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このページは、スーザン・プライスの本の感想のページです。

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「ゴースト・ドラム」福武書店(2007年6月読了)★★★★★お気に入り

湖のほとりのカシの木に金の鎖で繋がれている博学の猫が語ったのは、遥か彼方のギドン皇帝が治めている国の物語。冬至の日に1人の赤ん坊を産んだ奴隷女を訪ねて来たのは、1人の魔女。魔女はその赤ん坊が生まれてくるのを100年も待っていた、赤ん坊を引き取って育てさせて欲しいと奴隷女に言います。魔女が育てれば赤ん坊は魔力を持ち、皇帝の息子に愛されるようになるというのです。最初は渋っていた奴隷女も、結局は魔女に赤ん坊を渡すことに。一方、冷酷非情な君主であるギドン皇帝は、世継を得るために后を選ぶことになります。選ばれたのは若く美しく、ほどほどに賢い奴隷女のファリーダ。誰一人后が生きながらえるなどと思わない中で、ファリーダは残虐な皇帝の妹・マーガレッタに殺されることもないまま、じきに世継ぎを身ごもります。しかしいざ世継が誕生するとなると、地位を奪われるのではないかと不安に駆られる皇帝。男の赤ん坊が生まれてサファと名付けられるのですが、その子は宮殿の一番高い塔のてっぺんの部屋の中から一歩も出ないまま育てられることに。(「THE GHOST DRUM」金原瑞人訳)

1987年イギリス・カーネギー賞受賞作品。
1年の半分が冷たく暗い冬だという凍てついた国が舞台の物語で、一面の雪と薄い暗闇の情景が強く印象に残ります。しかし「オーディンとのろわれた語り部」のような、北欧神話のイメージとはまた少し違いますね。舞台はどこなのでしょう。ロシア的なところが感じられる気がするのですが。…と思ったら、ババ・ヤガーというのはスラブ系の民話に登場する魔女のことのようですね。
まず、老婆がチンギスを育てていく過程が面白いです。魔女は普通に子育てするのではありません。歌によって育てるのです。ゴースト・ドラムを軽快なリズムで叩きながら、合間合間に叫び声や呼びかけを入れてゆくと、その歌によって赤ん坊が育っていきます。歌の始めの1節には、赤ん坊が生まれて最初の年に覚えることが全て篭められており、次の1節に篭められているのは、2年目3年目に学ぶこと。育て育てという呼びかけと共に赤ん坊が大きくなり、丸1年間歌い終わった時には、最初毛布にくるまっていたはずの赤ん坊は既に20歳の娘になっているのです。娘が丸1年の空腹を満たした後は、魔法使いになるための実地の訓練。まずは薬草の使える医者になることを学び、死の国のことを知るのですが、最も大切なのはその後の3つの魔法。言葉、文字、そして音楽です。言葉の魔法の説明の中で老婆は、おろかな戦争を例えに、言葉がすさまじい力を持っていると説明します。しかしその魔法を磨けば、言葉は我々の五感を研ぎ澄まして下等な魔法から守ってくれるとも。文字の魔法を知れば、2000年も前に死んだ魔法使いが語りかけてくるし、最も強力で偉大な魔法である音楽の魔法を知れば、人の感情を操り、身体を癒したり死をもたらしたりすることができ、音楽に言葉を乗せれば、心を持つ全ての者を意のままにできると言います。この最も重要な3つの魔法は、今のこの世界にも十分通用することばかりですね。確かに、ごく普通の人間が使ってもそれは魔法。それに長けている人間は、様々なものを支配することになるのでしょう。さらに、博学博識の猫が語るという形式も雰囲気を出していて良かったですし、魔法使いの家も面白いです。チンギスと老婆の家にはニワトリの脚がついていて、雪の上をとことこ走ります。他にはアヒルやクマ、ロバ、様々な動物の脚を持つ家があるようで、その家に住むのが魔法使いの証。これはババ・ヤガーの家なのでしょうか。
全体に漂う一種独特な雰囲気は、スーザン・プライスの特徴なのでしょうね。一応児童書として刊行されながらも、到底児童書とは思えない作品。あとがきで金原瑞人さんも書かれていますが、いわゆる「教育的配慮」がまるでないのです。しかし比較的短い作品ながらも、中身は非常に詰まっていて、ずっしりと重い手ごたえがありました。この作品はシリーズ物で続編も出ているのだそう。ぜひ訳して欲しいものです。


「オーディンとのろわれた語り部」徳間書店(2007年6月読了)★★★★

アイスランドのクヴェルドルフ・エーギルソンは、死と詩と魔法の神・オーディンに祈ってその力を借りる邪悪な魔法使い。人間の魂を与えた大ガラスに各地で盗み聞きしたことから色々な知識を得ており、ある日北の最果ての国・テューレの女王がそろそろ結婚を考えていることを知ります。魔法使いであり戦士である女王が、並の相手と結婚するわけにはいかないと言っていたと聞いたクヴェルドルフは、自分こそがテューレの女王に相応しいと考え、アイスランドで一番物語を上手く語るネコのトードという男に、自分の来し方を女王の前で称えて語らせようと考えます。しかしネコのトードは、両親の死のきっかけとなったクヴェルドルフの行いを忘れておらず、きっぱりと断るのです。(「ODIN'S MONSTER」当麻ゆか訳)

古くからアイスランドに伝わる話にヒントを得ているものの、ほとんどはスーザン・プライスのオリジナルなのだそうです。確かに3人兄弟の末っ子のトードがキーパーソンとなっており、3度の試練が繰り返されるところは民話ならではの構造と言えます。
オーディンを信仰するクヴェルドルフとフレイアを信仰するネコのトード。クヴェルドルフはおぞましい死霊を送り込んで、トードとその2人の兄や周囲の人々を悩ませ続けます。ネコのトードにできるのは、ただ語ることのみ。死霊を退治する力などありません。しかし言葉の持つ独特の力を、冬の間ここの農場に居候している老婆・ベリィトーラがネコのトードに気づかせます。魔法とは「力を持つように考えて選び、組み合わせた言葉」だというのが、「ゴースト・ドラム」のチンギスの魔法の修業と通じる部分ですね。そのままではどうにも対抗しようがないように見える死霊も、元を正せばクヴェルドルフの魔法によって作り出された存在。ネコのトードが示唆を得て、言葉によって死霊の魔法を1つずつ分解していくところが面白かったです。


「エルフギフト」上下 ポプラ社(2007年5月読了)★★★★★

南イングランドのサクソン人の王国で、臨終の王・エアドムンドを取り囲んでいたのは、王の兄弟で唯一の生き残りのアセルリック、王の息子のアンウィン、ハンティング、ウルフウィアードの3王子、そしてフィラン神父。王は次の王を指名しておらず、賢人会議はおそらくアセルリックを指名するだろうと考えられていました。その時、エアドムンドが意識を取り戻します。そして次の王にと指名したのはエルフギフト。エルフギフトはエアドムンドと森のエルフの間に出来た私生児で、母親はエルフギフトを産み落としてすぐに死に、エルフギフトは乳母のヒルドに託されて角谷(ホーンズデール)の農場にやられたままになっていました。王の言葉を聴いたアンウィンは、ハンティングに早急にエルフギフトを討つように言いつけ、ハンティングは兵士を引き連れて農場へと向かいます。一方、エルフギフトは母親からこの世のものとは思えない美しさと癒しの力、そして先の出来事を予知する能力を受け継いで成長していました。狩に行くと言って森に出かけていたエルフギフトの元を、オーディンの女戦士(ワルキューレ)が訪れます。(「ELFGIFT」「ELFKING」金原瑞人訳)

上巻の副題は「復讐のちかい」、下巻は「裏切りの剣(つるぎ)」。
表向きは血族が王位を巡って争う血の物語であり、ゲルマン神話のオーディンやトールといった神々を信仰する人々と、唯一神であるキリストを信仰する人々の対立の物語でもあります。しかしごく普通の人間が主人公の物語とはとても思えませんね。それ以上に、まるで神話の世界そのままのような物語。オーディンやワルキューレが登場しているため、実際に神話と地続きではあります。そして人間の世界と神々の世界を繋ぐのは、この物語の中心人物であるエルフギフト。半分は人間であり、半分はエルフの血が流れているエルフギフトは、まるでケルト神話のクーフリンのような存在です。クーフリン同様に異界で戦う技術を身につけますし、同じように死期も既に定められています。神話色の濃さは、それだけではありません。異界の描写はまるでティル・ナ・ヌォーグのようですし(もちろんヴァルハラかもしれませんが、個人的な印象としてはティル・ナ・ヌォーグ)、女神が選んだ王が足を乗せると叫ぶ石も、大釜も、冬至に当たるユルの祝祭という名前も、ケルト神話から来ているもの。そして柱に刺さっている<オーディンの約束>をエルフギフトが引き抜く場面は、まるでニーベルンゲン伝説のよう。ジークフリートの父・ジークムントがフンディングの家のトネリコの柱からオーディンの剣を引き抜く場面と同じです。
異界に入ったウルフウィアードとエルフギフトが見たつづれ織りには、これからの戦いや人間の営みも織り込まれていましたが、その模様は神々の気紛れによって刻一刻と変化していくのでしょうか。ここに登場する人々は、所詮は神々の操る駒としか思えません。それはエルフギフトも同じ。半分のエルフの血のせいか人間の世界に馴染んでいたとはあまり言えないエルフギフトは、本来なら神々の側に入る資格を持っていたようなのですが、愛するヤルンセアクサを失う覚悟でウルフウィアードの助命をした時に、彼の神性は失われてしまったようです。だからこそ、もう一度神性を得るために、エルフギフトの血は流される必要があったのでしょうか…。圧倒的な死と再生の物語。しかし物語が幕を引いても、そこにあるのは平和な世の中ではないのですね。
読後に残るのは、強烈な生々しさ。「血染めのワシを刻む」は凄まじい処刑方法ですし、終盤の大釜の場面もあまり想像したくないような場面。本当に土と鉄と血の臭いが感じられるような、迫力の作品です。


「500年のトンネル」上下 創元推理文庫(2008年2月読了)★★★

21世紀の私企業・FUPが極秘裏に開発したのは、<タイムチューブ>と呼ばれる一種のタイムマシン。<チューブ>の片側の端は21世紀の現代に設置され、もう片側は現在は16世紀に設置されており、<チューブ>が稼動すると、その中を歩いていく人間は通り抜けた時に16世紀のイングランドにいるという仕掛け。FUPは16世紀のイングランドの辺境地帯を発掘して石油や石炭、黄金などの資源を掘削し、さらには人々にリゾート地として紹介して利益を得たいと考えていたのです。そのために16世紀のスコットランドとイングランドを説得、両国の国璽を契約書に調印させ、その地方の好戦的な一族・スターカームと同盟関係を結んでいました。しかしその日、4人の地質学者たちが調査のために16世紀を訪れた時、スターカムの若い少年、ピーア・トーキルズソン・スターカームらに襲われます。身体こそ怪我はなかったものの、持ち物を全て奪われたのです。(「THE STERKARM HANDSHAKE」金原瑞人・中村浩美訳)

1998年に刊行されると、イギリス児童文学の2大タイトル、カーネギーとガーディアンの両賞にノミネートされ、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(J.K.ローリング)や「肩甲骨は翼のなごり」(デイヴィッド・アーモンド)などを抑えてガーディアン賞を受賞したという作品。
500年の昔にタイムスリップするという意味ではSFですが、SF色はその程度で、むしろファンタジーと呼んだ方が相応しい作品かもしれません。21世紀の人間は16世紀の人間にアスピリンを分け与えることによって手懐けようとしており、本文中にも引き合いに出されているのですが、丁度アメリカにやって来た白人とインディアンの関係のような印象。しかし16世紀の人間も、ただ言いなりになっているわけではありません。相手に怪我をさせなければ持ち物を奪うことぐらいは大した問題ではないと考えていますし、なかなか現代人の感覚では付き合えない相手。スターカーム一族は、21世紀の人間からすれば野蛮で好戦的で、近隣の部族ともすぐ血生臭い揉め事を起こす部族なのです。そして逆に16世紀の人間にとって21世紀の人間は、妖精エルフとして考えられています。現地に派遣されている人類学者の卵・アンドリア・ミッチェルも、丁度タム・リンを連れ去る妖精の女王のような存在。その頃よく語られていた伝承に上手く絡めているのが面白いですね。16世紀の人間に理解できない技術などは全て「エルフの技」として片付けられています。
野蛮で好戦的で、しかも貧しく不潔と21世紀人が捉えているスターカーム一族ですが、その濃さや力強さは実はとても魅力的。読んでいて、とても「生きている」という感じがします。それに比べて、動物としての本能をすっかり失ってしまった21世紀の人々の情けないこと。確かにその暮らしは16世紀のものよりも清潔で便利かもしれませんが、何と無味乾燥で薄いのかと考えさせられてしまうほど。しかしこの辺りが作者が書きたかったことの1つなのかもしれませんが、少々バランスが悪すぎるような気もしますね。せめて21世紀側の人間がもう少し魅力的なら良かったのですが、FUP側の責任者・ジェイムズ・ウィンザーもいいところが全くありませんし、保安部長のブライスや現地に派遣されているアンドリアも今ひとつ。もう少し21世紀の良さのようなものが前面に出ていれば、物語そのものももっと魅力的になったのではないかと思いますし、21世紀の人間であるジョーの行動や思考にももう少し説得力が出たのではないでしょうか。その辺りが少し残念です。

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