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このページは、クリストファー・プリーストの本の感想のページです。

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「逆転世界」創元SF文庫(2007年9月読了)★★★★★

全長1500フィートで、七層に区分された要塞のような<地球市>は、常にレールを敷設しては、1年に36.5マイルずつ進み続ける都市。この都市に生まれたヘルワード・マンは、生まれてこのかた託児所で育ち、この日都市で成人とされる650マイルの年を迎えて、ギルドの見習い員となる儀式に出席していました。父と同じ未来測量員を希望し、認められるヘルワード。同時に架橋ギルド員・ルルーの娘・ヴィクトリアと婚約し、生活が一変することになります。見習いギルド員の仕事は、まず様々なギルドの仕事を体験することに。最初の仕事先は、鉄道敷設ギルドでした。ヘルワードは生まれて初めて外に出て、土の匂いを嗅ぎ、夜明けの太陽が昇るのを眺めます。しかしその太陽は、かつて習ったような球形ではなく、円盤のような形をしていたのです。(「INVERTED WORLD」安田均訳)

英国SF協会賞受賞作品。
なぜ都市は移動し続けなければならないのか、なぜ都市の人々は外に出ることができないのか。そもそもこの世界は何なのか。最適線とは何なのか。都市が常に動き続けているため、人間の年齢を含む時間の概念は都市が動く距離数によって表現されます。ヘルワードの父が他の人間と比べて異様に老けて見えるのは、未来測量員という仕事に関係あるのだろうという予測はすぐにつきますが、序盤では特に何の説明はありません。太陽や月は円盤状に歪み、北は未来で南は過去。「未来に上」り、「過去を下」るのです。時間や距離も一定の絶対的なものではなく、状況に応じて相対的に変化。そもそもこの世界は何なのか、どこに存在しているのか。様々な疑問が膨らみ、しかし読者はただひたすらヘルワードの日常生活を追うのみ。ギルド員以外には内密にされている部分も多いですし、文明的な<都市>と、周辺の野蛮な原住民という対立が常に存在するのですが、ここでは特におかしな出来事はありません。ちなみに本文を読んでいるだけの状態では、マーヴィン・ピークの奇城・ゴーメンガーストを想像したのですが、本の表紙ではもっと普通の建造物。
それが変わるのは、ヘルワードの一人称ではなくなる第2部にになってから。都市で生まれるのは男の子ばかりのため、時折通り過ぎる周辺の村の女性と契約を交わして子供を産ませるという習慣があるのですが、そのために連れて来られた女性たちを村に返すためにヘルワードが過去を下ることになった時、ここで異様な体験を語られることになります。
結末は思いのほかあっさりしていたのですが、これはまさに逆転世界。アイデンティティクライシスですね。今まで信じて生きてきたものが、これほどまでに見事に根底から覆されてしまうとは…。それでも自分の認識を信じ続けようとするヘルワード。彼の苦悩は痛切であり、しかし同時に滑稽でもあります。訳者あとがきに、「認識の変革」はSF作品の重要で普遍的なテーマの1つだとされていましたが、まさにその意味でのSFなのですね。面白かったです。


「奇術師」ハヤカワ文庫FT(2007年6月読了)★★★★

その日の朝、アンドルー・ウェストリーの元に届いたのは、父からの郵便。その中には見知らぬ女性から送られてきたという、アルフレッド・ボーデンなる人物による「奇術の秘法」という本が入っていました。カード・トリックや手先の早業(スライ・ハンド)、シルクのスカーフを用いた道具手品などを扱った奇術教本に、アンドルーは戸惑います。しかしボーデンというのは、アンドルーの元々の苗字。アンドルーは元々ニコラス・ジュリアス・ボーデンという名前であり、生まれた時に母を亡くし、3歳の時にウェストリー夫妻の元に養子に出されていたのです。生みの親には何の関心もないものの、アンドルーは自分が一卵性双生児の片割れとして生まれてきたこと、養子となった時期に離れ離れになったことを確信していました。しかし養子縁組の関連記録を調べても、出生証明書を調べても、もう1人の子供に関する情報は一切ないのです。その日、仕事で訪れた北部の町で、アンドルーは自分が養子に出される前のことを知る女性、ケイト・エンジャに出会うことに。ケイトこそが、奇術の本の送り主であり、彼女の祖父はルパート・エンジャ、あるいは偉大なるデントンと呼ばれた奇術師でした。(「THE PRESTIGE」古沢嘉通訳)

世界幻想文学大賞受賞作品。
物語は、アンドルー、アルフレッド・ボーデン、ケイト、ルパートの4人の視点から語られ、そして最後に「プレスティージ」たちというエンディングという構成。全体としては、瞬間移動のイリュージョンを得意としていたアルフレッド・ボーデンとルパート・エンジャという2人の奇術師の確執の物語です。生涯を通じてライバル同士だった2人の確執は、その子孫であるケイトとアンドルーにまで続いており、その2人の手記の謎を解き明かすことになります。奇術の裏話も面白いですし、2人の奇術師の記述がそれぞれ主観的に、しかも意図的に捏造されつつ書かれているため、お互いの憎しみと羨望がないまぜになった感情が見え隠れしつつ随所で食い違っており、目が離せません。同じ出来事が、違う視点を通してみるとまるで違って見えるというのはよくあることですが、ここまで演出が入ることはまずないと思います。才能ある奇術師の見事な手品のように、既にどこからどこまでが真実で、どこからどこまでが虚構なのか読者には分からない状態。疑い始めればきりがないのですが、ボーデンとエンジャの2人の存在も合わせ鏡のようで、本当に2人が存在していたという証拠もないのです。「語り=騙り」とは、このことなのですね。そしてボーデンとエンジャの瞬間移動のトリックは何なのかという謎、戸籍上は兄弟がいないはずのアンドルーの双子の兄弟の謎などのミステリ的興味が中心となりますが、同時にSFでもあり、ファンタジーでもあり、ラストは怪奇小説のようです。しかしこのラストに既視感があるのはなぜなのでしょう…。
原題の「prestige」という言葉は、元々様々な意味やニュアンスを持っていたようですね。これに関しては解説が詳しく、参考になります。


「魔法」ハヤカワ文庫FT(2007年6月読了)★★★★★

爆弾テロ事件に巻き込まれた報道カメラマンのリチャード・グレイは、デヴォンの南の海岸、ミドルクームにある予後保養所で過ごしていました。何週間もかけて一連の大手術が行われ、今では杖を使えば1人で立つことができるところまで回復。しかし未だ移動には車椅子を使っており、しかも爆弾のショックで事件前後の記憶を失っていたのです。そんなある日、リチャードを訪ねて2人の人間が保養所を訪れます。1人は新聞記者のトニー・ストゥア、そしてもう1人はリチャードには見覚えのないスーザン・キューリーという女性。スーザンがリチャードのかつての恋人であり、しばらく一緒に暮らしていたのだと聞いたリチャードは驚きます。スーザンは新聞でリチャードの事件を読み、ロンドンからはるばるやって来たのです。スーザンの登場に刺激されたリチャードは、自分の記憶を取り戻したいと真剣に考え始めるのですが…。(「THE GLAMOUR」古沢嘉通訳)

ドイツ版ネビュラ賞であるクルト・ラスヴィッツ賞受賞作品。
記憶を失ったリチャードが思い出したのは、スーザンとの出会いとなった南仏の旅。この部分は、まるで平和なラブロマンスのよう。しかし保養所を訪れたスーザンによって取り戻したリチャードの記憶は一見何の矛盾もなさそうに見えながら、スーザンの語る物語とはまるで違うのです。リチャードとスーザンが恋に落ち、しかしスーザンの6年越しの恋人だったナイオールがその最大の障壁となり別れたというのは共通しているのですが…。記憶を失っていた人間が、些細なきっかけに飛びついて真実を歪めてしまうというのはありそうなことですが、ここまで違う出来事を作り上げてしまうなどということは、実際にあり得るのでしょうか。少なくとも本人には信じられないはず。リチャードによって再構築された過去の物語は、語られると同時に崩壊していきます。そしてリチャードの中では単に「魅力」という言葉でしかなかった「glamour」という言葉が、実は非常に深い意味合いを持っています。しかしそれが分かるのは、スーザンの物語が始まってから。「奇術師」の原題「The Prestige」と同様のダブル・ミーニング。
終盤、ある登場人物の存在が突然変貌し始めて驚かされます。同じような趣向を目にしたことはあるのですが、これほど見事にしてやられるとは思いませんでした。驚愕のラストです。


「双生児」早川書房(2007年7月読了)★★★★★お気に入り

イングランド中部ダービシャー州の町・バクストンの書店でサイン会を開いていた作家のスチュワート・グラットンは、サイン会を訪れたアンジェラ・チッパートンという女性に、その父親が書いていたというノートのコピーを渡されます。以前グラットンは「英空軍儀礼飛行」という雑誌に、ソウヤーという名前の1940年代に英空軍爆撃司令部に属していた人間の情報を求める広告を出しており、父親が書き遺した20冊ほどのノートが役に立つのではないかと考えたアンジェラが、その一部をコピーして持参したのです。(「THE SEPARATION」古沢嘉通訳)

第二次戦争下の英国が舞台の作品。その頃のことを本に書こうと考えている作家・スチュワート・グラットンの集めた資料を読むという形で物語は進んでいきます。グラットンが調べていたのは、ソウヤーという名前の兵士もしくは士官。ソウヤーは良心的兵役拒否者でありながら、同時に英空軍爆撃機操縦士でもあるという人物で、英国首相・チャーチルは、なぜそのようなことが可能なのかというメモを残していました。そこにグラットンはその事情に秘められた物語を感じ、ソウヤーという人物に、そして特にヒトラーの副官であるルドルフ・ヘスが英独講和条約を携えて飛び立った日にソウヤーが何をしていたのかに興味を引かれたのです。
1人の人間が良心的兵役拒否者でありながら英空軍爆撃機操縦士だという疑問の答は、ソウヤーが1人の人間ではなく、一卵性双子のJ.L.ソウヤー、ジェイコブ・ルーカス・ソウヤー(通称JL)とジョウゼフ・レナード・ソウヤー(通称ジョー)という2人だったと早々に明かされるのですが、そこはクリストファー・プリーストだけあって、一筋縄ではいきません。むしろそこからがプリーストの本領発揮。本格ミステリ作品では双子を使ったトリックは使い古されてるとも言えますが、これはそれらのトリックとはまたまるで違う、プリーストならではの世界。
読み始めてすぐに「1940年半ばの米中戦争」という言葉にひっかかるのですが、もうここから始まっていたのですね。ボート競技でベルリンオリンピックに出場したところから始まる双子の物語も、時代が戦争へと流れ込んでいく辺りも読んでいて純粋に面白く、歴史小説としても十分面白く読めます。ウィンストン・チャーチルやルドルフ・ヘスにもっと詳しかったら、と思うと少々残念ではあったのですが、それでも十分面白いです。もちろんそれは表層上でのことにすぎないのですが、それも本を読む上では重要ポイントですね。大胆でありながら緻密。最高に複雑なはずの物語もクリストファー・プリーストの筆にかかればとても読みやすく、しかもクリストファー・プリーストならではの知的な「語り=騙り」に翻弄されます。肝心のトリックに関しては、もし読み終えた時には分からなくても、大森望さんによる解説に詳しく書かれているので心配無用です。

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