせます。この「秘法の書」は、バックルー一家の存亡の危機の時だけ使うことを許されるものなのです。しかしその「秘法の書」はクランストン卿の小姓で、実は妖怪・ギルピン・ホーナの手に渡ってしまい… そんな物語を中心に、城主夫人の娘のマーガレットと敵であるクランストン卿との許されざる恋物語や、バックルー家のさらわれた若君などの物語が絡んで進んでいきます。これらの登場人物は全て実在の人物で、起きる出来事にも史実が多いのだそう。ウォルター・スコット自身の祖先の歌人「Walter Scot of Satchells」が書き残した「スコット一門正史」を書かれていたことをかなり使っているようです。
これは19世紀の作品であって、私が一番好きな中世のものではないのですが、それでも当時の情景がよみがえってくるような素晴らしい作品だと思います。老吟遊詩人が語るという枠物語の形式を取っているので、尚更そういった印象になったのかもしれません。読んでいて胸が熱くなるというのはこのような作品のことですね。そして「作品研究」では、老吟遊詩人に焦点を当ててウォルター・スコットが表現しようとしたものを探っており、その読み方がとても参考になりました。

「作品研究」では、「Bard(歌人)」と「Minstrel(吟遊詩人)」の違いについて触れられているのも興味深いですね。「Bard」はケルト系の氏族の領主に直属し世襲制で、一族の系図や武勲を暗誦し、饗宴の席で竪琴に合わせて歌うだけでなく、領主の子弟の教育を受け持ち、戦いにおいては使節の役目も果たす人物とのこと。身分としては、領主、乳兄弟に次ぐ高いもの。その次に鼓笛手、布告役、一般家臣と続くのだそうです。それに対して「Minstrel」は、「中世期において、詩と音楽で生計を立て、竪琴に合わせて、自作の、あるいは他人が書いた詩を歌ってきかせることを職業とする人々」のこと。北欧系の「Scald(歌人)」のようにゲルマン系諸民族の間でも「Glee」「Jongler」「Minstrel」と呼ばれる歌人と芸人の中間のような人々が存在して口承史家あるいは芸人として親しまれ、それらがドイツでは「Minnesinger」、南フランスでは「Troubadour」といった宮廷歌人になっていったとのこと。しかし一時は王侯に仕える身分にまでなった「Minsutrel」も時の移り変わりと共に身分が変わり、文書による記録が一般化するにつれて、その地位は地に落ちてしまったようです。この作品はそんな時代の物語だったのですね。
英国における吟遊詩人の活躍は、英語が一応成立した13世紀頃から、エリザベス一世に弾圧されるようになった16世紀末まで。北欧系「Scald」とケルト系「Bard」の伝統が結びついたスコットランド、特に国境地方で優れた吟遊詩人を残したようです。


「マーミオン」成美堂(2009年7月読了)★★★

険しい丘と広く深いトゥイードの川、さびしげなチェヴィオットの山並みにかかるように建てられているノーラムの城の高い見張り塔に立つ戦士たちは、遠くの馬のひずめの音を耳にし、ホーンクリフ・ヒルを越えて槍を持った一群の騎馬武者たちが近づいてくるのを目にします。それはイングランド中の騎士の華・マーミオン卿の率いる騎士たち。一行は早速城に迎え入れられます。マーミオンはヘンリー8世の命令でスコットランド王・ジェイムズ4世のもとへと赴く途中なのです。マーミオンは道案内を得ると翌朝早速出発します。(「MARMION」佐藤猛郎訳)

ヘンリー8世の寵臣・マーミオンが主人公。尼僧のコンスタンスを誘惑して修道院から脱走させ愛人にしてるけれど、今度は広大な土地を所有する貴族の跡取り娘・クレアに目をつけ結婚しようとする… という面もあれば、戦いにおいては勇敢で誇り高い騎士という面もある人物。マーミオンのスコットランド行きやコンスタンスの裁判、スコットランド対イギリスという戦争という展開の中で、マーミオンや今は尼僧見習いとなっているクレア、クレアの婚約者だったデ・ウィルトンといった人物の物語となっています。ただ、全6曲で、その曲そのものは純粋にマーミオンの物語詩となっているものの、それぞれに序詩がつけられており、その序詩は舞台となる土地のことやウォルター・スコットのことを語る、本筋とは関係ないものなのです。これを読むたびに本編の物語詩が分断されてしまうという欠点が…。結局本編と序詩を別々に読むことになってしまいました。実際の吟遊詩人の語りならばそんなことにはならないと思いますし、緩急をつけることによって聞き手を飽きさせない効果があると思うのですが、この作品に限っては逆効果ですね。

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