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このページは、ジョン・ミルトンの本の感想のページです。

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「失楽園」上下 岩波文庫(2006年2月再読)★★★★
神に背き天国から追放され、味方につけた夥しい天使の軍勢と共に大いなる深淵に落とされたサタン。しかしサタンは壊滅的な打撃を受けた味方の軍勢を呼び起こし、天国を再び手中に入れる望みがまだ残されていると語り、彼らと共に再び神に向かう手立てを考え始めます。天国における昔からの予言によれば、エデンの地に新しい世界と、人間という新しい被造物が創造されることになっているのです。そしてその真偽を確かめるために、サタンが単身エデンへと向かいます。(「PARADISE LOST」平井正穂訳)

17世紀の詩人・ジョン・ミルトンによる、イギリス文学史上最も偉大な作品の1つとされる叙事詩。主に旧約聖書の「創世記」に題材を取った、神に創られた最初の2人の人間アダムとイーヴ、そして彼らを巡る天使と悪魔の物語。
この中で最大のポイントと思えるのは、上巻P.122の神と御子の対話場面。神の「わたしは彼を正しく直き業を用いて、堕ちることも自由だが、毅然として立つにたる力に恵まれた者、として造った。いや、かかる者として、すべての天使を、正しく立てるものをも過ちを犯した者をも共に造っておいた」という言葉。アダムとイーヴもそうですが、悪魔に堕ちることになったルシファーもまた、自由意志の持ち主、そして選択の自由を持った存在として作られているのですね。しかしそもそもエデンの園に知恵の木や命の木を植えたのは神自身。いつでも食べられる状態に置いておきながら、食べてはいけないと禁じるところには、いくら自由意志を尊重しているとはいえ、矛盾を感じざるを得ません。
そして改めて読み返した時に感じられたのは、人間味溢れる、サタンを始めとする個性豊かな悪魔の軍勢の魅力。彼らの前にいると、完全な存在であるはずの神やその御子、善き天使たちがあまりに無個性に感じられてしまいます。自分たちを創造した神に楯突くという、不可能かもしれないことを可能と信じ、実際に行動に移した明けの明星ルシファーは、地獄に堕ちても尚、光輝やいているようです。一般的に、神の次の座に位置していたルシファーの反乱の理由は「傲慢」であるとも「驕り」であるとも言われていますが、しかしこれまで読んだ天使と悪魔に関する様々な物語のことを考えても、それだけとは到底思えないのです。そしてサタンの姦計によって楽園を追放されることになるアダムとイーヴですが、そんな彼らの中には喜びも存在していたというのがまた、注目すべきポイントだと思います。ミルトン自身は楽園追放が「悲劇的」だと書いていますが、一方的に追放されるのではなく、それまでの一方的に庇護される生活からの自立のようにも見えます。もう楽園にはいられないという寂しさだけではなく、自らの道を選んで歩んでゆくことができるという満足感も、彼らの中には実はあったのではないでしょうか。そしてそれこそが、ルシファーの求めているものだったのかもしれないとさえ思えてきてしまうのです。アダムとイーヴの姿は、まるで親離れして自立していく子供のよう。親である神は、いつまでも自分の創造物である子供を自分の庇護下に置きたがるのかもしれませんが、子供は親の心など知らずに巣立っていくもの。…と感じるのは、キリスト教世界においては間違った読み方とされるのかもしれませんが…。
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