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このページは、ウィリアム・モリスの本の感想のページです。

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「世界のはての泉」上下 晶文社(2007年5月読了)★★★★★お気に入り

小国・アプミーズを治めるピーター王には、ブレイズ、ヒュー、グレゴリー、ラルフという4人の息子がいました。穏やかではあっても、鉄壁の城も壮麗な大修道院もないアプミーズを徐々に狭苦しいものに感じるようになった4人は、他国の人々の暮らしぶりを見たくてたまらず、また、命をかけて何かをすることに憧れるようになり、そのことを両親に訴え続けます。ある6月の朝、ピーター王は4つのくじと財宝の入った3つの合切袋を用意。4人のうち3人は北、東、西へ旅立ち、一番短いくじを引いた者は館に戻り王国を継ぐようにと言うのです。くじの結果、ブレイズとヒュー、グレゴリーはそれぞれ従者と共に旅立ち、末子のラルフはお館に残ることに。しかしラルフは翌朝未明に起きると密かに旅立ちの準備を整え、南へと旅立ったのです。(「THE WELL AT THE WORLD'S END」川端康雄・兼松誠一訳)

工芸家、装飾デザイナーとして有名なウィリアム・モリスの散文ロマンスは、アーサー王伝説の中にあってもおかしくないような、中世の世界を舞台にした騎士と貴婦人と探求の物語。J.R.R.トールキンやC.S.ルイスがこのモリスをファンタジー作家として高く評価しており、大きな影響を受けたのだそうです。
永遠の命を得られるという「世界のはての泉」を求めるラルフ王子の旅には、魅惑的な女王や美しい乙女、勇敢な騎士や悪辣な領主が登場して艱難辛苦の連続。最初は無邪気な若者だったラルフが、雄々しく気高い騎士へと変わっていくという、寓話的な成長物語となっています。そしてラルフが世界の果ての泉に辿り着いてその水を飲んだ後の旅もまた、これまでのラルフの足跡を辿るかのように丁寧に描かれているのが特徴。その帰りの旅でこれまで通った町を通ることによって、ラルフの大きな成長が再確認されているようですね。現代の小説が持つジェットコースター的躍動感はまるでなく、物語は淡々と進んでいくのですが、静かな深みを感じさせる文章がとても優美。読んでいると心の中にしみいってくるようです。そしてラルフの人生の最後まで描かれているところがいいですね。これで物語が綺麗に閉じたのだと感じられました。ただ、アーシュラが夢の中でグロリアと名乗っていた理由が最後まで明らかにされずに終わってしまったので、それだけがとても気になります。"Glory"(栄光)という意味を含んでいたのでしょうか。
本の装幀には、モリス自身のウォール・ペーパー“Hammersmith”“Grafton”が使われており、初版のケルムスコット・プレス版のバーン=ジョーンズの木版画も挿絵として使われており、とても美しいです。


「輝く平原の物語」晶文社(2008年3月読了)★★★★★

自由の民である一族の出身で、由緒あるレイヴァン(大鴉)家の息子・ホールブライズは、金髪で強健な体を持ち、戦いにも経験のある若者。ホールブライズが愛しているのは、ローズ家のこよなく美しい乙女・ホスティッジで、2人は夏至の夜に結婚式を挙げることになっていました。しかし春もまだ浅く、まだまだ日が短く夜が長いある日のこと、乙女たちと共に海辺へ行って波打ち際で海草を集めていたホスティッジが、黒装束の海賊らしき男たちに攫われたのです。ホールブライズは早速身支度をして馬にまたがり、海辺へと向かいます。そしてそこにいた男がホスティッジの行方を知っていると知り、早速男の船で海賊たちがいるというランサム島へと渡ることに。(「THE STORY OF THE GLITTERING PLAIN, OR THE LAND OF LIVING MEN」小野悦子訳)

<輝く平原の国>とは、<不死なるものたちの国>。その国は美しく、そこでは老人は若返って再び美しくなり、人々は過去を忘れ、死や老い、苦しみや悲しみを知らずに、平和と喜びの中に幸せに暮らしています。ほとんどの人間にとって、そこはまさに理想郷。その幸せは永遠に続くもの。しかしホスティッジのみを探し求めているホールブライズにとっては、そこは理想郷ではないのです。ホールブライズの目には、この<輝く平原の国>は理想郷どころではなく、逆に胡散臭いものに思えたのではないでしょうか。そもそも<輝く平原の国>の<不死の王>であり<海の宝の支配者>である王とは何者なのでしょう。それも読者には分かりません。王はホスティッジのことを何も知らず、それにも関わらずホールブライズを呼び寄せることによって自分の娘の望みを叶えてやりたいと考えています。それは全知全能の神とはまるで違う部分であり、この理想郷が天国ではないと思い知らされる部分。全ての人間が幸せに暮らしているこの国で、王の娘だけが幸せではないというのが不思議ですし、他の住人たちは幸せに暮らしてはいるものの、人間らしい感情をすっかり失っているようです。「幸せ=争いをなくす=人間らしい感情を排除する」というわけではないでしょうに、完全に微温湯に浸かったような生活。人々は何事かを成そうとしているホールブライズの邪魔をして戯れかけ、ホールブライズが少々怒気を露わにしただけで彼を敬遠する始末。幸せという名のもとにただ単に自堕落な毎日を送っているようにも思えますし、ここが世間一般的な理想郷の概念とはまるで違うこと、そして全く魅力が感じられないことに気づかされます。夢は夢でも、ホールブライズにとっては悪夢。しかしこの世界でただ1人人間らしい感情を持つホールブライズは、自力でこの理想郷を脱しなければならないのです。
主人公が海を渡って異界へ、というこういった物語の形式に則って書かれているのは分かりますし、主人公がその異国を出なければならなかったというのも分かるのですが、形式的にもどこか詰めが甘いような気がしますし、物語としてもどこか中途半端な印象。これに比べると以前読んだ「世界のはての泉」の方が、形式的にも物語的にもずっと美しかった気がします。しかしこれはこれで雰囲気がたっぷりで、私は好きですが…。ウォルター・クレインによる挿絵がふんだんに使われた美しい1冊です。


「不思議なみずうみの島々」上下 晶文社(2008年3月読了)★★★★★お気に入り

バーダロンは、幼い頃に森の近くの市場町・アタヘイの母親のもとから魔の森(イヴイルショー)の魔女にさらわれて、奴隷として育てられた少女。日々の忙しい仕事をこなしながら、時間ができると湖で泳いだり、魔女が決して足を踏み入れない森で過ごしていました。そして17歳になった夏、美しく逞しく成長したバーダロンが森のオークの木の下で緑色のガウンに刺繍を施していると、そこに見知らぬ女性が現れます。鏡を覗いてみたことのないバーダロンには分からないものの、その女性・ハバンディアはバーダロンに瓜二つ。彼女は森に住む聖女でした。2人はすぐに親しくなり、バーダロンはやがてハバンディアに授かった知恵により、魔女の小船に乗って魔女の元から逃げ出すことになります。(「THE WATER OF THE WONDROUS ISLES」斉藤兆史訳)

「無為豊穣の島」「老若の島」「女王の島」「王の島」「無の島」と、魔法の小船で巡る不思議な島々の様子は、まるでケルトの古い航海譚のようです。そしてたどり着く「探求の城」は、アーサー王物語の世界のよう。
しかしこの物語を読んでいると、不思議な部分が多々目につきます。まずバーダロンは魔の森の魔女の元で奴隷として育てられるのですが、魔女はバーダロンを飢えさせるどころか十分に食べさせているようですし、酷く折檻することもないようで、バーダロンは日々かなり自由な時間を持っているようです。もちろん魔女が邪悪で、いずれ自分がその邪悪な目的に利用されるだろうというだけでも嫌う理由としては十分なのですが(自分が幼い頃に母親の元から攫われているというのは、バーダロンにとってさほど重要な問題でないようです)、バーダロンが魔女との生活を嫌がっている割にはそれほど酷い生活ではないようなのが1つ目の不思議。もちろんこの環境から抜け出さないことには物語は展開しないのですが、なぜ敢えて抜け出そうとしたのでしょうか。そして無為豊穣の島で出会った3人の貴婦人たちに助けられたバーダロンが、今度は逆に貴婦人たちを助ける約束をするのはいいのですが、その3人の恋人たちに出会った時に、3人が3人ともバーダロンに一目ぼれしてしまうのです。しかも一番親切にしてくれたアトラの恋人である黒の従者・アーサーとは、気持ちが決定的に通い合ってしまうという展開。しかも城中の男たちが皆揃いも揃ってバーダロンの美貌に心を奪われているのです。神に純潔を誓っているはずの司祭までもが。
3人の貴婦人と3人の恋人たち、探求の旅とその終わり、幼い頃に攫われた少女が美しく成長して幸せを掴む、というように中世来の物語の形式に則った物語であり、様々な「対称性」を見せながらも、3人の貴婦人たちがそれぞれにハッピーエンドとなるわけではないこと、3人の騎士たちに欠ける者が出てくることなど「非対称性」となっている部分は、モリスが意図的に外した部分なのでしょうか。


「アイスランドへの旅」晶文社(2009年10月読了)★★★

1871年の夏、モリスは37歳の時に、終生愛してやまなかったアイスランド・サガゆかりの地を訪ねる6週間の旅に出ることに。アイスランドの自然や人々、そこに残る伝説を伝える、モリスの生涯の転機となったという旅を記録した貴重な日記。(「A JOURNAL OF TRAVEL IN ICELAND」大塚光子訳)

アイスランド・サガは私も好きなので、楽しみにしていたのですが、これはあまり楽しめませんでした。アイスランド・サガが好きとは言っても、おそらくモリスとはその「好き」のレベルが違いすぎるのでしょうね。最後まで、あまり興味を持てないまま読み終えてしまいました。この本の中で紹介されているサガもある程度は読んでいるはずなのですが…。モリスの日記が詰まらないというより、おそらく、私自身があまり紀行エッセイを好んでいないというのが大きいと思います。せっかくなのにあまり楽しめなくて残念です。


「ユートピアだより」晶文社(2008年3月読了)★★★

ある初冬の美しい晩、社会主義同盟の集まりに出た「私」は、地下鉄に乗って家に帰りつくとベッドに転がり込み、2分と経たないうちに寝入ってしまいます。翌朝すっかり太陽が上がってから目が覚め、服を着替えて外に出ると、そこは6月上旬のようなうららかな美しい朝。空気が心地よく、そよ風が気持ち良いのです。なかなか眠気を振り払えないせいだと考えた「私」はテムズ川で泳ぐことを思い立ち、いつの間にか家の真正面にできていた浮桟橋から舟に乗り込みます。そして水の中から見た川岸の光景がいつもとはまるで違い、船方の青年も14世紀風の服装をした洗練された紳士だということに気づくことに。その船方の青年・ディックと話すうちに、「私」がなんと22世紀のロンドンにいることが判明して…。(「NEWS FROM NOWHERE」川端康雄訳)

19世紀に生きる主人公が、22世紀の未来にタイムスリップしてしまうという物語。22世紀の世界はまさにユートピア。貨幣制度は既に廃止されており、人々は生きるために働いているのではなく、自分の楽しみのために、あるいは夜の眠りを心地良くするために働いています。機械によって粗悪品が大量生産されることも既になく、美しい手工芸品が喜ばれる世界。そのため必要以上に老けることもなく、皆若々しくて美しいのです。そして美しいのは人々だけでなく、その服装も、建物も、景色も全てが美しく気持ちよく感じられるように考えられています。学校制度も既に廃止され、犯罪を犯す人間もそれを罰する法律もなく、人々が良心のままに行動して、それが自然に上手くいっている世界を見た主人公は、自分の生きていた時代から後に一体何が起きたのか、古老たちに聞かずにはいられません。
これは社会主義同盟の集まりにおいてなされた、「革命」が成功したあかつきにはどのような社会になるのだろういう議論を受けて描かれた、理想の社会の未来図。モリスにとっての19世紀の世の中とはどのようなものだったのか、そして彼の持っていた社会主義とはどのような思想だったのかが、この作品を読むとよく分かります。しかしモリスの言う労働の楽しさ自体はとてもよく分かるものの、各自がそれぞれに好きな仕事をこなし、必要とする人に必要とする物を供給することによって自然に社会が運営されていくという概念は、19世紀の近代化が若干改善されつつもさらにそのまま進んでいる現在のこの世の中においては、あまりに夢物語。もちろんこの作品の中でもそれは夢物語なのですが…。作中の人々の楽しげな様子を見るにつけ、読むのがつらくなってしまいました。
主人公はじき56歳という年齢なのですが、周囲には80代の老人と思われています。逆に未来の世界では、20歳ほどだと思った女性が実は40歳を過ぎていたり、がっしりと逞しい初老の男性が実際には90歳ほどだったりと、満ち足りた幸せな生活を送ることによって人間の老け方も全然違ってくるというのが面白いですね。


「ジョン・ボールの夢」晶文社(2008年3月読了)★★★★

自分をとりまく様々な問題にいらいらしている時にみる、思いがけない楽しい夢。色々な建物を次々と見せてくれるのぞきからくりのような夢が多い中で、ある晩みたのは、1381年に起きたワット・タイラーの乱の只中にあるケントにいる夢でした。「私」はケントのウィリアム・タイラーという男と親しくなり、ワット・タイラーの指導者の1人となった司祭・ジョン・ボールと語り合うことになったのです。(「A DREAM OF JOHN BALL」横山千晶訳)

ウィリアム・モリスが芸術家であるだけでなく社会主義者であったことは知られていますが、この作品はモリスが編集者となっていた社会主義同盟の機関紙「コモンウィール」に発表されたもの。それだけに社会主義者としてのモリスの一面を強く感じさせる作品でした。仲間たちとともにモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立したモリスは、自ら資本家となることで現実と理想の矛盾を身をもって体験し、社会を変えていかねばならないという使命を感じたのだそうです。普段「社会主義」と聞くと、元々は平等な世の中を目指していたはずなのに、結局一部の人間だけが甘い汁を吸うことになる… というイメージがあるのですが、モリスは本当に自分にとっての理想の世の中を思い描いていたのでしょうね。この本の大筋は、ワット・タイラーの乱の当時のケントの人々を描いたものですし、実際、中世当時の田園風景や人々がとても生き生きと描かれており、とても魅力的。特に村の酒場・薔薇亭での村人たちと飲み食いしている様子や、ウィリアム・タイラーの家での夕食の様子が私はとても好きです。強い生命力を感じます。しかし中心となっているのは、乱の指導者であるジョン・ボールと語らう場面。その場面を通して、モリスは現実の自分が生きている19世紀の世の中を改めて見つめ直しているのです。
この本の挿絵は、ジョン・ボールが残した言葉として有名な「アダムが耕し、イヴが紡いでいたときに、ジェントルマンなどいただろうか」という言葉をバーン=ジョーンズが絵にしたもの1枚のみです。「ジョン・ボールの夢」という題名から、主人公がジョン・ボールになった夢をみたのかと思ったのですが、そうではなくて、ジョン・ボールと出会ったという夢でした。そして併録されているのは、これまた社会主義的な短編「王様の教訓」です。


「世界のかなたの森」晶文社(2008年3月読了)★★★★

ゴールデン・ウォルターは、勇敢で優しく賢く、黄金色の髪を持つ美しい若者。しかしお互いに恋に落ちて結婚したはずの美しい妻に裏切られ、ウォルターは富裕な商人である父の船に乗って他国を色々と見て回りたいと考え始めます。そして船出の前日、乗ることになったキャサリン号を見ている時に目に入ったのは、3人の人々。最初の1人は暗褐色のぞっとするような肌色をした小人。次は20歳ほどの花のように美しい、しかし右足のくるぶしに鉄の環をはめた乙女、そして最後は背の高い威厳に満ちた、あまりの美しさでじっと見つめることができないような貴婦人。ウォルターは故郷であるラングトン・オン・ホルムを後にした後、再びその3人連れを目にすることになります。(「THE WOOD BEYOND THE WORLD」小野二郎訳)

「輝く平原の物語」と同じぐらいのこじんまりとした中編。モリスの晩年である60代の頃に書かれたという作品です。「輝く平原の物語」や「不思議なみずうみの島々」のように水を越えて異界へと旅立つのではなく、こちらの作品でも海を越えてはいるのですが、異界への入り口は岩壁の「裂け目」。
この作品に登場する「女王(レイディ)」やこの「世界のかなたの森」の描写から感じたのは、C.S.ルイスへの影響。この「女王(レイディ)」は、ナルニア国シリーズに出てくる女王・ジュディスのようですし、世界のかなたの森の世界は、どこかユースチスやジルが旅をする「銀のいす」の世界のイメージ。もちろん「銀のいす」の地上の世界は荒涼とした地であり、こちらの「世界のかなたの森」に広がっているのは、瑞々しい自然の世界。木々の濃い緑の匂いや大地を潤す小川の冷たさ、野原に咲き乱れる芳しい花々といった豊かなイメージなので、また少し違うはずなのですが。
純真な乙女のはずの「侍女(メイド)」の狡猾さに驚かされつつ、ウォルターの故郷の話がそのままになってしまっていることが気になりつつも、豊かなイメージを楽しめた作品でした。


「理想の書物」ちくま学芸文庫(2007年6月読了)★★★★

19世紀のイギリスを代表する装飾芸術家・ウィリアム・モリス。最も重要な芸術は「美しい家」であり、次に重要なのは「美しい書物」であると考えていたモリスは、理想の本作りに情熱を傾けます。ヴィクトリア朝の本粗悪さを嫌い、中世の美しい写本を愛したモリスは、商売としての本作りではなく、芸術としての本作りにこだわり、晩年の1891年、私家版印刷所ケルムスコット・プレスを設立。そこでは良質の紙やインク、行間や語間、余白にこだわり、挿絵と調和する活字作りにも拘った、モリスの理想の書物作りが追求され、自著やチョーサー作品集など53点の書物が刊行されることに。この本はそんなモリスのエッセイや講演記録、インタビュー記事などを1冊に集めたものです。(「THE IDEAL BOOK-ESSAYS AND LECTURES ON THE ARTS OF THE BOOK」川端康雄訳)

実際にケルムスコット・プレスでの本造りが行われていた期間に書かれたり語られたりしたものだけあって、ここに収められたモリスの書物芸術論はとても具体的ですし、とてもよく伝わってきます。美しい本を作るのも醜い本を作るのも手間と費用の面から言えばほとんど同じであるし、それなら美しい本を作りたいというモリスの考え方はとても印象的。モリスは行間も語間もつめた黒っぽい印刷面を目指しており、数行に渡って語間の余白が同じ位置に来ることのないよう、時には綴りを変えてしまうこともあったのだそう。そしてそんなモリスの本造りに欠かせなかったのは、エドワード・バーン=ジョーンズによる木版画の挿絵。そして木版画の挿絵と装飾に合わせても負けないような重厚さと色調を持った活字が必要と考えたモリスは、ゴールデン・タイプ、トロイ・タイプ、チョーサー・タイプという3つの活字を作り出すことになります。機械化産業を嫌っていたモリスによって、中世風の手引き印刷機が導入されることに。
粗悪本と手間と費用がそれほど変わらないとは言っても、やはり良質の紙やインクを使用する以上、それなりの代金がかかることになりますし、字間や行間が広い方が読みやすいと信じていた植字工たちに自分の考えを浸透させるのは、相当大変な作業だったでしょうね。実際にモリスによって作られた本は、モリスの目指すような公立図書館に置かれて誰でも見ることができるような本ではなかったと思います。本の代金は、庶民には手が届かないものだったでしょうし、結局購入するのは有閑階級の人々のみ。社会主義者であるモリスの理念とはまた違った結果に終わってしまったのが皮肉ではありますが、それでもモリスの美しい本はそれ以降の書物や印刷に大きな影響を与えたでしょうし、確固とした存在感があると思います。

「ペル・メル・ガゼット」の編集者宛てに出した「良書百選」のアンケートの回答
<モリスにとってバイブル的存在>
1.ヘブライ聖書(重複部分や単なるユダヤ教会主義部分は除く)
2.ホメロス
3.ヘシオドス
4.エッダ(他の古ノルド語のロマンティックな系譜の詩を含む)
5.ベーオウルフ
6.カレワラ、シャー・ナーメ、マハーバーラタ
7.グリムや北欧民話を筆頭とする民話集
8.アイルランドとウェールズの伝承詩集

(以下*マークがついているものも、バイブル的存在)
<真の古代の想像力に富む作品群>
9.ヘロドトス*
10.プラトン
11.アイスキュロス
12.ソポクレス
13.アリストパネス
14.テオクリトス
15.ルクレティウス
16.カトゥルス

<伝統的な歴史書>
17.プルタルコスの英雄伝
18.ヘイムスクリングラ*(ノルウェイの王たちの物語)
19.アイスランド・サガ*
20.アングロサクソン年代記
21.ウィリアム・オヴ・マームズベリ
22.フロワサール

<中世の詩>
23.アングロ・サクソンの抒情詩群(例えば「廃墟」とか「放浪者」)
24.ダンテ
25.チョーサー
26.農夫ピアズ
27.ニーベルンゲンの歌*
28,29.デンマーク及びスコットランド・イングランド辺境地方の伝承バラッド*
30.オマル・ハイヤーム
31.他のアラブとペルシアの詩
32.狐のルナール
33.最良の韻文ロマンス

<中世の物語本>
34.アーサー王の死*
35.千夜一夜物語*
36.ボッカッチョのデカメロン
37.マビノギオン

<近代詩人>
38.シェイクスピア
39.ブレイク(彼の内で生身の人間に理解できる部分)
40.コウルリッジ
41.シェリー
42.キーツ
43.バイロン

<近代の物語>
44.バニヤンの天路歴程
45.デフォーのロビンソン・クルーソー、モル・フランダース、ジャック大佐、船長シングルトン、世界周遊旅行
46.スコットの小説群(死にかかっていた頃に書いた一つか二つは除く)
47.デュマ・ペール(彼のすぐれた小説)
48.ヴィクトル・ユゴー(彼の小説)
49.ディケンズ
50.ジョージ・ボロー(ラヴェングローとジプシー紳士)

<分類不能>
51.サー・トマス・モアのユートピア
52.ラスキンの著作(特にその倫理的部分と政治経済部分)
53.トマス・カーライルの著作
54.グリムのドイツ神話学


ケルムスコット・プレスから刊行された53点の作品
1.「輝く平原の物語」ウィリアム・モリス
2.「折ふしの詩」ウィリアム・モリス
3.「プロテウスの恋愛抒情詩と歌」ウィルフリッド・スコエン・ブラント
4.「シックの本質」ジョン・ラスキン
5.「グウィネヴィアの抗弁、その他の詩」ウィリアム・モリス
6.「ジョン・ボールの夢/王の教訓」ウィリアム・モリス
7.「黄金伝説」(全3巻)ヤコブス・デ・ヴォラギネ
8.「トロイ物語集成」(全2巻)ラウル・ルフェーヴル
9.「罪なき民の書」J.W.マッケイル
10.「狐のレナードの物語」ウィリアム・カクストン訳
11.「シェイクスピア詩集」エリス編
12.「ユートピア便り」ウィリアム・モリス
13.「騎士道」ラモン・ルル
14.「ヨークの枢機卿トマス・ウルジー伝」ジョージ・キャヴェンディッシュ
15.「ブイヨンのゴドフリーとエルサレム征服の物語」ギレルムス
16.「ユートピア」トマス・モア
17.「モード――独白の劇」アルフレッド・テニスン
18.「ゴシック建築」ウィリアム・モリス
19.「魔女シドニア」ウィリアム・マインホルト
20.「バラッドと物語詩」ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
20a.「ソネットと抒情詩」ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
21.「フローラス王とうるわしのジャンヌ」ウィリアム・モリス訳
22.「輝く平原の物語」ウィリアム・モリス
23.「アミとアミールの友情」ウィリアム・モリス訳
24.「ジョン・キーツ詩集」エリス編
25.「カリュドンのアタランタ――悲劇」アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
26.「クースタンス王と異国の物語」ウィリアム・モリス訳
27.「世界のかなたの森」ウィリアム・モリス
28.「知恵と虚言の書」スルカン=サバ・オルベリアニ
29.「パーシー・ビッシュ・シェリー詩集」(全3巻)
30.「侮罪詩篇」エリス編
31.「俗世厭離の書簡」ジローラモ・サヴォナローラ
32.「ベーオウルフ物語」ウィリアム・モリス、A.J.ワイアット共訳
33.「ガレスのサー・パーシヴァル」ハリウェル編 エリス監修
34.「イアソンの生と死」ウィリアム・モリス
35.「チャイルド・クリストファとうるわしのゴルディリンド」(全2巻)ウィリアム・モリス
36.「手と魂」ダンテ・ゲイブリエル・ロテッセイ
37.「ロバート・ヘリック詩選」エリス編
38.サミュエル・テイラー・コウルリッジ詩選
39.「世界のはての泉」ウィリアム・モリス
40.ジェフリー・チョーサー作品集
41.「地上楽園」 (全8巻)ウィリアム・モリス
42.「聖処女マリア讃歌」
43.「花と葉/愛の神クピドの書、または郭公と夜啼鶯」トマス・クランヴォウ
44.「羊飼いの暦」エドマンド・スペンサー
45.「不思議な島々のみずうみ」ウィリアム・モリス
46.「フロワサール年代記」試し刷り
47.「サー・デグレヴァント」エリス編
48.「サー・イザンブラス」エリス編
49.「十五世紀ドイツ木版画集」シドニー・コッカレル編
50.「ヴォルスング族のシグルズとニーブルング族の滅亡の物語」ウィリアム・モリス
51.「引き裂く川(サンダリング・フラッド)」ウィリアム・モリス
52.「恋だにあらば」ウィリアム・モリス
53.「ケルムスコット・プレス設立趣意書」ウィリアム・モリス


「サンダリング・フラッド」平凡社ライブラリー(2008年4月読了)★★★★

昔、サンダリング・フラッド(引き裂く川)と呼ばれる大河が大地を分断していた頃。サンダリング・フラッド上流の渓谷地方、川の東側にあるウエザメルと呼ばれる農場に、両親を早くに亡くし、祖父母に育てられた強く頑丈な少年・オズバーンが住んでいました。オズバーンは生まれながらの詩人であり、しかもわずか12歳の時に羊の群れを襲った狼3匹を殺して、少年闘士として近辺で有名な存在。そんなオズバーンがエルフヒルドという名の同じ年頃の乙女と出会ったのは、彼が13歳になったばかりの頃のことでした。しかしエルフヒルドは川の西側の鹿の森の丘に住んでおり、2人は川越しに様々なことを語り合うものの、人間にはこの川の流れを横切ることは決してできなかったのです。(「THE SUNDERING FLOOD」中桐雅夫訳)

北欧文学に強く影響を受けて書いたといわれる、ウィリアム・モリスの遺作。
北欧文学の影響を受けていると言われるだけあり、確かにまるでサガのような雰囲気を持つ作品。物語全体としてはオズバーンのサガであり、オズバーンを始めとする男たちの勇壮な戦いが描かれています。そしてその中に、エルフヒルドとの恋物語も描きこまれているという形。このロマンス自体は中世のイギリス文学にも見られるようなものですが、キリスト教圏というよりも北欧圏らしく、若い2人の思いがとてもストレートに描かれているのが目を引きます。
構想としては、とても素敵な物語になる可能性を持った作品だと思うのですが、日本語訳がとても読みにくかったこと、そして物語そのものにも推敲されきっていない、あまり整理されていない部分が目についてしまったのがとても残念でした。特に、途中エルフヒルドの行方が分からなくなってからは、しばらくオズバーンの戦いがクローズアップされることになるのですが、この辺りが少々冗長に感じられてしまいました。しかもオズバーンとエルフヒルドの再会も、盛り上がり不足なのです。失踪していた間のエルフヒルドの物語をエルフヒルド自身ではなく、老婆が1人で全て語ってしまうというのも、その大きな要因となっているのでしょうね。この老婆や2人に贈り物をする小人、そしてスティールヘッドなどの人物についての秘密も、最後に明かしてもっと物語を盛り上げて欲しかったところです。

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