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このページは、タニス・リーの本の感想のページです。

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「月と太陽の魔道師」ハヤカワ文庫FT(2005年6月読了)★★★★★

残虐な主人・フレン卿に痛めつけられた奴隷のデクテオンは、老奴隷に助けられて逃亡。逃げなければ銅鉱に売り飛ばされるだけであり、そこでは2年ほどの労働と、それに続く死が待ち受けているだけなのです。デクテオンは老奴隷の言う通りに丘をいくつも越えてラウンド・ヒルに向かい、高地に石が円形に配置されている古い場所へ。しかし馬に乗った男たちや猟犬が迫っていることを知り、咄嗟に石の輪の中心部にある巨大な花崗岩の下に飛び込みます。しかし次に目を開けた時、デクテオンは森の中の地面に横たわっていたのです。そこに頭巾の男が現れ、デクテオンが二輪馬車で連れて行かれたのはザイスタアの屋敷でした。実はそこはデクテオンが生まれ育った場所とは違う、女たちが主人である月の世界。女王は太陽である男を5年間だけ夫とし、期限が切れれば殺してまた次の夫を物色するという風習であり、女王の夫であるザイスタアはあと1ヶ月の命となっていたのです。(「EAST OF MIDNIGHT」汀奈津子訳)

日本に最初に紹介されたタニス・リーの作品。太陽の支配する男の世界と、月の支配する女の世界の物語であり、異世界に暮らしながらも良く似た姿をしていた奴隷のデクテオンと王様のザイスタアが立場を入れ替える物語でもあります。タニス・リー版「王様と乞食」ですね。しかし「王様と乞食」の物語では服装などを入れ替えるだけなのですが、この物語ではザイスタアの魔力によって入れ替わるため、なかなか面白い逆転状況が生まれることになります。
ザイスタアの肉体に押し込められたデクテオンはザイスタアの知力と魔力を手に入れます。デクテオンの肉体を手に入れたザイスタアは丈夫な肉体を手に入れますが、無知で貧しい頭脳に計画を邪魔されることに。しかもザイスタアの元々の精神は、次々と襲ってくる困難に打ち勝つことができるほど強靭ではないのです。ザイスタアの思惑とは逆に、デクテオンの魅力が高まり、ザイスタアは情けない状況に甘んじなければならなくなります。自分を救うために他人を利用しようとする、それも他人を死に追いやろうとしたザイスタアにはいい気味。しかしここで注目したいのはデクテオン。全てを手に入れたかのように見えるデクテオンですが、そんな彼のとった行動はかなり予想外でした。入れ替わった2人がそれぞれに自分に欠けていたものを補い、人間的な成長を遂げ、本来属しているべき世界で最善を尽くすというのはとても好感が持てる展開ですし、気持ち良くもありますね。そんな男たちを見つめるラストの女司祭・クラストの姿も印象的。
本国ではジュブナイルとされている作品だそうですが、大人にも十分読み応えがあります。むしろ夜の描写の美しさなどタニス・リーらしさは十分残しつつも、熱心なファン以外の読者にもとても読みやすい作品となっているのではないでしょうか。


「冬物語」ハヤカワ文庫FT(2004年10月読了)★★★★

【冬物語】…漁師の村の巫女は、17歳のオアイーヴ。1人神殿を守るオアイーヴの前に1人の男が現れます。男の名はグレイ。強い魔力を持つグレイは、代々の巫女しか知らないはずの、神殿に守られている3つの聖遺物のことを知っており、その夜忍び込んで聖骨を盗みだすのです。グレイの目的を知りながら聖骨を守りきれなかったオアイーヴは、グレイの後を追うことに。
【アヴィリスの妖杯】…長かった王の秋の遠征の最終目標であるアヴィリスが陥落。アヴィリスの領主は王に投降せず、家族もろとも焼け死ぬことに。しかしアヴィリスの領主は闇の力と手を結んでいるという噂があったのです。戦いの後、隊長のハヴォルと副隊長のフェルースは、盗賊のカキンの手引きで領主の館の地下に忍び込み、そこにあった純金の杯を盗み出すのですが…。(「THE WINTER PLAYERS COMPANIONS ON THE ROAD」室積信子・森下弓子訳)

「冬物語」は、全面灰色に覆われたような冬世界の中で、オアイーヴとグレイのところだけに色が付いているかのよう。最後にいきなり鮮やかな青色が広がります。それに対し、「アヴィリスの妖盃」は全編闇の黒色と焔と血の真紅に覆われているかのように進み、最後に穏やかな情景が広がります。そして「冬物語」は盗まれた聖遺物を追いかける物語であり、「アヴィリスの妖盃」は盗み出した金杯を追われる話。まるで正反対でありながらどこか似ている部分もあり、この2つの作品は好対照。別々に発表された作品のようですが、1冊の中にこの組み合わせというのは絶妙ですね。
前作「月と太陽の魔道師」と同じくジュブナイルとして発表された作品のようですし、確かにどこか懐かしいお伽話を読んでいるような感覚はあるのですが、それだけに留まらない、大人が読むのにも相応しい魅力がある作品と思います。特に「冬物語」の中盤からラストにかけての展開がとても好きです。聖遺物にまつわるエピソードやそのエピソードと物語との関わり合いなどが、やや都合良すぎるように感じられたものの、やはりとても面白かったです。


「闇の公子」ハヤカワ文庫FT(2004年10月読了)★★★★★お気に入り

巻の一 地底の光
【第一部】
…闇の公子の1人、妖魔の王アズュラーンは、人間の世界で1人の死に掛かっている女に出会い、生まれたばかりのその息子を引き取ります。地底にある妖魔の都・ドルーヒム・ヴァナーシュタの宮殿で子供は美しい青年に育ち、やがてシヴァシュと名づけられることに。
【第二部】…腕のいい金属細工師、ドリンのヴァイイは、湖畔に坐って泣く花の子フェラジンの涙、きらめく宝石となったその7粒の涙を使って、見事な首飾りを作りあげます。
巻の二 策士達
【第一部】
…虚栄心がつのり、自らを神の同胞と称した東の覇者・ゾラシャード王の元をアズュラーンが訪れ、力の源だった護符を取り上げます。王国は崩壊。13番目の娘だけが生き残ることに。
【第二部】…無数のダイヤモンドを秘蔵するミラーシュとジュリムの兄弟が住むのは砂漠の宮殿。そこに現れたのは、ゾジャードの魔女王・ゾラーヤスでした。
巻の三 世界の罠
【第一部】
…貧しい学者の娘、「美しき蜜」と呼ばれたビスネは、同じく貧しい学者の息子、父親同士が友達である美青年と婚約を交わしていました。しかしそこにアズュラーンが現れて…。
【第二部】…ドリンが作った魔物の殻に閉じ込められていた青年は、魔法使いカスチャックによって再び人間として生きることに。しかしある日、禁断の黄金の実によって「自覚」を得ることに。
(「NIGHT'S MASTER」浅羽莢子訳)

平たい地球シリーズ第1弾。闇の公子・アズュラーンと地底の都ドルーヒム・ヴァナーシュタ、そして地上の人間たちの物語。その頃の世界はまだ平らかで混沌の海に浮かんでおり、人々にとってアズュラーンとは恐るべき存在でした。アズュラーンは青味を帯びた黒髪と魔力に富んだ瞳を持つ、美しいすらりとした長身の男。妖魔の世界で、美しい貴族階級ヴァズドルー、王やヴァズドルーに仕えるエシュヴァ、そして金属細工に長けた醜怪な小人ドリンを支配しています。
読み始めてすぐに、この「耽美」で「絢爛」、そして「幻想的」である世界観に圧倒されました。凄まじいまでに妖しく美しいのですね。しかも浅羽莢子さんの訳文の素晴らしいことと言ったら。なんとも格調高い日本語です。もちろんアズュラーンはあくまでも「妖魔の王」。人間の世界を訪れては、気まぐれに災いの種を蒔いていきます。人間側からすれば相当酷いことも平気で行われますし、しかも何も救いがないまま物語が流れていくことも。幸せな恋人たちは引き裂かれ、憎しみや欲望は際限なくかきたてられ、アズュラーンを裏切った人間には恐ろしい仕打ちが待っているのです。でもそのアズュラーンの邪悪さすら美しいのです。これが凄いです。
物語はオムニバス形式で語られていきます。1つの小さな物語が次の物語に繋がり、それがさらにまた次の物語へと繋がり、最後までいくと最初にまた繋がり、1つの大きな世界を見せてくれます。神の存在も興味深かったですし、屈折してはいるけれど、アズュラーンの確かな愛情を感じることができるラストも良かったです。「千夜一夜物語」を意識して書かれたというのも納得の、美しく妖しい世界。煌びやかな色彩に溢れていますが、それは宝石の硬質な光を放つ美しさ。エロティシズムも美しい、大人のためのお伽話、大人のためのファンタジーでした。なんとも夜の闇が似合います。

2008年9月に再読。やはり素晴らしいです。どの物語もはずれがありません。完璧ですね。


「白馬の王子」ハヤカワ文庫FT(2004年11月読了)★★★★

ふと気がつくと、王子は10時間もの間、白馬に乗って草木1本生えていない荒野をさまよっていました。自分の名前も、なぜそこにいるのかも、どこに向かっているのかも分からないまま。その時突然、王子の行く手に、渦巻きと共に1人の娘が現れます。赤のゲメルと名乗ったその少女は、王子に魔法の剣を渡し、真鍮の竜に護られた骨の城には、この世の秘密が全て隠されているのだと語ります。王子は訳が分からないままに、その骨の城へと向かうことに。(PRINCE ON A WHITE HORSE」井辻朱美訳)

タニス・リーのデビュー作。
知らない間に異世界に来ていたというファンタジーは良くあります。そして主人公が何も分からないまま、冒険が求められることもしばしば。しかしこれほどやる気のない、無気力な主人公というのはいたでしょうか! 剣に魔法の世界。魔女がいれば竜もいて、魔法の品も揃っています。しかも自分が何物なのかは分からなくても、確かに王子なのです。これが他のファンタジーならば、「待たれていた救い主」「真鍮の竜の殺害者」「ヴァルティカンの剣を帯びる者」などと称号が増えていくごとに、主人公もいつの間にかその気になって奮い立つもの。なのにこの作品での王子は、周囲に乗せられて仕方なくやけっぱちになり、しまいには開き直っているという感じ。自分が何をすべきなのか分からないままに、白馬にまたがり、魔法の剣を与えられ、鎧兜を用意されて、成り行きのままに「ヌルグレイブ」を倒すことになってしまうのです。しかしこの主人公の変わらなさが、逆に味わいとなっていていいですね。それだからこそ、最後に明かされる主人公の秘密がぐんと鮮やかに見えてくるような気がします。
訳者あとがきで、「ジュウェルスター」という鬨の声が、C.S.ルイスのナルニアシリーズの「最後の戦い」に登場する一角獣のたから石(ジュウェルストーン)から来ているのではないかと書かれていますが、私も読みながらそうだと感じていました。それにこの王子と馬の組み合わせは、まるで「馬と少年」のようでもありますね。「馬と少年」のシャスタとブレーはもっと真面目なのですが、丁度ブレーが羽目をはずしている時のような感じ。こちらの2人のやり取りはまるで漫才のようで、それもとても楽しいです。「白馬の王子」という人を食ったような題名も、この作品にぴったりですね。


「死霊の都」ハヤカワ文庫FT(2005年8月読了)★★★

ショーンの住むパイン・ウォークは、幅1マイルの広い緑の段丘と、外垣と呼ばれる険しい段丘、そして深い森に囲まれた谷の村。森は谷の東端にあり、その森の向こうには砂漠があると言われていました。しかし村の者にとって、外垣や森の中に南北に流れる川を越えることはタブー。そんなある日、村の王・トロムによるイノシシ狩が行われ、17歳の少年ショーンも同じ年の幼馴染・ロートと共に参加します。しかし兄・ジョフに一番槍を許さず、皆の前で恥をかかせることになってしまったショーンは、ジョフにイノシシ網で木に吊るされてしまうのです。なんとか網をなんとか抜け出すものの、真っ暗な中で道に迷ってしまい、鴉の一族に出会ってしまうショーン。なんとか殺されることは免れるのですが、ようやく帰り着いた村では、今度は「憑かれ者」として捕らえられ、処刑されそうになります。(SHON THE TAKEN」森下弓子訳)

タニス・リーらしい夜の闇の世界が舞台。闇夜の中の鴉の一族が一層闇を引き立てます。そんな闇の世界の中で進んでいく2人の少年による冒険物語。しかしモチーフとしては惹かれるものがあるのですが、全体的に書き込み不足という印象。ショーンとダーンの冒険のこと、鴉の都のこと、鴉一族のこと、失われた記憶のことなど、もう少し丹念に描けば、もっと物語として深みが出ていたはずですし、描き方によってはもっと印象的な場面となったはず。なんだかとても勿体無い気がします。


「幻魔の虜囚」ハヤカワ文庫FT(2005年5月読了)★★★★★お気に入り

6歳の時に色の黒い男たちに家からさらわれ、7歳で奴隷として売られたシャイナ。奴隷市へと向かう途中で村を3つと町を1つ、大公の住むアーケヴの日と月の都の近くを通りさえしたシャイナは、奴隷ではあっても旅をして来たという優越感を持ち、強く誇り高く生きていました。そんなある日、山羊たちを主・老アッシュの家に連れ戻ろうと山腹を下っていたシャイナは、見知らぬ灰色の老婆に出会います。老婆はシャイナが次の日が終わるまでに自分の助けを求めることになるだろうと予言。そしてその夜、村を訪れたのは興行師カーニックの一行でした。シャイナはその中にいた騎士役を演じた黒髪の若者に恋をしてしまい、翌日、魔女・バルバヤートの元を訪れることに。(「VALKHAVAAR」浅羽莢子訳)

ヴォルクハヴァールに捕らわれた若者・ダジエルに恋をした美しいシャイナの物語。訳者の浅羽莢子さんもあとがきに書いていますが、まさに正統派のおとぎ話のパターンですね。もちろん作者がタニス・リーですから、シャイナの旅も一筋縄ではいかず、かなり悲惨な目に遭うことにもなります。しかも単純なハッピーエンドを迎えるわけではないのです。
この物語で印象的なのは、ヒロインとなるシャイナに対する悪役のカーニックことヴォルクハヴァールの存在。悪役でありながら、ヴォルクハヴァールもまたとても魅力的。タニス・リーは、彼の生い立ちを詳しく語ることによって、単なる悪役を越えた1人の人間としての悲哀を表現しているようですね。この物語では最終的にシャイナがヴォルクハヴァールに打ち勝つことになりますが、実際にはシャイナとヴォルクハヴァールは表裏一体のようにも思えます。2人の存在は、まるで本当は1つの神である、黒き神トカーナと白き神ソヴァン・トヴァナジットのよう。それに対しダジエルは、影を取られてしまっているとはいえ、シャイナやカーニックほどの強烈な輝きは持っておらず、彼らの相手となるには役不足。様々な困難を乗り越えるうちに、シャイナの方が遥かに大きく成長してしまったのですね。
タニス・リーらしい流麗な文章は相変わらずですし、特に儀式文が美しいです。この作品では「闇の公子」に見られるようなエロティシズムは影を潜めており、純真な愛情が至高の存在となっています。


「闇の城」ハヤカワ文庫FT(2005年6月読了)★★★

誰も住む者もなく、訪れる者もないような北の地。2人の老婆と共に廃墟のような黒い城に住み、夜しか外に出られない16歳のリルーンは、城の生活に退屈しきっており、密かに聞き覚えた呪文で外に向かって呼びかけます。その呼びかけを聞き応えたのは、竪琴を持った若い吟遊詩人・リア。かつて荒ぶる瞳を持った吟遊詩人に竪琴の作り方を教わったリアは演奏者に知らない歌を奏で歌わせるという特別な竪琴を持っており、老婆たちに歌を歌って眠らせ、リルーンを助け出します。しかしリルーンの中には邪悪な力が潜んでいたのです。リアとリルーンが立ち寄った村の人々は、リルーンを長持に入れたまま谷底へ突き落とします。 (「THE CASTLE OF DARK」こだまともこ訳)

リルーンとリアの物語が交互に語られていきます。まるで違う場所で違う生活を送っている2人の運命が徐々に近づき、そして交差、しかしまた離れていく様子には、引き込まれずにはいられませんでした。しかし囚われの美少女は相当の我儘娘であり、救い出す王子さまもそれほど気骨のないタイプ。竪琴を手に敵に立ち向かっていくリアの姿はロマンティックではありますが、リア自身は、時に自分の役割にうんざりしていることを隠そうともしません。そんな2人がラストに向かって成長していく姿は、やや絵空事のように感じられてしまいました。「月と太陽の魔道師」「冬物語」と同じようにジュブナイルとして書かれた作品ですし、ジュブナイルにしてはかなりオリジナリティの高いファンタジーなのではないかと思いますが、その2作品に比べると引き込まれる度合いが少なかったようです。


「影に歌えば」ハヤカワ文庫FT(2005年8月読了)★★★★

オッタンタ、モンターゴー、デ・カスタ、ベルモリオ、チェンティ、ヴェスペリ、エステンバ、デ・フェロ… いくつもの名家が互いに牽制し合い、凌ぎを削るヴェレンサの街。ある日ボルガッバの下町へと向かっていたロミューラーン・モンターゴーとマーキューリオことフラヴィアン・エステンバは、フェロの一族に襲われます。応戦するものの、ロミュラーンが負傷。マーキューリオは手当てのためにロミュラーンを馴染みの娼家へと連れ込むことに。そしてその日、チェンティ家の1人娘・ユウレッタもまた、乳母のコルネリアに連れられてその娼家へと来ていたのです。今にも死にそうなロミュラーンを見たユウレッタはたちまちのうちに心を奪われてしまいます。(「SUNG IN SHADOW」井辻朱美訳)

タニス・リー版、ロミオとジュリエット。 ヴェローナがヴェレンサ、ロミオがロミュラーン、モンテギューがモンターゴー、マーキュシオがマーキューリオと名前も多少変えてある程度なので、誰がどの人物なのかすぐ分かります。シェイクスピアの中では、「ロミオとジュリエット」はあまり好きではない作品なのですが、しかしタニス・リーにかかると一味違いますね。相変わらずの華麗な描写がこの世界にぴったりと合っています。特に家によってテーマとなる色が決まっているところが華やか。異教の神々の名前も登場して、キリスト教世界とはまた違う艶やかさがあります。そして登場人物たちの造形も見事。相手を恋する気持ちは本物なものの、どこか子供っぽい自己中心さの残るユウレッタとロミュラーン、今回一番の存在感を見せてくれたマーキューリオとレオポルド、ユウレッタの母・エレクトラの魔女めいた妖しい迫力や、気のいい乳母のコルネリアなど、脇役に至るまで濃やかに描写されていました。登場人物に関しては、シェイクスピアの作品よりも遥かに深みがあるのではないでしょうか。
そして、同じような展開のラストでありながら、こちらの方が本家の「ロミオとジュリエット」よりも遥かに好きです。やはり本歌取りや歴史物といった、ある程度展開や結末決められている物語では、そこまでの過程でどのように話を膨らませてくれるか、読ませてくれるかというところで作者の腕が見えてきますね。


「死の王」ハヤカワ文庫FT(2004年10月読了)★★★★

豹女王ナラセンが魔法使いのイサクにかけられた呪いのせいで、不毛の地、そして不妊の地となってしまったメル。メルの呪いを解くには、ナラセン自身が子供を生むこと。しかし生ある男の子を身ごもることはないと予言されたナラセンは、実際に国中のどんな男と寝ても、子供を身ごもることはなかったのです。ナラセンは<青いぬの家>と呼ばれる館に住む魔女の元を訪れ、死の王・ウールムによって死せる美しい若者と同衾、両性具有の子・シュミを産み落とすことに。しかし王座を狙う衛兵隊長・ヨルナデシュの差し向けた医師によって毒を盛られたナラセンは、出産後まもなく死亡。シュミは妖魔・エシュヴァの女たちに育てられることになります。やがてとある僧院に拾われたシュミが出会ったのは、砂漠の遊牧民の王子・ジレク。ジレクは母親がかつて魔女と取引をして得た不死身の肉体を持つ少年でした。(「DEATH'S MASTER」室住信子訳)

平たい地球シリーズ第2弾。こちらは「闇の公子」のようなオムニバス形式ではなく、普通の長編。今回もタニス・リーの妖しく美しい世界が繰り広げられていくのですが、しかし「闇の公子」とは訳者が違うということで、少々違和感がありました。決して室住信子の訳が悪いというわけではないのですが、やはり1作目の浅羽莢子さんの訳のインパクトが強いですね。
物語の中心となるのは、人間の永遠のテーマでもある「不死」。この「不死」をめぐって、地上の人間が、死の王・ウールムと闇の公子・アズュラーンの争いに巻き込まれる格好となります。一度は「不死」を手に入れる人間。しかしその現実は、思い描いていたものとはまるで違っていて…。物語の各所でまるで繰り広げられる夢のような情景と呼応するかのように、その「不死」も所詮は虚像に過ぎない儚いものだと徐々に分かってきます。甘さの中に垣間見える、そんなほろ苦さが良かったです。
この作品では、男性でありながら女性でもあるシミュ、人間でありながら精霊の血をも受け継いでいるカザフェ、死の王でありながらも、死の国の居場所を半ば失っているウールム。妖魔であり、人間の不幸を誰よりも願いながら、人間なしには存在し得ないアズュラーンなど、1つの存在の中に同居する相反する性質が目につきました。それもまた、人間にとっての「不死」が持つ「虚」と「実」と同じように、1枚の紙の裏と表のようなものなのですね。


「惑乱の公子」ハヤカワ文庫FT(2004年12月読了)★★★★★お気に入り

生々しい琥珀色の砂漠の国・シーヴ。その国の王・ネムドルの妃であった美しいジャスリンは、王の寵を失ったのは子のせいだと考え、こっそり城を抜け出し、生まれたばかりの幼い我が子を草原に置き去りにしてしまいます。その子は犬によってずたずたに食いちぎられ、ジャスリンは王を完全に失うことに。そしてシーヴの西一哩の地点に建てられた石の塔に移されたジャスリンの元に現れたのは、5人の闇の君のうちの1人・惑乱の公子チャズでした。チャズはジャスリンの願い通りネムドルを狂わせ、ネムドルは自らが建てたベイベルーの塔によって死ぬことに。そしてシーヴが崩壊の後、この地にはベルシェヴェドが築かれ、選ばれた神職者だけが住む聖地となります。そしてある時、ベルシェヴェドを訪れたアズュラーンは、その都の神女・ドゥニゼルと出会い…。(「DELUSION'S MASTER」浅羽莢子訳)

平たい地球シリーズ第3弾。この題名から主人公は惑乱の公子チャズと思ったのですが、しかしチャズは要所要所に登場する程度。実際に物語全編に渡って登場しているのはアズュラーンでした。だからといってチャズの存在感が少ないわけではなく、むしろアズュラーンとチャズの対決のような趣きにも感じられました。この2人の関係は、本当のところは一体どのなのでしょう。アズュラーンはチャズを嫌っているようですが、チャズはアズュラーンに対して屈折した愛情を抱いているように見えます。自分には半分しか与えられていない美を完璧な形で持っているアズュラーンに対する競争心なのか、それとも嫉妬なのか。少なくとも憎しみだけではないように思います。やはり愛憎は紙一重といったところなのでしょうか。
「闇の公子」「死の王」での物語はこの作品の中で、語り部たちによって神話のように語られていました。序章で語られた狂ったネムドル王によるベイベルーの塔の物語も同じ。しかしアズュラーンの本当の姿は、語り部たちによっては語り継がれていないようですね。語り部たちは、夜の公子のことを地底にうろつく醜怪なく獣として語り、人々と共にその姿を貶めていますし、ザレトなどは、「地下の下水に住んでいる大きな悪魔の名前」とまで言っているのです。アズュラーンの人間に対する屈折した愛情が全く理解されていないのが哀しいですね。そして今回、ネムドルによるベイベルーの塔や処女懐胎するドゥニゼルなど、聖書からのモチーフが多かったのには驚かされました。しかしこれほど異教的な世界の中にありながらも、それらがこれ以上ないほどしっくりと馴染んでいるというのも凄いですね。

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