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このページは、ジョージ・オーウェルの本の感想のページです。

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「一九八四年」ハヤカワepi文庫(2009年8月読了)★★★★★

おそらく1984年、世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次から次へと変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次々に改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが…。(「NINETEEN EIGHTY-FOUR」高橋和久訳)

以前ブラッドベリの「華氏451度」を読んだ時に、こちらも非常に怖いという話を聞いて興味を持っていた作品。その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うのですが、発表された当時も十分世論を騒がせたのでしょうけれど、実際に書かれた時よりも、現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるものかもしれないですね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話ではなく、まさに現代の話だということに気がつかされることが非常に多いですから。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに、恐ろしいほどの合致です。たとえば星新一さんの「声の網」を読んだ時にも思いましたが、素晴らしいSF作家が書く作品というのは、未来を恐ろしいほど見通していますね。
そしてこの作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのですが、実はそうでもないのでしょうか。もう既に「ニュースピーク」や「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのでしょうか。こういう思考的なものは、誰も気づかないうちに浸透し、気がつけばすっかり支配されているのだろうと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っていても、それを十分に書き表すことができなくなっているというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみれば、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省。…ウィンストンとジュリアのロマンスもまた、二重思考の産物なのでしょうか。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、そうなのかもしれないとも思えてきます...。そして「愛すること」の反対は「無関心なこと」でしょうか。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。

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